2024年8月21日水曜日

巨大なる冬瓜


 またまた御無沙汰しておりましたが、この酷暑のなか、無事過ごしております。
しかしながら、もともと暑さには非常に弱いので、毎日がただただ我慢の日々です。
  脳天に棒刺さりたる暑さかな  宇虚人
と、以前詠んだ句でありますが、まさにそんな日々ですね。
さるところ、茨城のある知友から、手ずから育てられたりっぱな冬瓜をお贈りいただきました。これ、ごらんのように、まことにドカンと大きなもので、量ってみると8キロの余もありました。さてさて、これを老夫婦二人で食べるとなると、どうやって食べるか、目下思案中であります。もちろん吸い物のたねとしてもいいのですが、それではほんのちょっとしかハカがいきません。これもこのままならば秋までも保存できますが、いったん切ってしまえば、そうそうは保存できないし、といって冷凍しては味がおちる、まさか佃煮のようなものはできまいし、冬瓜のジャムやコンポートってのも、作りようがない。
博雅の君子もし、妙案あらばぜひご教示を乞う!という次第。
ちょっと当面は保存して、あと一月もするとアメリカから子孫どもが帰国してくるので、そしたらひとつみんなで食べてみるか、と思っているところであります。

2024年4月8日月曜日

やっと満開


 都内でも代表的な桜の名所、都立小金井公園は、私の家から歩いて十分くらいのところにあって、格好の散歩場所なのだが、例年四月の第一週に「桜まつり」というのを開催することになっていた。ところが、年々歳々開花が早まるというので、今年は三月の第四週にその祭を設定したところ、あいにくの冴え返りで、その週はまるっきり開花せず、とはいえもうイベントはやめるわけにもいかず、予定通り挙行されたところが、花はゼロ、ただただ出店と人ごみだけという殺風景なる桜まつりになった。しかるに、こんどの週末は満開になった。人生は皮肉である。見に行ってみると、あいにく曇っていて寒い一日だったが、なるほど郷土館前広場は老木の桜が満開になっていた。よく見るとしかし、ここの桜はもう寄る年波か、樹勢が衰えて、花もパッとしない様子になっている。桜は寿命の短い樹(バラ科の樹木である)であるから、そろそろ更新しないとこれからはだんだん枯れるのではあるまいか。もともと、小金井桜というのは江戸時代からの名勝地であったけれど、その頃はたぶん山桜が中心で、玉川上水の堤にズラッと咲いていた。が、それと平行する五日市街道の自動車の振動と排気ガスですっかり枯れてしまい、いまは二代目三代目の樹がほそぼそと咲いているのだが、それも欅などの大樹に押されて、いかにも意気が上がらない。残念なことである。

2024年3月12日火曜日

恒例沢庵、今年は蕪で

 

毎年冬になると、おいしく太った大根を天日に干して、しわしわになるまで干し上げ、それを伝家の糠床にしっくりとつけて、天下無双に美味しい沢庵漬けを作るのが、恒例であるが、今年は、思いがけず、知人から素晴らしく丸々と太った蕪を贈られたので、よし、ひとつこれも蕪沢庵にしてみようと思い立った。かくて、天日に干しているところの写真がこれである。じつはこの干し蕪は、干し上がって、糠床にもじっくりつけ込み、数日前に食べてしまった。いやあ、生の蕪とはまたちがった、独特の甘みと風味が加わって、大根の沢庵とは違う美味であった。また良い蕪が手に入ったら、つくってみることにしよう。概ね、干しに十日、漬けるのに一週間、というところであろうか。もしよい糠床をお持ちのかたは、ぜひお試しを。

2024年3月2日土曜日

自家製マーマレード


  このごろは、マーマレードを作るのが、私の楽しみとなっている。苺やブルーベリーや梅などのジャムも作るけれど、食べて一番の好物はなんといっても自家製のマーマレードに指を屈することになる。
 たまたま、最近さる知人が無農薬栽培の甘夏がたくさん手に入ったからといって送ってくださって、おすそ分けに与った。先日は、別の知人が熊本の不知火を送ってくれたので、それで娘の家の分まで、全部で五壜のマーマレードを作ったが、それももう食べ尽くしてしまったところへ、渡りに舟とて新鮮で安全な甘夏が到来した。さっそく、今日それをマーマレードに作ったのが、この赤い壜詰である。色が赤いのは、煮るときに赤ワインを加えたからである。私のマーマレードの作り方は、ピーラーで、表皮の黄色いところを剥き去って(苦味を抑えるため)、種を除去し、全体を薄切りにして、砂糖、赤ワイン、白ワイン、そして塩一つまみ、黒胡椒の挽き立てをカリカリ、というので、あとはこれが煮詰まるまで三十分ほどコトコト煮る。途中で、マッシャーを使って果肉も皮もマッシュして渾然一体たらしめる。そして水分がほどほどに無くなってきたらできあがりで、煮立っているやつをすぐに壜詰にして堅く蓋をしめる。これで半年でも一年でも持つおいしいマーマレードができるのだが、なーに、この一瓶くらいは、一週間くらいで食べ切ってしまうのである。

2023年11月12日日曜日

山梨県立文学館


 昨日11月11日は、甲府の山梨県立文学館の依頼で講演をしてきた。
 ちょうど、現在、同館では、「それぞれの源氏物語」というテーマの展示をしていて、古今の註釈から、近現代の現代語訳まで、さまざまの源氏物語受容の形を、興味深い説明と、ゆたかな実物展示で見せてくれる。
 その展示会のイベントの一つとして、私は『源氏物語その面白さの秘密』という題目でさまざまの角度から源氏の面白さを論じてきた。熱心な聴衆に励まされて、予定を少しくオーバーして熱弁を振るってきたというわけである。
 県立文学館は、以前田中冬二展のときにも、田中冬二の詩について講演したことがあって、今回が二回目である。
 前の日は雨で、なんの景色も見えなかったが、当日はごらんのように雲が低くたれこめているなかにも、遠景に南アルプスの駒ヶ岳などを遠望することができて、なかなかよい風景であった。甲府は、また、2013年に、『MABOROSI』と題した源氏物語オペラを、同地コラニー文化ホールの委嘱で制作初演したことがあって(私は台本を書き、二宮玲子さんが作曲した)、その時も前講座として源氏についての講演をしたことがある。
 甲府の夏はものすごく暑いので閉口だが、今はもう初冬とあって、寒くなっていた。

2023年11月8日水曜日

数年ぶりに柿熟す

 


 まことに久しい御無沙汰で、平身低頭でございます。
 その後は、特段なる問題もなく、ただただ忙しく毎日仕事にまい進しております。
 今年は、秋がいつまでも夏日続きで、暑いのが嫌いな私としては、ただただ閉口しておりましたが、昨日今日になって、やっと少し秋らしい冷涼さがやってきました。
 さるところ、高い秋空を彩って、拙宅の庭の柿の木に、七つほど赤い実が熟しました。ここ数年は、ほとんど実が生らなかったのですが、今年は元気を回復したとみえて、すこしばかり実ったというところです。例年ですと、この柿(甘柿)の実が青いうちは鳥もやってこないのですが、赤く熟するや否や、オナガやらヒヨドリやらが、朝早くから飛来して、食べてしまうので、私どもの口に入らないことがおおいのでした。が、ことしは、幸いに鳥に気付かれないうちに、収穫することができました。とはいえ、取れたのはこの二つだけで、あとの五つは高い遠い枝にあって、収穫するのが危険なので、これらは鳥に上げようとおもって梢に残しておきました。あと数日のうちには彼らの腹中に入ることと思います。自然に返す、それがなによりの木へのご褒美かとも思います。
 では、これからこの二つを、おいしく戴くことに致しましょう。

2022年12月27日火曜日

はるかな昔

 

 いやはや、非常に御無沙汰をしておりまして、ブロガーとしては大いに反省を致しておりますが、そうこうしているうちに、この動乱の2022年も終りが近づき、もうあと幾日かで2023年やってくるというところまで来てしまいました。
 今年は、全般的に喘息の状態が不安定で、なかなか声が本調子にならず、閉口しておりましたが、この寒波の到来とともに、なぜか体調が好転して、いまは普通に歌なども歌える状態にまで回復しています。不思議ですねえ、人体というものは。
 さて、ごく最近、私はご覧のような古ーい石版画を入手しました。これは、明治20年の12月、すなわち1887年の今ごろに刊行されたもので、画工は、渡辺忠久という人です。この版画はおそらく東京名所絵の組版画の一枚として刊行されたものだろうと思いますが、ともあれ、私がながらく住んでいる武蔵小金井の名勝、小金井桜を写したものであります。川のように見えるのは、羽村から取水して江戸中央まで上水を送り届けるために徳川幕府が開鑿させた玉川上水で、小さな木橋が架かっているのは、小金井橋である。いまは大きなコンクリート橋に変ってしまっているが、明治時代には、まだこんな木の小橋であった。そうしてこの橋を渡って南北に続いているのが小金井街道だが、この時分には、ほそい田舎道に過ぎなかった。右側、この牛の描かれているあたりには後に柏屋という旅館もできて、花見の遊山客に親しまれていた。現在もこのところから数十メートルほど北に行ったところに、柏屋モータースという自動車屋さんがあるのは、その末裔の一族の会社かなと想像される。ともあれ、人物はすべて和服で、これだけ見ていると江戸時代となにも変わりがない。むろんまだ武蔵小金井駅などはできていなかったので、花見客は国分寺あたりから人力車にでも乗ってここに来たものであろうか。私が小学生のころまで、玉川上水の両岸はこんな風景で、柵のようなものはなかったし、桜も隆々と栄えていた。なにもかも変ってしまったものである。