2016年12月29日木曜日

鮪のハンバーグ


 きょうは、久しぶりに早稲田の八幡鮨に行った。ちかく創業百五十年にもなるので、そのお祝いの会を企画して、第一回の幹事会をやってきたのである。
 そのついでに、私のほうから特にお願いして、鮪の血合いを分けてもらってきた。血合いは刺し身にも鮨にもならないので、たいてい賄いのオカズにして食べるのだそうだが、栄養満点な鮪の血合いは、うまく料理すれば、美味しい材料でもある。以前に、一度これを竜田揚げにして美味しく食べたので、きょうは、まず骨などを取り除き、そのあと包丁でトントンとたたいてミンチにした。
 そこへみじん切りのショウガ、全卵、玉ねぎのみじん切り、パン粉を混ぜてよく捏ね、さらに胡椒とウスターソース、それに西圓寺味噌を加えてさらに捏ね、小麦粉を付けてよくよく焼いてハンバーグに作ってみた。
 これが魚肉であることは争われぬことながら、たしかにそれはそれで充分に美味しいハンバーグになった。この部位は、おそらくDHAやEPA、鉄分なども豊富に含まれているはずだから、これを食べて栄養をつけることにしよう。
 八幡鮨さん、ありがとう。いただきます。

2016年12月26日月曜日

クリスマス・ディナー


 今日はクリスマス。横田基地のすぐ近くに住んでいる娘の家で、クリスマスディナーを楽しんできた。娘婿はアメリカ人の牧師で、今娘一家はその教会のすぐ隣に住んでいるのである。
 恒例の七面鳥は、昼食のクリスマス・ディナーで食べた。これは六キロほどの大きさのターキーを五時間あまりかけて焼き上げたというわけで、じつに美味しい。思うに、家禽類のなかでも、七面鳥ほどおいしい肉はないのではないかと、私は思うのである。味にじっくりと深みがあって、しかも肉質は淡泊で低脂肪、筋繊維はしっかりとして食べごたえがある。これは娘が焼いたものだが、とても美味しく焼けていた。私ども夫婦に、娘夫婦、それに三人の息子と一人の(生まれたばかりの)娘、と総勢八人でクリスマスを祝った。教会は敬虔なるバプティスト派ゆえ、飲酒は一切御法度とあって、乾杯もジュースであげ、みな素面でたのしくお喋りやプレゼントの披露やら、楽しく一日が過ぎる。
 夕方のサパーには、チャック・ローストというアメリカ料理で、これは牛の肩肉の塊をクロック・ポットという低温調理鍋で半日ほども煮込んだもの。牛肉はほろほろになってまた独特の旨味がある。
 きょうはそういうわけで、ついつい食べ過ぎて胃薬のお世話になった。ははは。

2016年12月19日月曜日

同窓会的・・・


 きのう18日の午後、新宿の朝日カルチャーセンターで、『流露する人情、平家物語』と題した講演をしてきた。おかげさまで教室は満席で、補助イスが出たということであったが、みな和気靄々たる雰囲気のなか、私は講釈師よろしく合戦場やら、別れの愁嘆場やらの謹訳を朗読したり、平家物語の概説をしたり、できるだけ分かりやすくと心がけて話をしてきた。もうすこし若い人たちにも聞いて欲しいなあとは思うけれど、なかなか若い人にまではこの思いが伝わらないのは、歯がゆい思いがする。
 この講座に、かつて慶應義塾女子高で教鞭を執っていた時分の教え子たちが集まってくれて、久しぶりの「リンボウの授業」を楽しんでくれた(彼女達は、リンボウ先生なんて敬称は付けやしないので、リンボウさんとか、リンボウと呼び捨てとか、まあそんなものであった)。みんなもう立派な「おとな」ではあるが、しかし、集まって話をすれば高校時代そのまま、心はいつまでも若いのである。この写真を撮ったあと、みんなでひさしぶりの同期会というか女子会というか、新宿の某料理屋で楽しい会食の一時を過ごした。教師冥利に尽きるというのは、こういう時である。

2016年12月13日火曜日

修道士スタイル


 今年の師走はずいぶんと寒い。ラ・ニーニャの影響かもしれぬ。
 しかし、仕事をするときは、部屋を温かくするのは、どうも好まぬ。だいいち眠くなるし、咽がからからになるからである。
 大昔、受験時代には、真冬のさ中に窓を全開にして、凛冽たる冷気のなかで勉強していて、家人に嫌がられたものであったが、今も基本的にそういうスタイルは変らない。ただし、床暖房になってるので、足だけは温かい。
 ところが首や肩が冷えると、それもこまるので、以前この日記に「勉強頭巾」というものを紹介したことがあったが、今は、さらにそれがパワーアップして、ご覧のような、むかしの修道士のような上着・・・というか、これは袖と頭巾のついたフリース毛布というべきものだが・・・を着て、ぬくぬくと勉強しているのである。
 これはぜひ皆さんにもおすすめする。なにしろこれで暖房費が大幅に削減できるというものだから、エコそのものであるし。

2016年12月11日日曜日

加藤浩子さん著作


 つい最近、平凡社から、三冊の本が贈られてきた。見れば、加藤浩子さんの音楽の本で、平凡社新書の三冊である。
 加藤さんは、じつは私の慶應義塾女子高教師時代の教え子で、気鋭の音楽学者である。どうも「さん」づけはしっくりしないので、慶應義塾の伝統に従って「君」づけで書く事にしたい。加藤君は、慶應の大学・大学院と音楽学を修めた俊秀で、今は多く啓蒙的な仕事に携わっているらしいが、この三冊などは、そのもっとも良い意味に於ける、格好の啓蒙書である。私などは、若いころから日本のことしか研究してこなかったので、ヨーロッパの文化史についてはまことに疎い一人なのだが、そういう立場でこの三冊を読んでみると、ははあ、そうであったか、なるほどなるほど、と打ち頷かれることが多い。
 解りやすく、面白く書かれているので、勉強するというよりは、楽しみながら多くのことを知り得たというところが、すこぶるめでたいのである。
 とかく啓蒙書とはいっても、やたらと難しげな表現を使ったり、どうかすると衒学的なところが目立ったりする本も多いのだが、加藤君の著述は、すこしもそういうところがなく、それはもうほんとうに周到稠密に調査が行き届き、また実際の音楽への「愛」が充ち満ちていて、しかも文章が平易闊達、温かな読後感が得られる。
 この三冊が平凡社から出たというところも良い。平凡社は、今も良心的な出版の態度を持している珍しい老舗出版社で、私も『イギリスはおいしい』『イギリスは愉快だ』『古今黄金譚』などを同社から刊行しただけでなく、名物雑誌の『太陽』にも、何度か特集の案内役として出た事がある。
 はじめて同社から本を出したとき、担当編集者の山口さんは、「初めての本を平凡社から出したというのは、きっと後になって、よかったとお思いになりますよ」と言われたが、果たしてその通りになった。今も私は平凡社の一ファンでもある。
 そういう著者としての良心と力量が、出版社としての良心と底力にマッチして、この三冊は音楽ことにオペラ好きの人には必須の「教養書」となった。ぜひご一読を。

2016年12月7日水曜日

冬じまい


 きのう今日(5日・6日)の一泊二日で、信州信濃大町の山荘の冬じまいに行ってきた。やはりこれから年末にかけては、相当に雪も積るし、気温も、ぐんと冷え込む。それが信州のこの辺りの当たり前の冬なのだ。
 それゆえ、わが山荘「翠風居」も、毎年この時期になると、冬じまいということになる。また来春の三月末ころに、山荘開きをするまで、この山荘はしずかな冬眠に入る。
 行ってみると、もう木々の葉はすっかり落ち尽くし、地面は分厚い落葉の布団をかぶっていた。すこしでも風が吹くと、その落葉がカサコソと音を立てる。それまた一風情というところである。
 さしも甚だしく出没していた熊も、この季節になると山へ帰って冬眠に入るので、いくらか安全になるが、最近は、山の餌が足りないせいか、温暖化の一現象か、わりあいに遅くまで熊が出没する傾向にある。困った事である。
 今回は、熊には遭わなかったが、大きな猿の群がゆうゆうと庭先を通っていくのに出会った。