2023年11月12日日曜日

山梨県立文学館


 昨日11月11日は、甲府の山梨県立文学館の依頼で講演をしてきた。
 ちょうど、現在、同館では、「それぞれの源氏物語」というテーマの展示をしていて、古今の註釈から、近現代の現代語訳まで、さまざまの源氏物語受容の形を、興味深い説明と、ゆたかな実物展示で見せてくれる。
 その展示会のイベントの一つとして、私は『源氏物語その面白さの秘密』という題目でさまざまの角度から源氏の面白さを論じてきた。熱心な聴衆に励まされて、予定を少しくオーバーして熱弁を振るってきたというわけである。
 県立文学館は、以前田中冬二展のときにも、田中冬二の詩について講演したことがあって、今回が二回目である。
 前の日は雨で、なんの景色も見えなかったが、当日はごらんのように雲が低くたれこめているなかにも、遠景に南アルプスの駒ヶ岳などを遠望することができて、なかなかよい風景であった。甲府は、また、2013年に、『MABOROSI』と題した源氏物語オペラを、同地コラニー文化ホールの委嘱で制作初演したことがあって(私は台本を書き、二宮玲子さんが作曲した)、その時も前講座として源氏についての講演をしたことがある。
 甲府の夏はものすごく暑いので閉口だが、今はもう初冬とあって、寒くなっていた。

2023年11月8日水曜日

数年ぶりに柿熟す

 


 まことに久しい御無沙汰で、平身低頭でございます。
 その後は、特段なる問題もなく、ただただ忙しく毎日仕事にまい進しております。
 今年は、秋がいつまでも夏日続きで、暑いのが嫌いな私としては、ただただ閉口しておりましたが、昨日今日になって、やっと少し秋らしい冷涼さがやってきました。
 さるところ、高い秋空を彩って、拙宅の庭の柿の木に、七つほど赤い実が熟しました。ここ数年は、ほとんど実が生らなかったのですが、今年は元気を回復したとみえて、すこしばかり実ったというところです。例年ですと、この柿(甘柿)の実が青いうちは鳥もやってこないのですが、赤く熟するや否や、オナガやらヒヨドリやらが、朝早くから飛来して、食べてしまうので、私どもの口に入らないことがおおいのでした。が、ことしは、幸いに鳥に気付かれないうちに、収穫することができました。とはいえ、取れたのはこの二つだけで、あとの五つは高い遠い枝にあって、収穫するのが危険なので、これらは鳥に上げようとおもって梢に残しておきました。あと数日のうちには彼らの腹中に入ることと思います。自然に返す、それがなによりの木へのご褒美かとも思います。
 では、これからこの二つを、おいしく戴くことに致しましょう。

2022年12月27日火曜日

はるかな昔

 

 いやはや、非常に御無沙汰をしておりまして、ブロガーとしては大いに反省を致しておりますが、そうこうしているうちに、この動乱の2022年も終りが近づき、もうあと幾日かで2023年やってくるというところまで来てしまいました。
 今年は、全般的に喘息の状態が不安定で、なかなか声が本調子にならず、閉口しておりましたが、この寒波の到来とともに、なぜか体調が好転して、いまは普通に歌なども歌える状態にまで回復しています。不思議ですねえ、人体というものは。
 さて、ごく最近、私はご覧のような古ーい石版画を入手しました。これは、明治20年の12月、すなわち1887年の今ごろに刊行されたもので、画工は、渡辺忠久という人です。この版画はおそらく東京名所絵の組版画の一枚として刊行されたものだろうと思いますが、ともあれ、私がながらく住んでいる武蔵小金井の名勝、小金井桜を写したものであります。川のように見えるのは、羽村から取水して江戸中央まで上水を送り届けるために徳川幕府が開鑿させた玉川上水で、小さな木橋が架かっているのは、小金井橋である。いまは大きなコンクリート橋に変ってしまっているが、明治時代には、まだこんな木の小橋であった。そうしてこの橋を渡って南北に続いているのが小金井街道だが、この時分には、ほそい田舎道に過ぎなかった。右側、この牛の描かれているあたりには後に柏屋という旅館もできて、花見の遊山客に親しまれていた。現在もこのところから数十メートルほど北に行ったところに、柏屋モータースという自動車屋さんがあるのは、その末裔の一族の会社かなと想像される。ともあれ、人物はすべて和服で、これだけ見ていると江戸時代となにも変わりがない。むろんまだ武蔵小金井駅などはできていなかったので、花見客は国分寺あたりから人力車にでも乗ってここに来たものであろうか。私が小学生のころまで、玉川上水の両岸はこんな風景で、柵のようなものはなかったし、桜も隆々と栄えていた。なにもかも変ってしまったものである。

2022年9月22日木曜日

信濃の秋

 

 ちょっと前に、信州の家から東京に戻った。
 さすがに東京は、信州よりも蒸し暑くて、身心ともしばらく順応しがたい感じであったけれど、やっと秋が来てくれたので、ほっと息を吹き返したというところである。
 信濃の野は、ひと足さきに秋の真っ盛りで、空は高く澄み、雲は朗らかに白く輝いて、田にはもう黄金色の稲穂がこうべを垂れて揺れ、そして、野にはススキが真っ白な穂を広げて、秋の陽に輝いていた。
 今夏は、安曇野の道祖神や石仏を探索して歩いたが、驚くほどそれはたくさん路傍にしづまっていて、どれもみな江戸時代から明治にかけてくらいの、風雪を経た深い味わいがあった。
 信濃の秋は、絵に描いたように美しい。善き哉、信濃。

2022年7月24日日曜日

流鏑馬行列


 
 きのう、七月二十三日に、酷暑の東京から脱出、信濃大町に来ています。こちらは、昼間でも28度くらいの気温で、ちょっと山裾のほうへ入ると、25度くらいの涼しい空気になります。夜は18度程度で、きわめて快適です。
 さて、きょう二十四日の日曜日に、何心もなく大町の中心部へ行ってみると、なにやらずいぶんの人立ちが出ていて、交通規制も敷かれていました。きけば、大町の北にある若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の御祭礼で、とくにきょうは流鏑馬行列の日でありました。この流鏑馬は、子供が射手を勤めるという珍しいもので、美しく着飾って白粉で化粧した少年たちが、馬上豊かに行列してゆきました。このがんぜない子供衆が射手の流鏑馬とはびっくり。残念ながらその流鏑馬自体はみることができませんでしたが、少年たちの緊張しながらもどこか誇らしい表情は微笑ましいものでありました。

2022年6月21日火曜日

私の作詩歌曲の集大成、倉藤理大『詩の旅』コンサートへのお誘い



  急に蒸し暑くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、かねてバリトンの倉藤理大(くらとう・りおお)君は、私の作詩した新しい歌曲をつぎつぎと演奏して、世の中に紹介してくれていましたが、このほど、その集大成というべき演奏会を地元の静岡と東京とで開催してくれる運びとなりました。
 くわしくは、上記のプログラムをご覧いただきたいのですが、今回は、とくに『追憶三唱』の歌曲集としての完全演奏という意味での初演となりますので、私もワクワクとしているところです。倉藤君は、ソフトな持ち味の、説得力に富むバリトンで、いつも真摯に作品に向かい合ってくれていますので、作詩者としてもおおいに期待をしているところです。
 両演奏会とも、私もちょっとゲストでお話しなどすることになっていますので、どうかみなさま、ふるってご来聴のほど、こころよりお願い申し上げます。

2022年6月7日火曜日

たいへんに御無沙汰を


 

 みなさま、たいへんに御無沙汰をいたしておりました。
 このところ、みょうに忙しくなってきて、ついつい気がつけば二ヶ月以上も経っておりました。まことにごめんくださいまし。
 さて、もう六月となり、本日は信州信濃大町の家に良い空気を吸いに来ています。こちらはまだ小寒い感じがして、夜はダウンを羽織っているほどです。が、さすがに、遠景には北アルプスの雪白い高嶺、近景には水満々たる早苗の田、じつに美しい安曇野であります。
 ところで、きょう、ちょっと池田町のスーパーへ買い物に行き、ひさしぶりに信州らしいものを買ってきました。これがむかしは養蚕が盛んであった信州らしい逸品、つまり、蚕さんの糸を取った残りの中子・・・つまりサナギの佃煮であります。たべたことありますか?
 まあ、東京では手に入らないので、さっそく買って賞味したところであります。
 どんな味かって? ははは、そりゃ、サナギの味です。それ以上に言いようの無いものでありますが、なんでもとても栄養があるらしい。いまは昆虫食ってのが流行しているけれど、コオロギよりも、昔から信州で食べられていた蚕のサナギのほうを、ぜひお試しあれ。ほかに、信州ではよくイナゴの佃煮なども売っているのですが、これは虫の味というよりは、稲の香りがします。稲を食うから稲子(いなご)なのでありますから、そりゃ旨い。
 しかし、この蚕は、桑の葉しか食わないので、イナゴのようなわけにはいかず、蚕の味だとより批評のしようがありませぬ。
 ともあれ、こういう珍味に舌鼓を打ちつつ、信州より御挨拶であります。呵呵。