2014年8月21日木曜日

信濃路は秋


信濃大町に来てから、このところ二三日は、さすがにちょっと暑い日もあった。
といっても、わが翠風居のあたりは、高瀬渓流と北アルプスの冷風のおかげで、日中28度以上になることはまずない。そして夕刻には20度に下がり、夜は寒いので、布団をきてねている。
それでも、今朝は寒くて目が覚めた。
目が覚めて起きだしてみると、もう空気がすっかり秋になっている。
きのう、中綱湖のほうへ行ってみたところ、いま蓮の花が咲き誇り、中綱のちょっと神秘的な雰囲気と相まって、地上の極楽かという風景に見えた。
その中綱湖畔で向こう岸を見ると、静かな湖面に対岸の山が映り、まことに不思議な感じすらする風景であった。こなたの岸にはすっかりススキが穂を風になぶらせていて、ああ秋!という気分を味わった。

2014年8月7日木曜日

勉強中

またもや、信濃大町の山荘にやってきた。
こんどは、東京の猛暑酷暑と、孫どもの喧騒から逃れて(さすがに、孫の相手ばかりはしていられなくなった)信濃大町の山荘に避暑かたがた、たまった仕事を集中して片付けようというつもりである。
きのう、東京を発ったときには、小金井あたりは36度ほどにもなる酷暑で、それが甲府あたりでは38度ちかくなり、さらに松本でさえ34度という、ともかく暑い暑いドライブであった。
それが安曇野に入ると、車載の外気温計の数値はするすると下がり続け、信濃大町に近づくころにはとうとう30度を下回り、高瀬川渓谷沿いの山居に近づくと、あれよあれよという間に気温は26度まで下がった。それが午後三時ころであるから、夕方にはまたたく間に22度、そして夜は20度まで下がったので、昨日の夜は久しぶりに冷房なしの自然の冷気のなかでぐっすりと休んだ。
冷房のなかで寝ると目が覚めたときにまことに気分が悪い。といって、冷房なしではとても寝られるものではない。小金井あたりは内陸で海が遠い分、熱帯夜の寝苦しさもひとしおだからだ。真夜中になっても30度なんてのは、我慢の限界を超え、冷房をつけないのはむしろ命知らずというものである。
というわけで、自ら「翠風居(すいふうきょ)」と名づけたささやかな山居に一人籠城して、きょうは書評を頼まれた本などを朝からずっと読んでいる。
こういう涼しさの中では、読書もまた快読という気分で進捗していく。

2014年8月4日月曜日

民宿的生活

今や、私の自宅は、アメリカから帰国してきた娘一家(夫=アメリカ人、妻=娘、そして三人の息子たち)と、一時帰国中の息子の家族(嫁、娘二人)と、つまり私ども夫婦を入れると総勢十人という大家族になっている。全員アメリカ育ちなので、家の中の公用語は英語と日本語のバイリンガルになっていて、みな適当に使い分けているのは、なかなか面白い。
さるほどに、私どものダイニングルームは、いまや民宿食堂状態で、その主人たる私は、朝に夕にと、膨大な量の食事づくりに追われている。
そこで、この食堂を、孫たちが「JIJI's CAFE」と名付け、こんな張り紙を出した。そうして、私が起きて調理等のサービスに当たっているときは、OPEN、不在のときはCLOSEという紙を貼り替えるのである。ははは。
そしてその食堂の内部は、孫どもの描き出す夥しい絵で壁じゅうがうめつくされている。こちらのサイドは、ヴァージニアから帰国したボーイズの絵で、自動車やら飛行機やら動物やら、ブルドーザーやら戦争やら、いずれ男の子の好むものは万国共通であるらしい。 
こちらのサイドは、ガールズの絵で、自動車や飛行機は、私どもが絵を描いたのに娘たちが色を塗ったに過ぎぬが、これはボーイズの趣味に影響された結果である。なかに、お花やらハートやら、そういうのは彼女たちのオリジナルで、これまた女の子の好むものは万国共通と見える。
で、しばしば、このボーイズ軍団とガールズ組とは趣味を巡って衝突などしているが、それもよい勉強というものであろう。


2014年8月1日金曜日

古文真宝研究会

きょうは、立川にある国文学研究資料館に行ってきた。
さきごろ、私が40年かかって蒐集した『古文真宝』コレクションを同館に収めたについて、その約480点ほどの『古文真宝』の完全な目録を作り、かたがた版本書誌学のオン・ザ・ジョブ・トレーニングとして、若い人たちに書誌学の概略を伝授しようという研究会が立ち上がった。その、いわばご意見番というか、耆宿というか、長老というか、ともかく私も研究者のひとりとして、この研究会に参加しているのである。さるなかにも、ここ数回は、書誌学概論というようなことを、私が毎回講義をするということになり、きょうはその日であった。みな若くてやるきがあって、また好感のもてる若い人たちばかりが集まった。これは事実上の研究会のあるじ、同館の神作研一君のお骨折りの成果であろう。写真の後列右端がその神作研一君である。
今回は、書誌著録の方法の具体的な説明と、実物による勉強をした。
終わってから、私得意のセルフタイマー撮影を以て、記念写真を撮影したのが、この一枚である。
和気あいあいたる雰囲気が写真にも出ているであろう。
もともと、私は大昔は、資料館批判の急先鋒で、資料館の天敵とさえ呼ばれたものであったが、今は上智の大学院での教え子である神作研一君のお陰で、天敵扱いもなくなり、むしろ私が阿部隆一先生から受け継いだ書誌学が、今やっと資料館にも受け入れられるようになったと、うたた感慨深いものがある。