2020年4月14日火曜日

おこりんぼう


 さて、ここもとお目にかけまするは、この度新しく刊行いたしましたる、最新の拙著、題して『おこりんぼう』と。
 これは、『倫風』という雑誌に何年も連載してきた「わからずや漫筆」というエッセイをば、一冊に纏めたものでありまするが、世にへそ曲がり、頑固オヤジとして虚名も高き、わたくしリンボウこと林望が、どうもこの世の中、おかしいじゃないか、と思うことにつき、縦横に論じ来たり破し去ったというべきもの。御用とお急ぎでない方は、どうぞゆるりとご一読賜りまして、「ひや、ひや」とでも、「さうだ、さうだ」とも、大向こうからの掛け声など賜りたく、伏してお願い申し上げ奉ります。

2020年4月12日日曜日

作りました



 コロナ禍のせいで、閉門蟄居中ではあるが、とはいえ、毎日家の近所をせっせと約一万歩ずつくらい、強歩行をして運動と気晴らしに当てている。
 すると、近所の精肉店に「牛スジあります」という張り札が出ていた。
 ほんとうは、牛スジよりも豚スジのほうが好ましいのではあるが、この際、まずはこの牛スジを買い求めて、煮凝りを作ることにした。
 また、去年拙宅の庭の梅で作った梅ジャムがそろそろ払底してきたので、ついでのことにマーマレードを作ることにもした。それで、愛媛県産の木成り晩橘柑というものを買ってきた。よくよく表皮を洗浄してから、このままではちょっと苦味が勝ちすぎるので、外皮を半分剥いて、それからごく薄い輪切りにし、あとは黒胡椒を少々挽き入れて砂糖で煮ただけであるが、ほどよく苦み走った大人のマーマレードが出来た。これが四個で四瓶、まあ一ヶ月や二ヶ月は楽しめる。
 牛スジは、まずよく洗ってから、水に投じて火にかけ、生姜をへぎ切りにしたものを加えて下ゆでする。充分に火が通ったら、湯は捨て、またさんざん水洗いしてから、線維を断ち切る方向にごくごく薄くスライスし、そうして本煮。清酒、味醂、醤油、細い千切りにした生姜、さらに薄切りの玉葱と輪切りのトウガラシ、ほんの僅かの酢を加えて、落とし蓋でことこと煮ること一時間半ほど。あとは密閉容器に移して冷蔵庫で冷やすと、美味しい牛スジの煮凝りができる。ははは、きょうの夕食は、これがメインである。しかもコラーゲンたっぷり。おいしいぞ〜〜。

2020年4月7日火曜日

風邪はひかぬにこしたことはない


 きょう、いよいよ新型コロナの蔓延を抑えるための、緊急事態宣言が発出されるということである。いや、遅きに失したと、私は思うが、それでも、出さぬよりは出したほうがよいというものだ。
 じつは、私は、今から十二年前に、上記写真のような『風邪はひかぬにこしたことはない』という本をちくま文庫で刊行している。あまり売れなかったので、ご存じない方も多いと思うのだが、これは、もともと風邪にかかりやすく、そのために慢性の気管支炎や喘息でさんざん苦悩をなめた経験から、どうしたら風邪をひかずに過ごせるかという、いわば感染症予防のノウハウを洗いざらい伝授する本である。その根幹は「人を見たら風邪引きと思え」という思想であって、パーティには行かない、病気を人に移さないのがマナー、電車には乗らない、エレベータには乗らない、人ごみは避ける、常住マスクをする、帰ったら良く手を洗う、鼻洗浄のすすめ、ウイルスが付着したかもしれないものは口に入れない(だから、剥き出しで売られているパンとか、ビュッフェ式の食べ物とかは、食べない)・・・等々のノウハウを、私は経験的に徹底伝授しているのである。これが十二年前に出した本だが、今出せば多少は世の中のお役に立ったかも知れぬと、残念に思っているところである。じっさい、今の新型コロナは別格ながら、ありきたりの普通の風邪だって、じつはそのなかの四種類は、既存コロナウイルスが病原体だということが分っているのは示唆的かもしれぬ。
 この思想に基づいて、私のオフィスの玄関には「風邪引きの人の入室厳禁」という大きな木札が掲げてあることは、関係者には良く知られた事実で、今になると、この思想の正しさを事実が追承認してくれたという思いがある。みんなが、だらしない生活を改め、不要の集まりや酒飲み会などをやめ、タバコは禁止、そうすればコロナの蔓延はかなり防げていた筈なのだ。そういう意味での、これは警世の書だったのだが・・・。少し、書くのが早すぎた。
 かくて私は、今はまったく閉門して蟄居し続けているのである。
 

2020年4月4日土曜日

白いたんぽぽ



 このコロナ禍のなか、ひたすら小金井の陋屋に隠居して、うつらうつらと過ごしているのであるが、さる日々のなかでの大切な日課は、運動である。
 私の日々の運動は、単純に「歩く」ことである。いわゆる「スポーツ」は一切やらない。またフィットネスのようなところに出掛けて、わざわざ金を払って、ベルトコンベアの上で索漠たる歩行時間を過ごそうとはついぞ思わぬ。それは時間と金の無駄である。歩くなら、そこらの道の上を歩くがよろしい。
 幸いに、わが小金井のあたりはまだまだ緑豊かな郊外で、しかもほとんどが住宅地だから、歩くところに不自由することがない。北には小金井公園、南には「はけの道」、また西には滄浪泉園、東に武蔵野恩賜公園、学芸大学の森もあれば、そちこちに残された小緑地もある。そうでなくて、ただ住宅地の細道を歩くのも楽しいし、住宅地のところどころには自然遊歩道も縦横に整備されている。
 しかも、これらの道を歩くには、一銭の金も要らず、つねにアウトドアだからコロナに取りつかれる心配もなく、何より良いのは、四季折々の風景とともに運動できることだ。
 そう思って歩いていると、きょうは珍しくも白いたんぽぽを見付けた。じつはこの辺りの路傍には、気をつけて見ていると、ときどき発見することができるのである。私どもが子供だった時代には、この辺りはそこらじゅうに武蔵野の雑木林や畠のあぜ道があって、少年たちの遊び場に事欠かなかったものだが、今は流石にもうほとんど残っていない。それでも、こうしてふと白いたんぽぽに遭遇したりすると、それだけで、なにか得をしたような気がするから、おもしろい。