2011年8月29日月曜日

諏訪の秋

 昨日28日、名古屋の能楽堂で、衣斐正宜師の『松風』で、解説に名古屋まで出向いた。松風は、秋の風情横溢する、実に美しい名曲で、能も結構に堪能させていただいたが、例によって名古屋までは車で往復した。
 27日の夕刻に諏訪湖SAで一服した折、すぐ脇の斜面が一面の薄であった。
 信州の高原の秋は早く、東京はまだ残暑だが、諏訪はもう秋一色となっていた。
 うれしくなって写真を撮ったのがこれである。もっとも、帰路は、夏休み最後の週末とあって、上り線は大渋滞で、五時に名古屋を出たが、結局帰宅したのは午前二時になっていた。

2011年8月20日土曜日

スコンと音楽


 今日は珍しい客人を迎えて、久しぶりにスコンを焼いた。
 このスコンは、私がいつもロルフィングでお世話になっているロルフィングの名手中村直美さんが、岩手のご実家の畠で、自分で育てたという南部小麦を粉に碾いたものをおすそ分けに与り、それを用いて焼いたものであったが、この粉にはよく合っているらしく、すばらしく美味しく焼けた。
 さて、その珍しい客人というのは、作曲家のなかにしあかねさんと、ご夫君で高名なテノール歌手の辻裕久君である。じつは、このたび、なかにしさんが新しく出す合唱曲のために詩を書いて欲しいということで、『げんげ田の道を』という素朴なソネット形式の詩を贈った。それに作曲ができたので、きょうはその実際に音出しをしながらの、最終調整を行ったのであった。この際、辻君も応援に来てくれて、三人でああでもないこうでもないと、まことに楽しい創作作業をやったところである。
 この合唱曲は、遠からず「Harmony for Japan」プロジェクトというところから刊行される予定である。
 私の詩は、じつは萩原朔太郎へのオマージュのようなつもりで書いたもので、ちょっとその「本歌取り」になっているのである。気がつく人がいるかなあ。
 なお、この詩は、息子の大地が英語詩に訳してくれたので、面白いことに、合唱曲として、日本語でも英語でも、両方で歌えるように作曲されている。きょうはその英語詩の譜割などの調整に、長い時間を費やしたが、面白いアイディアが実現して、それはちょっと楽しみに思っているところである。

2011年8月16日火曜日

天網恢々

 源氏物語に日々邁進しているこの頃ながら、同時進行で進めていた時代小説『天網恢々 ---お噺奉行清談控---』がこのほど単行本としてリリースされた。
 たぶん16日から店頭に並んでいるはずである。
 これは江戸時代中期の南町奉行根岸肥前守鎮衛が主人公の、まあいわば捕物帳小説である。かねてこういう小説を書くのは好きで、いくつか単発で短編小説を発表しているのだが、今回は、とくにシリーズ化して、光文社の小説宝石に不定期連載してきたものの単行本化である。もし源氏の仕事がなければ、このほうをどんどん書き進めていきたい、と思うくらい、この主人公には熱い思い入れがあるのだが、いかんせん源氏と両立させながらの執筆なので、やっと一冊になったというのが正直な感想である。
 しかし、どうぞみなさま、騙されたとおもって御一読ください。ははあ、こういう世界もあるのかぁ、と納得していただける作品になったと思っています。

2011年8月15日月曜日

追悼、小泉佳春君

 この写真は2001年の12月に沖縄の石垣島で撮影したものだから、もう十年という月日が経った。こうして一緒に楽しそうに煎餅のようなものを頬張っているのは、写真家の小泉佳春君である。
 その小泉君が、まだ五十一歳という若さで、世を去った。二年ほどの壮絶な闘病の末に、かわいい三人のお嬢さんを遺して旅立った。
 小泉君は、私にとっては、写真というメディアをどう扱ったらいいかということについて、さまざまなことを伝授してくれた大切な師匠であった。かつて、日本自動車連盟(JAF)の機関誌、ジャフメイト、という雑誌で、六年ほど旅の連載をやっていたことがある。この写真も、その時の旅の一コマである。まだよい時代で、毎月、三泊四日の撮影取材旅行に行っては、自由に歩き回り、あれこれ美味しいものを食べ、よい風景を探してさまよい、そして私は紀行エッセイを書き、小泉君は、その文章と見事にマッチしながら、しかし、一個独立の風景写真として見事な仕上がりの写真を撮ってくれた。ここで、こういう意図で、こんな図柄の写真が欲しいんだよ、と大体の意図を話しておくと、小泉君は、万事を了察して、四方駆け回ってはベストポジションを探し、シャッターチャンスを根気強く待ち、あるいは、夜明け前から起き出して、ともかく結果的には毎回素晴らしい写真を撮ってくれたものだった。なるほど、こう撮ったかあ、と毎回感心することばかりであった。この旅の仕事は『私の好きな日本』(ジャフメイト社)『どこへも行かない旅』(光文社)の二冊に分けて単行本化された。ほんとうはもっと印刷の質のいい形で写真を出して上げたかったが、諸般の事情で、かならずしも小泉君には満足の行かない画質になってしまったことが、今悔やまれる。
 その前にも後にも、小泉君のように仕事のしやすい相棒はいなかったし、私は、どんな仕事にも、まず小泉君を写真家として指名することにしていた。またプライベートの写真なども気安く撮ってくれる、心の大きな、ほんとうによい男だった。
 昨日、そのお葬式があった。私はたいていお葬式は出ないのだが、ほかならぬ小泉君とのお別れとあって、珍しく出ていった。すると、小さな斎場なのに、会葬者はびっくりするほどの大勢で、会場から溢れ返って収拾のつかないような状態であった。ああ、小泉君は、こんなに多くの人に信頼され、慕われていたんだなあ、と今さらながら懐かしく思い出した。
 いつも笑顔の明るい、一緒に仕事をしていて、唯の一度も不愉快を感じたことのない珍しい珍しい男であった。
 好漢小泉佳春君のご冥福を祈る。合掌。

2011年8月5日金曜日

甘酒三昧

 このごろは、甘酒を非常に愛好して、毎日作って飲んでいる。
 甘酒といっても、本格的に醸して作ってるわけではなくて、酒粕を煮て作るのである。これが作ってみると、銘柄によってずいぶん舌触りも風味も違う。目下ベストな酒粕は、『A(特に銘柄を秘す)』という銘酒の粕で、これはフルーティな風味と、かなり強めのしっかりしたテクスチャーが大変に飲み心地がよい。しかし、それは滅多と手に入らない酒粕なので、残念ながら、もう無くなってしまった。そこで、目下のところは、『D(これも特に銘柄を秘す)』という中国地方の銘酒の粕で作って飲んでいる。酒粕は栄養的にもすばらしく、また免疫力を増強するというので、健康ドリンクである。
 甘酒というとなんだか冬の飲み物みたいだけれど、さにあらず、季語としては夏の季語である。これを冷たく冷やして飲むと、夏には好適、あのフウフウ言って飲む熱い甘酒とは格別の暑気払いになる。さてと、これからまた、おやつに一杯やるかな。

2011年8月4日木曜日

涼しく暮す方法

 きょうは、NHKの午後の番組、「つながるラジオ」に生出演してきた。
 この四月から一月に一度、レギュラーで二時間ほど出演して、『リンボウ先生のこれが私の暮らしかた』というのをやっている。
 その冒頭、三時十五分くらいから、毎回、「おやつのお茶」タイムを設けてあって、前回は、私の焼いていったスコンに、スタジオで林流紅茶道家元の私じきじきに万古焼の急須で入れたミルクティというあんばいだったが、今回は「涼しく暮す方法」という特集とあって、小金井市に燦然と輝く和菓子の星、わが愛して止まない三陽の麩饅頭を持参した。お茶はNHKのスタッフが御薄を立ててくれた。この麩饅頭はほんとうに美味しくて、私はつねづね愛好しているのだが、きょうはまたひんやりと冷やしたのを、三人でおおいに愉しんだ。
 ついでに旧暦の七夕の季節でもあるので、スタジオに笹を用意して、すっかり七夕モードの放送となった。
 この暑苦しい夏を涼しく暮すには、まず心の涼しさが大切だということが今日の結論。心頭滅却すれば火もまた涼しというものである。
 写真、上は、三陽の麩饅頭の箱。下は、左から柿沼郭アナ、石山智恵アナ、そして私である。

2011年8月2日火曜日

これぞ!

 さて、この真っ赤なインゲン豆のようなものはいったい何か。
 これぞ、わが手許で育てたグリーンカーテンのゴーヤの、その完熟した実の種である。ゴーヤというと、緑色で、中に白い綿のようなのがあって、そのなかに白い種がある、とそう思っている人が多かろうけれど、これが完熟すると、外は黄色くなり、中の綿は溶けてどろどろの粘液状になり、そして種はこのように真っ赤な豆のようになる。しこうして、この種を食べてみると、周囲のゲル状の部分は、甘くてちょっとだけ酸っぱくて、実に美味しいものだと発見。沖縄の人に聞くと、この種は沖縄バイアグラと呼ばれるくらいの精力剤なのだそうである。きょうは二三個食べてみたが、さてほんとうであろうかなあ。ははは。

2011年8月1日月曜日

初収穫

 この写真日記に、随時御報告をいたしておりました、わが家のグリーンカーテン用のゴーヤに、四つほど実がなり、そのうちの三つが完熟いたしましたので、きょう、はじめて収穫しました。
 ご覧のように、すっかり熟して黄色くなっているのもあります。
 こういうのはきっと種は真っ赤になっているものと想像されますが、沖縄の人に聞くと、その種は、「沖縄バイアグラ」と異名をとるほど強力なる精力剤なのだそうですが、さて種をどうやって服するのでありましょうか、肝心のそこのところを聞きそびれたために、いまだに服したことがないのであります、残念。
 しかし、経験上わかったのは、ゴーヤは非常に無駄花が多いことで、蜂もたくさん来ているし、人工受粉も試みたにかかわらず、ちっともならないという感じがあります。
 まあ十二本植えて四つなった(一つはまだ小さいので未収穫)となると、まあまあとせねばならないかなと思っているところです。
 そして、ゴーヤという植物は、非常に大量の水を吸うので、水をどんどんやらないと葉っぱがしおれてしまってあまりカーテンの役に立たないということもわかりました。それゆえ、来年は、ゴーヤではなくて、朝顔にしたほうがいいかもしれないと思っているところであります。
 なおこの三つのゴーヤは、たぶん、「しりしり(擦り擦り)」と呼ばれるジュースにして飲もうかとおもいます。