2010年12月28日火曜日

一輪のバラ

 家の玄関前に置いてある小さな植木鉢に、一本のバラと、洋蔦と、オリーブの木がいつのまにか混植になって共生している。これらを植えた記憶はまるでないので、どうしてこういうふうになっているのかわからない。が、事実そういう珍しい、また大して見どころのないような一鉢が、もうここ十年以上、枯れもせず元気に生き続けているのは、まことにめでたい風景である。
 なかんずく、このバラは、毎年今ごろになると、この位置に、ただこの一輪だけの可憐な花を咲かせる。そうしてずいぶん長いこと咲き続けるから感心だ。薄い黄色に花弁の先だけが紅をつけたようになっていて、その可愛らしさはなんともいえぬ。最近は、生ゴミを乾燥させる機械でからからに乾燥させてから、これらの植木鉢にも栄養としておすそ分けするのだが、そんなのを食べてかろうじて花をつけるのであろうか。栄養があまりよくないから、アブラムシなども付かないのは、思わぬ余得というべきかもしれぬ。ともあれ、華々しい園芸品種の大輪のバラなんかより、この「野のバラ」ともいうべき風情の一輪の好ましさ。私はなんでも、こういうささやかなものを好む心の癖があるのである。

2010年12月26日日曜日

カード作り

 最近のデジタル写真・カメラと、コンピュータのプリンタのクオリティの向上はまさに目覚ましく、一昔前だったら、業務用の大型マシンでしかできなかったような高精細な印画があっという間に作れる。
 私はカメラは、通常、パナソニックのLUMIX・DMC−FX60という小型のと、リコーのGX100を使用し、プリンタはキャノンのPIXUSである。いずれも非常に高性能で、コストパフォーマンスは驚くべきレベルである。
 ここに並べてあるのは、いずれも、私自身の写真や絵を用いた自家製の絵葉書である。写真は適宜、露出や色温度を調整したり、トリミングしたり、レタッチを施したりして修正してあるが、それをこうやって、ツヤ無しの両面印刷可という厚手のインクジェット印刷用紙にデザインして印刷してやると、なかなか素敵な絵ハガキカードができる。この裏面に「Season's Greetings」などという文字を印刷しておくと、とても自家製には見えぬ素敵なカードができ上がる。こんどはこの応用として往復ハガキ用紙を用いて二つ折りのグリーティングカードなども作ってみようと思う。が、なかなか郵便番号枠など無粋なものが印刷してない往復ハガキ用紙が手に入らないのがこまりものだ。
 勉強の合間に、こんな風雅な遊びで気分転換を図っているのである。

2010年12月24日金曜日

白菜鍋

冬は鍋に限る。鍋は、まず体が温まる。野菜がたくさん食べられるので健康上にすこぶるよい。なおかつカロリーは大した事がない。この写真の鍋は、私が勝手に「白菜鍋」と名づけたところのもので、実は鳥の水炊き風の鍋である。土鍋に昆布と煮干しを数時間漬け置いて低温で出しをとり、水から鶏の骨付き肉を入れて次第に沸騰させることでスープをとる。こうしてあとは焼豆腐だの大根だの、いろいろな野菜が入っているのだが、この写真では見えない。すべてを入れて煮てから、その全体を覆うように山東菜(白菜)をたっぷりと載せてぐつぐつ煮てある。この真黄色な色の美しさ。こういう白菜は最近あまり青果店では見かけなくなったが、その風味、やわらかさ、そして甘味、癖がなく、最上等の白菜はこれである。漬物にして最高に旨い白菜だが、こうして鍋にしても一級である。あとはただこれをポン酢などで食べるだけであるが、鍋を煮ているだけで部屋中が加湿され、良い香りで満たされる。じつに鍋は徳の多い食物である。

2010年12月18日土曜日

四半世紀の昔スコットランドで

古い写真を整理していたら、こんなのが出てきた。これは今からほぼ四半世紀の昔に家族でスコットランドへ旅行したときの写真である。インヴァネスからちょっと東に外れた、ネールン川のほとりの村、クロイというところに建っているキルラヴォック城での記念写真。といってもこの城、いまではB&Bになっていて、その城主さまがオーナーで、いわば大規模にして壮麗なる民宿なのであった。安くて快適で、食事のあとなど、ラウンジに宿泊の旅人が集まって談論風発、すっかり仲良くなってしまう。翌朝、みんな出発の前に記念写真を撮った。そのあったかな空気がよく写真に表われている。この中の何人かとは、その後もずっと文通があったのだが、いつしか途絶えた。前列に並んでいるのが、妻と二人のこども。今は彼らも独立してみな人の親となり、アメリカに住んでいる。

2010年12月16日木曜日

松沢神奈川県知事との対談

きょうは、はるばると横浜の神奈川県庁まで出向いて、松沢成文県知事と公開対談をしてきた。『ストップ受動喫煙』というテーマで、受動喫煙防止条例という先進的な条例を制定した松沢知事と、このタバコの問題を巡って大いに談論風発してきたのである。主催は、タバコ問題情報センターという公益法人で、私はその理事を務めている。司会は同センターの代表である渡辺文学さん。もともと私も松沢さんも強力なる脱タバコ論者なので、対談といっても議論を闘わせるというふうではなく、二人でタバコの問題点を巡って大いに論じ来たり論じ去る、とでもいうような対談となった。松沢さんは、ほんとうに清々しいお人柄で、神奈川県庁全体がその強力なリーダーシップによって、整然と粛々と禁煙に邁進しているとでもいうか、どこにもタバコのあの嫌な匂いがせず、まったく愉快なことであった。今後とも、私は、受動喫煙の防止のため、また日本の国から、タバコなどという千害万害あって一利なき毒物を一掃すべく微力を尽したいと思っているところである。

2010年12月14日火曜日

池田弥三郎先生

大学時代はほんとうにもう大昔という感じになってしまった。それはそうだ、卒業してから、すでに四十年近い年月が過ぎ、恩師がたも多くは故人となってしまわれたのだから。この写真は、昭和46年とあるから、私が大学三年のときのものだ。前列中央にニコニコして座っておられるのが、池田弥三郎先生。当時はタレント教授として大変によく知られていた。銀座の天ぷら屋天金の令息であったが、商売を継がずに折口信夫の弟子となって国文学を修められた。大変にお酒のすきな、また食通としても知られた方で、しかし、酔って乱れず、見事なお酒であった。この写真は、人形町の老舗鳥料理屋の玉ひでで撮ったものである。当時私ども国文の悪童どもは、池田先生にお願いして、あちこちとおいしいものを食べに連れていっていただく会をやっていた。といっても、みんな真面目にお金を積み立てて、そのお金が貯まると食べに行った。が、そこは池田先生のお供をして行けば、どの料理屋でも、下へも置かぬ持て成しをしてくれたのだ。御馳走をたらふく食べて、酒ももちろん(上戸の諸君は)飲んだが、乱酔ということは決して許されなかった。微醺を帯びて先生はよく江戸の俗謡やら、宝塚の歌やらを歌ってくださったのも、よい思い出である。

2010年12月9日木曜日

須磨源氏

昨日、新宿の朝日カルチャーの『能と源氏物語』という講座の第三回に出講。この講義は、観世流能楽師の坂口貴信君とふたりでやっているもので、私が主に文学としての謡本や能の構造などについて概説し、そのあと、坂口君が、舞を舞ったり、謡を謡ったり、また面や道具などを持参して実物を示しながらの説明をしたり、とまことに欲張った企画、毎回正味三時間という特別講座である。今回は、源氏を題材とした能のなかで、唯一光源氏がシテの『須磨源氏』について。一見なんでもないように見える謡の詞章のなかに、なかなか奥深い趣向が仕掛けられているのを分析しつつ、あとは一部の謡と、早舞の解説と実技、中将と平太の面の解説、さらには扇(中啓)の各種を見せたあと、私が実験台になって、実際に後シテの源氏の装束を付けるところをお目にかけた。写真はその直面(ひためん)のところだが、このあと実際に面や鬘などもつけて完全扮装。しかし、この装束は全部で二十キロくらいあるもので、起ち上がると、まるで重りを背負った如く、足下がふらつくのであった。こんな装束を付けて、面を付けてほとんど視界を奪われたなかで能を舞うのだから、能役者というのは凄いものだと改めて感銘を受けた。

2010年12月4日土曜日

学問の鬼阿部隆一先生

 私にとって最大の学恩を蒙った師、書誌学者阿部隆一先生(慶応義塾大学斯道文庫名誉教授)は、1983年に易簀されているので、もう没後27年にもなるのだと、数えてみて愕然たる思いがする。この写真の左端、膝に風呂敷包みを載せているのがその阿部先生である。この時私はおそらく二十代の終りころであったろう。右の白髪の紳士は室町時代物語の第一人者であった松本隆信先生であるが、松本先生には、私は一度もお教えを頂いたことがない。阿部先生は、福島県出身のほんとうに村夫子然とした方で、終生福島訛りがぬけなかった。なにしろ風貌からしておっかない先生だったが、ほんとうは心優しい方で、なにより邪気がなかった。酒も呑まれず、勉強ばかりして、あっという間に世を去ってしまわれた先生に、私は文献や書誌の学問を、なにもかも教えていただいたのである。邪気のない子供のような純真さの故に、しばしば人と衝突することもあり、先生に完膚無きまでやっつけられて、内心に恨みを持った人もきっと少なくなかったろう。しかし、書誌文献の学問に携わっていた人で、阿部先生以上の学識・文才を持った方には、いまだ出会わない。話せば訥弁であったが、書けば颯爽たる名文を書く天下無双の名文家、それが阿部先生であった。だから私は、阿部先生に「この論文は良く書けている」と言われたときほど嬉しい事はなかったのである。