2009年11月29日日曜日

田村高校

福島県郡山にほど近い三春町の県立田村高校へ講演に行ってきた。といっても、高校生を相手に話したのではなく、県内の学校図書館の関係教職員のかたがたの研修会で話してきたのである。テーマは、『古典を読む楽しみ、読ませる教育』ということで、かねて持論の、もっと古典を豊かに面白く読ませたいということを、いくつかの実例を引きながら話した。講演そのものは二時間を超過する長丁場になったが、みなさん熱心な聴衆で、会場には熱気が溢れている感じがした。講演の前に少し時間があったので、校内をぐるりと回ってみたが、入口のところになにやら愛すべき表情をした二宮金次郎の石像があって、いかにも会津らしい空気を感じた。行き違う生徒たちは、みな明朗に挨拶をしてくれて、すがすがしい学校であった。

2009年11月28日土曜日

冬じまい

毎年、十二月が来るころに、山梨県北杜市白州にある山荘を冬じまいしに行く。今年も11月24日にしまってきた。ベッドの蒲団を片づけ、大掃除をして、それから、水道の水を抜いておく。そうしないと冬季は凍結して水道破裂の畏れがある。例年十二月の中旬くらいにしまうことにしていたのだが、数年前に、十一月に異例の大寒波が来て、早くも水道が凍結するということがあり、それ以来、十一月中に家じまいをすることにしたのである。ほんとうは、これからの季節が薪ストーブをどんどん燃やして過ごす楽しい季節なのだが、忙しくてなかなか行かれないので仕方なく冬じまいにしてしまうのである。せめて、しまいに行った日に、存分に薪を燃やしてストーブに命を吹き込んだ。あったかくていい匂いがして、よいものである。

2009年11月23日月曜日

自慢の柿の木

庭にはぜひ柿の木を植えるとよい。この柿は、わが庭の自慢の柿の木に、今年もたわわに実ったもの。今年は生り年と見えて、みっしりと実り、しかもその一つ一つがじつに充実しているのがよろしい。とくに日当たりがいいという場所でもないのだが、ただ、台所のゴミをば、ゴミ乾燥機に入れて堆肥風に作り、これを適宜あちこちの木の廻りにうめている。それがよかったのかもしれない。甘柿で、風味はごく宜しい。沢山の実のうち、屋根に上って手が届く範囲だけは収穫して、それでも食べ切れぬくらいある。一本の木のうちのまあ、三割くらいしか収穫できないので、あとの七割は鳥たちの食べ分である。この甘い柿を目当てに各種の鳥が飛来して、秋の庭はにぎやかだ。この柿は、以前小金井駅の南に住んでいた時分、その庭にあった木を、ここに連れてきて植えたもの。植木職人は、移植は無理だと言ったが、そこをたって頼んで植え替えたところ、ずいぶん休んでから芽吹いた。それが今では亭々たる大木になって、毎年こうやって、目と口と鳥たちを楽しませる。げにも柿の木は素晴らしい。

2009年11月22日日曜日

源氏物語講義

きょうは、横浜の労働プラザというところで、朝日カルチャーセンター横浜教室の主催する『源氏物語』についての講演をしてきた。二時間たっぷり、源氏のリアリズムについてお話ししてきたが、みなさん熱心で気持ちよく講義してきたことだった。終わってから、この講演会に参加してくれた、かつての慶応義塾女子高校の教え子たちと一緒に元町の一茶庵という手打ちそばの店であっさりと蕎麦や湯豆腐などを食べ、そのあと、近くの茶店(というんだろうなあ、あれは)若干の甘味とお茶を喫し、それからさんざんおしゃべりなどして帰ってきた。慶応女子高の教え子たちは、いつ話しても気持がよい。私がこの学校で教えていたのはまだ二十代の時分であったから、彼女たちと話していると、その遠い青年時代に帰ったような気持がするのであろう。蕎麦もあんみつもたいへん結構な味であった。元町は三十年ぶりくらいに足を踏み入れたが、なんだか外国の田舎町のような風情で、なかなか好ましかった。

2009年11月15日日曜日

武蔵野二中

11月14日、武蔵野市立武蔵野第二中学校という中学の創立60周年記念式典が挙行され、私はそこで全校生徒、教職員、来賓、父兄参列者を前に、一時間ほどの記念講演をしてきた。実は私はこの中学校の卒業生で、今の生徒にとっては大先輩にあたる。ここを卒業したのは昭和三十九年三月、つまりあの東京オリンピックの年である。しかも創立六十年ということは、私の生まれた年とこの中学の創立は同年だったということで、かたがたご縁が深い。が、校舎自体はすべて建て直されて当時の面影は皆無であった。私が中学生だった時分、このあたりはまだ茫漠たる武蔵野の面影があって、そこらじゅう麦畑、芝生畑、そして雑木林だった。そんななかで、私は日々山野を跋渉して呑気な小中学生時代を過ごした。少しも本などは読まなかった。けれども授業は一生懸命に聞いていた熱心な生徒ではあったので、成績はすこぶる良かった。まだ受験塾などに通わずとも、真面目に授業を聞いてさえいれば都立の有力な高校にいくらも進める、そういう良い時代であった。私はここを卒業してから、都立戸山高校に進んだが、そのあたりのことは拙著『帰らぬ日遠い昔』に詳しく書いてあるから、御一読くださらば幸甚。

2009年11月13日金曜日

ニンジンの葉のてんぷら

先日、テレビ東京の「ガイアの夜明け」(これ私の愛視聴番組です!)を見ていたら、オイシックスという農産物などの通販会社の奮闘を特集しているのに遭遇。これがなかなかおいしそうなので、すぐにお試しセットを買ってみた。それが今日届いたのだが、なかに葉つきニンジンというのが入っていて、これが見事な葉っぱである。ほとんど無農薬だという。てんぷらにするとおいしいということだったので、その葉を良く洗い、軸の固いところを去って、葉っぱの部分だけを、からりとてんぷらにしてみた。この場合、色と歯触りを重視する観点から、衣のほうに軽い塩味をくわえて、天つゆにつけずに食べるということにした。ひさしぶりにてんぷらなど作ってみたが、いやあ、これが実にどうも、サクサクほろほろ、なんともえいぬ美味であるのに驚いた。普通のスーパーではこういう新鮮な葉は手に入らないから、このニンジンを買い得ただけでも、このセットは成功であったと評価できる。ついでに、この葉をお浸しにしてもみたが、こちらは、案の定筋ばっていてそれほどおいしいとも思えない。ニンジンの葉はてんぷらに限ると判定。まことに美味で結構でした。

2009年11月11日水曜日

CLC

現在、横浜のみなとみらい、パシフィコ横浜で、図書館情報フェアが開かれていて、世界各国からの参加を得て盛大な催しとなっている。きょうは、そのなかのイベントの一つとして、ケンブリッジ大学出版が、このほど世界に向けてリリースすることになった、Cambridge Library Collection というプロジェクトのプレゼンテーションのために、同社代表のアンドリュー・ブラウン氏と公開対話を試みた。これは、1800年から1920年までの、学術的に価値のある、しかし今では入手も閲覧も困難な書籍を、デジタル化して、これを安価なペーパーバックの形で復刻しようという試みである。今年は1000タイトル、来年からは一年に3000タイトルを復刻するという気宇壮大なプロジェクトであり、しかもケンブリッジ大学出版の学問的良心にかけて、良質な底本の選定、書誌情報や解題の完備、複写の高品質などを保証しようという点で、Googleや、アメリカの複製出版として有名なKessinger社のそれと、明確な差異がある。私はこの試みは学者としてまた作家として大いに歓迎する。というわけで、その前夜、ブラウン氏夫妻と、また同社日本支社長のマーク・グレシャム氏、ならびに担当の平野啓子氏と会食をしながらいろいろと談論風発したことであった。この写真は、その時の記念写真。中央がブラウン氏、私の左がブラウン夫人、そして、右の二人が、グレシャム氏と平野氏。場所は芝浦の料亭「牡丹」。

2009年11月10日火曜日

石森延男

最近、石森延男の色紙を入手した。この「菊の花がさきだした。そのかおりもとりもどしたい。昭和四十一年十月十八日 石森延男」と書いてある色紙は、なにげない文句だが、彼があの美しい唱歌『野菊』の作詩者であることを思い合わせて読むと、なかなか感慨深いものがある。『野菊』は昭和十七年に書かれた唱歌で、作曲は下総皖一。当時、その「野菊」の詩が戦意発揚に役立たない軟弱な作だと陸軍に批判された石森は、正々堂々、大和魂にも「にぎみたま(和魂)」というものがあってこそ国威は宣揚されると論じて一歩も引かず、ついにその平和的で愛すべき詩を認めさせたと伝えられる。旋律も非常に美しい名曲であるが、戦後すぐに歌われなくなった。私ども歌を愛する者からすれば、残念至極なことで、是非ともこれは復活してもらいたい歌である。その意味で、石森が「そのかおりもとりもどしたい」と書いたのには、深い感慨があるように思われる。ちなみにこの曲は、私どもの愛唱歌で、いつも舞台では演奏する(上田真樹編曲)。先日の岩手紫波町あらえびす記念館でのコンサートでも、嶺貞子先生のソプラノ、私のバリトンで、二重唱で歌って好評を博したところである。

2009年11月7日土曜日

半藤さんとの談論風発

夏目漱石のお孫さんに当る半藤末利子さんと対談をした。味覚春秋という個性的な雑誌があって、そこに私は『食べ物煩悩記』という、まあ毒にも薬にもならない食べ物についての随筆を連載しているのであるが、おなじく半藤さんも連載を書いておられるので、そのご縁で、初めてお目にかかって対談を、という企画となったのである。といって、別にこれというテーマがあるわけでもなく、食べ物のこと、家族のこと、漱石のこと、いわゆる談論風発というスタイルで、愉快に二時間ほどもおしゃべりをした。半藤さんは、ほんとうに闊達明朗、お話しするのがとても楽しい方で、二時間はあっという間に過ぎた。会場となったのは、新橋近くの摩耶という和食店。お料理も大変に結構であった。

2009年11月2日月曜日

岩瀬文庫

名古屋の少し東あたりに、西尾市という町があり、そこに「岩瀬文庫」という有名な古書ライブラリーがある。これは同地の岩瀬弥助という肥料商の富豪が、私財を投じて収集した古典籍の宝庫で、私も昔、若い頃には、よくこの文庫の浮世草子を調査研究するために通ったものだった。きょうは、その岩瀬文庫主催の講演会に招かれて、一時間半みっちりと古書の話をしてきた。折からの悪天候のせいもあってか、聴衆は少なかったが、しかし、ほんとうに熱心で気持のいい雰囲気であった。夕刻、終わって直ちに帰途につき、あいにくと荒天模様となって豪雨と霧の中央高速をひた走って戻ってきた。ひさしぶりに、岩瀬文庫の古書の香りをかいで、懐かしい思いにしばし浸ったことであった。しかし、私が岩瀬文庫に通っていたのはもう三十数年の昔なので、今では駅舎も街路の景観も文庫の建物自体も、なにもかも様変わりで、あたかも浦島太郎の心持ちを味わった。