2009年10月30日金曜日

スコン

近く11月9日の午後四時五分から、NHKラジオ第一放送、ラジオ井戸端会議という番組に生出演して、アフタヌーンティなどのことを話すことになっている。そこで、昨日、担当のディレクターらが打ち合わせに来た。どうせなら、ちゃんとしたイギリス式のスコンとキューカンバーサンドイッチ、それに、本式の美味しいミルクティを御馳走することにして、久しぶりにスコンを焼き、キューカンバーサンドイッチを作った。写真は、そのスコンに、クロッテッドクリームとイチゴジャムの載せたところで、スコンはこうやって食べるという見本である。世の中にはインチキなアフタヌーンティばかりがはびこっていて、とくにホテルなどのそれはひどい。東京でまともなティを出すホテルなどは皆無である。どうしてフランス料理の人たちはイギリスのティについてきちんと学ばないでいい加減な自己流でごまかしているのであるか、そしてそのくせ法外に高い金を取っているのであるか、理解を絶している。このスコンの作りかたは、拙著『イギリスはおいしい』の文春文庫版の「あとがき」に詳しく書いてあるので、誰でも簡単に作ることができる。ぜひお試しを。なお、載せるものは、クロッテッドクリームがなければサワークリームを用いられたい。甘いホイップクリームなどを使うのは邪道も邪道、大邪道である。

2009年10月28日水曜日

ヤマカズがんばれ!

フランスのブザンソン国際コンクール指揮部門で栄えあるグランプリを獲得した指揮者の山田和樹君が、今日と明日の二日間、手勢の横浜シンフォニエッタを率いて、青葉台フィリアホールで凱旋公演する。プログラムは、モーツァルト、ビゼー、そしてメンデルスゾーン。山田君とは、かねて懇意のところで、私の作詩した『夢の意味』東京混声合唱団の初演も彼が振ってくれた。そんなご縁もあり、そのリハーサルにお邪魔して、インタビューをさせてもらった。雑誌のミセスの企画である。ミセスは、かつて「若きすご腕」という連載をしたことがあり、そのホストをつとめたのが私で、第一回の登場ゲストが山田君だった。今はヨーロッパと日本とを行き来しつつ忙しく活躍している彼だったが、久しぶりに再会してみると、以前とちっとも変わらない気さくさで、その飾らない人柄にはいつもながら好感が持てる。それでも、第一線でこれから闘っていくのだという気迫のようなものは、全身からオーラのようになって出ていた。これからがほんとうに楽しみである。手にもっているのは、最近リリースになった東京混声合唱団の山田和樹指揮『木とともに人とともに』(谷川俊太郎/三善晃、フォンテック)。

2009年10月26日月曜日

久保田チェンバロ工房

きのうは、新座にあるチェンバロ製作家の久保田彰さんの工房に見学に行ってきた。こんど久保田さんが『チェンバロ 歴史と様式の系譜』という美しいDVDブックを刊行されるについて、私に推薦文をと依頼されたので、まずはともあれ工房を拝見に伺ったのである。チェンバロはまるで美術品のように美しい楽器で、その音も貴族的にして典雅、激しない熱情、と呼びたいような世界である。実際に楽器を仔細に見せていただくと、これはまるで木でできた精密機械のようであった。御案内くださったのが、チェンバロ奏者の水永牧子さんで、何曲か所望して演奏もしていただいた。まことに愉しいチェンバロ工房訪問であった。久保田工房の皆様と水永さんに感謝。

2009年10月25日日曜日

曽根干潟

先週は大牟田へ講演に行ったが、この週末は再び九州に赴き、北九州の小倉の南、苅田町(かんだまち)の市民講座で和歌の話をしてきた。じつはこの町の市民カレッジというのの名誉学長に任ぜられている関係で、春秋の二度、講演をしに行くのである。講演は午前中で終わるけれど、敢て帰京の飛行機は夜の便にして、半日を北九州逍遥に当てるのがいつもの例である。今回は、その苅田町のすぐ北に広がる広大な干潟、曽根干潟を見物に行ってきた。あいにくと満潮で干潟はみられなかったが、その半ば水没している堤防に、汐干を待つ白鷺の群れが見られて、面白いので写真をとった。この干潟はまたたいへんに生物の豊かなところで、天然ウナギなどもこの近くの河で獲れるという。苅田というと工業町、工場地帯という印象なのだが、じつはこのような豊かな自然がたくさん残っていて、これからの観光開発なども期待される場所である。

2009年10月22日木曜日

炭坑という産業遺産

17日に大牟田市で「ふくおか県民文化祭」というのがあって、今年はとくに、九州一円の産業遺産を世界遺産に登録したいという運動に光を当てるというわけで、私もそういうテーマで講演をしにいった。『産業遺産というながめもの』という題名で、先達の工業国イギリスの例をあれこれ紹介しながら、日本はまだまだこれからの状況にあることを話した。講演が終わってから、三池炭鉱の宮原坑跡という産業遺産を見学にいった。写真の建物はその地下水を排水するための巨大なポンプで、イギリスから導入したものだそうである。炭坑はすでに閉鎖され、炭鉱住宅もほぼ完全に姿を消して、旧炭住地域はまだ一面の草原になっていた。じつはまだまだ炭田としては厖大な埋蔵量があるのだそうだ。といって、これからまた石炭の時代になるとも思えないけれど、石油の時代も終わりそうだから、案外と石炭に光があたる時代が再び来る可能性だってないとも言えないかもしれない。

2009年10月21日水曜日

あけび

さるところで珍しく立派なアケビを手に入れた。アケビというものは、野に成っているところは何度か見たことがあるが、売ってるのを買ったのは、これが初めてであった。さっそく中子の実を食べたが、なにせアケビなどろくに食べた記憶がないので、平気で種まで食べてしまった。ところが、この種は食べてはいけないものであったらしく、口中がイガイガとした感じになってしまい、しばらくその不愉快が取れなかった。調べてみると、種を食べると便秘になるとあったが、幸いに便秘にもならず別段の不具合は生じなかった。このアケビの鞘は味噌炒めなどにして食べると美味しいとあったが、そのイガイガですっかり出ばなをくじかれたせいで、とうとう味噌炒めのほうは試さずに終わった。なにごとも、先達はあらまほしきことなりと兼好法師の教えた通り。東京育ちは、どうもこういうところの基本的ノウハウが不足しているなあと、今さらながらに痛感。

2009年10月15日木曜日

ゼロカーボン

 昨日は、ひとっ走り房総半島の先端まで行ってきた。べつに遊びに行ったのではない。写真の場所は、いまヒライという千葉の会社が進めつつある「ゼロカーボン・プロジェクト」という計画のパイロットサイトである。私はこのプロジェクトの特別アドバイザーなので、その現地を、計画の枢要にある建築家のかたがたと一緒に視察するために行ってきたのである。この原生林に覆われた山を背後にして、目の前に黒潮の海が見える。しかも観光化されていなくて、じつに良い場所であった。ここに限りなく炭素排出ゼロに近い近未来住宅を試作しようというのである。私も、建築家たちを相手に、丁々発止と思うところを述べた。実際にいつこの家が立ち上がるか分からないが楽しみなことである。

2009年10月13日火曜日

おや、こんなものが

秋の良い日和に誘われて、また、緊張して固くなった体をほぐすというつもりもあって、午後のよい時間に近所を歩き回ってみた。小金井街道を北上して、西武新宿線の花小金井駅まで行って、その間にあちこちと脇道をたどってみたりしつつ、あれこれ眺めて、なかなか面白い散歩(といっても歩き方は例の超速歩で、どんどん歩くのである)であった。いつもこういうときにはカメラを持って歩くのだが、きょうも愛用のルミックスを手に歩いていたら、ふと、街道脇に、なかなか由緒ありげな小祠があるのに初めて気がついた。いままでこの道を何度も歩いているけれど、見過ごしていたのは不思議である。見れば、どうやらこれは馬頭観音の祠である。昔、この辺りがまだのどかな農村であった時分には、馬は農耕に欠かせない家畜であった。農家にとっては必須の道具であり家族でもあったと言ってもよい。そういう時代には、馬の観音様も信仰されたもので、こうした馬頭観音は全国の農村に数多く残っている。なつかしさについパチリと一枚。これも昔、私が中学生のころに、若杉慧という写真家の書いた『野の仏』というフォトエッセイがあって、そのなかの馬頭観音の写真と文が教科書に出ていた。とてもしんみりした良い文章で、私が「文体」ということを意識した最初の文章であったのだ。そんなことも思い出した。

2009年10月12日月曜日

あらえびすの里にて


11日、岩手県紫波町のあらえびす野村胡堂記念館で、『古典文学の愉しみ』という講演をして、そのあと、歌を歌ってきた。今回も、『あんこまパン』。これが、ほんとうに心の温かな聴衆の皆さんにおおいに励まされた感じで、一挙手一投足に爆笑また爆笑という、大受けの舞台であった。この会は、野村胡堂の実家に近く、美しい田園を見下ろすところに建っている記念館で、野村胡堂奨学金を受けた人たちが恩返しのような心で音楽や講演をするというものであったが、私は、いつもお世話をいただいている東京芸大名誉教授峯貞子先生のお声がかりで、奨学金とは関係ないけれど講演と歌をさせていただいたのである。芸大筝曲の安藤政輝教授、珠希さん父娘とも御一緒で、最後は和洋揃って一同で『朧月夜』『野菊』を演奏した。ピアノは有森博君と五味こずえ君。そういえば、今回の会は、私の命名で「和洋あいあい、東西音楽の交歓」と題し、その題字も私が揮毫したのだった。この会は二度目だけれど、いつも気持の良い会である。折しも秋の刈り入れが終わった田園はまさに山紫水明の所という風光明媚な土地で、風景で愉しみ、人情を愉しみ、そして終わってからの野村家での御馳走に大いに舌鼓をうち、よいことばかりの一日であった。宴会を中座してすぐに帰京の途についたが、七時間ほどの深夜ドライブをまた愉しみながら、午前三時に帰り着いた。ああ、楽しかった。




2009年10月6日火曜日

大学生の頃

 きょうはちょっと古い写真が発見されたので、お目にかけることにしよう。ご覧のようにヒゲのない若い時代の写真で、これはおそらく大学一年生くらいのときに撮ったものと想像される。大学入試で面接があったので、さすがにヒゲは剃ったのであった。我ながら、やや女性的な顔つきだなあと思わぬでもない。面白いことに、この時代の顔は、左半分と右半分でずいぶん相貌が違っていて、これを半分ずつ隠してみると、息子は右半分の顔によく似ていて、娘は左半分が遺伝しているように思われる。ところが今写真をとると、こういう左右のアンバランスはなくなって、左右同じようになっているのはどうしてであろうか。こうしたことも顔相のほうからいうとなにか意味のあることかもしれない。ともあれ、珍しい写真をとくとご覧あれ。

2009年10月5日月曜日

三田会

きょうは、慶応大学の同窓会である、三田会の第126期の文学部幹事会に招かれて講演をしてきた。福沢諭吉のフェミニズム的思想、その歴史的先進性についての話をしたのだが、みんな熱心に聞いてくれた。なにぶん文学部の三田会なので、幹事といってもほとんどが女性なのである。ごくたまに男の顔も混じっていたが、みな体育会の猛者たちで、しかし、ほんとうに気持ちのいい爽やかな男達であった。会場は、日吉キャンパスの協生館という新築の大学会館で、ひろびろとしてすがすがしい会場であった。講演が終わってから、同じ会場のしつらいを変えてティーパーティという趣向、このスイーツがまことにまたおいしかった。やっぱり母校慶応は懐かしい故郷という感じがする。

2009年10月3日土曜日

雲仙に行ってきた

9月26日、はるばると雲仙温泉の雲仙観光ホテルまで、イギリスの旅の話をしに行ってきた。お料理のおいしいことでも名高い同ホテルが、珍しくイギリス料理のフルコースを用意してくれて、その晩餐のあとに、私のイギリス旅の話を聞こうという会を催したのである。さすがにお料理もおいしく、とくに地元鹿牧場の鹿肉を供してくれたのは、珍しくて結構な趣向であった。秋になると、イギリスでは鹿肉のステーキなどが良く出たもので、懐かしい感じがした。同ホテルは、昭和十年に国策を以て建てられた欧風の素晴らしいクラシックホテルで、いまはすっかり内部リニューアルが済んでますます素敵になった。帰りがけに、島原半島の西半分を、細い田舎道を選んで逍遥してきたが、これまたとても気持ちの良いドライブだった。こんどは純粋に遊びで行きたいものである。