2013年12月31日火曜日

2013年はエポックの年


みなさま、たいへん長いこと更新をさぼっておりまして、まことに申し訳有りません。ともかく十一月十二月と、連日の猛スケジュールに追いまくられて、まったく余裕のない日々を送っておりました。
さて、この一年は、まことに有意義な、そして私にとっては、エポックというべき年になりました。
まず四月に『謹訳源氏物語』を書き終えました。
六月にそれが刊行となり、全十巻が完結しました。
十一月一日には、国文学研究資料館主催「古典の日」記念講演会で、源氏物語についての講演をしました。
十一月二十六日に、毎日出版文化賞特別賞を受賞しました。
いまは、源氏の素晴らしさ、面白さを伝えるために、各地へ講演講義に出向いています。
そのことが忙しさに拍車をかけたのであります。
そしてこうして、いよいよきょうは大年の日を迎えました。
明けて、正月三日、午後九時五分から十一時までの二時間枠で、NHKラジオ第一放送において、『丁々発止源氏物語』というトーク番組が放送されます。ぜひみなさまお聴きください。
写真、上は、毎日出版文化賞授賞式が椿山荘で開かれ、その受賞スピーチの様子です。
下は、上記のNHK放送の収録のときの記念写真で、ご出演の皆様。左から、歌人の小島ゆかりさん、日本文学者のロバート・キャンベル君、知花くららさん、私、そして服飾評論家の市田ひろみさん、です。楽しい収録でした。
みなさま、どうか来年もよろしくお願い申し上げます。

2013年11月9日土曜日

栃木女子高校


11月8日の午後、栃木市にある県立栃木女子高校で源氏物語についての講演をしてきた。同校は、県下屈指の名門校、作家の吉屋信子さんが卒業したということで、その句碑が立っていた。長い伝統を誇る女子高校は、生徒たちの風姿もすがやかに凛としていて、とても礼儀正しく、すこぶる好感が持てた。講演は体育館に全校生徒ならびに教職員、それから保護者有志、全900人余を集えて行われたので、さすがの私も、ちょっと圧倒されるような感じがした。しかしながら、この生徒たちは、誰一人私語などすることもなく、熱心に真摯に聴講してくれた。講演が終わってからも、三年生数人から、面白い質問なども飛び出して、和気あいあいたる空気に終始したことであった。
そうして、講演が終わってから、生徒職員全員で、同校校歌を歌って聞かせてくれたのは、またじつによかった。この校歌は神保光太郎作詩、信時潔作曲という格調高い曲で、しかし900人の女生徒が二部合唱で歌ってくれたのは、爽やかで美しいことであった。生徒諸君ありがとう。実はこの校歌合唱は、当初の予定にはなかったのだが、私がとくにお願いしたところ、急遽演奏してくれることになったのである。
写真、上は終了後応接室で松田美智子校長先生(前列左端)はじめ、担当教員の皆さん、そして同窓会、保護者会の代表の方々と一緒に撮影した記念写真。この写真からも、ふんわかとした同校の雰囲気が伺えるような気がする。
講演に先立って、すこし時間が余っていたので、例によって、あたりの山野を逍遥してきたが、秋爽の気の横溢する、すがやかに晴れた野の景色はまた格別であった。下の写真は、その秋景色、同市郊外を流れる永野川堤。両岸はすっかり桜の並木で、これが秋ならで春だったら、どれほど美しいであろうか。とはいえ、秋もまたしんみりとした気持ちのいい風景であった。

2013年10月30日水曜日

鳥取の秋


十月の二十六日、鳥取県の北栄町図書館というところの招きで、開館20周年記念の特別講演に行ってきた。折悪しく、台風二十七号、二十八号がダブルで日本を襲う形勢であり、就中二十七号のほうはちょうど鳥取へ25日に飛ぶのにバッティングしそうで、いったいどうなることかと気をもんだが、幸いにうまくすり抜けて無事鳥取まで飛んでいくことができた。図書館でもたいそうやきもきした由、行けてよかったと、みなが胸を撫で下ろした。上の写真がその図書館での講演を終えたあと、山崎図書館長がたと閲覧室で撮った記念写真。講演には、さして広からぬ図書館の研修室に80人もの聴衆が集まってくださったのは予想外のことであった。通路まで椅子を並べてのぎっしりの満員で、熱気あふれる聴衆であった。そのあと、謹訳源氏のサイン会などもして、たくさんの方々がよろこんで謹訳を買ってくださった。
そのあと、以前「こんなステキな日本が」というNHKテレビの番組でご一緒した、地元北栄町の網元松井市三郎さんをはじめとする、網衆の皆さんが、再会を喜んで強風荒波の浜小屋で歓待の宴を催してくださったのは嬉しかった。新鮮な刺身、モクズガニの炊き込みご飯、鯵の唐揚げ、ふぐの唐揚げなど、海の幸が並んですばらしくおいしいのであった。この網衆のなかに、もと国語教諭で、北栄図書館で源氏物語講座を続けておられる田村禎之先生も参加しておられて、源氏と地引き網と、珍しい取り合わせの鳥取の旅となった。
翌日はよい天気で、鳥取市の南方の山道をたどり、至る所の秋景色を満喫してきた。こういうとき私はいつも地図を買って、その地図を眺めながら、どこらへんをさまよったら、いい景色やめずらしい食べ物・人情などに触れられるだろうと想像をめぐらす。今回は、千代川(せんだいがわ)上流域の支流、曳田川源頭三滝渓谷、小河内川沿いの山間部、さらに佐治川に沿って、あちこちと山道を走り回った。どこも小国寡民という雰囲気の桃源郷のような山里であった。途中遠足市場のオーガニック・マルシェという市に遭遇して、ひとりお茶など楽しんでもきた。

2013年10月22日火曜日

浜松市民フォーラム


19日、20日と、一泊二日で、浜松へ行ってきた。
浜松に「子供をタバコから守る会」という市民団体があって、ご当地で内科を開業している加藤一晴先生という内科医が、この運動の中心となっている。
実際、浜松市長の鈴木康友さんは、わが慶応義塾の塾員でありながら、タバコの害から市民を守るという意識はいっこうに希薄で、こういうフォーラムに参加することはまずないし、副市長などが出てくることも絶えてない。それどころか保健所長の参加もないのだから浜松市は遅れていると言わねばならぬ。ただ、私は浜松市歌を作詩したご縁で、浜松市の「やらまいか大使」というものに任ぜられているので、こういうことにもの申す権利があるというものだ。
今回は、脱原発運動の先頭に立っていることでも良く知られている、三上元湖西市長をゲストにお招きして、私の基調講演のあと、三上市長の講話、そして内山隆司会計士との鼎談を交えて、タバコの害を撲滅すべきことを熱烈に語ってきた。
下の写真は、地元の小学生たちで、タバコがいかに迷惑なものであるか、そしてタバコのない社会を希求する志について、理路整然と見事なスピーチを披露してくれた。こういう子供たちが将来を担ってくれることに、大いに期待したい。また右側に立っておられるのは、静岡市保健所長の加治正行医師で、淡々と穏やかな口調ながら、決然たる志を述べられた。すこしずつでも禁煙、そして受動喫煙撲滅への運動が結実していくことを願う。

2013年10月18日金曜日

あらえびす記念館


去る十月十三日は、岩手県紫波町の「あらえびす記念館」で、講演とコンサートをしてきた。あらえびすでの公演は、これで三度目。いつもわが敬愛する嶺貞子先生が御声をかけてくださるので、よろこんでお供するという次第である。今回は、とくに『謹訳源氏物語』の完結を記念しての講演であったので、かたがた嬉しくもありありがたくもあった。
ただ、あとに歌の本番が控えているので、講演はできるだけ声帯を疲れさせないように、謹訳源氏の朗読を主として、大声は出さないよう心がけた。歌の本番のほうは、『あんこまパン』全曲、プーランクの『子象ババールの物語』のナレーション、そして、なかにしあかね作曲、林望作詩『げんげ田の道を』のバリトン独唱版初演、さらにアンコールとして、嶺先生はじめ、会場も含めて全員の合唱で滝廉太郎『花』を歌った。
紫波町は、おりしも美しい秋景色で、田の刈り入れは済んで稲架掛けがそちこちにあり、ああ日本の秋だなあと満喫できた。ススキも美しく穂を出して秋風に揺れていた。
前日東京を発ったときは三十度の残暑であったが、夜現地につくと、なんと10度を下回る寒さで震え上がった。結局温度差二十五度にもなる厳しい気候の変化であったけれど、幸いに体調は大丈夫であった。
本番を終えて帰りは、夜の東北自動車道を疾駆して、夜中の二時半に帰京した。東京もすっかり小寒くなっていた。

2013年10月10日木曜日

白州の山荘売ります

わが愛する白州の家をついに売りに出した。まだ売れてはいないが、すでに何件かの照会が来ている。この家は、カナダ製のログハウスで、じつに居心地の良い家であるが、このほど、わが信念の「減蓄」の一環として手放すことにしたのである。あのサントリーのウイスキー工場のある山梨県北杜市、甲斐駒が岳の山麓にあり、あたりは美しい落葉広葉樹林である。そのため、春は新緑がむせ返るようで、夏は緑陰の風涼しく、秋はまた錦秋の色も彩に、風景と空気は、なんとも言えない良いところ、室内にはドイツ製の薪ストーブがあって、これに太い薪をくべていわゆる炉辺談話をするのは、とても気持ちがよい。ログハウスというのは、さすがに木の徳で、つねに木の香が満ちているから、たとえばずっと閉め切ってあってもカビ臭いなんてことはまったくない。すべてフローリング。この家を売るのは、ほんとうに寂しいけれど、なんとかして良い人に買ってほしいと念じている。土地の広さは約270坪ほど。建物の建坪は30坪ほどの、割合に広々とした家である。一階には16畳ほどのリビング、10畳ほどの寝室、そしてキッチンなどがあり、二階には六畳ほどの寝室が二つある。そうしてご覧のような広いウッドデッキがあって、ここは屋根に守られているので、少しも傷みがない。夏などは緑陰の涼風を感じながらこのデッキでお茶をするのは、えもいわれぬ気持ちよさである。
このサイトををご覧のかたで、もしリンボウ愛惜のこの山荘を買いたいという方があれば、ぜひわがHPまでお知らせを乞う。おそらくもうしばらくする内には売れてしまうであろうとおもうのであるが・・・。

2013年10月1日火曜日

野の秋

まことに長々のご無沙汰にて、申し訳ありませんでした。八月の末に『謹訳源氏物語』の完成祝賀会を東京会館で開催し、そのご報告をここに出すつもりでいたところが、猛烈ないそがしさのために取り紛れ、ついに時宜を逸してしまいました。
祝賀会は、観世流お家元観世清和師の仕舞『源氏供養』ならびに祝言付謡「四海波」に始まり、鹿島茂さん、千住博さん、三浦しをんさん、そして元新潮社の名編集者として名高い柴田光滋さん、また平凡社の名編集者であって『イギリスはおいしい』の生みの親であった山口稔喜さん、声楽家の嶺貞子さん、国文学者の長谷川政春さんと、各界からのご祝辞をいただき、また、テノールの勝又晃さんと、ソプラノの鵜木絵里さんに、ヴェルディのトラヴィアータから、有名な乾杯の歌を歌ってきただきました。乾杯の音頭は俳人の西村和子さんが取ってくださいました。まことに和気あいあいたる、そして中身の濃いお話ばかりの、楽しいひとときでありました。最後には私もつい調子にのって、勝又君と二人で、自作の訳詩による『アロハオエ』のデュエットまで披露してしまうという、破天荒なる祝賀会となりましたが、皆さん楽しんでくださったようです。
さて、その後はまた、原稿書き、次の本『イギリスからの手紙』の原稿整斉、さらに立て続く講演と席の温まる暇のない毎日を送っています。
さるなか、北九州の苅田町へ、恒例の講演をしにいってきました。
同町の市民カレッジの名誉学長を仰せつかっている関係で、毎年秋に講演をしにいきます。ことしは『謹訳源氏物語を書き終えて』と題して、源氏の話をしてきました。
翌日は、一日空き時間を作って、苅田町から行橋市にかけて、海沿いの田園を逍遥してきました。沓尾漁港、八津田、浜の宮、そして豊前松江、宇島のあたりをと往きこう行きして、美しい田園の景色をたのしんできたのでした。
掲出の写真は、その八津田のあたりの無名の野の景色です。これぞ日本の秋、というすすき野の景色は心和むものがあります。さすがに、このあたりはあの嫌らしいセイタカアワダチソウも見当たらず、すすきと彼岸花が盛りの色を見せていました。ああ、日本の秋は美しいなあ。どうぞ、写真をクリックし、拡大してご覧ください。

2013年8月11日日曜日

源氏収録もたけなわ

連日の猛暑、いや酷暑との闘いには、まことに疲れ果てる思いがする。こう暑いとともかく頭が働かない感じがする。
そんななか、目下着々と進行中なのは、例の『謹訳源氏物語』全巻朗読の収録作業である。いまもう少しで第八巻を読了するところ。この調子を維持していくと、年内に夢浮橋まで全巻朗読を成就することができるかと思われる。
この収録作業は、東京エフエム4Fにあるミュージックバード局の第一スタジオを使って進めている。スタジオは第三まであるのだが、あとの二つは狭いのと音響環境が悪いのとで、能率が下る。そのゆえに、最善の第一スタジオを使っているのだが、それとて、遮音性能が悪いのと、副調整室がなくて同一空間内で朗読と機器操作をやっているので能率はあまりよくない。私は特別な木製スツールに背筋をピンと伸ばして座し、両手は膝の上にきちんと置いて、声楽的な腹式呼吸で特に発声に気をつけながら読んでいる。それでなくては四時間もぶっ通しで録音するなど、出来るはずがない。このごろは、ベルカント的に声帯を自然に鳴らして読むことがすっかり出来るようになったので、四時間読んでも別に声は枯れたりしない。こういう仕事にも学習すべきところがいろいろある。

2013年7月30日火曜日

熊本近代文学館講演

先週末、熊本近代文学館の招きで、講演に行った。
『源氏物語の愉悦』という演題で、源氏の読みどころをどう捉えるかという話をした。予定では一時間半ということだったが、よくばって色々話したので、100分ほどの講演になった。
しかし、聴衆はすこぶる熱心に耳を傾けてくれて、行った甲斐があったというものであった。
熊本は、しかし、非常に蒸し暑くて、さすがにちょっと体力を消耗。
それでもめげずに朝晩に歩いて体調の保全を図ったが、かえって体力を消耗してしまった。暑いのはほんとにいやである。
講演には、地元熊本放送のテレビクルーが取材に入り、またきくところでは、同時刻にクマモンと呼ばれる、いわゆるゆるキャラが来館した由であるが、私はもとより興味がないので見には行かなかった。

 

2013年7月14日日曜日

無門庵コンサート

毎日ウンザリするような蒸し暑さのなか、昨日は、暑気払いというようなつもりもあって、西国立の「無門庵」という和食レストランで行われたディナー・コンサートに出かけてみた。
あまりこういう会には行かないのだが、今回は、私が敬愛する勝又晃君が出演、また荒牧小百合さんの共演、さらには西島麻子さんの伴奏というわけで、みんな知友がたのコンサートとあって、めずらしく夫婦で出向いたのであった。
無門庵は、むかしは旅館であったところを改造して、今は大きな和食レストランになっているのだそうで、駐車場も広々として、なかなかよいところであった。今まで知らない店だったが、今後は、しゃぶしゃぶなどを食べにいってもいいなと思っているところである。
先に懐石のコースを食べて、それが終ってから、「たけくらべ」という蔵のようなつくりのカフェバー棟のほうでコンサートがある。ごくごくささやかな会場ゆえ、目と鼻の距離で勝又・荒牧両君の迫力満点の歌が聞けるので、たいへんに楽しいことであった。こんなところで、小さなコンサートってのは、肩が凝らなくてなかなかいいなあと思ったことである。演奏曲目も、皆さま御存知の名曲揃えという趣向で、おそらく来聴の方はみなさん大いに楽しんだことと思われる。
コンサートそのものは、45分ていどのミニコンサートで、もう少し聞きたいなあという思いが残ったけれど、まず、その「もう少し聞きたい」思いというものも余韻が残って良いかも知れないと感じた。

2013年7月6日土曜日

孫娘

六月の二十六日に、アメリカに住んでいる息子の家族が一時帰国して、目下隣の棟に暮らしている。息子自身は仕事で忙しくて来られないのであるが、その妻子だけが日本で夏二ヶ月を過ごそうということになったのだ。
息子には二人の娘がいて、上は四歳、下はやっと二歳になるところだが、それはそれは、ふたりともオシャマで、毎日見ていると楽しいこと限りが無い。
もちろん、さすがにずっと相手をしているのも疲れるが、そこはそれ、ジージはお仕事だからね、と言い聞かせれば、「じゃ、バイバイ」と隣の自宅へ帰ってくれるので、まあそれほど困りもしない。
むしろ問題は、この娘たちがまことに愛くるしいことで、とくに上の娘はもう言葉は自由自在だから、話をしていると感心することばかりだ。それゆえ、ついつい仕事をそっちのけにして相手をしてしまう。英語の本を読んでやるなんてのは、もっぱら私の役目だが、たいてい、長いものを読んでいるうちにすやすやと寝てしまうところが、まことにかわいらしい。
そんな日常のなか、きょうは、カメラの使い方を教えて、彼女は生まれて初めてカメラの撮影に臨んだ。
そのショットがこれである。手で持って撮るとどうしてもぶれてしまうので、テーブルの上に置いてシャッターを押させた。その加減で、私の頭の天辺が一部切れてしまっているが、そこはそれ、まあ見許すことにしたい。
この娘は、遺伝子的には、なにやら私自身にとても近いものを感じるところがあり、将来は楽しみだなあと、じつはひそかに思っているのである。まあ、ジジ馬鹿と笑わば笑えというところか。呵呵。

2013年6月29日土曜日

慶應義塾横浜初等部開校式典


六月二十二日、慶應義塾横浜初等部の開校式典があった。
私はその校歌を作詩した関係で、式典の来賓として招かれて、恥ずかしながら壇上に居並ぶということになった。
式典は簡素ななかにも厳粛に挙行され、108人の第一期生一年生は、まだ小さいのにずいぶん大人しく座っているのは感心であった。
やがて、幼稚舎生選抜の合唱団による『福澤諭吉ここにあり』という佐藤春夫作詩、信時潔の歌が見事に歌われたあと、一年生だけで、出来たばかりの校歌を朗々と斉唱して聞かせてくれた。その元気よい歌声に魅了されて、涙ぐんでいた参列者も少なくなかった。
写真上は、初等部の校庭で、まるでイギリスの小学校のように全面天然芝である。贅沢といえば贅沢だけれど、芝生の上で遊べる子供たちはまことに幸いと言わねばなるまい。校庭はここだけでなく、校舎の東側には副校庭があり、そこだけでも普通の公立小学校の校庭くらいの広さがある。さらにちょっと離れたところには運動部用の第三校庭まであるのだから驚く。
写真下は、校歌作曲者の湯浅譲二先生とのツーショット。湯浅先生ももと慶應の医学部から芸大に進んで作曲家になったというご経歴で、心は慶應の人間だと仰せであった。校歌の詩は、次のとおり。


2013年6月10日月曜日

祝賀会

きょうは、かつて慶應義塾女子高校で教えた教え子たちが集まって、わが『謹訳源氏物語』の全巻完成を祝う会を開いてくれた。
みな朗らかで、上品で、この会はいつも気持ちがよい。みな、いわゆる「おばさん臭い」ということがないのだ。
しかし、この度私が作詩した慶應義塾横浜初等部の校歌の楽譜を持ってきた教え子があって、ピアノの巧い教え子もあって、マンドリンの名人の子もあって、じゃあ、ひとつピアノとマンドリンを従えて、僕が歌ってみましょうということになった。
で、私は気持ちよくフルコーラスを独唱してきたのである。単なる宴会用の個室なのに、ちゃんと良いピアノが置いてあるとは、感心なる店である。
その店は、隅田川のほとり、『むぎとろ』本店という料理屋で、自然薯が中心の薬膳料理を食べさせてくれたのもなかなかよい趣味であった。

2013年6月6日木曜日

あんこまパン


六月三日、東京文化会館小ホールでの徳川眞弓さんのリサイタルへの客演を、無事打ち上げてきた。
写真上は、『あんこまパン』を独唱しているところであるが、身に纏っているのは、オックスフォード大学のスコラーズ・ガウンである。私は、『あんこまパン』を舞台で歌うときは、いつもこのスタイルに決めているのである。これを着ると、いっしゅ扮装をして役に成り切るという感じがあり、それだけで緊張を和らげることができるのだ。
写真下は、『象のババール』のナレーションをしているところだが、こちらは一転して、紺地にヤシの木とフラダンスの小紋柄のアロハシャツと、いっそ植民地風の白いズボンといういでたちで演じ、がらりと雰囲気を転換した。
歌そのものは、本人としては不満の残る演奏ではあったが、それもそういうものだと受け入れて、ますます不満のなくなるように精進努力せよという、天の神様のお諭しであろうとかんがえておこう。人間、常に精進、日々に努力、それしか前進していく方便はない。学問に王道がないように、芸術にも王道はないのである。しかし幸いに、聞いて下さった方々の評判も悪くはなかったので、まことにありがたいことと思っている。

2013年6月2日日曜日

『象のババール』と『あんこまパン』

いよいよ、である。
なにが・・・って、つまりその、我が東京文化会館小ホールデビューが、である。ははは、大げさなとお笑いになるなかれ。これで、同ホールは声楽家の聖地と称せられるところで、憧れの場所である。そこで歌った人はみな、一様に音響の素晴らしさ、歌いやすさを称賛するのだから、ぜひ一度は歌ってみたいものだと思っていた。
さるところ、御案内のとおり、明日六月三日午後七時開演(六時半開場)にて、徳川眞弓さんのピアノリサイタルが開催される。
このコンサートの目玉曲目が、フランシス・プーランクの『象のババール』である。さるご縁があって、この曲のナレーションを依頼されたので、それならと、まったく新しい新訳を自ら作ってこれを引き受ける事にした。従来の訳よりはずっと辛口の「大人の新訳」というところであろうか。
で、その朗読出演するなら、ぜひ一曲プーランクの歌曲でも歌ってはどうかというお勧めをいただいたのだが、いかんせん私はプーランクの歌曲は未知の世界で、多忙の身として、俄に仕込むこともできかねる。そこで私自身の作詞、伊藤康英君の作曲にかかる大歌曲『あんこまパン』(全三楽章)をば、全力歌唱することにしたのである。
さて、体調をせいぜい整えて、栄養をつけて、できるだけよく眠って、そうして明日の本番には、悔いのない演奏ができるように、全力を尽す所存ゆえ、どうかみなさま、ふるって御来聴賜りたく、伏してお願い申し上げる次第である。

2013年6月1日土曜日

いきいき講演会最終回

日にちが前後してしまったけれど、昨日30日の午後、雑誌いきいき主催の読者講演会に行ってきた。これは源氏物語についての連続講演会で、きのうがその最終回となった。
そこで、今回は『源氏物語、濡れ場の研究』と題して、源氏物語に描かれるいくつもの閨のシーンを抽出し、それをどう読むべきかということを話した。
恋の物語だから、濡れ場もたくさん出てくるのだが、さすがに露骨には書いていない。しかし、だからといってエロスに欠けるということではない。源氏物語は分かりきった事は書かないので、閨の場面も、露骨に行為を描くということはない。ただ、読者たちには、どこでどう「実事」が持たれたかということは、いわば自明のこととして了解されたのであろう。そこを、わざわざ文章を精読するかたちで、どう読むのがいいのか、という話をした。
そこで、葵、若菜下、夕霧、浮舟などの巻々からいちばん問題になるところを執り出して、各種の濡れ場を子細に読んでみたというわけである。なにごとも、露骨に書くのが現代風だけれど、この古典的な濡れ場は露骨に書かない分、想像力をかき立てられるので、なまじ露骨に書くより、よほどエロティックな筆致となる。そんなことも源氏の面白さの重要な要素である。
写真は、いつも聞きにきてくださる桐原春子さんが、講演前に撮って下さったもので、手にしているのは、桐原さんご自作のハーブのブーケである。くわしくは桐原さんのブログに書いて下さっているのでごらんいただければ幸い。
http://d.hatena.ne.jp/mitioyoneko/
をごらんください。

2013年5月31日金曜日

講演会とサイン会のおしらせ

既報のごとく、『謹訳源氏物語』全十巻の完結を記念して、丸善本店で講演会とそれに続くサイン会を開催することになったので、この欄を借りてお知らせします。講演は、源氏をどう読んだらその面白さが感得できるか、というようなことを中心にお話しするつもりですが、まだ詳しいことは決めていません。
日時などは次のとおりです。

 

「『謹訳 源氏物語』(祥伝社)全十巻完結記念 林望先生 講演&サイン会」

丸善 丸の内本店
開催日時:2013年06月21日(金)19:00 ~
フェア・イベント一覧開催店舗ページへ

丸善・丸の内本店 3F日経セミナールーム

定員100名様
要整理券(電話予約可)

参加方法
○丸善・丸の内本店和書売場各階カウンターにて、5/30(木)以降に対象書籍のいずれかをご購入の先着100名様に整理券を配布いたします。
○発売前の商品はご予約にて承り、書籍ご購入時に整理券をお渡しいたします。
○整理券がなくなり次第、配布終了といたします。

※イベントにご参加の方に、“朗読「謹訳 源氏物語」サンプルCD”を差し上げます。


対象書籍
『謹訳 源氏物語』第一巻~第十巻(林望著/祥伝社刊)

ご予約およびお問い合わせ
丸善・丸の内本店 和書グループ 
03-5288-8881(営業時間 9:00~21:00)

2013年5月29日水曜日

いよいよ発売

さて、お待たせしております、『謹訳源氏物語』第十巻が、まもなく刊行になります。すでに再校まで済ませて、現在、印刷・製本の過程に入っており、店頭に並ぶのは、おそらく六月の七日前後になると思います。
2010年の三月に第一巻をリリースして以来、三年あまり、ついに第十巻が出て、これで長く苦しかった、そして楽しくもあった仕事が、いちおうの結末に至ると思うと、なんともいえぬ思いがします。
この三年間、おかげさまで、『謹訳源氏』の知名度も段々に浸透し、これから全巻完結後に購入を考えている図書館なども少なからぬことと思いますので、次第に皆さまのお目に触れる機会も多くなると思います。
このデザインは、私が自分で担当致しましたが、地色は漆塗りの深い朱色をイメージし、また天部に少しだけ各色を配したのは、袖口からこぼれる重ねの色という風情、そして全部の巻が揃うと十二単のような感じ、とそんなことを思ってこうしたデザインにしました。第一巻は若草色、第十巻は藤紫、とそのように初めから決めてありましたが、その余の巻々は、各種の色を試みながらデザイナーと協力しつつ決めていきました。帯と表紙下に「源氏香」の形をあしらって、なおタイトルの白文字は二度の重ね刷りという凝った印刷になっています。装訂そのものはコデックス装といい、往古日本に行われた綴葉装を学び、カバーを外すとあたかも和装本のように見えるようにしました。そうして背表紙のない分力学的に若干の弱みがありますので、それはカバーの料紙を非常に重い厚い紙を使用することで補強しています。しかし、パッと開いて戻らないというこの装訂は、特に書見台に置いて読むというときに絶大の威力を発揮します。
どうか皆さま、末長くご愛読のほど、心よりお願い申し上げます。

2013年5月28日火曜日

ターナーの画業

きのうは、イギリス大使館の大使公邸で小さな講演をしてきた。
この秋に、東京都美術館など各地を巡回する大ターナー回顧展が開催されるについて、主催者の朝日新聞社が、後援のイギリス大使館を会場として、大使御臨席のもと、記者発表のプレゼンテーションを開いた。
私は、どういうわけか、その基調講演のようなものを頼まれて、三十分ほどの短い講演をしてきたのである。
私はターナーとコンスタブルとが全くの同時代人であるところから説き起こして、しかし、その生涯や画業は正反対であったと言ってもよいということを論じ、ターナーの画業がいかに単なる写実から飛躍して、虚構や想像や創造に満ちた営為であったかを論じた。
だからこそ、ターナーは当時の画壇やパトロンたちに人気を博し、生涯に14万ポンドとも言われる巨富を蓄積できたのであったが、これと対照的に愚直なまでに田園風景の写実をしつづけたコンスタブルは、まったく人気なく、ついに妻の持参金まで食いつぶして赤貧失望のうちに世を去ったのだ。
そういうことを、彼の代表作を何枚か映示しつつ、子細にその絵を点検などしつつ話しをすすめたのであった。
写真は、その英国大使公邸の会場。右手に背中を向けている白髪白皙の紳士が現駐日大使ヒッチンズ氏である。ヒッチンズ大使も見事な日本語で、面白いスピーチをされた。彼はほんとうに温容、気品と教養に満ちた素敵な紳士である。

2013年5月24日金曜日

グリコピア

22日、埼玉県北本市にあるグリコの工場(グリコピア・イースト)へ見学に行った。といっても、これはジャフメイトという雑誌の仕事で、特集のための取材にいったのである。
工場というものは、あまり見学したことがなかったが、実際に行ってみたら、思っていたよりずっと楽しいところであった。
そもそもグリコという会社は、創業者の江崎利一翁が、牡蛎の茹で汁が捨てられているのを詳細に調べたところ、グリコーゲンその他の豊富な栄養が含まれているのに着目して(江崎翁は薬種業を営んでいたので、こういう発想を得たのであろう)これを含む栄養菓子を子供のために作ろうと、そういう世のため人のために考えたことから発したのであった、とそのことを知っただけでも、一つの知見として有益であった(だから今でもグリコのキャラメルには牡蛎エキスが配合されている!!)。
この工場ではプリッツを作っていたが、今や工場といっても、ほとんどが自動機械で、整然とコンピュータが制御しているので、まことに壮観であった。
そして、一般の人がよくこの会社の経営理念を理解できるようにと、面白く配慮しながらとてもよく考えられている工場であった。
見学は予約しないとできないのだが、人気があって、つねに予約はfullの状態だということである。

2013年5月21日火曜日

ポンセン

今、昭和もはるかに遠くなって、もはや「昭和時代」という感じが色濃くなった。そういうなかで、「三丁目の夕日」のような映画が当ったりするのもむべなるかなというところだが、昭和も二十四年生まれの私などは、このごろしきりとあの時代が懐かしくてならぬ。
『東京坊ちゃん』という小説は、その昭和の少年の日々を描いたもので、ほぼ自伝的な作品なのだが、昭和の二十年代三十年代には、まだまだ戦争のツメ跡がいくらも残っていた。
私たちは、たとえば臨海学校などに行くときは、必ず、一泊につきお米を一合ずつ持参するという決まりであったり、またおやつのお菓子なども、今みたいな素敵な菓子などは薬にしたくもありはしなかった。それで、午後になると、どこからともなく「ぽんせんべい」というものを売りに来る行商のオジサンがやってきた。すると、こどもたちは、またこれも、お米を小さな袋などに入れて、そのオジサンのところへ行き、その自分の差しだした原材料の米を以て、ポンセンベイを作ってもらうのであった。なんだか薪でボウボウと熱している窯の上に皿のようなものがあって、しばし加熱の後に、レバーをぐいと押し下げると、ポンと音がして、つまりライスクリスピーができる。それが丸い型のなかで爆ぜるもので、米どうしがつながって煎餅になるのであった。
さて、このことを、私はずいぶん昔『音の晩餐』というエッセイに書いておいたところ、これを読まれた広島の槙野さんという方が、わざわざその懐かしいポンセンを自作して送って下さった。なんでも、そのポンセンの機械を買って、いろいろと試行錯誤の末に復元製作に成功したというのであった。
食べてみると、いやあ、なつかしい。お米の焼けた香りが、まさに昭和二十年代の我が少年時代そのものであった。そこで、これを写真に撮ってここに載せることにした。黒く見えるのは黒豆の爆ぜたものであるが、槙野さんの記憶では、往時必ずこの黒豆が入っていたのだとのこと。私の記憶では白米だけであったから、これは地方により時代により、いくらか変異があるのでもあろうか。それにしてもなつかしい味をありがたいことであった。

2013年5月18日土曜日

謹訳源氏物語全巻成就記念トーク&サイン会

おかげさまにて、『謹訳源氏物語』第十巻も、無事再校まで終えて、あとはいよいよ書店店頭に並ぶのを待つばかりになりました。
この際、十巻の成就を記念してサイン会などを各所で開催しようということになって、その劈頭を飾って、かねて本書に並々ならぬ力を入れて販売してくれているくまざわ書店の、相模大野店で、まずはやろうということになった。
ただのサイン会だけではなくて、お店のイベントスペースを利用して、短いトークをしたあと、サイン会という段取りである。
相模大野一円にお住まいの方々で、源氏に、あるいはリンボウの世界に興味がおありの方々、どうぞ揮って御参加ください。
当日は、ご参会の方々に多少のプレゼント(中身はお楽しみ)も用意しました。

2013年4月30日火曜日

ふんわりの時間

きのうまでに『謹訳源氏物語』第十巻の著者校正を仕上げて、きょうは心も軽く東京エフエムへラジオ番組の収録に出かけてきた。
これは、中嶋朋子さんのトーク番組なのだが、自由自在に談論風発という感じで楽しくお話しをしてきた。
番組は、

http://www.tfm.co.jp/funwari/

をごらん頂きたいのだが、東京ガス提供の『ふんわりの時間』という日曜朝の番組で、東京エフエムから放送される。
きょう収録したのは、二回分で、第一回は五月五日の朝九時から九時半という時間枠。二回目は、五月十二日の同時間枠である。
五日の放送分は、『謹訳源氏物語』および、日本古典文学を巡っての楽しいトークで、三十分はあっという間に過ぎた。
十二日の放送分は、食いしん坊の魂躍如たる食べ物の話で、おおいに盛り上がった。中嶋さんの温かで柔らかなお人柄が、この番組の味わいで、とても話しやすい。
このブログをごらんの方々も、もしお時間があれば、ぜひお聴き下さい。

2013年4月29日月曜日

歌の練習

歌を歌うということは、なによりの精神の解放になる、と私は思うのだ。
というわけで、長年の歌の同志でもあり、師匠でもあり、心友でもある勝又晃君が、御夫妻で、源氏完成を祝って、四月二十七日の一夕、拙宅まで歌を歌いに来てくれた。
御夫妻は、来る五月二日午後七時から、大泉ゆめりあホールで、ジョイントのリサイタルを開催するので、その直前の練習などに忙しい合間を縫って、来てくれたのであった。まことにありがたいことである。
今回、ピアニスト井谷佳代さん(芸大院卒)が伴奏者として駆けつけてくれたのは、これまたお忙しい日々のなかで、まことにありがたいことである。
私は『あんこまパン』の練習もさせていただき、勝又君には、ひさしぶりに『行け、わが想い』を熱唱してもらった。ますます声量豊かに、拙宅音楽室内が勝又ボイスで充満している、とそんな感じがした。
そして、なによりも楽しかったのは、彼との二重唱(デュオ・アミーチ)で、『朧月夜』『夏は来ぬ』『野菊』『アル・ヒダ・ノス』などつぎつぎと歌い渡り、もっとも得意とする『アロハオエ』は、ほんとうによく声が響き合って、歌っていてとても気持がよかった。それから、勝又夫人岡村由美子さん(ソプラノ)に、私の妻までも加わって、滝廉太郎『花』や、『夢の子守歌』などを盛大に歌って、いやじつに楽しかった。源氏が終ったなあ、という実感があった。
二日の彼らのリサイタルには、私もぜひ一聴衆として、熱烈応援に駆けつけたいと思っている。写真左から、私、妻、岡村さん、勝又君、そして井谷さん。拙宅地下音楽室にて。

2013年4月23日火曜日

満開の桜に一面の雪

まつりごとが乱れていると、天の怒りに触れるのであろうか、天変地異まことに常ならぬことばかり起こって、はなはだ不穏な時代と痛感せずにはいられない。
さて、四月の二十日に、富山の内藤クリニックの主催で、健康についての講演会が催され、今回は100回の特別講演ということで、私が呼ばれて『最期まで元気で暮らしたい』という題目の講演をしてきた。その主たる心は禁煙の勧めなのだが、なおまたそこに、高齢になったからとてなにも諦めるには及ばない、という生き甲斐の話も加味して話したことであった。
それを終えてから、今回は珍しく、源氏も書き終えての骨休めという意味で、近鄰魚津市の金太郎温泉という宿にもう一泊して二十一日の午後に帰京したのだが、あいにくと、この両日は非常に珍しい春の寒波到来で、中部高原地帯はすべて雪ということになった。
帰途について、北国街道を走っていると、「上信越道、雪のためチェーン等冬用装備規制」と電光掲示が出ている。ややや、これは困った。いかになんでも四月の下旬に雪はもうふらないだろうと、つい最近スタッドレスから通常タイヤに履き替えたばかりで、チェーンなども持参していない。
能生インターの事務所で聞いても、さっぱり道路状況は掴めていないとのことで、埒が明かぬ。近くの道の駅の案内に聞いても同じことで、むしろ高速よりも国道148号に回って、姫川、小谷経由で松本へ出て、中央高速で帰った方が安全かもしれぬという人もあった。とはいえ、この糸魚川街道も山深い谷あいを辿る山道で、雪のない保証はない。
結局しかし、あれこれとやっているうちに、規制は解除になったらしく、思いきって上信越道を通って帰ることにした。
なるほど、信濃町から軽井沢あたりまでは両側一面の雪で、路肩にもいくらか雪が積もっている。路傍の桜は満開なのに、地は一面の雪と、実に珍しい景色であった。

2013年4月14日日曜日

謹訳源氏物語、完成

いやはや、まことに永のご無沙汰にて、更新をさぼっておりましたこと、深くお詫び申し上げます。
じつは、かねて執筆中の『謹訳源氏物語』の、最終第十巻の書き上げに忙殺されておりましたので、更新の余裕なく、失礼をしたような次第です。
おかげさまで、その第十巻の最終帖、夢浮橋も、とうとう書き上げました。思えば2009年の8月1日に起筆してから三年半、2010年の3月に第一巻を刊行してから三年の間、すべてを犠牲にしてこの作品の完成に力を尽くしてまいりましたが、それも、やっと完成の日をむかえることができましたことは、まことに感無量であります。その間、東日本大震災やら、老父の死、妹の死、そして義父の死と、つぎつぎと近親の人を送り、最後のほうは狭心症の発作に襲われるやら、目が悪くなるやら、まさに命がけという実感のある仕事でありました。
しかし、天神地祇の加護か、御先祖さまのお護りか、無事最後まで書き上げることが出来ましたことは、なにより嬉しく有り難いことと思います。
そこで、この荒行のような厳しい仕事の完成を、学生時代からの親友二人が、祝ってくれることになり、昨日、久しぶりに三人会合して久闊を叙し、かつはまた世外の清談愚談に時を移したという次第です。
この二人の親友に恵まれたことは、私の人生の最大幸福事の一つですが、写真の右は田崎誠君、真ん中は奈蔵功修君、であります。二人とも慶應の経済学部を出て、それぞれ三菱商事と三井物産に就職し、今はほぼ悠々自適に近い生活をしています。もともと田崎君と私は、慶應義塾のクラシカルギタークラブの仲間で、学生時代から一緒にそこらじゅう旅行して回ったり、ごくごく親しい間柄であったのですが、その田崎君の学部に於ける友人が奈蔵君で、彼はどういうわけか、田崎君と一緒に、しばしばギタークラブの溜まり場に遊びに来ていて、そのうち、三人は刎頚の交を修したのでありました。
まさに、三人揃って元気に今日の会合を持ち得たのは、幸いなる哉人生、の実感があります。
私どもは、こうして会合しても、みな酒もタバコもやらないので、まことに清々颯々、座談は天地人三才に亙って汲めども尽きせぬ興趣があります。酔眼朦朧たる諸君にはとうてい味わい得ない閑雅脱俗の仙境と、私どもはそのように自負しているところであります。竹林の七賢人ならぬ、妙竹林の三愚人と、このように自称しております。
ともあれ、『謹訳源氏』の執筆完了をご報告し、あわせて皆さまのご鞭撻に深謝申し上げます。刊行は六月初旬の予定ですので、いましばらくお待ち下さい。
写真は、新宿の水炊き処『玄海』にて。

2013年2月16日土曜日

とんだ災難

さてと、きょうは鎌倉の電通研修所へ古典文学の話をしに行ってきたのだが、その途次、とんだ災難に見舞われてしまった。右折禁止違反で取っ捕まってしまったのである。
午前中の講義なので、私は前夜鎌倉プリンスホテルに投宿して、午前九時半ころにホテルを出、研修所に向かったのだが、そこに行くためには、滑川の交差点で左折し、つづいて下馬の交差点で右折していかなくてならない。ところが、この下馬の交差点に差しかかったとき、私は、はたと困った。この標識の意味するところが実に分かりにくいからである。写真をクリックしてよくよくごろうじろ。たしかに、左の標識の補助表示の1番下のあたりに、ごく小さなごちゃごちゃした字で、「大型等以外の車両/終日」と書いてある。しかし、その上には大きな字で「大型等9-16/18-翌(?)7」、また右側の右折左折禁止の看板の下には「大型等7-9/16-18」と書いてある。さて、こんなごたごたと頭悪く書いてある標識を一瞬にして読み取って、はたしてここは右折していいのか悪いのか判断するのは、相当に困難である。私はここは大型車右折禁止、それも時間によっては大型は左折も禁止、という意味だと思ったのだ。事実大型や貨物だけが右折禁止という交差点もこういう調子の表示になっていることが多い。よくよく考えれば、それはたしかに、「大型等以外の車両/終日」と書いてあるから、普通車は終日右折禁止なのだと、まあ交差点内に停車でもして二、三分睨んでみれば分かるであろう。しかし、ことは交差点を沢山の車が通過する流れの中で、一瞬で判断しなくてはならないのだ。私は、ひとしきり頭を絞って考えた揚げ句、もう九時過ぎているのでダイジョウブなのかと思ってスッと右折してしまったのであった。みよ、このグーグルのストリートビュー写真でも1台騙されて右折している車が写っている。きっと彼も捕まって罰金を絞り取られたであろう。
ともあれ、私は日ごろから安全運転、順法運転の鑑であると言われている、定評ある超優良運転者である。だから、この看板の意味を短い時間では読み取れなかったというのが正直なところで、決して敢て無視したわけではない。割り切れないというか、怒り心頭というか、じつに後味の悪い一日となった。

2013年2月10日日曜日

徳川眞弓さんとプーランクを

こうやって音楽と関わった暮しをしていると、つぎつぎと音楽の仕事が到来する。それは私にとって、なによりも嬉しく、また生き甲斐にもなる。
今回は、プーランクの『象のババール』というピアノと朗読が交互に斬り結びながら、音楽の絵本という趣向で進んでいく作品の、その朗読を担当することになった。ピアニストは、徳川眞弓さん。『ババール』は有名な絵本であるが、私はもともと児童文学や絵本にはほとんど全く興味がない人間なので、万事はこれから研究しようというところである。しかし、これは絵本とは切り離して、純粋に音楽として演奏するというつもりの朗読なので、いわば、一種の「うた」だと見なしている。いや、声楽的にベルカントで歌うときと同じ声帯の使い方をしないと、大会場での朗読などはうまくいかない。といっても、あのオペラ歌手のような不自然な日本語で読むつもりは毛頭ないので、ご安心いただきたい。じつは、このたびリリースになった『謹訳源氏物語』の朗読も、発声としてはベルカントであって、決して安易に地声で読んでいるわけではない。そういうことの延長線上に、この作品も研究的に参加してみようと思っているところである。おまけに、私も少々歌をも歌おうかということになっている。
写真は、ちょうどきのう、その第一回の打合せと合わせ練習などをしたので、練習を終えてから、府中の手打ちそばの「心蕎人さくら」で蕎麦を喫しているところである。左が今回ご一緒するピアニストの徳川眞弓さん。右は、その仕掛け人でディスク・クラシカの主宰者仙波知司プロデューサーである。
徳川さんの公式HPは次のとおり。

http://park8.wakwak.com/~toktok/


2013年2月8日金曜日

岡本和久君

昨夕、投資教育家の岡本和久君と久しぶりの会食を愉しんだ。といってもこれもまた仕事の一環で、岡本君が主宰している「インベストライフ」という雑誌に掲載する対談が主な目的であった。
岡本君のプロフィールは次のサイトに詳しい。

 http://www.i-owa.com/seminar/okamoto.html

さて、経済畑の岡本君と、文学畑の私とは、あまり接点がなさそうな感じがするかもしれないが、実は、はるかな昔、慶應義塾大学に在学中、私どもは同じクラブの仲間であった。それはクラシカル・ギター・クラブという、クラシックギターだけを演奏するというまじめなクラブで、私はその副代表を務めていた。岡本君は、ギターばかりの大合奏団の指揮者とソリストを兼ねていた、大変な音楽好きで、いまでもそのOB会の主要なメンバーでもある。
そんな関係で、若い頃からの古き良き知友なのだが、彼は日興証券から国際畑を歩き、今は独立し、個人を対象として、いかにしたら「品格ある投資」によるよりよき将来を築くかということを啓蒙する、IOウェルス、という会社を経営し、ひろくセミナーなどを開いている。そしてそういう品格ある投資が、結果として自分のためにもなり、また世のため人のためにもなるという、高いモラルに根ざした、美しい投資活動ということを一般の人たちに教育啓蒙しているのである。
人生観や、価値観、また社会的な意識など、私どもには共通の考え方が多く、経済畑に岡本君のような人がいてくれることは、この暗澹たる世の中の、せめてもの救いだと、私は考えている。
きのうも、人生のこと、命のこと、社会貢献のこと、教育のこと、おおいに談論風発して愉快な一夕であった。
ちなみに、目の前に置いてあるものは、人生におけるお金の使い方を教育または自覚するためのアメリカ製「豚の貯金箱」で、投入口、取り出し口、貯金槽、いずれも四つにわかれ、頭のほうから順に、SAVE, SPEND, DONATE, INVEST となっている(この貯金箱を岡本君の会社で輸入販売する由)。お金は、ただ貯金(SAVE)するだけでなく、有意義に使う(SPEND)することも大切、世のため人のために義捐(DONATE)することも大切だし、さらに将来を見据えて正しい投資(INVEST)をすることもなくてはならぬということを示している。大切なことは、投資というのは、ただ金もうけのために株や債券などを買ったり売ったりする「投機」とはまったく違う営為だということである。株は、社会のために良いことをする会社を見極め、その将来性をよく量って株を持ち(株を買うことで、その良い会社に助太刀をするというような心がけとでも言おうか)、目先の欲得で売ったりせずに何十年と長く持ち続ける、そういうものだと彼は教える。詳しくは岡本君の著書『賢い芸人が焼き肉屋を始める理由』(講談社α新書)などに就かれたい。

2013年2月4日月曜日

『謹訳源氏物語』第九巻+電子版第一巻


 すっかりご無沙汰で、更新も怠っておりましたことをおわびします。
一月は、十日にアメリカのヴァージニアから、娘一家が一時帰国して、拙宅の隣棟のほうに三週間滞在していたもので、なにもかもそれに引っぱられて疾風怒濤のような生活でした。その娘夫婦と三人のボーイズもアメリカへ帰り、やっと平安が訪れたところで、折しも、『謹訳源氏物語』の第九巻が刊行になりました。
宇治十帖の半ばあたりの、まさに話も佳境にさしかかろうかというところ、早蕨・宿木・東屋の三帖がこの巻に収められています。
本編とはまた一味も二味も違う、現代小説風の展開を見せる宇治十帖。ぜひともご購読をお願い申し上げます。

と同時に、このたび、電子ブックの第一巻もリリースになりました。下の写真がその電子版の表紙です。
これは、『謹訳』の電子本文と、私自身の朗読音声とがワンセットになって、しかもたいへんに買いやすい価格になっているので、お買い得ではないかと思います。この朗読版は、ネット上で有料ダウンロードできます。
具体的には、iPhone、iPad、iPodtouchで、Appstore を立ち上げ、そこで、『謹訳源氏物語』もしくは、単に『源氏』と入力して検索してください。すぐに出てきます。私の朗読音声に従って、本文が黒から青に変っていく、あのカラオケの歌詞のような方式になっています。訳者自身が思いを込めて朗読した音声・・・これは東京エフエム系の衛星放送ミュージックバード局から毎日放送されています・・・その音声を聞きながら本文を読んで行くのは、また別の楽しみがあります。訳者自身が全巻まったく一人で朗読していくというのは、今までにない試みであろうと思います。録音するのは大仕事ですが、そこをがんばってやってきました。ぜひお聞きください。
電子版は、紙本における最新刷のテキストデータに準拠しているため、初版初刷にあった誤脱などがすっかり修正してあります。その意味でもお買い得かもしれません。
かくて、さしも長かった『謹訳源氏物語』も、あと一巻を残すだけとなりました。終ってしまうのが惜しいような思いを抱きながら、ともかくなんとしても良い訳文を完成したいと、ただその一念でやっています。六月には全巻成就の予定ですが、さて・・・。ともかくがんばります。

2013年1月1日火曜日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
あっという間にまた正月となり、この分では、まばたきを二三度するうちにまた来年の正月になってしまいそうな気配です。
この正月は、『謹訳源氏物語』第九巻の校正をしながら迎えました。もうすぐに校正を終えて、印刷所に送ります。
この写真は、もう四半世紀あまり前、1986年のイギリス留学中に撮影した写真をセピア色に加工したもので、ケンブリッジ近郊のアングルセイ・アベイという僧院でのスナップです。左は息子の大地、右が娘の春菜、いまふたりとも成人して、それぞれに娘が二人と息子が三人、合計五人の孫持ちとなりました。まことに、月日の経つのは早いもので、ついこないだこんな子どもたちだったのが、今や人の親となっているのですから。そうして、息子はボストン、娘はヴァージニアと、いずれもアメリカに住んでいます。
正月早々から、この春菜の一家が総勢五人で賑やかに一時帰国してくるというので、いまやてんやわんやでその準備に明け暮れています。孫どもは、四歳、三歳、二歳、一歳、〇歳と、毎年一人ずつ生まれてきて、まことにめでたいことであります。娘のところの三人息子はアメリカ人とのハーフなので、今やカウボーイのいでたちにシェリフバッジをつけて、毎日ライフルの撃ち合いをしているという按配で、さて彼らがこの日本に来たら、どう感じるでしょうか。興味津々というところです。