2010年9月29日水曜日

柳ケ浦と唐揚げ


24日には、博多の初村第一倉庫株式会社創立五十周年記念講演会という催しで、講演をしてきた。この会社の社長の初村純一君は、かつて慶応義塾大学の一年生のときに、同じクラスで仲よくなり、のんびりと遊び回った友だちであったが、卒業後はすっかり没交渉であったところ、ふと福岡でこの会社の倉庫の建物を目睹して想い出し、それからまた友情を復活したというわけであった。人の縁というものは面白い。そして翌日25日は、恒例、苅田町町づくりカレッジの特別講演で源氏の話をしてきた。このカレッジの名誉学長を拝命してもう五年ほどになるだろうか。今年はぎっしり満員の盛況で、楽しい一時であった。そのあと、豊前方面を探索にでかけ、能の清経ゆかりの宇佐八幡と柳ケ浦を巡遊して戻ってきた。とちゅう中津名物鶏の唐揚げというので、写真の上は、それを路傍の唐揚げ店で買い食いして舌鼓を打っているところ。写真の下は、くだんの柳ケ浦である。おそらく、清経の時代の柳ケ浦は、現在かなり内陸になってしまっているかと想像され、海岸からすこし入った橋のたもとに謡蹟の石碑が建っていた。現在の柳ケ浦は広大な干潟を形成していて、折からの引き潮に、鷺やカモメなどの鳥たちがのんびりと餌をついばんでいた。

2010年9月20日月曜日

放射線医学と源氏物語

 だんだん秋らしい感じになってきた。けれども今年は、一日二日涼しい秋日があると、すぐにまた蒸し暑さが戻る。やはり正常な季節の推移ではない。
 きのうもずいぶん暑かったが、横浜で開催中の日本放射線医学会大会で、特別講演を頼まれて源氏物語の話をしてきた。学会は、この写真のパシフィコで開かれ、その大ホールで話をした。来聴のお医者さんたちも、放射線医学とは毫も関係のない源氏物語の話には、ちょっと面食らったかもしれない。どうしてそんなところで講演をすることになったかというと、私の息子が放射線医で、今回の学会はその息子の指導教授にあたる先生が主催責任者であったからだ。学会といっても、医学の学会は、文学の学会とは大違いで、製薬会社などのスポンサーもたくさん賛助してそれは盛大なもの、はじめて医学の学会に足を踏み入れたが、文学のそれとは天地雲泥の違いがあって、なにかとびっくり。それなりに面白い経験であった。

2010年9月12日日曜日

耳で聴く源氏物語

 きょうは、横浜の神奈川近代文学館のホールで、耳で聴く源氏物語、という朗読会をやってきた。源氏物語は、もともと宮廷のサロンを中心とした、小さな貴族の座で、女房たちが朗読して聴かせ、それをみなが聴聞するという形で享受されたものであった。それゆえ、この古式に倣って、原文も、また謹訳源氏物語も、朗読という形でセッションをして、それを聴衆にはもっぱら耳で聴いて味わって頂こうという趣向である。謹訳は私みずから朗読、いっぽうの原文の朗読者としては、俳人として大変ご高名な西村和子さんに特にお願いしてご出演願った。西村さんは、ご自身も『季語で読む源氏物語』という御著書をお持ちではあり、また、源氏物語を読む会も主宰しておられるほどで、源氏には頗る通暁しておられ、そもそも私と同じ慶応義塾の国文科のご卒業で、私より一年先輩に当たる。だから、ただ読むというだけでなくて、原文の味わいをよく心に刻みながら丁寧に読んでくださって、おかげで私も謹訳の朗読がたいへんやりやすかった。もっとも、全部で7セッションやったのだが、原文を先に読んでから謹訳を読む、謹訳を先に読んでから原文を読む、あるいは一節ごとに原文・謹訳と組み合わせて読む、あるいは、夕顔の死の場面などは一文ごとに原文・謹訳を斬り結んで緊迫感を味わっていただく、また、帚木や松風などは、原文は朗読せずにプリントして配布し、原文を目で追いながら私の謹訳朗読を耳に聞く、というやりかたを交えもした。そういうふうにいろいろな実験を試みながら、7セッション。全部で二時間の朗読会は、しかし、あっという間に過ぎてしまった。楽しかったので、これはぜひ、各地へ持って行って公演したいと、西村さんとこもごも語り合っているところである。

2010年9月6日月曜日

穴子のお寿司

 こう暑い毎日だと、ご飯はすっきりさっぱり、寿司飯が咽喉を通りやすい。と思っていたら、渡りに舟、炭屋の穴子を下さった方があって、さっそくこれを以て穴子の混ぜ寿司を作ることにした。この場合は、穴子の風味を生かすために、あれこれと具は入れずに、さっぱりした仕立てにしたい。そこで、通常のごとく酢飯を切って(私の酢飯は、米二合に対して、酢は二勺、そこへ砂糖大さじ一杯半、塩小さじ一杯程度、これをよくとかして、炊き立ての飯にふりかけ、飯台でよく切りまぜてから、一切煽いだりせず、しずかに寝かせて自然に冷ます。そうすると飯はしまってすっきりした寿司飯になる。これは寿司屋の寿司飯よりもずっと薄味)、具は軽く炙って一口に切った煮穴子、小四本。三つ葉一束、青じそ十枚ほど。三つ葉はザク切り、シソは繊切り、そして軽く混ぜて食べる。ただこれだけのことなのだが、じつに旨い。飯三膳は軽く進んでしまう。きょうはそこへ、大根とセロリのマリネサラダ、椎茸と焼き豆腐の澄まし汁、まずは気持ちのさっぱりする夕食であった。

2010年9月2日木曜日

諏訪湖

 ちと所用あって、昨日今日と名古屋まで一っ走りしてきた。東京も暑いけれど、名古屋の暑さはまた別格で、とくに夜の蒸し暑さには閉口頓首というところだった。往きは富士山麓を抜けて東名経由で行ったのだが、やっぱり混んでいて走りにくい。そこで帰りは中央高速を通って帰ってきた。写真はその途中、諏訪湖の夕景である。以前は、中央高速も、この辺りまでくると結構涼しくなり、このさき、八ケ岳高原の原PAあるいは八ケ岳PAあたりはすいすいと冷涼な感じでよかったものだが、きょうはどういうものか、どこまで走っても、車の外気温計は三十度を下回らない。こんなことは今まで例のないことで、この熱波は異常な厚さで日本列島を覆い尽くしているものと見える。それでも、中央道は空いていて、走りやすいことは東名の比ではなく、なおまた甲府あたりからは、正面に富士山が見えて良い景色であった。名古屋あたりはドライブするのにはちょうどいい距離だなあという感じがする。楽しい一日ドライブであった。