2020年2月23日日曜日

春日遅々


 しばらく御無沙汰をしておりましたが、実は、二月五日のドットラーレ練習会の翌日、突然に風邪を発症し・・・どこでうつったものだか、まったく見当もつかないのですが・・・それから10日ほど風邪ウイルスと戦っておりました。幸いに順調に回復し、とくに重篤な喘息などになることもなく、いまはすっかり元気になりました。今回は割合にたちの良い風邪だったと見えて、ただ咳きが出て閉口したくらいで、熱はまったくなく、節々の痛みだとか悪寒などもなかったので、ひたすらこの咳に対する対症的応戦に専念して、無事快癒に至りました。その間、このごろ耳の治療のためにコンスタントに通っている調布の清野先生という鍼灸の先生のところで鍼の治療をしてもらったところ、劇的に咳が治まったという経験をしました。
 この風邪の間も、伏せっていたわけではなく、毎日歩くことはこれを廃さず、一日に少ない時で6000歩、多いときは一万歩を越えて、せっせと速歩すること連日に及びましたが、すこしも息が切れるとか目が回るなどのこともなく、歩いているときは却って元気横溢という感じでありました。
 風邪から回復して、ふと気づくと庭の豊後梅が満開になって、よい香りを放っておりました。もう春一番も吹き、これからは爛漫の春となりますが、世上には、新型コロナという自動車のような名前のあやかしのウイルスが蔓延しつつあり、剣呑この上なしという思いでいます。だから、たいていの観劇などの予定はキャンセルし、やむを得ない仕事以外は閉門して家を出でずという隠遁的生活をしています。
 ただいまは、檜書店から近刊予定の『謹訳世阿弥能楽集』(仮題)の詳密な校正を進めていますが、なかなか難しい仕事で、蝸牛の歩みのごとくにしか進みません。それでも、限りのある仕事はいつかは終わる、そう思ってせっせと難解なる能の詞章に向き合っております。

2020年2月5日水曜日

とうじ蕎麦



 きょうは、またまた金沢から北山ドクターを迎えて、ドットラーレの練習に一日すごした。こんど、五月二十日に金沢で演奏会『忘れられた歌たち』をやるので、そのための合わせだが、その名の通り、忘れられた歌が多いので、まったくの新曲と同じく、一生懸命に譜読みをしつつ曲を研究しているところである。
 ドットラーレの練習の後は、いつも私の手料理にて夕食をご一緒して解散ということにしているので、今回は、寒中でもあり、あったかい「とうじ蕎麦」をメインとし、副菜にコンニャクのピリ辛煎り、それから大納言の煮豆という素朴な献立とした。
 「とうじ蕎麦」は、「湯(とう)じ蕎麦」の意ともいい、また「投汁(とうじ)蕎麦」が語源だともいうが、いずれにしても、もともと松本の奈川あたりの郷土料理らしい。
 これを私は、去年安曇野の王滝という店で初めて食し、じつに美味しいので自分でも作ってみようと試みたわけである。これは、もともと柄の付いたそれ専用の小さな竹篭に蕎麦を入れて、鍋で煮えている具だくさんの蕎麦つゆに投じて温め、その汁や具も一緒に食べるという素朴な料理だが、きょうは、忠実にその真似をしてみた。具は、鶏肉、焼き豆腐、油揚げ、大根、人参、玉葱、長葱、椎茸、コンニャク、菜花、芹、ぜんまい、といったところ、蕎麦は信濃大町倉科製粉の安曇野を使った。やはり乾麺ではこれが一番である。
 初めて作った「とうじ蕎麦」は、皆さまに大好評をいただき、四人で六人前の蕎麦をぺろりと平らげてしまった。
 写真上は、その「とうじ蕎麦」をフハフハ言いながら食べているところ。右は北山先生、真ん中はピアノ伴奏に駆けつけてくれた今野尚美君である。

2020年2月2日日曜日

桜咲く


 きょうは、上野公園の東京文化会館まで、藤原歌劇団の『リゴレット』を見に行ってきた。何年ぶりだったろうか、上野公園は。東京芸大で教壇に立っていたのは、満五十歳までなので、辞職してからもう二十年になる。当時の教え子たちのなかには、今や押しも押されもせぬ第一線の演奏家になった人も少なくない。
 その頃までは、芸大の内外も、なお明治の面影を残していたし、芸大周辺の町場ともなると、いかにも上野界隈という奥床しい風情が横溢していたものだ。
 しかし、きょう行って見ると、昔の建物は多く取り壊されて新しい新式建築に置換えられ、または空しく有料駐車場になってしまっているところもそちこちにあった。上野公園の地下には、立派な有料駐車場が新設されたが、そこに停めると非常に高額な駐車料金を取られるので、私はわざわざ公園からはちょっと離れた池ノ端の100円駐車場に停めて、てくてくと歩いて行った。すると、昔は芸大界隈にはそれほどな人立ちもなく、森閑とした風情が残っていたものだが、今や、外国人が無数に歩き回り、新しいカフェが出来、昔日の面影はもうほとんど残っていない。だが、三段坂を下ったあたりの裏路地には、なおまだ、往年のままの手汲み井戸が残っていたし、芸大時代にいつも行っていた浜寿司も健在のようだった。
 懐かしい思いで歩き回っていたら、公園のなかの寒桜が早くも満開になっていた。いかに寒桜でも、ちょっと咲くのが早すぎるのではないかと思ったが、これも異常なる暖冬のせいにちがいない。ああ、芸大時代が懐かしいなあ。