2012年3月31日土曜日

妹死す

 昨日の夕方、私の妹が死んだ。まだ五十八歳だった。
 かねて肺ガンで闘病中であったが、入院したと知らせを受けて、気軽なつもりで見舞いに行ったところ、妹はもういまわの際という感じになっていた。私が、大きな声で名前を呼ぶと、もう答えることもなにもできない状態だったが、一瞬、なにか言いたそうに口を動かしたように見えた。そして目尻から一滴の泪がスーッと流れて、まもなく息をしなくなった。私が病室に着いて僅か三分ほど後のことであった。もしかすると、妹は、私の到着を待っていてくれたのかもしれない。あの、なにか言いたそうにしたのは、
 「じゃ、さよなら、ありがとね」
 とでも言いたかったのか・・・。
 折しも私は『謹訳源氏物語』の第八巻を脱稿したところであった。
 妹は「さきく」という珍しい名前で、とても変った女の子であった。ずっと国立音大で育ってピアノをよくし、聴音や採譜などの名人でもあったし、リトミックなどもとてもうまかった。けれども、音楽の道は途中で廃し、ジャズのベース奏者米木康志君と結婚して全然違う道を歩いた。ちょうど去年の大震災の翌々日に脳腫瘍が見つかって緊急手術をしたが、その時余命半年と言われながら、一年よく闘った。その間、ただの一度も泣きもせず、愚痴もこぼさず、ただ黙々と闘病して、最後の最後まで自立して生活しながら、為すべき事はすべて為し終え、そして静かに世を去った。この1年間、孜々として看病介護にあたった夫の康志君の志も見事であった。妹はおそらく、すべてに感謝して世を去ったと思う。写真の真中に写っているのが妹の三歳くらいの時の写真で、左に私、右に兄、後ろに母方の祖母と母が写っている。これは、父母、母方の祖父母の眠る烏山常栄寺というお寺で撮影されたもので、妹もこのお寺に眠ることになっている。
  今一度花見て逝きねやよ吾妹  宇虚人