2013年5月21日火曜日

ポンセン

今、昭和もはるかに遠くなって、もはや「昭和時代」という感じが色濃くなった。そういうなかで、「三丁目の夕日」のような映画が当ったりするのもむべなるかなというところだが、昭和も二十四年生まれの私などは、このごろしきりとあの時代が懐かしくてならぬ。
『東京坊ちゃん』という小説は、その昭和の少年の日々を描いたもので、ほぼ自伝的な作品なのだが、昭和の二十年代三十年代には、まだまだ戦争のツメ跡がいくらも残っていた。
私たちは、たとえば臨海学校などに行くときは、必ず、一泊につきお米を一合ずつ持参するという決まりであったり、またおやつのお菓子なども、今みたいな素敵な菓子などは薬にしたくもありはしなかった。それで、午後になると、どこからともなく「ぽんせんべい」というものを売りに来る行商のオジサンがやってきた。すると、こどもたちは、またこれも、お米を小さな袋などに入れて、そのオジサンのところへ行き、その自分の差しだした原材料の米を以て、ポンセンベイを作ってもらうのであった。なんだか薪でボウボウと熱している窯の上に皿のようなものがあって、しばし加熱の後に、レバーをぐいと押し下げると、ポンと音がして、つまりライスクリスピーができる。それが丸い型のなかで爆ぜるもので、米どうしがつながって煎餅になるのであった。
さて、このことを、私はずいぶん昔『音の晩餐』というエッセイに書いておいたところ、これを読まれた広島の槙野さんという方が、わざわざその懐かしいポンセンを自作して送って下さった。なんでも、そのポンセンの機械を買って、いろいろと試行錯誤の末に復元製作に成功したというのであった。
食べてみると、いやあ、なつかしい。お米の焼けた香りが、まさに昭和二十年代の我が少年時代そのものであった。そこで、これを写真に撮ってここに載せることにした。黒く見えるのは黒豆の爆ぜたものであるが、槙野さんの記憶では、往時必ずこの黒豆が入っていたのだとのこと。私の記憶では白米だけであったから、これは地方により時代により、いくらか変異があるのでもあろうか。それにしてもなつかしい味をありがたいことであった。