ひさしぶりに薩摩に行ってきた。鹿児島市の城山観光ホテルが主催する維新回顧のイベントの一環で、『薩摩スチューデント』(1865年に薩摩藩がイギリスに送り込んだ15人の俊才留学生)のことを話してきたのである(くわしくは拙著歴史小説『薩摩スチューデント、西へ』光文社文庫をご一読ください)。所与の時間は60分という予定であったけれど、なにしろ15人もいる留学生のことを話すには足りない時間で、すこしオーバーして極力詳しく話した。
講演の前に数時間の閑暇があったので、ひとつは地元鹿児島テレビのインタビューを収録したのと、南日本新聞の取材で、磯の異人館に行って写真撮影、そしてそのあと、ご当地名物「ぢゃんぼ餅」をご馳走になった。この「ぢゃんぼ」というのは「両棒」と書いて「リャンボウ」と読んだのの転訛であろうと思われる。ご覧のように、一つの餅に二本の棒(串)が挿してある。それでこう呼ぶので、別にJamboではなく、むしろ小さなミタラシ餅と言うべきものであった。ただし、生地はミタラシ団子よりだいぶソフトで、よく伸びる。それでも一人前が写真の一皿なので、よほど大量である。これ一皿でずいぶん満腹してしまうが、もとは海水浴の人たちのためのおやつだったそうで、ヴォリュームがあるのはそのためだそうである。写真は異人館ちかく(そこがこの餅の発祥の地という)の平田屋という老舗で、その餅をやっつけているところである。これがなかなか美味しかった。
なんといっても鹿児島のピカイチのお菓子は、この加治木饅頭であろう・・と私は勝手に思っている。ヤワヤワとして、ペトペトとして、上品に甘く、暖かく、薄っぺらく造形してあるので食べやすくもある。私はこれが大好物で鹿児島に行ったら買わずには置かない。
今回の旅でも三軒の加治木饅頭を試みた。そのうちのひとつ岡田商店(加治木駅前)のそれを写真にとった。これもなかなかおいしかったが・・・、
数多い加治木饅頭屋のなかで、私がもっとも愛してやまないのは、この写真の店、すなわち新道屋(しんみちや)のそれである。ここは、毎日午前中で売り切れてしまうので、ホテルから出て、いの一番に買いにいった。そうしたら、もうすでに長い行列ができていて、三十分ほどもまたなければ買えないという盛況であった。新道屋の店は、小さなガラス窓で閉じられ、それが時々開いて、なかからお店の人が顔をだす。そしたら、注文だけして待つ。その間、くだんの注文窓は常にピシャリと閉じられている。まるで売ることを拒否するような風情だが、いやいやそうでない、これは室内の蒸気が逃げて饅頭が乾燥するのを防ぐという目的があって、こういう販売形態になっているよし。しかも「手作りの饅頭が三分に一回、二十個ずつ蒸し上がる」というわけで、じっくりとまたなくてはならない。なにごとも忍耐である。
私も列にならんで待つこと三十分、やっと自分の番になったので、十五個買った。うちは大家族なので、このくらい買わないと追いつかない。
出てきた饅頭は蒸したてとあって、手に持てないほど熱い。これをエイヤッとかばんに入れて、それから夕方まであたりを逍遥し、東京に着いたのがおよそ六時半、それから家に辿り着いたのは八時半になっていたが、なんとまだ饅頭は幽かに温かった。さっそく包を開いて舌鼓を打った。いやあ、うまい!
これは東京では絶対に買えないもので、鹿児島の加治木に行って、新道屋の店頭に午前十一時前には行って、行列して、忍耐して、やっと買えるのだ。しかしそれだけの努力と忍耐をする価値はたしかにある。それほどの美味であり、なおかつ一個が90円という安さで、じつにどうも結構至極である。
もし鹿児島に旅行をなさったら、ぜひこの新道屋の加治木饅頭を求めて食べてご覧になるがよい。なお、十五個買った饅頭は、家に帰った途端に、私は二個平らげ、娘婿も、妻も、みな二個ずつぺろりと食べてしまったので、即座に半分なくなってしまった。
それから、飛行機の時間まで、加治木、隼人、霧島のあたりをぶらぶらと当てもないドライブをした。
紅葉には少し早かったが、気候はよし、風景もなかなかのもので、束の間ながら、愉しいドライブだった。
途中、犬飼の滝というのに遭遇したが、どうしてどうして、立派な瀑布で、水量といい落差といい、一級品の滝であった。