2016年6月14日火曜日

ねじばな

ことしも我が鍾愛するネジバナが咲いた。
 この花の面白いことは、おどろくべき生命力である。一つ一つの花を見ると、まるでグラジオラスのような姿で、色も可憐そのもの、過度に自己主張しないその控えめな花の姿といい、約束通り毎年咲きいでる律義さといい、なんともいえず好ましい花である。
 毎年、初夏の季節になるころ、カラカラに乾燥していたハンギングの鉢に、ボヤッとした感じでこの草は芽を出す。宿根草なので、その古い根から毎年新しい芽がでてくるのだ。これが二三度の雨に当たって、ぐんぐん、ぐんぐんと伸びてくると、まもなくこういうふうにピンクの可憐な花を咲かせる。下から順に咲いていって頂点まで咲き切ると、あとは枯れるばかりである。真夏の炎天になるころには、すっかり茶色く枯れて、この鉢はまたもとの荒涼たる枯野の風情に帰る。そうして、猛暑炎天の日々を、ひたすら乾燥と熱暑に耐えて生き抜き(まるで砂漠のサボテンもかくやという生命力の強さである)、もしや枯れてしまったかなあと危ぶんでいると、また明くる年の初夏に、同じように芽が出てくる。
 ことしはまた、例年になく花茎がたくさん立った。最初に生えたときは、ほんの二三本であったのが、今年は二十本近くも咲いた。
 なにしろ、この鉢は、ただここに懸けてあるだけで、水も肥料も一切与えたことがない。そういう過酷な環境でも、律義に花を咲かせてくれるネジバナ。ああ、人生もかくあるべしと教えているようではないか。