2022年12月27日火曜日

はるかな昔

 

 いやはや、非常に御無沙汰をしておりまして、ブロガーとしては大いに反省を致しておりますが、そうこうしているうちに、この動乱の2022年も終りが近づき、もうあと幾日かで2023年やってくるというところまで来てしまいました。
 今年は、全般的に喘息の状態が不安定で、なかなか声が本調子にならず、閉口しておりましたが、この寒波の到来とともに、なぜか体調が好転して、いまは普通に歌なども歌える状態にまで回復しています。不思議ですねえ、人体というものは。
 さて、ごく最近、私はご覧のような古ーい石版画を入手しました。これは、明治20年の12月、すなわち1887年の今ごろに刊行されたもので、画工は、渡辺忠久という人です。この版画はおそらく東京名所絵の組版画の一枚として刊行されたものだろうと思いますが、ともあれ、私がながらく住んでいる武蔵小金井の名勝、小金井桜を写したものであります。川のように見えるのは、羽村から取水して江戸中央まで上水を送り届けるために徳川幕府が開鑿させた玉川上水で、小さな木橋が架かっているのは、小金井橋である。いまは大きなコンクリート橋に変ってしまっているが、明治時代には、まだこんな木の小橋であった。そうしてこの橋を渡って南北に続いているのが小金井街道だが、この時分には、ほそい田舎道に過ぎなかった。右側、この牛の描かれているあたりには後に柏屋という旅館もできて、花見の遊山客に親しまれていた。現在もこのところから数十メートルほど北に行ったところに、柏屋モータースという自動車屋さんがあるのは、その末裔の一族の会社かなと想像される。ともあれ、人物はすべて和服で、これだけ見ていると江戸時代となにも変わりがない。むろんまだ武蔵小金井駅などはできていなかったので、花見客は国分寺あたりから人力車にでも乗ってここに来たものであろうか。私が小学生のころまで、玉川上水の両岸はこんな風景で、柵のようなものはなかったし、桜も隆々と栄えていた。なにもかも変ってしまったものである。