2019年8月13日火曜日

木漏れ日とトカゲ


 謹訳源氏物語の改訂文庫版の校訂作業も大詰めとなり、七月中はその第九巻にかかりきっていたがのだが、すっかりそれも終わって出版社に返した。あとは第十巻を残すのみとなり、目下はその仕事のために、信州の山荘、翠風居に来ている。信濃大町も暑いことは暑いが、それでも、私のいるこの高瀬渓谷沿いのエコノミスト村では暑いといってもせいぜい29度くらいにしかならない。翠風居は、ご覧のような林間の緑陰にあって、一日中木漏れ日がちらちらする程度、かんかん照りということはないので、おのずから涼しいのである。日中は多少暑いけれど、夜になれば、嘘のように涼しくなり、夜は快適な冷気のなかで睡眠を楽しめるのがなによりである。標高は800メートルくらいだが、北アルプスを源流とする高瀬渓流の冷たい水が谷一帯を冷やすので、涼しさはほぼ軽井沢に匹敵するのである。ありがたいことである。


 今朝起きて窓を開けてみたら、ウッドデッキの上でトカゲが日光浴をしていた。じっとしてまるで置物のように動かない。しっぽが鮮やかなコバルトブルーで、これはニホントカゲという在来種のもっとも普遍的なトカゲであるらしい。つやつやとして、まことに美しいトカゲである。自然は、いつも美しいなあと、しばらく眺め入った。

2019年7月25日木曜日

久しぶり『梵』の普茶料理




 ずいぶん御無沙汰をしてしまっていたが、ひとつ暑気払いという心を以て、入谷の普茶料理『梵』まで、デトックス的御馳走を食べに行った。
 梵は、いつ行っても、悠々たる時間が流れているような不思議に落ち着いたしつらいで、その清潔で高雅な佇まいは、ゆっくりと会話を楽しみ、料理を味わうのに好適である。こういうお店はあまり類例がないような気がする。しかも、お料理はすこぶるリーズナブルな価格で、その手間ひまのかかった数多い品々を頂くについて、申し訳ないような気さえするのである。
 さて、この写真の一番上は、笋羹(しゅんかん)といい、普通の懐石ならば八寸というようなものにあたる。いわば豪華なオードブルである。この一つ一つに非常な手間がかかっている。家庭ではできない味である。真ん中の写真は、刺し身に当るもので、ただし普茶は精進料理だから、生臭ものは一切無い。で、若鮎に見立てた巻湯葉、これには蓼酢が添えてある、また白身魚の薄造りに準えた薄蒟蒻も涼しい。下の写真は、これぞ夏の一品というもので、鰻豆腐という。豆腐を主とした材料を合わせて、あたかも鰻の蒲焼きのように作った遊び心満点の一品であるが、じっさいちょっと鰻めいた味わいがある。この品は、『豆腐百珍』の続編にざっとした作り方が出ているが、それよりは、この梵の作り方のほうが手が込んでいる。味もきっとこちらのほうが本家を凌駕するにちがいない。
 というわけで、頗る満足の一夕でありました。
 

2019年7月8日月曜日

練習のあとには






 七月三日の日は、北山ドクターを金沢から迎えて、井谷佳代さんの伴奏で、アンサンブルを中心とした練習に励んだ。
 秋の11月27日のドットラーレのコンサートは、先日金沢のモリスハウスで開催した『望郷ソングス』の東京版で、曲目は少しく減らして、そのかわりにコンサート・トークにもう少し時間を用意しようということになった。ただいま、そのチラシなどをデザイン作業中であるが、会場は雑司が谷音楽堂、非常に響きのよいサロンなので、歌う私たちが楽しみにしているところである。
 さて、この練習のあとのお楽しみは、不肖リンボウシェフの手料理による夕食会であるが、今回は、いろいろ考えた結果、
 夏野菜と肉味噌の冷やし饂飩
 豆腐と蓮根の擂り流し汁
と、まことに質素ながら、季節柄の献立とした。肉味噌は、鶏挽肉、それに夏野菜として、焼き茄子、茗荷、オクラの温泉タマゴ和え、青じその千切り、さらにちょっとした風味を添える意味でイカ天の揚げ玉を加えた。豆腐と蓮根の擂り流し汁は、加賀料理に敬意を表したというところ。こちらは熱々で。まあ、あっさりと質素ではあるが、これでなかなか作るのは手間ひまがかかる。おいしく頂き、非常に有意義な練習は、和気靄々たる会食を以て締めくくったのであります。

2019年6月24日月曜日

梅しごと


 ちょうど今ごろ、つまり梅雨の頃に、梅の実が熟する。
 私の家の庭には、良い実のなる梅の木が二本あって、ことしも無事たくさんの大きな実をつけた。そうして梅の雨が降る時分まで我慢して木で熟させ、それから取る。
 昔は、これで梅干しも漬けたし、梅酒も作った。梅酒に至っては、作ってもなにせ私がまったくの下戸でアルコールは受け付けない体質なので、自分で飲むことはない。ただ、漬けてから十年もすると、それはそれは豊潤な香りのトロリとした梅酒になるが、飲めないのはまことに残念。そこで近年は、これを甘煮にしたり、ジャムを作ったりすることにしたのである。
 自宅製の梅はほとんど農薬を使っていないから安心だし、砂糖の甘味も控えめにしているので、じつに爽やかな風味のそれができる。
 梅の実は植木屋に取ってもらって、まだ青いのも多いので、二三日そのまま室内に置いて黄色く熟すのを待つのである。さて熟すと素晴らしい香りがしてくるので、さあそうなったらジャムに煮時である。
 よくよく実を洗いながら、ナイフで皮と身を核(たね)から切り離してゆく。これがひとつの大仕事だ。そして、家中で一番大きな寸胴鍋をだして、そこに剥くそばから放り込む。こういう仕事を「梅しごと」というのだそうだが、私のところでは、梅しごとはいつも夫婦二人でせっせとやる。で、煮るのは私の専門事項だ。
 大量の砂糖、白ワイン、さらに黒胡椒とシナモンと少々の塩とを加えて火にかけ、あとはひたすら煮込むだけである。市販のにくらべると甘味はうんと控えめに作る。ジャムは美味しいから思うさまパンにのっけて食べたいが、あまり甘いとカロリーが高すぎて健康によくなさそうだから、これを控えめにしておくのである。
 煮詰めすぎると、まるで梅のフルーツらしい感じがなくなってしまうので、私はせいぜい三十分ほどしか煮込まない。それでまだいくらか水っぽいテクスチャーだという感じのうちに火を止めて、あとは耐熱ガラス瓶に煮立っているところを即座にいれて、電光石火で蓋をしめてしまうと、内部が熱消毒されてくさらない。
 煮ている間、こまめにアクを取ることも、ジャムを爽やかな風味に仕立てるためには必要である。 
 例年のとおり、とても美味しくできて、今朝からさっそく舌鼓を打っている。
 

2019年5月23日木曜日

日光学習旅行


 五月の20日と21日の一泊二日で、日光へ旅行にでかけた。これは、別になにかの仕事というわけではなく、私どもの孫で、長男のタイタスが今年十歳になったのを機会として、あまりに日本の文化や歴史のことを知らないままアメリカ人として大人になってしまうことを防ぐために、教育の旅を企画したのである。一泊二日で行けるところは距離的に限られてくるので、東京近郊では日光がもっとも好適であろうと考えた。そうして、明治初期に日本の東北の奥地まで旅行して歩いたイザベラ・バードの『Unbeaten tracks in Japan(日本奥地紀行)』の日光の章をコピーして前もっての学習課題として渡し、父親のダニエル君の協力を得て、まずは明治風の格調高く難しい英語での日光学習をさせ、その上で、20日は東照宮と日光杉並木、江連家住宅などを見学。上の写真は、有名な杉並木の日光街道で、ここを毎年の日光例幣使が通った。かの川瀬巴水もこのところの風景を描いている。東照宮は外国人観光客で賑わっていたが、やはり悪趣味なまでの装飾過多には、独特の迫力が感じられる。

 翌日は記録的な土砂降りのなか、まずは大正天皇の御座所として知られている田母澤御用邸を見学。朝一番であったこと、また土砂降りであったことから、ほかには見学者は皆無で、ゆっくりと160室もの御用邸を見学してきた。この写真は、その御用邸の内部である。もともと紀州徳川家の邸を一部移築したところに多くの増築をおこなったのがこの御用邸で、近年美しく再整備されて一般に公開されている。大正天皇は、しばしばこの御用邸に滞在されて、多くの歌を詠んでおられるが、なかなかに名歌が多く、私の愛読するところである。雨に濡れた庭には、緑の苔が美しく、また一つの見物であった。英語のガイダンスもあるので、タイタスはもっぱらその英語の説明をイヤホーンで聴きながら、真剣に見て回った。天皇というのがどういう存在であるか、そのあたりも半分日本人としてぜひ知っておいてほしいと思った所期の目的は達したかと思う。そのあと、華厳之滝、中禅寺湖を観たが、あまりにもひどい豪雨で、滝は見えたけれど、湖はなにも見えなかった。豪雨のなか、車では入れず遊歩道を歩いてでなければ行けない英国大使館の夏公邸やイタリア大使公邸などは、見学をあきらめた。前者はかのアーネスト・サトウ英国公使が造ったもので、つい最近美しく整備されて一般に公開された。バードの日光探索にはそのサトウが付き添っていろいろ案内・教示をしているので、ぜひその夏公邸を観たかったが、残念であった。これは来年、次男坊のエイサを連れて見に行くことにしよう。

2019年5月9日木曜日

大町エコノミスト村演奏会


 史上最大の十連休も終り、皆さま、どこか気抜けしているところかもしれません。
 私どもは、五月五日こどもの日に、信濃大町のエコノミスト村・・・すなわち、私も北山ドクターもそこに山荘を持っている村ですが・・・に於て、はじめて声楽演奏会を催しました。
 午後三時開演の、まあティータイムコンサートということで、曲数は十二曲ほど、時間にして一時間ちょうどの軽い演奏会でした。『夏は来ぬ』『朧月夜』『青春の城下町』『北国の春』『帰れソレントへ』などなど、毎度おなじみの曲ばかりで構成しました。
 写真は、その会場となった、村の中心、エコノミストセンター。ここ通称クラブハウスに、みんなに手伝ってもらいながら、椅子など並べ、即席の演奏会場としました。天井は高く、全体が木造の内装で、そこそこに良い響きが得られたので、楽しく歌ってきました。ピアノ伴奏は、石川美也子君。石川君は、もうだいぶ以前、私がゴールデン・スランバーズという重唱団を主宰していたときに、いつも付き合っていただいた腕利きのピアニストで、桐朋のピアノ科を卒業後、東京芸大の大学院でも学んだという人です。気さくで、明るく、そして無類に腕が利くというので、演奏でも練習でも大いに助けられました。
 おかげさまで、大変にご好評をいただき、またぜひ次回もお願いしますと、何人もの方に言っていただいたのは、演奏冥利に尽きるという思いがしたことでした。
 また、第二回も企画したいと思っています。

2019年4月30日火曜日

上田真樹個展演奏会


 ちょっと順序が逆になってしまったのだけれど、実は、モリスハウスのコンサートに先立って、去る4月13日の土曜日に、渋谷のさくらホールで、作曲家上田真樹の作品を集めて、多くのアーティストたちが集合した、「上田真樹個展コンサート」という催しがあった。上田真樹君は、私が東京芸大の教師をしていた最後の年に芸大一年に入ってきた学年・・・いわば最後の教え子の一人である。当時、私は歌曲を作る作曲家を探していたので、作曲の学生には、みな歌曲を作ってみないかと声を掛けて、なかには詩を提供したりもしたのだが、前衛的現代音楽ばかりに興味の集中している芸大作曲科では、歌曲をまともに作ろうという学生はきわめて乏しかった。上田君も、それまで歌曲などは作ったことがなかったそうであるが、非常に真面目な学生であった。そこで、彼女にも声を掛けたところ、作ってみるということになって、私はいくつかの詩を彼女に贈ったのである。すると、彼女が歌曲や合唱曲、つまり「歌」の作曲家として、きわめて非凡な、しかもとても美しいメロディーを書く才能に恵まれた人であることが、すぐに分かった。以来、私は彼女に詩を贈り、彼女は私に曲を贈ってくれて、あるいは私が主宰していたThe Golden Slumbersという混声重唱団や、重唱林組、またテノール勝又晃君と組んでやっていたDuo Amiciなどに、編曲で協力してもらうようになった。それで夥しい数の歌曲を二人で作り、または編曲を作って初演するということが度重なった。そのうち、『夢の意味』という合唱組曲の出世作を作ってたちまち世の中に知られるようになり、また『鎮魂の賦』という合唱曲で、朝日作曲賞も取った。いっぽうでまた、私は彼女にソルフェージュのレッスンを二年間に亙って受け、さらには、東京エフエムの衛星放送ミュージックバードでやっていた音楽番組『リンボウ先生の音楽晩餐会』などの「音楽取調掛」として私の右腕となって働いてももらったのだった。今ではもう合唱音楽界の売れっ子となって、とても忙しいので、いっしょに仕事をすることはほとんどなくなったが、そんなご縁があって、この演奏会でも私の詩の作品が多く演奏された。『かなしみのそうち』という朗読と音楽の組曲は、女性作曲家連盟の委嘱で作った作品で、今回これを再演するので、私は自作の詩の朗読で出演。ついでに、最後の大合唱『酒頌』(イェーツ原詩、林望訳詩)のバスパートに入ることを勧められて、まったくの泥縄で参加したのが、この写真である。合唱は人生最初のことであったが、でも非常に楽しい経験であった。上田君ありがとう。