2015年3月31日火曜日

観世会館さよなら公演

またまたのご無沙汰で申し訳ありません。
『謹訳平家物語』の執筆や校正のためあくせくしております。

さて、この三月いっぱいで、43年間に亘って観世流能楽の本拠地として親しまれてきた、渋谷区松濤の観世会館、通称観世能楽堂が、建築の耐震基準上の問題などがあって、閉館することになった。まもなく、この想い出深い能楽堂は取り壊されて、銀座に新しく建築中の多目的ビルの地下に移転することになっている。
その最後の時を記念して、このほど、「さよなら公演」が三月二十五日から三十日にかけて、6公演行われた。
私もそのなかの一公演に解説を書かせていただいたのだが(『松風』と『土蜘蛛』)、幸いに、二十六世宗家の観世清和師のシテを勤められる能はすべて拝見することができた。
二十八日の『正尊(しょうぞん)』では、清和師は義経の刺客正尊を演じて重々しい演技を披露されたが、能楽堂のさよなら公演とあって、気鋭の若手観世流能役者がぞろりと八人、立衆として出演し、義経がたの武者と切り結ぶ大立ち回りを、にぎにぎしく演じ切ったのは面白かった。トンボ返りや、「仏倒れ」といって硬直したまま後ろ向きにドカーンと倒れるスリリングな型を存分に堪能したことであった。
二十九日は、『道成寺』。この難曲をば、清和師は悠々たる風格と余裕で演じ、その規矩準縄で揺らぎのない型の運びといい、内面的な理解の深さといい、また後の段の蛇体の女の怨念の凄まじさといい、その声の凛とした豊かさといい、現代における最高の『道成寺』を見たという、得も言われぬ昂奮を覚えた。能楽堂への最後の餞として、まことにふさわしい見事な演能であった。
さらに三十日の、ラストのラストの日は、翁付き『鶴亀』という珍しい演能で、これは翁の儀式的な能のあとそのままめでたい祝言曲の極致ともいうべき『鶴亀』を演じ、さらにそのあと『福の神』という、これまた祝言性に満ちた狂言を続ける。そこまで二時間以上ぶっ通しで演ずるもので、とくにその三曲ともに休みなく勤める囃子方にとっては、並大抵のことではない演式である。
清和師の翁は、清雅にしてまた神韻縹渺、まさに神さびた趣が横溢し、見ていて背筋がピンと伸びる思いであった。そのあとは家元の実弟観世芳伸師のシテの鶴亀と続き、囃子は亀井広忠師の大鼓、大倉源次郎師の小鼓が、なかんずく気合も十分で一座を終始ぐっと支えている感じがした。
なにもかも終わってから、能楽堂の外の庭で、鏡開きが挙行され、そこで清和師が流儀を代表して謝辞を述べられたところが、この写真である。画面やや左方、スマホを持った白い右手の上あたりでマイクを持っておられるのが宗家清和師である。

ほんとうに良い能を見せていただきました。
観世流のますますの弥栄をお祈り申し上げます。
感謝。