2019年3月9日土曜日

1978年


 さらに時を遡って、この写真は、1978年の五月に、慶應義塾女子高校の教師をしていたころ、その修学旅行の引率に行った折の写真である。
 慶應女子高の教師といっても、一介の非常勤講師であって、担任などはむろん持つことなく、ただ古文と漢文を教えていたに過ぎぬ。それでも、多い年は週に四日出講していたので、まあ生徒から見れば専任の教師と同じように見えたかもしれぬ。この女子高は、いわゆる職員室(教員室)というものがなく、教師は学科ごとに別れてそれぞれの研究室に所属することになっていた。それゆえ、私は非常勤ながら、国語科研究室にちゃんとデスクを与えられて勤務していたのである。しかもなお、毎年の修学旅行には、高校三年生の京都・奈良に随行引率して行った。1978年というと、今から41年もの昔になるから、私は29歳であった。この頃は、口髭を生やしていなかったことは写真に見えるとおりだが、これは当時私は能楽の地謡方として常時舞台をつとめていた関係で、口髭などは落すようにと師匠から申し渡されていたことの結果である。
 この写真は、たぶん、京都の東急インで、早朝に生徒たちと散歩などしているところであろう。なにやら寝ぼけたような表情をしているのは、そのせいである。
 その後、さまざまな学校で教鞭を執ったが、この慶應義塾女子高での六年間が、もっとも充実して楽しい教員生活だったような感懐がある。