

それから、やがて蓼科高原に第二の山荘を建てて、三十代のころの夏は蓼科高原の家で避暑をして暮したのであったけれど、ここは標高が高過ぎて、どうも頭がボンヤリするのが難点であった。そこで、四十を過ぎて、いよいよ仕事が忙しくなると、もっと低くて近いところに山荘を設けたいと思って、この白州の山荘を造った。自分一人の力で建てた初めての山荘であった。ここはほんとうに気持ちのよい里山の雑木林のなかにあって、私のもっとも好きな場所なのだが、いかんせん忙しくなりすぎて、今はほとんどゆくことができない。子供たちは、みなアメリカに住んでいるので利用する人もなく、まことに勿体ないことである。そこで、しばしば「もう売ってしまおうか」と、夫婦で相談したりもするのだが、いざ行ってみると、まことに快適だし、自分として愛着があって、なかなか売ることができない。それでも、どうしても欲しいという人が現れたら、売っても良いな、くらいには思っているのである。ここは標高が六百メートルくらいだが、林の中なので夏は涼しいのである。真冬は雪も降るので閉じてしまうけれど、春秋などは、新緑に紅葉の景色も素晴らしく、寒ければ薪ストーブを焚いて、火を眺めながら炉辺談話に過す休日など、もっとも心豊かな時を味わうことができる。