2011年8月15日月曜日

追悼、小泉佳春君

 この写真は2001年の12月に沖縄の石垣島で撮影したものだから、もう十年という月日が経った。こうして一緒に楽しそうに煎餅のようなものを頬張っているのは、写真家の小泉佳春君である。
 その小泉君が、まだ五十一歳という若さで、世を去った。二年ほどの壮絶な闘病の末に、かわいい三人のお嬢さんを遺して旅立った。
 小泉君は、私にとっては、写真というメディアをどう扱ったらいいかということについて、さまざまなことを伝授してくれた大切な師匠であった。かつて、日本自動車連盟(JAF)の機関誌、ジャフメイト、という雑誌で、六年ほど旅の連載をやっていたことがある。この写真も、その時の旅の一コマである。まだよい時代で、毎月、三泊四日の撮影取材旅行に行っては、自由に歩き回り、あれこれ美味しいものを食べ、よい風景を探してさまよい、そして私は紀行エッセイを書き、小泉君は、その文章と見事にマッチしながら、しかし、一個独立の風景写真として見事な仕上がりの写真を撮ってくれた。ここで、こういう意図で、こんな図柄の写真が欲しいんだよ、と大体の意図を話しておくと、小泉君は、万事を了察して、四方駆け回ってはベストポジションを探し、シャッターチャンスを根気強く待ち、あるいは、夜明け前から起き出して、ともかく結果的には毎回素晴らしい写真を撮ってくれたものだった。なるほど、こう撮ったかあ、と毎回感心することばかりであった。この旅の仕事は『私の好きな日本』(ジャフメイト社)『どこへも行かない旅』(光文社)の二冊に分けて単行本化された。ほんとうはもっと印刷の質のいい形で写真を出して上げたかったが、諸般の事情で、かならずしも小泉君には満足の行かない画質になってしまったことが、今悔やまれる。
 その前にも後にも、小泉君のように仕事のしやすい相棒はいなかったし、私は、どんな仕事にも、まず小泉君を写真家として指名することにしていた。またプライベートの写真なども気安く撮ってくれる、心の大きな、ほんとうによい男だった。
 昨日、そのお葬式があった。私はたいていお葬式は出ないのだが、ほかならぬ小泉君とのお別れとあって、珍しく出ていった。すると、小さな斎場なのに、会葬者はびっくりするほどの大勢で、会場から溢れ返って収拾のつかないような状態であった。ああ、小泉君は、こんなに多くの人に信頼され、慕われていたんだなあ、と今さらながら懐かしく思い出した。
 いつも笑顔の明るい、一緒に仕事をしていて、唯の一度も不愉快を感じたことのない珍しい珍しい男であった。
 好漢小泉佳春君のご冥福を祈る。合掌。