2010年11月30日火曜日

小春

なかなか本格的な冬にならぬ。
例年に比べて、やはり秋から冬への歩みが少しずつ遅くなっているように感じる。この夏の酷暑が、なお亡霊のようにその名残を留めているのであろうか。
きょうもまた、よい小春日であった。さるなかに、小金井のあたりはまだまだ田園的で、日中に歩き回ってみると、あっと驚くように美しい風景に遭遇することがある。きょうもきょうとて、学芸大学の横手の道を通ると、そこに、こんな色鮮やかな景物を発見した。桜の老木に蔦が絡まって、その桜紅葉蔦紅葉が映発しあっているのであった。きょうで霜月も終り、あすからは師走である。ああ、もう一年が経ってしまう、となにやら哀しい思いにかられる。この一年も源氏また源氏で過ぎてしまった。そうして、まもなく梅枝の巻を書き終わろうかというところに来た。ちょうど半分というところだ。源氏は手ごわく、面白く、そして美しい。

2010年11月29日月曜日

犬山城

昨日、一昨日と、再び名古屋へ赴いて講演をしてきた。今回は、犬山城のお膝元での講演で、『アーネスト・サトウの人生と明治維新』というテーマで一時間半ほど話してきた。例によって車で名古屋往復をしたのだが、道中今が盛りの美しい紅葉やら雪化粧のアルプスやらで大いに楽しんだ。
犬山城は、明治維新に際して破却されなかった数少ない名城の一つで、木曽川をあたかも濠のように見立てた風光明媚な立地をもつ。なんでも、この城は、木曽川を隔てて向こう岸から見るのがもっとも絵画的で美しいと聞いたので、講演を終えてから対岸に渡って撮ったのがこの写真である。まるで川瀬巴水の木版画の世界かと思われるような美しい夕景となった。

2010年11月26日金曜日

エリックを探して

近く公開される『エリックを探して』というイギリス映画の試写版を見た。これが、劈頭から、ずっと真っ暗な画面のなかに陰々滅々たる、パッとしない労働者オヤジの、しかもダメ男の主人公が、なにやら惨憺たる暮らしをしているところばかり写しだされて、こりゃあエラク暗い映画だなあ、と半ば閉口しながら見ていたところ、この男の心の中のヒーロー、サッカーのスーパースター、エリック・カントナ(の幻影)が、いろいろと彼にアドバイスし力づけ、そして最後は、そりゃもうハチャメチャに愉しい、痛快無双の解決が待っているという、どうしたって涙なくしては見られない傑作であった。このカントナ役には、なんと本物のカントナ本人が出演していて、ショーン・コネリーばりの渋い男前と名演技を見せる。感心。監督は名匠ケン・ローチ、脚本は、スコットランド人とアイルランド人を両親にもつ法律家ポール・ラヴァティ(それゆえ、全体にアイリッシュ的風韻が横溢している)、そして主演は、スティーヴ・エヴェッツ。ともかくものすごく男臭い、労働者英語満開の、徹底的にアナログで古風な映画作法による傑作。もうコンピュータグラフィックで捏ね上げた最近の巨篇映画や魔法童話には飽き飽きしたという人には、ぜひお勧めの一作である。

2010年11月25日木曜日

勉強頭巾

 きょう、床屋に行って、髪をさっぱりしてきた。・・・・が、そうするとどうも首が寒い。私は真冬でも部屋の温度を暖めない主義で、むしろ凛冽たる冷気のなかでやらないと勉強も仕事もはかどらない。それゆえ、裏にフリースの張り合わせてあるズボンを穿き、マフラーを巻き、足には羊の毛皮のブーツのような室内履きを履き、とおさおさ怠りなく冷えないようにしているのだが、それでも首や頭が冷えてくると、とかく頭痛が起るもとになる。そこで、冬に活躍するのが、我が大発明「勉強頭巾」というもので、これは厚手のタオルをただ二つに折って、その一辺を縫い合わせただけのものなのだが、これをこのようにすっぽり被ってしまうと、おどろくほど首や後頭部があたたかく、能率がうんと上がる。今年もいよいよ勉強頭巾の出番の季節になった。いま外にはしょぼしょぼと雨が降っていてとても寒いので、きょうはこの頭巾がほんとうにありがたい。

2010年11月24日水曜日

観世能楽堂

 きょうは観世流の下平克宏さんの演能の会で、解説を頼まれて30分ほど、渋谷松濤の観世能楽堂で話しをしてきた。演目は『熊野』。平宗盛の愛妾熊野(ゆや)には、郷里の池田宿に年老いた母が残っていて、いまや病のために余命いくばくもない、そういう状態でありながら、宗盛が熊野を手放すことを肯んぜず、花見に伴って宴をしようという。熊野はかごの鳥の悲しさで、帰りたい一心でありながら、主宗盛の命にしたがって舞を舞うという、そういう曲なのだが、美しい花の宴、そして郷里の母の命、板挟みになってなお美しく舞うということがこの曲の眼目である。下平さんのシテ熊野は、いかにもおっとりと優しく、品格のある演技で、とてもよかった。また、大鼓亀井広忠、小鼓大倉源次郎、笛松田弘之の囃し方の豪華メンバーはさすがに期待を裏切らない。みごとな演奏で堪能した。ワキの森常好さんの宗盛も、傲慢な感じというよりは、どこかおっとりとした品があって、いかにも平家の棟梁らしい雰囲気がよかった。なかなか結構な能であった。

2010年11月23日火曜日

久保田芳太郎先生

私が大切な教えを受けたのは、なにも慶応義塾の先生がたばかりではない。この写真の恰幅の良い方は、私が東横学園女子短大の教員をしていたときの国文学科長で、近代文学研究者の久保田芳太郎先生である。この写真は、おそらく上野毛のさる料理屋で撮影されたものかと思うけれど、はっきりしない。さて、久保田先生は、いわゆる「太っ腹」というのがもっとも当っているだろうような、人柄の大きな、そしてほんとうに愉快な先生で、いわば「人生の師」ともいうべき方だった。とかくぎくしゃくしがちな大学の研究室にあって、早稲田、慶応、国学院、成城、などバラバラの大学出身の、しかもみな一廉の研究者として個性の強い若者ばかり、それをぐうとも言わせずに、すべてを笑顔と包容力で掌握していたのが早稲田出身の久保田先生であった。私などは、ずいぶん自由闊達にいろいろなことをさせていただき、そして、イギリスに留学することを勧めてくださったのも久保田先生であった。懐かしいといって、これほど懐かしい方もいない。先生はある時忽然として世を去られたが、その晩年がどうであったか、じつは私どもにはまったく分かっていない。ああ、久保田先生に、もう一度会いたいなあ。

2010年11月21日日曜日

回想の力

 昨日は、北名古屋市という、名古屋北部の町で開催された、「回想法シンポジウム」という会に招かれて、『ついこの間あった昔』というテーマで基調講演をしてきた。回想法というのは、イギリスで発達し実践されている一種の心理療法(というか、もっと広い概念)で、多くの人が、それぞれの少年時代や青春時代を回想し、またその回想のよすがになるような品物(たとえば、ブラウン管テレビとか真空管ラジオとか、洗濯板とかちゃぶ台とか)を巡って、回想を語り合うことによって、人と人のコミュニケーションを回復し、また脳の活性化、心の若返りなどを図ろうという運動である。これが結構面白く、こんご全国的に展開されることが望まれる。北名古屋市は、合併によってできた新しい市だが、行ってみるとまだ近郊農業がさかんに行われている都市型農村と新開発住宅地の混交する典型的郊外地であった。しかし、このシンポジウムは800人ほどの参加者を得て、ホールが超満員という盛況であった。外の田は刈り入れが済んで、その稲の切りくいから、青々とした新芽が伸びていた。こういうのを「ひこばえ」というのである。冬のなかの小さな春、まさに小春日和に相応しい景物であった。

2010年11月18日木曜日

山荘の冬じまい

いよいよ冬の寒気が日本の上空にも流れ込んできて、北海道などはもう一面の雪とのニュースをテレビで見た。このままでは、山の家の水道が凍結するのも時間の問題だと思うのだが、これから十一月の末になると、とても忙しくて身動きが取れそうもないので、思い切って昨日、山梨県白州の山中にある山荘の冬じまいに行ってきた。さすがに山中にはいると、美しい錦繍の秋景色で、私の家のあるあたりは、とくに低山帯の落葉樹林ゆえ、その美しさも一入であった。さして大きからぬ山荘だが、これで全部掃除をして、蒲団などをしまって、水道一切の水抜きなどをして、しっかり戸締まりをして、というとやっぱり半日がかりの仕事であった。万一熊にでも出くわさぬかと、それだけが心配であったが、幸いにいまだに熊には出会わない。ただ、鹿、猪、狐、狸、猿、蛇など、いろいろな動物に遭遇したことがあって、ここはほんとうに自然が深いという感がある。この山荘も一時は売ってしまおうかと思ったけれど、やっぱりもう少し持っていることにした。これから源氏物語の仕事が一段落したら、ゆっくりこの山荘で疲れを休めることもあるに違いないからである。

2010年11月14日日曜日

森武之助先生

 今回は、適当な写真が見当たらないので、私が描いた鉛筆画のデータを以て之に代える。さて、森武之助先生は、1990年に長逝されたので、今年は没後二十年に当る。亡き人の時ははやい、まことにその感が深い。思えば、1990年は、わが敬愛するルーシー・M・ボストン夫人も亡くなった年であったから、なんだか不思議な感じがする。そうして、その年、私は『ケンブリッジ大学和漢古書総合目録』と『岩崎文庫貴重書書誌解題』とを同時に編述していて、過労死しそうなほどの過密スケジュールであったが、しかし、その夏休みに信州の山荘で、息抜きがてらに『イギリスはおいしい』を書いたのだから、思えば意義深い年であった。さて、森先生は、私の慶応義塾における恩師で、江戸時代と中世の文学をお教え頂いた。というよりは、先生はただ私どもに自由に研究させて、しかし道を踏み外さないように、そこだけはきちんと支えてくださったといったほうがいいかもしれない。細かなことを一々は教えず、私どもの自発の勉強に任せて各自の才覚を伸ばしてくださったのだから、ありがたい先生であった。ほんとうの大人の風格のある、柄の大きな、そしておっかなくも優しい、親切で無愛想な、なんともいえない味のある先生であった。先生から折々頂戴したお手紙は、今も私の最も大切な宝物である。

2010年11月13日土曜日

ナイチンゲールのお手伝い

 ちょっと珍しい仕事をした。きのう、渋谷のさる映写スタジオでのこと。私はこれまで知らなかったが、あのナイチンゲールが看護に当る者の心得などを記した『看護覚え書き』という本があって、これは世界中で、今なお看護師たちのバイブルのように読まれている本だそうである。その名著をテーマとして、現在製作中のドキュメンタリーDVDがあって、そのナレーションを頼まれたのである。『看護覚え書き』の朗読そのものは、もとNHKのアナウンサーの加賀美幸子さん。全体を看護学の川島みどりさんが監修している。なかなかためになる作品にしあがりそうだが、一般劇場公開やテレビ放映などはいまのところ予定されていないという。それで各地でその道の人たちを対象として上映会などをして公開するとのことである。NHKが全国放送したらいいのに。

2010年11月12日金曜日

明治大学の見晴らし

 きのうは、神田の明治大学へ講義に行ってきた。同大学が経営している市民公開講座があって、そのなかの一コマ、「本を読む楽しみ」という枠のなかの一回を担当したのであった。明治大学はいま高層ビルになっていて、その別館ともいうべきアカデミック・コモンという建物の十一階にそれはある。また源氏物語の話をしたのだが、聴衆は十五六人、そのうち男の人は一人だけであった。講師控室は見晴らしの良い部屋で、なかなか居心地がよろしい。ついその見晴らし写真を撮った。講義を終えて帰ろうとしたら、エレベーターが雑踏していたので、恐れを為して階段を歩いて下った。ところが、十一階のはずが、下のほうが大ホールになっている関係で、じっさいには十五六階分もあって、歩いても歩いても一階に着かない感じであった。両手に大荷物を持っての難行軍、やっと地上に降り立ったときには、もう太ももやふくら脛の筋肉がブルブルと震えるほどで、これは筋肉痛だなあと思っていたら、案の定、今朝はひどい筋肉痛になった。よい運動になったといえばそれまでながら・・・。

2010年11月10日水曜日

青木義照画伯

 これからしばらく、もうすでに物故されて二度とお目にかかることはできないけれど、懐かしい先師がたの写真などをお目にかけつつ、想い出話などを綴ってみようとおもう。
 ここにまず掲げたのは、洋画家青木義照先生の、もっとも脂の乗った時代の写真である。私が三十代のころかと思う。たぶん東急デパートあたりで開かれた個展での一コマかと記憶するが詳しいことは覚えがない。
 青木先生は、郵政省の切手デザインなどを日常の仕事としておられたが、実は、私の絵の師匠である。まだ少年であった時分から、私は、青木先生に水彩、デッサン、油絵、版画、いろいろとお教えをいただいた。それだけでなくて、いつも「林くんは俺の一番弟子だ」と言われて、なにかとかわいがってくださったものだ。私が絵を教えていただいていたころの先生は、まったくの前衛絵画で、抽象画を描いておられたが、その後、突如として具象に転進され、後半生はもっぱら静物と風景ばかり描かれた。とくに静物は独特の渋い緑色を基調としたものがおおく、Aoki Green と称せられた。師匠としての青木先生は、ともかく小手先のわざを嫌悪され、堂々と正攻法で、真面目に描くべきことを諭され、ごまかしの技は厳しく指摘された。私が現在あちこちに絵を描いたり、装訂などデザインの仕事をしたりするようになったのは、ひとえに青木先生の薫陶のお蔭である。先生はもう数年前に、癌で世を去られたが、その易簀の直前に、私は奥さまに呼ばれて、病院の枕頭で、最後のお別れをすることができた。

2010年11月8日月曜日

善き時代の面影

毎年この季節になると、ケンブリッジ大学で研究生活を送っていた時代のことを、そこはかとなく思い出す。ああ、あれはほんとうにほんとうに良い時代であった。わが人生最良の一時代であったと、今にして痛感される。毎日大学の図書館に通って、閉館時間まできっちりと研究する。それだけの繰り返しであったけれど、思えばこれほどぜいたくな時間の使い方などほかには考えられない。晩秋のころには、ケンブリッジを流れるケム川の岸辺の柳が黄葉して落ち、それが水路の底に溜まって、やがていくらか饐えたような匂いがしてくる。秋がまもなく終わって冬になる、とそういう匂いなのだ。ケンブリッジの秋や冬は瞑想的で、静かで、ここ何百年と、その佇まいが変わっていないのではないかと思われる。またあの空気のなかに身を置いてみたいなあ、と、このごろしきりに思う。この写真は、その当時、かのボストン夫人のヘミングフォード・グレイ村の館に住んでいた頃、たまたま国語学者の当山日出夫君が新婚旅行で立ち寄ってくれた、そのときに彼が撮影してくれたもの。その時私は、「将来『林望全集』ってものが出来たときに、その口絵写真に、『筆者のケンブリッジ時代』というキャプション付きで出す写真を撮ろう」とか、戯れに言いながら撮影したもの。背後の塀が、そのボストン邸の古い煉瓦塀である。目前の川は、グレート・ウーズ川。私の第二のふるさと、ヘミングフォード!

2010年11月6日土曜日

観世宗家清和師との対話

絶好の秋日和の今日、日野にある実践女子大まで講演にでかけた。きょうのは、同大学の公開講座の一環であったが、『能と源氏物語』というテーマで、観世流第二十六世宗家観世清和師と御一緒に、能に見る源氏物語の世界をめぐって、話したり、舞ったり、対話したりと、盛りだくさんな一日となった。まず、私が仕舞『野宮』の解釈と概説をしてから、清和師が幽玄かつ蕭殺たる趣の仕舞『野宮』を舞われ、そして次は私の番で、能に見る源氏物語の世界について、平家物語などと比較しつつ、三十分ほど講演。ちょっと休んでから、こんどは同大学の田中英機教授を司会役として、鼎談の形で、一時間たっぷりと話をした。なかで、わざわざお持ち頂いた能装束の解説、また面を付けるところの実演など、ワークショップ的な趣向も交えつつ、清和師は、気さくに、面白い楽屋話なども聞かせて下さって、きょう聞きに見えた方は、きっと十分に楽しんでくださったことであろうと思われる。写真は、その鼎談のときの、清和師と私。

2010年11月5日金曜日

デジ造

かつて、フィルムカメラで写真を撮りためていたころ各地で撮影した夥しいフィルムが、いま書庫に眠っている。これを活用したいと思っても、なかなか難しい。フィルムを雑誌などに貸与すると、いつの間にか無くなってしまうこともあって、こういうフィルムの管理保存はよほど考えてやらないと難しい。そこで、これをスキャンしてデジタルデータに変換しておけば、活用するにも容易だし、またパワーポイントなどでも利用しやすい。そう思って、フィルムのデジタル化機器を買った。まずは小手調べに『デジ造』というごく安価なのを買って試して見ているが、まあスナップ写真のデジタル化を素人がするための機器なので、これを以て仕事に使えるようなファイルを作ることは事実上不可能とわかった。それでも、講演などのときにPowerPointで使用するにはある程度使えそうなので、いまいろいろとテストしてみているところである。いずれ、もう少し高級な、「使えるデータ」が作れる機器を導入したいと思っているのではあるが。この写真は、そのデジ造を使用して、山梨にある山荘の写真をスキャンしてみた結果である。色や傾きなど、付属の写真編集ソフトを使用して補正してあるが、まずまずというところ。どうしてもこういう機器を用いてスキャンしたフィルムデータはピントが甘くなってしまうのがさけられない。

ジュンク堂にて

昨日の夜、池袋のジュンク堂本店にて、講演会とサイン会をやってきた。講演会は、四階のティールームを会場として、五十席ほどのイスを置き、あたかも辻説法風の感じで一時間半、古典と源氏について話をした。みなさん熱心な聴衆で、よい感じだった。そのあと、サイン会でも、それなりに本は買ってくださったが、さてあとで、売り場のほうではどうなってるのであろうかと思って、見にいったら、一階の新刊書とか話題の本とかいうところにはなくて、三階の入口の文学書などの平台にもなくて、探しに探したら、古典文学関係の本のあるところに、臨時にイスを置いて、そのイスのうえに平積みしてくれてあった。これでは少し地味すぎやしないかなあと思ったが、もっとも、きのうだいぶサイン本も作ったので、これからそういうものを、正面の目立つところにも配置してくれるということかもしれないと期待しつつ、戻ってきたところである。