
2011年12月29日木曜日
曽祖父の面影

2011年12月16日金曜日
謹訳源氏物語第七巻
この巻は、柏木に始まって幻に終わる。すなわち、位人臣を極め、天皇に準ずるほどの高位に昇って、何不自由ない立場になった源氏が、しかし、思いもかけず柏木によって、正室の女三の宮を犯されて子供が産まれてしまうというとんでもないことになる。藤壷との密通は、こうして因果応報の結果を招くのであったが、その柏木を、真綿で首を締めるようにして、死に至らしめる源氏の恐ろしさ。そんなことがあって、いよいよ世を捨てたいという思いに駆られながら、しかし、浮世のしがらみから脱することもできず、三の宮も出家し、最愛の紫上は亡くなってしまう。源氏の晩年は、そういう急坂を下っていくような懊悩の日々であった。この巻は、なかでも御法に描かれる紫上の死去前後の物語が素晴らしい筆の運びで、源氏全体のなかでも白眉だと私は思う。もののあはれの横溢する、その御法に続いて、一人残された源氏が、落莫たる一年を送るその十二ヶ月が、幻の巻で、これが大晦日で終わる。次の巻、雲隠には本文がなく、その次になると、もう源氏の死後、子孫たちの物語になるから、事実上、この幻をもって源氏の物語は終わる。実に読みごたえのある、見事な結末である。もしまだお読みでないかたは、この際ぜひ、第一巻からご一読願いたい。あるいは、若菜の巻(第六巻)から読み始めるという行きかたもあるかもしれぬ。
2011年11月30日水曜日
父死す

この父は、東京工大の電気化学科を卒業した技術者であったが、戦時中は軍属としてジャワに駐在し、戦後、帰国して経済安定本部を振り出しに、政府の経済計画畑を歩き、いわゆる所得倍増計画に参画して、戦後の復興に力を尽した。フランスに留学して計画経済を学び、官僚としては経済企画庁経済研究所長を務めたが、やがて転じて東京工大に社会工学科を創始してその初代の教授となった。時に、梅棹忠夫、小松左京、加藤秀俊らと携えて社会の未来予測の方法について考え、日本未来学会を樹立するなど、世には未来学者として知られた。今は普通に使われている「情報化社会」という言葉はこの父が創った造語である。さらに転じて、トヨタ財団創立の専務理事、東京情報大学創立の初代学長、さらに日本財団特別顧問などを歴任して、八十歳を過ぎてもなお矍鑠としてフィランソロピーの確立のために先頭に立って働いていたのであった。さすがに齢九十を越えてはすべての公職を退いて悠々自適、ただ散歩と読書のみを楽しみに余生を過した。
ただ、その昔、もう五十年ほどの以前から、父は、「将来は日本も国際化しなくては立ち行かぬ」「やがて都市は二十四時間眠らないようになる」「主要な都市には地下に大きな町ができる」「手のひらに乗るような小さな通信機が普及してどこでもだれでも通話できるようになる」など、いつも私どもに教え諭したが、果たしてそれはすべてその通りになった。
この父は、私ども子供にとっては、なかなか良い父親であった。第一に、私どもがどういう道に進もうとも自由だといって、一切の掣肘を加えることがなかったばかりか、私が慶応義塾の国文科に進んだ時、「文学も大いに結構だが、どうせやるならとことん勉強して博士課程まで修めるように」と言って、三十歳になるまで何も言わずに養ってくれたのは、青年時代に学問の基礎を学ぶためには、なによりの親の恩であった。いわゆる厳父というのとは違って、自由闊達な父であった。母を先立たせてからは、もっぱら私ども次男一家とともに過し、晩年は、父の生活は、なにもかも私の妻が面倒を見ていたので、父は私の妻をさして「これが私の母親だ」と、嬉しそうに話し、妻の言うことはよく聞いてくれた。そして今生の最後に言葉を交わしたのも、この妻とも子である。
その最晩年まで含め、総じて、まことに良き父、愛すべき男であった。
写真は、いまから二十五年前、私どもがイギリス留学中に、ヨーロッパの学会へ出たついでにロンドンまで遊びにきたときのスナップである。大英図書館の近くの道を歩いているところで、後ろにいるのが父。そしてその前に、私の息子大地と、娘春菜が写っている。この二人の孫も今ではすっかり大人になって独立し、父からみれば曾孫に当る子供も四人得た。懐かしい写真である。
冥福を祈る。合掌。
2011年11月14日月曜日
レンコンの天ぷら

天ぷらは、あまり食べないようにしているのであるが、レンコンは、とりわけ天ぷらにすると旨いので、こればかりは作らずにはいられない。といっても、私の天ぷらは衣に味を付ける行きかたで、この衣は、小麦粉と冷水と、僅かの塩と胡椒で作る。卵は入れない。そしてレンコンは、しばらく酢水につけてアクを抜き、よく水気を拭きとってから衣に潜らせて浅い油で揚げる。そして天つゆは用いず、そのままサクサクと歯ごたえを楽しみつつ食べるのだ。
聞くならく、嵐山光三郎さんは、末期(まつご)の食事に何を望むかと問われたら、レンコンの天ぷらと答える由、ああ、なるほどそれは分かるなあという気がする。こうして一センチほどの輪切りにして天ぷらにしたレンコンは、熱くて旨し、冷えて旨し、生ぬるくても旨し、とじつにどうも天下の美味なのだ。
この天ぷらの背後に茶色いものが写っているのは、酒粕の天ぷらである。これが、またじつに結構なもので、とくに酒飲みの人はぜひお試しあれ。
2011年11月13日日曜日
レンコンのきんぴら

今回配送されてきたレンコンには、おまけとしてちょっと小さな「子レンコン」が添えられてあった。こういう小さいレンコンは、小口切りにして、美しい切り口をみせながら、はりはりとした触感もたのしいきんぴらにするにかぎる。
この写真をみるとまるで皮を剥いてあるように見えるが、じつは皮は剥かない。
しっかりしたタワシでゴシゴシこすって流水で洗うと、皮の一番外側の黒い色が落ちて、瑞々しい肌になる。で、このまま料理するのである。そのほうが、栄養も失われず、歯ごたえも良く、風味もいちだん勝るように思える。
そうして、薄切りにしたのを、10分くらい酢水につけてアクを抜き、すぐにきんぴらにつくる。作り方は、ここにあたらめて書くまでもない。が、こういう良いレンコンを得たときは、味を濃くし過ぎぬことが肝要で、今回は、減塩醤油であっさりとした味付けに作った。
2011年11月12日土曜日
レンコン三昧

ただ野菜として好きだというだけでなくて、医食同源の立場からして、これは欠く事のできない食養生の薬なのだ。
レンコンというものは、まず、ビタミンCを大量に含有し、しかも、それがレンコン独特のでんぷん質に保護されているために、加熱してもあまり壊れないという特徴があるのだそうだ。また、食物繊維に富み、カロリーは低く、さらにはポリフェノールも豊かに含んでいるんだそうで、およそ体には非常に良いもの。とくにまた漢方のほうでは、レンコンは気管支とか咽喉、声帯など上気道の薬として著効のあることが知られ、これを乾燥して粉末にしたものは、香蓮といって、声帯の妙薬である。
いまこの季節は、喘息傾向のある私には、レンコンと梨が欠かせない食物である。で、どこかに安全で良いレンコンはないかと探した結果、逢着したのが、徳島の篤農家久保ファームの作っているレンコンであった。さっそく取り寄せてみると、ご覧のように立派なレンコンで、これが東京のスーパーで買うのよりも安い。味は比べ物にならぬくらい、こちらが上等である。ただし、今年は台風の影響で肝心のときに葉が傷んでしまい、作柄は例年に比べるとうんと落ちるのだと、久保さんは残念がる。例年だったら、とてもこの程度ではないのだそうだから、これは来年が楽しみというものである。
これを私は頻繁に取り寄せて、ほとんど毎日レンコンを食べる。
そうすると、たしかに気管支が楽なのは不思議なくらい。そして美味しい食べ方をいろいろ研究中である。じっさいの料理した写真などは、また次回に。
2011年11月3日木曜日
源氏、垣間見の視線

さて、五回目の今回は、『垣間見(かいまみ)の視線』という題目で、源氏物語のなかにしばしば出てくる「垣間見(覗き見)」というモチーフを取り上げ、空蝉、野分、若菜上、御法の各巻から、おもしろい垣間見の読み所を抽出して、どこをどのように読むべきか、ということを詳しく解析しながら、それを空間的に想像してみるという方法をとった。そういう風に解析して味読してみると、この物語がいかに緻密に周到に、また十分な構想力をもって書かれているかということが痛感される。例によって、講釈の一時間半はまたたく間に過ぎた。
2011年10月19日水曜日
九州の秋
その日は時間が遅くてもう帰京するすべもなかったので、そのまま博多にもう一泊し、翌日の日曜日に糸島半島から唐津あたりを逍遥して、秋らしい風景に際会し、また素敵に新鮮なイカの刺身を食べた。
上の写真は、糸島志摩の鹿家(しかか)という在所の秋の田の風景で、いまどきはいくらか珍しくなりつつある、ハサ掛けした稲束が美しかった。コスモスが花盛りであった。
下の写真は、唐津浜玉というところの「おさかな村」という市場の二階にある食堂で、「活き烏賊トッピング丼」というのを食べたので、撮影してみた。イカが、ピカピカと透き通っていて、実に新鮮。今の今まで活きていたイカでないと、こういうふうにはならぬ。ああ、おいしかった。
2011年10月18日火曜日
鳥取の海から
さて、到着した魚は、ミミイカという小さなイカ、キンキ、ノドグロ、そしてカレイ、という顔ぶれであった。到着した昨日の夕方には、さっそくノドグロを塩焼きにして、またミミイカは、たたきと、オリーブ焼きと、ゲソの煮付けにして食べた。いずれも鮮度抜群で実においしかった。新鮮な魚は匂いが違う。生臭い感じがないのである。そして今日は、写真の大きなカレイをオーブンでローストして食べたが、これまたじっくりと脂が乗っていて、なんともいえず香ばしい焼き上がりであった。美味しい魚は、結局料理は単純な塩焼きとか刺身がもっとも美味しいのである。
もともと魚が大好きで、およそ何の魚でも嫌いということがない。とりわけて、鯖とかカレイなどは、大好物。イカはまたイカマニアというも可なるほどのイカ好きで、かつて『烏賊の十徳』という烏賊賛美のエッセイを書いたことさえあるほどなのだ(拙著『是はうまい』所収、平凡社)。
このカレイは、肉厚で、ほんとうに香ばしい匂いがあって、皮も肉もまたとなく美味であった。夫婦でつついて食べ終わって、あとに残った骨や頭で骨湯を作って啜ったが、これも結構なことであった。カレイのような底物は、ややもすると悪食のせいもあって匂いが悪いことがあるのだが、これはそうではなかった。日本海の清らかな海水で育ったカレイ、いかにもそんな感じがして、大いに舌鼓を打った。こうして安全な魚が食べられることを、天に感謝しなくてはなるまい。
2011年9月27日火曜日
嗚呼、秋!
これで原発から出る放射能がなかったら、どんなに気分は爽快だろうかと思うけれど、無責任な政府や官僚、金の亡者のような電力会社、そして志を喪った似非科学者たち、さらに、何も考えようとしない拝金老耄経営者たち、こんな善い秋の日に、それを無条件で楽しめなくしてしまったのは、誰か。この晴天のもと、のびのびと校庭の運動会を楽しめない子供たちに、ほんとうに申し訳ないと思わないか。
それでも、秋の空は美しい。
源氏物語を読んでいると、千年前も秋の空は美しかったことがわかる。
ならば、千年後も、この美しい秋空を子々孫々に残さなくては、御先祖さまに申し訳がたたぬ。どうか、一日も早く、政治家たちが迷妄から覚めて、一致協力して原発をなくした立国をめざして欲しいと切実に思うのだ。
首都高速を珍しく走った。そうしたら、こんな絵のような雲が、空を彩っていた。まるでルネ・マグリットの絵のような、不思議な空の景色。思わず、運転しながらパチリと一枚撮った。
2011年9月13日火曜日
料理の仕事
2011年9月11日日曜日
稲童(いなどう)の月見
2011年9月4日日曜日
謹訳源氏全巻朗読

それでも、秋になってキンモクセイが咲く頃には、毎年私はアレルギーで声が出なくなるので、今のうちにできるだけ録り溜めをしておかなくてはならない。
七巻以後を書き進めるのも、それはもう呆れるほど大変な仕事量なので、そのかたわら朗読をすすめるというのは、ほんとうに大変だと、つくづく思いながら朗読収録を進めているところである。
この番組は、くわしくは「最新情報」のコーナーにデータを掲示するので、それをごらんいただきたい。ただし、この局はふつうのFM受信機だけでは聞くことがきず、専用のデコーダが必要になる。もっともローカルFM局にも配信するので、場所によってはそちらのほうでお聞き頂けると思う。ただし、ネット配信もするというし、また後日電子ブックのような形でダウンロード販売するという計画もある。当面は、ローカルFMまたはネット上でお聞き頂けるかと思うので、また詳しくはこのHPの告知をご覧いただきたい。
2011年8月29日月曜日
2011年8月20日土曜日
スコンと音楽
このスコンは、私がいつもロルフィングでお世話になっているロルフィングの名手中村直美さんが、岩手のご実家の畠で、自分で育てたという南部小麦を粉に碾いたものをおすそ分けに与り、それを用いて焼いたものであったが、この粉にはよく合っているらしく、すばらしく美味しく焼けた。
さて、その珍しい客人というのは、作曲家のなかにしあかねさんと、ご夫君で高名なテノール歌手の辻裕久君である。じつは、このたび、なかにしさんが新しく出す合唱曲のために詩を書いて欲しいということで、『げんげ田の道を』という素朴なソネット形式の詩を贈った。それに作曲ができたので、きょうはその実際に音出しをしながらの、最終調整を行ったのであった。この際、辻君も応援に来てくれて、三人でああでもないこうでもないと、まことに楽しい創作作業をやったところである。
この合唱曲は、遠からず「Harmony for Japan」プロジェクトというところから刊行される予定である。
私の詩は、じつは萩原朔太郎へのオマージュのようなつもりで書いたもので、ちょっとその「本歌取り」になっているのである。気がつく人がいるかなあ。
なお、この詩は、息子の大地が英語詩に訳してくれたので、面白いことに、合唱曲として、日本語でも英語でも、両方で歌えるように作曲されている。きょうはその英語詩の譜割などの調整に、長い時間を費やしたが、面白いアイディアが実現して、それはちょっと楽しみに思っているところである。
2011年8月16日火曜日
天網恢々

たぶん16日から店頭に並んでいるはずである。
これは江戸時代中期の南町奉行根岸肥前守鎮衛が主人公の、まあいわば捕物帳小説である。かねてこういう小説を書くのは好きで、いくつか単発で短編小説を発表しているのだが、今回は、とくにシリーズ化して、光文社の小説宝石に不定期連載してきたものの単行本化である。もし源氏の仕事がなければ、このほうをどんどん書き進めていきたい、と思うくらい、この主人公には熱い思い入れがあるのだが、いかんせん源氏と両立させながらの執筆なので、やっと一冊になったというのが正直な感想である。
しかし、どうぞみなさま、騙されたとおもって御一読ください。ははあ、こういう世界もあるのかぁ、と納得していただける作品になったと思っています。
2011年8月15日月曜日
追悼、小泉佳春君

その小泉君が、まだ五十一歳という若さで、世を去った。二年ほどの壮絶な闘病の末に、かわいい三人のお嬢さんを遺して旅立った。
小泉君は、私にとっては、写真というメディアをどう扱ったらいいかということについて、さまざまなことを伝授してくれた大切な師匠であった。かつて、日本自動車連盟(JAF)の機関誌、ジャフメイト、という雑誌で、六年ほど旅の連載をやっていたことがある。この写真も、その時の旅の一コマである。まだよい時代で、毎月、三泊四日の撮影取材旅行に行っては、自由に歩き回り、あれこれ美味しいものを食べ、よい風景を探してさまよい、そして私は紀行エッセイを書き、小泉君は、その文章と見事にマッチしながら、しかし、一個独立の風景写真として見事な仕上がりの写真を撮ってくれた。ここで、こういう意図で、こんな図柄の写真が欲しいんだよ、と大体の意図を話しておくと、小泉君は、万事を了察して、四方駆け回ってはベストポジションを探し、シャッターチャンスを根気強く待ち、あるいは、夜明け前から起き出して、ともかく結果的には毎回素晴らしい写真を撮ってくれたものだった。なるほど、こう撮ったかあ、と毎回感心することばかりであった。この旅の仕事は『私の好きな日本』(ジャフメイト社)『どこへも行かない旅』(光文社)の二冊に分けて単行本化された。ほんとうはもっと印刷の質のいい形で写真を出して上げたかったが、諸般の事情で、かならずしも小泉君には満足の行かない画質になってしまったことが、今悔やまれる。
その前にも後にも、小泉君のように仕事のしやすい相棒はいなかったし、私は、どんな仕事にも、まず小泉君を写真家として指名することにしていた。またプライベートの写真なども気安く撮ってくれる、心の大きな、ほんとうによい男だった。
昨日、そのお葬式があった。私はたいていお葬式は出ないのだが、ほかならぬ小泉君とのお別れとあって、珍しく出ていった。すると、小さな斎場なのに、会葬者はびっくりするほどの大勢で、会場から溢れ返って収拾のつかないような状態であった。ああ、小泉君は、こんなに多くの人に信頼され、慕われていたんだなあ、と今さらながら懐かしく思い出した。
いつも笑顔の明るい、一緒に仕事をしていて、唯の一度も不愉快を感じたことのない珍しい珍しい男であった。
好漢小泉佳春君のご冥福を祈る。合掌。
2011年8月5日金曜日
甘酒三昧

甘酒といっても、本格的に醸して作ってるわけではなくて、酒粕を煮て作るのである。これが作ってみると、銘柄によってずいぶん舌触りも風味も違う。目下ベストな酒粕は、『A(特に銘柄を秘す)』という銘酒の粕で、これはフルーティな風味と、かなり強めのしっかりしたテクスチャーが大変に飲み心地がよい。しかし、それは滅多と手に入らない酒粕なので、残念ながら、もう無くなってしまった。そこで、目下のところは、『D(これも特に銘柄を秘す)』という中国地方の銘酒の粕で作って飲んでいる。酒粕は栄養的にもすばらしく、また免疫力を増強するというので、健康ドリンクである。
甘酒というとなんだか冬の飲み物みたいだけれど、さにあらず、季語としては夏の季語である。これを冷たく冷やして飲むと、夏には好適、あのフウフウ言って飲む熱い甘酒とは格別の暑気払いになる。さてと、これからまた、おやつに一杯やるかな。
2011年8月4日木曜日
涼しく暮す方法

この四月から一月に一度、レギュラーで二時間ほど出演して、『リンボウ先生のこれが私の暮らしかた』というのをやっている。
その冒頭、三時十五分くらいから、毎回、「おやつのお茶」タイムを設けてあって、前回は、私の焼いていったスコンに、スタジオで林流紅茶道家元の私じきじきに万古焼の急須で入れたミルクティというあんばいだったが、今回は「涼しく暮す方法」という特集とあって、小金井市に燦然と輝く和菓子の星、わが愛して止まない三陽の麩饅頭を持参した。お茶はNHKのスタッフが御薄を立ててくれた。この麩饅頭はほんとうに美味しくて、私はつねづね愛好しているのだが、きょうはまたひんやりと冷やしたのを、三人でおおいに愉しんだ。
この暑苦しい夏を涼しく暮すには、まず心の涼しさが大切だということが今日の結論。心頭滅却すれば火もまた涼しというものである。
写真、上は、三陽の麩饅頭の箱。下は、左から柿沼郭アナ、石山智恵アナ、そして私である。
2011年8月2日火曜日
これぞ!

これぞ、わが手許で育てたグリーンカーテンのゴーヤの、その完熟した実の種である。ゴーヤというと、緑色で、中に白い綿のようなのがあって、そのなかに白い種がある、とそう思っている人が多かろうけれど、これが完熟すると、外は黄色くなり、中の綿は溶けてどろどろの粘液状になり、そして種はこのように真っ赤な豆のようになる。しこうして、この種を食べてみると、周囲のゲル状の部分は、甘くてちょっとだけ酸っぱくて、実に美味しいものだと発見。沖縄の人に聞くと、この種は沖縄バイアグラと呼ばれるくらいの精力剤なのだそうである。きょうは二三個食べてみたが、さてほんとうであろうかなあ。ははは。
2011年8月1日月曜日
初収穫
ご覧のように、すっかり熟して黄色くなっているのもあります。
こういうのはきっと種は真っ赤になっているものと想像されますが、沖縄の人に聞くと、その種は、「沖縄バイアグラ」と異名をとるほど強力なる精力剤なのだそうですが、さて種をどうやって服するのでありましょうか、肝心のそこのところを聞きそびれたために、いまだに服したことがないのであります、残念。
しかし、経験上わかったのは、ゴーヤは非常に無駄花が多いことで、蜂もたくさん来ているし、人工受粉も試みたにかかわらず、ちっともならないという感じがあります。
まあ十二本植えて四つなった(一つはまだ小さいので未収穫)となると、まあまあとせねばならないかなと思っているところです。
そして、ゴーヤという植物は、非常に大量の水を吸うので、水をどんどんやらないと葉っぱがしおれてしまってあまりカーテンの役に立たないということもわかりました。それゆえ、来年は、ゴーヤではなくて、朝顔にしたほうがいいかもしれないと思っているところであります。
なおこの三つのゴーヤは、たぶん、「しりしり(擦り擦り)」と呼ばれるジュースにして飲もうかとおもいます。
2011年7月30日土曜日
良心の叫び

この動画は、東大の先端科学技術研究センターの児玉龍彦教授が、去る27日に衆議院の厚生労働委員会で参考人として証言した壮絶なる演説のすべてであります。
私は、この演説をさる友人から教えられて見ました。そして、まさにこの、良心の叫びそのものの鬼気迫る演説に落涙を禁じ得ませんでした。ああ、東大の学者のなかにも、こういうまともな人がいるのだと、ほんとうに嬉しく思いました。
そうして、かかる国家の一大事に、命がけで(真実命がけのことだったと思います)こういう演説をし、怠慢にして金権にまみれた政治家や原子力村の御用学者たちに痛棒を与えた、この事実を、すくなくともテレビのニュースはただの一言も報道しませんでした。新聞などはどうだか承知していませんが、まともに報道していないことは確かです。そのくせ、原発が稼働しないと日本が大変なことになる、というような、相も変わらぬ「原発推進利権派のプロパガンダ」を、日本エネルギー経済研究所が試算して発表した、などという記事は大々的に報じています。このエネ研というのは、現理事長も東大法科を出て通産官僚から資源エネルギー庁を経て天降った人物です。そういう人がやっている政府系研究所の試算には、大々的な注目をして、本当のことを勇気をもって証言して国家百年の将来を愁えてくださった真の愛国者の証言には、一顧だに与えない、そんな愚かな腐敗したジャーナリズムの姿は見るだに哀しいものです。この証言と、ナニガシの芸能人が妊娠しただの破局しただのという、愚にもつかないゴシップと、どちらが大切か、心ある人はみな見ています。
政治家たちも、喪志の放送人も、おそらく歴史の指弾を受けるであろうと、今から長生きしてそのときを待ちたいとすら思います。
どうか皆さま、この児玉教授の火を吐くような演説をご覧ください。そして一人でも多くのご知友に、これを周知してくださるように、ここから一つのムーヴメントが起こるように、そして、愛する日本の国が恐ろしい放射能にこれ以上汚染されないように、どうかお力をお貸しください。
日本に、いや世界じゅうに、そもそも死の灰を処理する方法のない原発などあってはいけない、私はそう考えます。
2011年7月24日日曜日
BBS

実は、このBBSはライブドアが管理運営していたサイトを利用していたのであるが、最近は、BBSという形はもう旧式で、多くの人がフェイスブックとかツイッターとか、そちらのほうに移行し、こういうサイトを運営しているメリットがなくなったせいであろう、ある日突然に打ち切りが宣言されて、これまでに書き入れられた夥しい文章もろとも、問答無用に削除消去されてしまったのであった。これに代るものを模索中であるが、当サイトを管理している番頭の話では、どうももはやこういうBBSのようなものはなくなってきているらしい。それで現在このところを閉鎖して、今後どうするか検討中ゆえ、当面はこの部分はなくなったものとしてご諒恕を庶幾う次第である。
やぶがらし
2011年7月18日月曜日
グリーンカーテン、その後
さて、先のこの日記で、グリーンカーテン用にゴーヤの苗を買ってきて、大仕事の植え付けをしたことを報告しておいたけれど、その後どうなったか。
ゴーヤは非常に速やかに伸びて、たちまち背丈ほどにもなる。そこで天をつめてやると、脇芽が伸びて、より良く繁茂するという教えにしたがって、そのようにしているのだが、おもったほどには「カーテン」状態にはならない。なんだか葉っぱがちらほらしているという程度で、あまり遮光性は著しくないのであった。
まだこの先多少は繁茂するであろうと期待しているところなのだが、はやくも実がついた。花はたくさん咲くのだが、あんがいと実らない。歩留まりは非常に悪くて無駄花がおおいのがゴーヤの特色らしい。
それでも現在、12本うえた苗に、三個の実が成っている。
なにしろ、日差しは強いところへもってきて、植木鉢なのでどうしても保水が弱く、すぐに葉がしおれる。一日に三回も水をやらなくてはならぬ。
やれやれ、これではやはり地面に植えないと思ったほどには育たぬのだろうかと思いつつ、ひたすらゴーヤ君に励ましの言葉をかけているところである。
2011年7月4日月曜日
慶応女子高の教え子たち
2011年6月28日火曜日
WWFの署名活動にご賛同ください

どうか、皆さま、右の人も左の人も、女も男も、老いも若きも、ともかく一人でも多く、このWWFの署名活動にご賛同くださいまして、正しい声を政治に反映させるよう、お力をお貸しください。
この署名は、
http://www.wwf.or.jp/activities/2011/05/986120.html
からお入りください。
2011年6月14日火曜日
謹訳源氏物語 第六巻
多くの読者の方々、大変にお待たせして申し訳ありません。
第六巻は、若菜(上・下)だけで一冊です。この若菜の巻は、源氏物語のなかでも、とりわけ盛りだくさんな、そして面白い巻で、普通の巻の五帖から六帖分ものヴォリュームをもった、ちょっと独立した長編小説という感じがあります。
とりわけ、朱雀院の鍾愛する第三皇女、女三の宮の源氏への降嫁と、柏木の衛門の督の道ならぬ恋、また、源氏の最愛の人紫上の重病、そこへまた六条御息所の亡霊の出現、そして朱雀院の出家、さらに女三の宮の不義の子懐妊やら、柏木の懊悩やらと、ほんとうに奥行きの深い、また文学的にも読みどころの多い巻です。
前巻に引き続き、第六巻も、サイン入りの本をネット販売いたします。くわしくは、本HPの「最新情報」のところをご覧下さい。
ぜひ引き続き御愛読のほど、お願い申し上げます。
2011年6月13日月曜日
楽器博物館

さる8日に、浜松市楽器博物館で催された『イングランド麗し---吟遊詩人の歌と変奏曲---』というコンサートに、ちょっとだけ賛助出演してきた。このコンサートは、このほど同博物館からリリースされた同名のCD制作発売を記念して催されたもの。CDは、同館の所有するイギリスの名器、カークマンのハープシコード(チェンバロ、1791)と、キーンのスピネット(18C初期)のオリジナル楽器による演奏を水永牧子さんが聴かせ、また広瀬奈緒さんがイギリス仕込みの清澄な歌声を以て和する。博物館の展示室で催された演奏会には、私も、ほんのちょっとだけお手伝いに出てイギリスの古典的音楽の世界についておしゃべりをした。ついでに、アンコールの時に一曲だけ、水永さんの伴奏で、広瀬さんと『リンデン・リー』(R・ヴォーン=ウイリアムス)のデュエットを歌わせていただいた。写真は、そのデュエットの場面。贅沢な楽器と、贅沢な演奏家たちによる、楽しい演奏会であった。(photo=浜松市楽器博物館提供)
2011年6月10日金曜日
グリーンカーテン

こうして、あらゆる努力をしてすでに15%程度の節電は実現していると思う。このように私どもは充分な智恵を使って節電できるので、原発だけはどうしても完全廃止に向けて舵を切ってもらわなくてはならぬ。すでに欧州をはじめとして、世界は脱原発に向けて粛々と動き出している。それをいろいろな危機意識など煽って原発を維持推進しようとしているのは、要するに政界と官僚世界の利権の亡者たちの既得権益保持と自己保身のための企みにほかならぬ。心なき政治家たち、また喪志の官僚たちよ、よろしいか、私ども国民の志と智恵をばかにしてはなるまいぞ。やがて手痛いしっぺ返しを食うことになることを、よくよく肝に銘じておくがよい。
2011年5月29日日曜日
京都北山志明院
今回のテーマは、「涼を感じる」というようなことで、あの暑い京都の人たちがどういうふうにして暑さと対峙し、それを克服する智恵を集積してきたか、ということを学びに行ったのである。
今回の取材でもっとも感銘を深くしたのは、鴨川の源頭北山雲が畑の志明院を訪ねた事である。志明院は、こんなに山深いところが京都のすぐ外にあったのかと、ちょっと驚かされるほど深山幽谷の趣豊かなところにひっそりと佇み、あたりは、満山森林の気と、清流から発せられる幽邃の気に充ち満ちている。
息を吸えば胸中の鬱を散じ、心の洗われるような爽快感を覚える。なんともいえぬ去俗の愉快を感じた。写真は志明院のご住職田中真澄さんご夫妻。このご夫妻がまた、あたりの静謐清爽な感じそのものの、愉快で飾らぬ、そしてまったく俗っ気のないお人柄で、初めてお目にかかったのだが、たちまちに十年の知己のような親しみを覚えた。またぜひ再訪したいと思う。
2011年5月21日土曜日
世紀末の愛を歌う

写真は、終演後に楽屋で撮影した出演者全員の集合写真。
私は「世紀末とはどういう時代であったか」ということを、音楽に限らず、美術工芸や建築や文学などにわたる、汎ヨーロッパ的芸術運動と社会的背景ということでお話しした。わずか十五分の短いトークで意を尽さぬところがあったのが残念だけれど、もとより私のトークは刺身のツマというものゆえ、聴衆の皆さんには、どうでもよかったかもしれない。呵呵。写真左から、テノール松原友さん、アルト伊原直子さん、私、ソプラノ嶺貞子さん、メゾソプラノ森永朝子さん、バリトン宮本益光さん、ピアノ山岸茂人さん。
2011年5月3日火曜日
音楽仲間

2011年5月1日日曜日
デスクライター
2011年4月30日土曜日
超長茄子
ここもとお目にかけるのは、ご覧のような超長茄子。これはたしか長崎あたりの産であったかと思うのだが、ともかく、長い! 写真の皿は二十センチ以上の差し渡しのある皿だから、おおかたこの茄子は五十センチほどもあるにちがいない。ああ、しまった、喰ってしまうまえに、ちゃんと長さを計測しておくのであった。
で、この茄子は、オリーブ油で焼いて食べたのだが、味はまったく普通の茄子で、季節が早いせいもあって、アクはまったくなく、いささか甘さも感じられる上等美味なる茄子であった。こういう滅多と見かけることのない野菜を手に入れて、さあ、どんな味かなあと想像しつつ料理する、そこに一つの大きな楽しみがある。
2011年4月28日木曜日
いきいき

一昨日26日の午後、神楽坂にちかい出版クラブというところで、雑誌いきいき主催の文学講演会をやってきた。これが三度目だが、前回に引き続き、源氏物語を主題に一時間半お話ししてきた。今回の題目は『光源氏のイケズぶり』というので、この物語のなかに描かれている光源氏がいかにイケズであるかということを、あれこれ例を引きつつ解剖した。
まあ、そういうイケズな男であっても、天下無双の美男で、貴公子で、天才で、秀才で、美声で、優しげで、泣き虫で、と、こう条件が揃えばどうしても女心は引きつけられてしまうのであろうと、そのように結論づけざるを得ないのだが、聴衆は全員ご婦人で、なかに、敬愛する清川妙先生と、桐原春子さんのお姿もあった。桐原さんは、ずっと以前に雑誌の対談でお目にかかって以来、お互いの著書を交換するというようなおつきあいだが、すらりと背の高い、日本人離れした素敵な女性で、そのご生活自体が、一つの素晴らしい美を体現している方である。桐原さんのブログの美しい花々やお庭の風景の写真には、たしかに人を癒してくれる力がある。この写真はその桐原さんとのツーショットで、私が手に持っているのは、桐原邸のお庭の花々を摘んで作ってきてくださったブーケである。
2011年4月18日月曜日
たまには豪勢に

この皿は三十センチくらいある大皿で、そこからもドンとはみ出るほど巨大なカマのロースト、これはちょっと料理に手間がかかった。
くわしくは、「毎日が発見」という雑誌の連載「リンボウ先生の食いしん坊日乗」というところに書くけれど、まず、すっかり中まで火を通すには、一時間十五分くらいは焼かなくてはならぬ。とかくマグロは生臭いけれど、きちんと下処理をして手抜きせずに作れば、非常に美味しくもできる。いや、まことに結構なるお味でありましたが、実はこのマグロは、二キロほどもあって、たったの500円であった。みんなどうやって料理したらいいか分からないから買わないのであろうかな。
2011年4月15日金曜日
国立天文台の花
折しも数多くの桜の古木が満開で、天気は良し、まことに絶好の花見となった。職員の方々、渡部夫妻もご一緒に、しばし花のもとの風流を楽しんできた。写真上の左が渡部先生、下は、敷地内に復元移築されている昔の一号官舎の庭に設置された小型天体望遠鏡で遙かに遙かに遠くの雑木林をのぞいてみた景色。これほど近々と若葉が見える。よい春の行楽であった。
2011年4月6日水曜日
神代桜
2011年4月5日火曜日
坂口貴信君独立披露能

2011年3月23日水曜日
我が節電
2011年3月16日水曜日
未曾有の大震災
幸いに、私の家は、多少がたがたと揺れた程度で、なにも被害を被る事なく、一家息災にしておりますので、そのことはどうぞご放念ください。
ここに掲出の写真は、きのう、イギリスの友人が送ってきてくれたインディペンデント紙のトップで、この日の丸が、再び上る朝日のように感じられます。いま、在外の友人たちにたのんで、海外でのこの度の災害の報道を集めていますが、世界中の人々は、日本人が、まことに、この大非常時に際して、考えられないくらいの災難を蒙りながら、しかしなお、すこしも理性を失うことなく、粛々としてそれぞれの任務を遂行し、助け合い、我慢し、そして復興へ向けて努力しようとしている、その姿に等しく感動をしていることがわかります。かかる状況下に、叫ぶ人も、奪い合う人もなく、略奪や争いも一切起らず、乏しい食料を、みなですこしずつ分け合って食べて、少ない毛布にいっしょにくるまって寒さを凌ぐ。こういう日本人の心のありようは、世界中の人に感動を与え、日本人は凄いぞ、とみんなが尊敬をしています。この災害は、日本人を世界が見直す契機となってもいます。
さる友人は、つぎのようなメールをくれました。原発事故の予後は予断を許さぬ状況ではありますが、こういうときこそ、なによりも平常心を以て、粛々と務め、孜々として励む、そういう国民性を大いに発揮いたしましょう。
がんばれ日本、がんばれ東北
がんばろう日本人、がんばろう東北人
It is a national trauma but I am sure that no other country in the world could
handle a similar catastrophe better.
Hope also that recovery will be fast and smooth.
All the best, E*****
handle a similar catastrophe better.
Hope also that recovery will be fast and smooth.
All the best, E*****
2011年2月28日月曜日
つながるラジオ
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