2018年2月19日月曜日

憧れのハワイ航路


 かねて私どもが愛唱また熱唱を続けている名曲『憧れのハワイ航路』であるが、このほど、そのオリジナル楽譜を入手することを得た。
 どうです、この情緒あふれる表紙の絵!
 だいたい、この時代は、カラオケなどはなかったため、流行歌もレコードと一緒にこういうピアノ伴奏つき(多くはハーモニカの数字譜も併載)楽譜が出版されるのが常であった。そうして、ピアノの伴奏を、だれかにしてもらって、カラオケのようにして歌ったのであろう。
 その古典的な流行歌楽譜を、私は愛好すること啻ならず、見出すに従って買い求め、もう随分のコレクションになった。
 そんな蒐集品のなかでも、これはまたとくに愛すべきデザインの一点として特筆したい。この表紙絵の画家は「Kiyoshi」とサインがあるが、これは画風から推定するに、おそらく、この時代に挿し絵画家として多くの作品を残した高木清ではないかと思われる。英字のサインの下に「木」かと読める朱印が捺してあるのも、その一傍証であるが、はたして正解であるか否か、博雅の君子の示教を得たい。
 この時代のハワイへの憧れは、現代とは比較にならぬ。まだハワイ航路は就航していなかったので、ほんとうに「憧れ」に過ぎなかったのである。そしてこの豊満なるハワイ美人の蠱惑的なること、魂が引き寄せられるではないか。
 しかも、この楽譜の刊行年月日を見て驚いた。昭和24年2月20日、とある。すなわち、私の誕生日そのものである。なんだか因縁深いものを感じて、愛着もひときわである。

2018年2月17日土曜日

阿川佐和子さんと


 二月十六日の夕方、東京エフエムの「キュレーターズ」というトーク番組の収録にでかけた。今回は、私がとくにお願いして、阿川佐和子さんとの御対面が初めて実現したというわけである。
 この写真は、どういうわけか、私はばかにおっかない表情で写っているけれど、これでも写してもらったときはにこやかにしたつもりであった・・・。ま、緊張しているのであろうか・・・。
 さて、この番組は、三月の日曜に、三回にわたって放送する予定で、その三回分をいっぺんに収録したのである。内容は、ほんとに興に任せての談論風発というか、古典の話、イギリスの話、家族の話と、話題は転々として愉快な対話であった。
 阿川さんとは、いままでとかく予定が合わなかったりして、仕事でお目にかかる機会を得なかったのだが、今回やっとそれが実現したのは嬉しい限り。じっさいに会ってお話しなどすると、まことにあのテレビで見るのと同じように気さくで、とても朗らかな話しやすい方であった。そのせいで、私もすっかり調子にのって、ついつい馬鹿話をしてしまったが、これも聞き上手の阿川さんのお力というものであろう。阿川さんの、温かなお人柄にあらためて感銘した次第である。彼女が手にしているのは、このほど大石静さんと共著で出された『オンナの奥義』という新著だが、これは「女子会的対話」の集大成ともいうべき、愉快かつ興味津々たる本で、私も一読大いに頤を解くとともに、「おんなごころ」について深く勉強させていただいたところである。じつに面白い本なので、ぜひ皆様にも御一読をお勧めしたい。また私が手にしているのは、このほど刊行になった『(改訂新修)謹訳源氏物語』文庫版第五巻である。こちらも、いよいよ源氏物語も佳境で、面白い巻ゆえ、ぜひご高覧のほど。
 

2018年1月22日月曜日

大雪の夜


 本州南岸を低気圧が通過し、日本海方面にシベリア寒気団が居座っているという状態のときには、東京にも大雪がふる。
 思い出すのは、四年ほど前のバレンタインの夜、その夜は一日じゅう降り続いた雪が夜に入ってもやまず、東京としては異例の大雪になって、交通は大混乱となった。
 その時と寸分違わぬような気圧配置になり、きょうは朝から小金井あたりはすっかり雪で、夜になるころには、もう三十センチないし深いところでは四十センチも積ったかというくらいの、とんでもない大雪になった。
 明日はよりにもよって、東京で一番坂道の多い神楽坂で講演である。聴衆はご高齢のご婦人ばかりなので、万一にも転倒して骨折などということがあってはいけないから、延期したらどうだと主催者に申し入れたが、いまさら周知の方法がないというので、強行するという返事であった。無責任というのはこれであろうと私は思う。
 ともあれ、夜になって、突然地震が来たかと思うような轟音とともに、家全体が震動したので、なんだろうと思ったら、屋根の雪が南側のベランダにいちどきに落下したのであった。あー、びっくり。その結果、この写真のように、ベランダはまったく雪に埋もれてしまって、ドアも開かなくなった。小金井にもう五十年も住んでいるが、こんなふうに雪に埋もれたベランダをみるのはこれが初めてである。
 雪国の方々のご苦難が偲ばれるが、東京には、除雪車の装備もなく、融雪装置もなく、市役所から除雪に来てくれるでもなく、住民は著しい高齢化で、雪かきをする力もないから、こういう雪がふると小金井あたりでは、だれもが困り果ててしまう。さあ、あすの神楽坂までどうやってでかけるか・・・、ほんとうに、こんなときはぜひ中止にするという責任感が、主催者にはあらまほしい。

2018年1月21日日曜日

栗橋の静御前


 きょう、1月21日は、埼玉県久喜市の栗橋宿まで、講演に出かけた。
 栗橋で、「文学的存在としての静御前」という話をしてきたのである。
 源義経の愛妾であった白拍子静御前の名前はつとに有名であるが、その実、ほんとうのところどんな人であったのかはよく分かっていない。
 いちばん史実に近いのは『吾妻鑑』の記述かと思われるが、それとて、鎌倉幕府の意向で編纂された史書だから、いわば頼朝サイドに都合よく書かれているという偏向があるだろうことは容易に想像される。つぎに詳しいのは『義経記』の記述だが、もとよりこの書は、かなり恣意的に脚色された「物語」であって、史的にはとうてい信頼するに足りない。この『吾妻鑑』と『義経記』を比較しながら、さらにそこに、『平家物語』の記述や『徒然草』の伝えるところなどを勘案しつつ、文学史上の静御前について思うところを話してきた。同時に、各地に残る静御前伝説についても、諸書を引きつつ概説したところである。どうして栗橋で静御前なのかというと、静は淡路、奈良、信濃、前橋、などあちこちにその墓と称するものがあって、享年も24ともいい47ともいい、一定しない。そんななかで、栗橋にも静の墓と伝えるものが現存し、口碑では、一旦京都に戻った静は、義経を慕って平泉まで行こうとしたが、栗橋まで来たときに義経の自害破滅を知り、絶望してここで病没したというのである。そんなことで、町おこしの一環として、おおいに静に注目しようというので、私がその文学側からの実際をお話しすることにしたのである。
 栗橋イリスという会場はほとんど満席で、熱気あふれる聴衆を前に、いろいろ詳しくお話しをした。写真は、栗橋駅前にある静の墓所といわれるところで、ちょっと顔看板の写真を撮ってきたのだが、義経とは似ても似つかぬ顔にて、まことに恐縮の次第である。

2018年1月7日日曜日

風邪ひき


 『風邪はひかぬにこしたことはない』(ちくま文庫)という本を書いたくらいで、日頃から、なんとして風邪をひかずにすませるかということに、並々ならぬ熱情を注いでいるにもかかわらず、本欄の「クリスマス」を書いた翌日、すなわち12月27日から、突如として風邪に掴まってしまった。じつに不覚である。不覚であるが、どこでどう移されたものか、皆目見当が付かぬから弱る。
 咽喉が痛み、やがて全身の倦怠感に及び、微熱が出て、鼻がつまり、さらには頭痛がしたり、食欲不振になったり、まことにご定法どおりの風邪で、転々と症状は入れ替わるのであった。風邪に根本的な治療薬はないから、私はもっぱら天津感冒片などの漢方を以て、これに応戦したが、それもそうそう効果が実感できるほどでもない。ただ、私は喘息を持っている関係で、気管支に入ってしまうと大変なので、そこは呼吸器科の主治医の教えに従って、きちんと吸入を継続したので、ついにひどい気管支の咳にはならないまま、やっと治ってきた。ほぼ収束してきたかなあと思えたのは、じつに7日、すなわち今日であるから、発病から十日間の苦難の道であった。
 この間、すべての予定はキャンセルして、ひたすら養生していたせいで、なにもかも予定は大狂い、これからその遅れた分を取り戻すべく、頑張らなくてはならぬ。
 しかし、風邪というものは迷惑だ。迷惑だが、まあメリットもないではないので、『風邪の効用』という本を一読したところ、風邪を引くと血管が軟化し、従って血圧が下るという記事があった。さっそく試しに測ってみると、たしかに上下とも10くらいは下っているのはじつに不思議である。
 とはいえしかし、やっぱり風邪はひかぬに越したことはないように思われる。

2017年12月26日火曜日

クリスマス


 きのうはクリスマスだった。
 私のところは、以前は自宅にみんな集まって、イギリス直輸入のクリスマス・プディング(これについては『イギリスはおいしい』参照)など楽しみながら、クリスマス・ディナーをやったものだったが、今は息子一家はニューヨークに在住だし、娘一家は横田の教会脇の牧師館に住んでいるので、なかなか小金井の実家に大勢であつまるのも大変だしで、このごろは私ども夫婦が娘の家に出かけていって、孫どもといっしょに賑やかにクリスマスを祝うことにしている。まあ、娘婿が牧師なので、クリスマスのときは、いつもよりすこし念入りな食前の祈りなどするけれど、あとは特に敬虔とかいう感じではなく、ひたすら山のようなプレゼントをびりびりと開けて、ただ賑やかに遊ぶだけである。
 アメリカのクリスマスというと七面鳥のローストを思い浮かべるが、ことしは11月の感謝祭の日に七面鳥を焼いたので、クリスマスはポークリブのローストと、ケンタッキー・フライドチキンということになった。まあ、たまには、KFCも悪くない。が、日頃あまり油っ気の強いものは食べないので、きのうは夜までお腹が減らなかった。
 さて、写真は、私の家の近所の愛すべき洋菓子餔メリクリのクリスマスケーキと、わが秘書井上迪子君のお祖母様お手製のシュトーレン・トルテである。シュトーレンはオーストリアあたりのクリスマス菓子だが、ほんとうはクリスマスの日まで、すこしずつ薄く切って食べて行くというのが習慣らしい。が、こちらはなにしろ大喰らいのアメリカ男がぞろぞろといる家なので、きのう一日でたちまち食べ尽くしてしまった。やわらかで、日本的な風趣があって、しかし、スパイスの効いた好風味、大いに楽しませていただいた。お祖母様ありがとうございます。
 そして結局その日の夕食は、胃の負担を減らすために野菜入りのお粥となった。呵呵。

2017年11月30日木曜日

デュオ・ドットラーレ公演

北山先生・林・井谷先生

左から、居福君・駒田君・林・二宮先生

 11月29日午後七時から、紀尾井町サロンホールでの演奏会、『歌で旅する』を無事打ち上げた。今回のプログラムは、次のとおり。

 PROGRAMME 
第一部 旅は道連れ(デュエット)
 遠くへ行きたい (永六輔作詩 中村八大作曲)
 みかんの花咲く丘 (加藤省吾作詩 海沼實作曲 堀江貞一編曲)
 仰げば尊し (T.H.ブロスナン原詩、HND作曲 文部省唱歌 深見麻悠子編曲)
 琵琶湖周航の歌 (小口太郎作詩 吉田千秋作曲 青島広志編曲)
 旅愁 (犬童球溪作詩 オードウェイ作曲 深見麻悠子編曲)
 故郷を離るる歌 (吉丸一昌訳詩 ドイツ民謡)
 高原列車はゆく (丘灯至夫作詩 古関裕而作曲)
 
 ---- 休憩 ----

第二部 組歌曲『旅のソネット』 全七曲(新作初演)
 林 望 作詩 二宮玲子 作曲
 駒田敏章(バリトン独唱) 居福健太郎(ピアノ)
 1,旅立とう
 2,ひとつの時代
 3,行き止まる
 4,げんげ田の道を
 5,花火
 6,和尚さん
 7,八甲田

  ---- 休憩 ----

第三部 歌のひとり旅(独唱)
 折ればよかった(近藤朔風作詩 ブラームス作曲) 北山
 Whither must I wander?(『旅の歌』より、R.L.スティーヴンソン作詩 R.ヴォーン=ウイリアムズ作曲) 林
 歌の翼に(ハイネ作詩 林望訳詩 メンデルスゾーン作曲) 北山
 翼(武満徹作詩・作曲 ヘニング・ブラウエル編曲) 林

 以上のほかに、アンコールとして『朧月夜』(上田真樹編曲)『憧れのハワイ航路』の二曲を演奏、予定通りの時間を以て、盛り上がりのうちに無事終演となった。今回もこの気候の不順ななか、満席のご来聴を得て、深く感謝申し上げある。
 今回、喘息と闘いながらの歌であったが、それだけに、また思いも一入のところがある。
 写真の上は、デュオ・ドットラーレ。伴奏者は、井谷佳代さん。みんな忙しいなかを、なんとか日程をやりくりしての遠距離恋愛ならぬ遠距離デュオの練習は、ほんとうに大変ではあるが、しかし、その一回一回が楽しく充実した時間であった。人生の幸福を感じさせてくれる音楽との出会いに、まずは感謝である。
 下の写真は、左から、ピアノ居福健太郎君、バリトン駒田敏章君、そして、私の右隣が作曲の二宮玲子先生。こちらは新作の組歌曲『旅のソネット』の初演者組である。駒田君の圧倒的な歌声に場内は喝采の嵐であった。良い作品が出来た。あとはこれをなんとかして多くの歌い手に歌ってもらって、クラシック歌曲界のスタンダードに育てたい、そのためにはなんとかして楽譜を出版しなくてはと熱烈に思っているところである。
 次のドットラーレの演奏会予定は、来年五月、金沢の九谷焼美術館において開催することになっている。