2019年3月11日月曜日

クラシカルギタークラブ


 さらにさらに時を遡ると、この写真はたぶん私が大学三年のときに、慶應三田の西校舎の地下にあった学生食堂で撮影された一枚である。
 私は、大学二年の時に一回留年しているので、同期の仲間よりも卒業は一年遅くなった。で、私は大学一年のときから、クラシカルギタークラブというのに入っていて、在学中は、暇さえあればクラシックギターを弾いていたのである。
 しかるに、大学も卒業間近になると、いわゆる卒業アルバムというのの編集が始まり、その巻頭カラーグラビアに、学内風景としてのさまざまな写真が載る。たまたまこの年の編集委員に、懇意にしていた男がいて、私はこの写真を撮って載せてくれるようにと頼んだのであった。左側にいるのは、伴君といって、このクラブの代表であった。右側は渡辺君といって最後の演奏会では私と組んでマウロ・ジュリアーニの二重奏曲を演奏した仲間である。こうして、1971年の卒業アルバムの巻頭を飾ってこの写真が掲載されたのであるが、肝心の卒業生写真のところには私は出ていない。なぜかというと落第のために、まだこのときは三年生だったからである。こうして、私は、1971年のと、翌年の1972年のと、二年間に亙って卒業アルバムに載ることになったのである。呵呵。

2019年3月9日土曜日

1978年


 さらに時を遡って、この写真は、1978年の五月に、慶應義塾女子高校の教師をしていたころ、その修学旅行の引率に行った折の写真である。
 慶應女子高の教師といっても、一介の非常勤講師であって、担任などはむろん持つことなく、ただ古文と漢文を教えていたに過ぎぬ。それでも、多い年は週に四日出講していたので、まあ生徒から見れば専任の教師と同じように見えたかもしれぬ。この女子高は、いわゆる職員室(教員室)というものがなく、教師は学科ごとに別れてそれぞれの研究室に所属することになっていた。それゆえ、私は非常勤ながら、国語科研究室にちゃんとデスクを与えられて勤務していたのである。しかもなお、毎年の修学旅行には、高校三年生の京都・奈良に随行引率して行った。1978年というと、今から41年もの昔になるから、私は29歳であった。この頃は、口髭を生やしていなかったことは写真に見えるとおりだが、これは当時私は能楽の地謡方として常時舞台をつとめていた関係で、口髭などは落すようにと師匠から申し渡されていたことの結果である。
 この写真は、たぶん、京都の東急インで、早朝に生徒たちと散歩などしているところであろう。なにやら寝ぼけたような表情をしているのは、そのせいである。
 その後、さまざまな学校で教鞭を執ったが、この慶應義塾女子高での六年間が、もっとも充実して楽しい教員生活だったような感懐がある。

2019年3月7日木曜日

はるかなりヘミングフォード


 必要あって、古い写真帖を取り調べていたところ、こんな写真に行き当たった。
 これは、1992年の8月31日に、ヘミングフォード・グレイの村外れ、Great Ouse 川の岸辺での一枚である。今からもう27年前の写真である。ちょうどこの立っているところが、ボストン夫人のマナーハウスの真ん前のところで、私の背後に、その庭に入る鉄扉がある。八月の末ともなれば、イギリスは早や寒くて、こんな厚手のセーターを着ている。こういうセーターはBrenire(ブレナイア)といって、スコットランドの、まあ言わば労働着がもとになっている。このセーターは今も大切に着ているが、すこしも痛んではいない。
 1991年に『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(ケンブリッジ大学出版)が刊行されたとのほぼ同時に『イギリスはおいしい』(平凡社)も出て、ベストセラーになったので、私は俄にイギリス関連の仕事に忙殺されるようになった。
 しかし、毎夏休みに、いつもイギリスで過ごすようになったのは、まさにこの時分で、今でもあの爽涼なイギリスの夏を心から懐かしく思う。また行ってみたいなあと思わぬ時とてもないが、実際には、もう行くことはないだろう。そう思うと、こんな写真がまた、無上に懐かしく、なんだか涙ぐましい思いさえ湧いてくる。
 嗚呼、イギリスの夏!

梅花馥郁たり



 庭の白梅が満開となった。
 この梅は、かつて小金井市の貫井南町というところに住んでいたころ、その庭でかわいがっていた白加賀という梅で、植木屋が、二の足を踏むところを、なんとか頼み倒してこの家の庭に連れてきたものである。
 それからは、日当たりが余り良くないせいか、たいして実は生らないが、何年かに一度はバケツいっぱいくらいの大きな実がなる。
 その実は、種を去って甘酸っぱいジャムに煮る。
 梅はもう一本あって、そちらは豊後梅という薄紅の花の咲く種類であるが、これとてもう樹齢四十年近いことになった。こちらも大きな実が生る。
 この白梅は、とても香りがよく、二階の部屋の窓をあけると、馥郁と香るのであるが、あいにくと、この季節は花粉がひどいので窓を開けておくことができぬ。しょうがないから、ときどきベランダに出て、その香を楽しむのである。
 小金井の里は、いま、どこもここも梅の花盛りである。

2019年2月26日火曜日

りんぼう貝


 
 いよいよ誕生日も過ぎ、夫婦そろって七十歳の春となった。
 それゆえ、その誕生日をお祝いしてくれるという名目で、娘一家と江の島で集合、春の良い一日を、のんびりと孫どもらと遊んでくらした。
 雨という天気予報は幸いに外れて、雲もない快晴となった江の島は、気温も十六度ほどになり、すこしも寒いということはなかった。
 しかし、びっくりしたのは、平日の午後だというのに、江の島が観光客でごった返していたことである。その大半は中国からの観光客とおぼしく、そこらじゅうで中国語が飛び交っていたのは、時代とは申せ、驚かずにはいられない現実である。十歳を頭に、二歳の末娘まで、四人のアメリカ孫どもはみんな元気で、運動神経抜群の末娘は、江の島のあの山のてっぺんまでスタコラサッサと歩いて登った。小さな体からすると、すばらしい運動能力である。それから、さらに頂上の灯台展望台までも歩いて登って、平然たる面持ちであったのには、ほんとうに驚かされた。それから、丘の上の芝生で駆けずり回るやら、夕方の砂浜に出て貝殻を拾うやら、孫たちにとってはまことに楽しい江の島遠足となった。
 そして駐車場に戻る途中で、総領孫息子が、この「りんぼうがい」という石畳のタイル表示を発見。へええ、こんな貝があるのか、とびっくりするやら、なにやらおめでたい気がするやらで、喜んで写真に収まったというわけである。
 このあと、片瀬海岸のレストランでアメリカ孫たちは、ステーキなどをどっさりと食べて上機嫌で帰った。
 よい春の一日であった。

2019年1月23日水曜日

ご無沙汰しました


 みなさま、たいへんにお久しぶりでございます。
 気がつけば、前回の更新から一ヶ月半ほどにもなり、2018年は終了して、新しい年になっておりましたが、新年のご挨拶も申し上げず、まことに失礼いたしました。
 はなはだ遅ればせながら、どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
 さて、新年は、いつもの如く年賀状書きに始まり、やがて孫どもが押しかけてきたりしてワヤワヤとやっているうちに松も取れ、つぎつぎに原稿の〆切りに追われたりしておりますうちに、なんと不覚にも、13日から、いま流行のインフルエンザに取っ捕まって、39度の高熱で呻吟すること数日、新薬ゾフルーザのおかげで、数日で熱は下りましたが、食欲の減退することただならず、おかげさまで、三キロほども痩せて、思わぬところでダイエットに成功いたしたましたような次第です。
 ただいまは、遅れに遅れております『(改訂新修)謹訳源氏物語』第八巻の校訂作業を進めておりまして、なんとか三月までにはこれを刊行せしめるべく、がんばっているところです。まことに弱り目に祟り目でこのインフル罹患、おかげで、また一週間ほど予定が遅延するところとなりましたことは、遺憾の極みでございます。
 どうぞ、くれぐれもこのインフル流行にはご注意くださいますよう、皆さまのご自愛を祈りおります。

2018年11月26日月曜日

勝又晃君夫妻のデュオリサイタル



 きょうは、新宿のオペラシティなるリサイタル・ホールを会場として、わが声楽の師であり、男声二重唱ユニット「デュオ・アミーチ」の相棒でもある、テノール歌手勝又晃君とお連れ合いの岡村由美子さん(コロラトゥーラ・ソプラノ)のデュオによるリサイタルが開催された。お招きを頂いて、いそいそと聴きに出かけた。このリサイタル・ホールには初めて足を踏み入れたが、なかなかよい寸法の、また響きも悪くないホールで、いずれはこういうところで演奏会をやってみたいものだと思った。
 プログラムは、前半は、イタリア古典歌曲と、オペラ『愛の妙薬』(ドニゼッティ)のサワリ集ともいうべき趣向で、背景に歌の日本語訳や泰西風景などが映し出されて、面白く趣向が構えてあった。このネモリーノというテノール役は、勝又君に真向きの役であり、由美子さんはまたかわいらしくてアディーナにうってつけであった。
 第二部は、なつかしい名歌集という趣向で、日本語の歌かれこれ、とくに冬の名歌のメドレーは新しくこのリサイタルのために編曲されたものだとのこと。楽しそうに歌うお二人が羨ましいことであった。ところが、それが終ってからのアンコールの一曲として、わが『旅のソネット』の第一曲「旅立とう」を、勝又君が、イタリア仕込みの燦然と輝くような美声で、高く朗々と歌ってくれたのは、この曲のためには大いなる幸いであった。この曲はこういう高い調子で歌われると、もっともその本領を発揮するということがわかって、いつかこの調で、勝又君とも二重唱を試みたいという思いが沸々と湧いてくるのであった。写真は終演後にフォワイエにて。