毎年冬になると、おいしく太った大根を天日に干して、しわしわになるまで干し上げ、それを伝家の糠床にしっくりとつけて、天下無双に美味しい沢庵漬けを作るのが、恒例であるが、今年は、思いがけず、知人から素晴らしく丸々と太った蕪を贈られたので、よし、ひとつこれも蕪沢庵にしてみようと思い立った。かくて、天日に干しているところの写真がこれである。じつはこの干し蕪は、干し上がって、糠床にもじっくりつけ込み、数日前に食べてしまった。いやあ、生の蕪とはまたちがった、独特の甘みと風味が加わって、大根の沢庵とは違う美味であった。また良い蕪が手に入ったら、つくってみることにしよう。概ね、干しに十日、漬けるのに一週間、というところであろうか。もしよい糠床をお持ちのかたは、ぜひお試しを。
2024年3月12日火曜日
2024年3月2日土曜日
自家製マーマレード
このごろは、マーマレードを作るのが、私の楽しみとなっている。苺やブルーベリーや梅などのジャムも作るけれど、食べて一番の好物はなんといっても自家製のマーマレードに指を屈することになる。
たまたま、最近さる知人が無農薬栽培の甘夏がたくさん手に入ったからといって送ってくださって、おすそ分けに与った。先日は、別の知人が熊本の不知火を送ってくれたので、それで娘の家の分まで、全部で五壜のマーマレードを作ったが、それももう食べ尽くしてしまったところへ、渡りに舟とて新鮮で安全な甘夏が到来した。さっそく、今日それをマーマレードに作ったのが、この赤い壜詰である。色が赤いのは、煮るときに赤ワインを加えたからである。私のマーマレードの作り方は、ピーラーで、表皮の黄色いところを剥き去って(苦味を抑えるため)、種を除去し、全体を薄切りにして、砂糖、赤ワイン、白ワイン、そして塩一つまみ、黒胡椒の挽き立てをカリカリ、というので、あとはこれが煮詰まるまで三十分ほどコトコト煮る。途中で、マッシャーを使って果肉も皮もマッシュして渾然一体たらしめる。そして水分がほどほどに無くなってきたらできあがりで、煮立っているやつをすぐに壜詰にして堅く蓋をしめる。これで半年でも一年でも持つおいしいマーマレードができるのだが、なーに、この一瓶くらいは、一週間くらいで食べ切ってしまうのである。
2023年11月12日日曜日
山梨県立文学館
ちょうど、現在、同館では、「それぞれの源氏物語」というテーマの展示をしていて、古今の註釈から、近現代の現代語訳まで、さまざまの源氏物語受容の形を、興味深い説明と、ゆたかな実物展示で見せてくれる。
その展示会のイベントの一つとして、私は『源氏物語その面白さの秘密』という題目でさまざまの角度から源氏の面白さを論じてきた。熱心な聴衆に励まされて、予定を少しくオーバーして熱弁を振るってきたというわけである。
県立文学館は、以前田中冬二展のときにも、田中冬二の詩について講演したことがあって、今回が二回目である。
前の日は雨で、なんの景色も見えなかったが、当日はごらんのように雲が低くたれこめているなかにも、遠景に南アルプスの駒ヶ岳などを遠望することができて、なかなかよい風景であった。甲府は、また、2013年に、『MABOROSI』と題した源氏物語オペラを、同地コラニー文化ホールの委嘱で制作初演したことがあって(私は台本を書き、二宮玲子さんが作曲した)、その時も前講座として源氏についての講演をしたことがある。
甲府の夏はものすごく暑いので閉口だが、今はもう初冬とあって、寒くなっていた。
2023年11月8日水曜日
数年ぶりに柿熟す
まことに久しい御無沙汰で、平身低頭でございます。
その後は、特段なる問題もなく、ただただ忙しく毎日仕事にまい進しております。
今年は、秋がいつまでも夏日続きで、暑いのが嫌いな私としては、ただただ閉口しておりましたが、昨日今日になって、やっと少し秋らしい冷涼さがやってきました。
さるところ、高い秋空を彩って、拙宅の庭の柿の木に、七つほど赤い実が熟しました。ここ数年は、ほとんど実が生らなかったのですが、今年は元気を回復したとみえて、すこしばかり実ったというところです。例年ですと、この柿(甘柿)の実が青いうちは鳥もやってこないのですが、赤く熟するや否や、オナガやらヒヨドリやらが、朝早くから飛来して、食べてしまうので、私どもの口に入らないことがおおいのでした。が、ことしは、幸いに鳥に気付かれないうちに、収穫することができました。とはいえ、取れたのはこの二つだけで、あとの五つは高い遠い枝にあって、収穫するのが危険なので、これらは鳥に上げようとおもって梢に残しておきました。あと数日のうちには彼らの腹中に入ることと思います。自然に返す、それがなによりの木へのご褒美かとも思います。
では、これからこの二つを、おいしく戴くことに致しましょう。
2022年12月27日火曜日
はるかな昔
いやはや、非常に御無沙汰をしておりまして、ブロガーとしては大いに反省を致しておりますが、そうこうしているうちに、この動乱の2022年も終りが近づき、もうあと幾日かで2023年やってくるというところまで来てしまいました。
今年は、全般的に喘息の状態が不安定で、なかなか声が本調子にならず、閉口しておりましたが、この寒波の到来とともに、なぜか体調が好転して、いまは普通に歌なども歌える状態にまで回復しています。不思議ですねえ、人体というものは。
さて、ごく最近、私はご覧のような古ーい石版画を入手しました。これは、明治20年の12月、すなわち1887年の今ごろに刊行されたもので、画工は、渡辺忠久という人です。この版画はおそらく東京名所絵の組版画の一枚として刊行されたものだろうと思いますが、ともあれ、私がながらく住んでいる武蔵小金井の名勝、小金井桜を写したものであります。川のように見えるのは、羽村から取水して江戸中央まで上水を送り届けるために徳川幕府が開鑿させた玉川上水で、小さな木橋が架かっているのは、小金井橋である。いまは大きなコンクリート橋に変ってしまっているが、明治時代には、まだこんな木の小橋であった。そうしてこの橋を渡って南北に続いているのが小金井街道だが、この時分には、ほそい田舎道に過ぎなかった。右側、この牛の描かれているあたりには後に柏屋という旅館もできて、花見の遊山客に親しまれていた。現在もこのところから数十メートルほど北に行ったところに、柏屋モータースという自動車屋さんがあるのは、その末裔の一族の会社かなと想像される。ともあれ、人物はすべて和服で、これだけ見ていると江戸時代となにも変わりがない。むろんまだ武蔵小金井駅などはできていなかったので、花見客は国分寺あたりから人力車にでも乗ってここに来たものであろうか。私が小学生のころまで、玉川上水の両岸はこんな風景で、柵のようなものはなかったし、桜も隆々と栄えていた。なにもかも変ってしまったものである。
2022年9月22日木曜日
信濃の秋
ちょっと前に、信州の家から東京に戻った。
さすがに東京は、信州よりも蒸し暑くて、身心ともしばらく順応しがたい感じであったけれど、やっと秋が来てくれたので、ほっと息を吹き返したというところである。
信濃の野は、ひと足さきに秋の真っ盛りで、空は高く澄み、雲は朗らかに白く輝いて、田にはもう黄金色の稲穂がこうべを垂れて揺れ、そして、野にはススキが真っ白な穂を広げて、秋の陽に輝いていた。
今夏は、安曇野の道祖神や石仏を探索して歩いたが、驚くほどそれはたくさん路傍にしづまっていて、どれもみな江戸時代から明治にかけてくらいの、風雪を経た深い味わいがあった。
信濃の秋は、絵に描いたように美しい。善き哉、信濃。
2022年7月24日日曜日
流鏑馬行列
きのう、七月二十三日に、酷暑の東京から脱出、信濃大町に来ています。こちらは、昼間でも28度くらいの気温で、ちょっと山裾のほうへ入ると、25度くらいの涼しい空気になります。夜は18度程度で、きわめて快適です。
さて、きょう二十四日の日曜日に、何心もなく大町の中心部へ行ってみると、なにやらずいぶんの人立ちが出ていて、交通規制も敷かれていました。きけば、大町の北にある若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の御祭礼で、とくにきょうは流鏑馬行列の日でありました。この流鏑馬は、子供が射手を勤めるという珍しいもので、美しく着飾って白粉で化粧した少年たちが、馬上豊かに行列してゆきました。このがんぜない子供衆が射手の流鏑馬とはびっくり。残念ながらその流鏑馬自体はみることができませんでしたが、少年たちの緊張しながらもどこか誇らしい表情は微笑ましいものでありました。
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