2020年9月1日火曜日

昆虫闖入





  ちょっとだけ月末に東京に戻っていたが、8月29日の町田市立国際版画美術館での講演仕事を終えて、東京の猛暑に追われるごとく、また信州の家に戻ってきた。
 さすがに、もう八月末九月初ともなると、信州の山里は秋気が明らかに感じられるようになった。稲穂はもう黄色くなりかかり、お米の香りが野に満ちている。
 八月中は、ともかく家の中に飛び込んでくる虫が非常に多く、網戸などあって無きがごとしとでもいうか、夜、仕事をしているとたちまち小さな虫がそこらじゅうに散らばって落ちているという状態になり、しょうがないので、蛍光灯の下に水盤を置いて水と中性洗剤を入れて置いておくと、おもしろいようにそのなかに虫が落ちてとれる。自家製室内誘蛾灯というべき工夫だが、さるなかにも、ある夜は、とつぜんに大きな黒い虫がばたばたと室内を飛び回るのを発見、いったいどこから入るのか見当もつかぬが、よくみるとどうもミンミンゼミらしい蝉であった。蝉は、夜だから鳴きもせずおとなしくしていたが、翌朝は、床に落ちて死んでいた。
 さらにまた別の日は、赤とんぼが闖入してきて、家のなかをあちこち飛び回った。これも放っておいたら、翌朝、かわいそうに自家製誘蛾灯の水盤のなかで絶命していた。
 季節は夏から秋へ、確実に移り変わっていく。

2020年8月17日月曜日

初秋の山里


 大変御無沙汰をいたしておりまして、申しわけ有りませんでした。

 例年のごとく、私は信濃大町の山荘翠風居に隠遁しつつ、片方では『謹訳徒然草』を書きすすめ、また片方では『定年後の作法』の校正も同時並行的に進行しています。

 七月中は、当地も毎日雨ばかりで、ごくごく涼しい日々でしたが、八月に入って梅雨が明けるとさすがに多少夏らしい暑さも感じられます。もっとも、信濃大町の町のほうは私の家のある山懐より気温が五度ほど高いので、昼間はかなり暑い感じがします。それでも、町そのものが標高800メートルの高さにあるので、東京よりはいつも五度くらいは低い気温です。そこから、高瀬川渓谷沿いに山懐に入った拙宅のあたりは、また五度くらい低くなるので、東京とくらべると平均して十度ほど涼しいという毎日です。気温はいつも軽井沢と同じくらいです。

 翠風居は、里山の雑木林のなかにすっぽりと包まれているので、ちょっと風が吹くと、木々の枝などが屋根やテラスなどに落ちてきます。今朝も夜が明けてみると、ウッドテラスにまだ青葉のドングリの枝先がいくつも落ちていました。かすかな秋、小さい秋、そんな感じがして、嬉しくなって写真に収めました。

 昨日は、北山吉明ドクターとピアニストの中田佳珠さんを迎えて、ミニコンサートよりももっとささやかな、マイクロコンサートを翠風居の居間でいたしました。客人は、私が子供の頃から、この別荘村で親しくしている旧友のお二人だけをお招きしました。ほんとうは村のクラブハウスで去年に続いて第二回のミニコンをやる予定だったのですが、コロナで中止せざるを得ず、しかたなく、練習の一環としてのマイクロコンサートを試みたというわけです。幸いに声帯の調子もよく、非常に充実して歌えた一時間半でした。やはり歌を歌うことは私にとっては、大きな大きな生き甲斐で、コロナなどに負けてたまるか、という心意気で歌の楽しさと力を実感した次第です。

 というわけで、元気にしておりますので、どうか皆さまご安心ください。

2020年6月24日水曜日

真竹の子



 きのう、中央高速の談合坂サービスエリアに立ち寄ったところ、季節柄の真竹の筍を売っていた。おお、これはめずらしい。真竹は、あの八百屋に出る孟宗竹の筍が終わって、初夏の頃に出てくるもので(東京ではスーパーなどに出てくることはまずないが)、しかも、孟宗竹が地面に顔を出すか出さぬかくらいの若い時分に採るのとちがって、もうかなり「竹」になりかかりまで伸びたところを採る。
 それゆえ、一見するとまるで竿竹の子分のような感じで、果してこんな竹ん棒みたいなものが食べられるんだろうかと怪しむくらいなのだが、いやいや、これがまったく旨い。じっさいには、真竹の子は、かなり竹になっていても、ちっとも堅いということはなく、庖丁でもサクサクと美しく切れる。
 孟宗竹の筍とちがって、肉厚はずっと薄く、一番厚いところでもせいぜい一センチくらいのものである。で、これはあまりアクがないので、そのまま茹でても美味しいのだが、すこし薹が立っている感じであったから、万一にもエグみなどあってはいけないと思い、やはり糠をいれて一時間ほど茹でた。すると、ほんとうに良い香りがして、ふんわりと出来上がった。
 そこで、これを庖丁で切るのでなく、指で縦に裂いて、ちょうどシナチクのように作り、まずは筍を油で炒め、そこに、酒、味醂、醤油、酢、中華味の素、胡椒、輪切りの鷹の爪、とこう調味料を合わせて入れ、フライパンですっかり水気が無くなるまで煎り付ける。これで、とてもおいしい真竹の子の中華メンマ風ができた。いや、じつに結構なる味であったが、これは左党の人なら、ちょいとビールが欲しいね、とでも言いそうな風情に思われた。

2020年6月12日金曜日

昇降デスク


 このところ、どうもまた腰の調子が悪く、しばしばぎっくり腰のようなことになるので、なかなか長時間座って仕事をするのが辛い。
 そこで、最近の研究成果として、人間座っている時間が長いと体に悪いということが分ってきたので、オフィスなどでも立って仕事をするところが増えてきた。医者として働いている息子にも尋ねてみたところ、やはり彼もデスクが昇降できるようになっていて、立ったり座ったり変化させながら仕事をしているということであった。
 それならば、ひとつわが書斎にも昇降式のデスクを導入しようと、今般新たに、デスクの上に置く昇降式のデスクを買った。
 それが写真のこれである。
 こうすると、立って読書もでき、コンピュータ仕事も楽々とできる。そうして立っているのに疲れたら、こんどはデスクも下げて座って仕事をする、ということにした。

 こんなデスクはつい最近出てきたものであるが、たしかに、立って仕事をすると能率があがり、眠気も防ぐことができる。これは良いものを手に入れた、とほくほくして仕事に励みつつあるところである。

2020年6月6日土曜日

アポリネエル詩抄



 もうできるだけ本は買うまい、と内心には決めているのだが、いざちょっとsexyな本に遭遇すると、ついついその決心も揺らいで、また買ってしまうのだ。これは一種の病です。いわば「愛書病」。
 もともと、私は戦前に長谷川巳之吉という変わり者の版元が出した書物を、ちょっと特別な思いでみている。その出版社を第一書房といった。この第一書房こそは、近代日本に於ける、もっとも美しい本を出した、出そうとした、特別の版元として記憶されてよい。そして中身の詩についても、一家言を有する人であったが、そのお目がねに叶って美しい詩集を世に出してもらった詩人は何人かいる。その代表は田中冬二であるが、堀口大学もまた、長谷川のお気に入りの人であった。
 昭和二年十二月十日発行の初版特装本限定1500部のうちの一冊を、きょう我が書室に迎え入れることができた。ごく上質の料紙に活版の印字も鮮やかな、そして表紙は四色の墨流しに茶の革背、そこへ天金を奢って、背文字も金の箔押しだ。こういう本を作ってもらった訳者の堀口大学はさぞ嬉しく思ったであろう。なにしろ、刊行されてから百年近く経ったこんにちただいまでも、ただこの本を手に入れて嬉しがっている人間がいるのだから。ましてや、大学は刷り上がってきた本書を手にして、一日見飽きなかったのではあるまいか。

2020年5月16日土曜日

時代に先駆けて


 このごろは、コロナ防疫の観点から、ステイ・ホームの徹底が著しく、そのゆえに今までは外食にも相当に助けられていたところが、いまはもっぱら家で料理して内食一点張りという人も増えたことと思われる。
 そのため、毎日三度三度の食事を作るのに、ほとほと草臥れたという愚痴をこぼす人も少なくあるまい。
 ところで、私は以前から、いつも書いている如く、毎日の食事は、みな私が調理担当で、妻は作らないが、しかし、もうずっと長い年月こうしてやってきて、食事の仕度が面倒だとも、また何を作ったらいいか困惑するとも、一向に思わない。
 それどころか、毎日冷蔵庫にある食材を、どう組み合わせて、何を作るか。毎日変化をつけて、栄養にも留意して、翌日の便通にまで気を配って、和洋中あれこれと作っているが、楽しいとしか思いようがない。
 で、その家で食事を作って食べるという愉悦について、じつはもう六年前、2014年に『家めしの王道』という本を、角川SSC新書というシリーズから刊行しているのである。
 これも、今ごろ、この誰もが家めしを原則として、頭を悩ましているときに出せばタイムリーだったが、『風邪はひかぬにこしたことはない』(ちくま文庫)と同様、出すのが早過ぎた。この小著には、家で料理をすることの原則、道具、方法、具体的レセピに至るまで、たっぷりと書いてあるので、ぜひご一読いただきたいものだ。
 もっともそのレセピの多くは、この『写真日記』にカラー写真入りで掲載してあるので、これも御参照いただければ幸いである。

2020年5月3日日曜日

加賀太きゅうり



 金沢の北山吉明ドクターが、能登の七尾の高島園という若い篤農家が、手塩にかけて作っている、加賀名産の赤土野菜というのを、箱にいっぱい送って下さった。コロナ合戦の最中の私達には何よりの陣中見舞いだ。
 いろんな、見たことも聞いたこともないような珍しい地場野菜があれこれあったなかに、私の好きな加賀太胡瓜も入っていた。これを加賀の人がどう料理するのかは、良くも知らないのだが、なんでも皮を剥いて薄切りにしたりして食べるらしい。
 しかし、私はこれが手に入ると、まっさきにイギリス式のキューカンバー・サンドウィッチを作ることにしている。なにしろ、イギリスの胡瓜というのは、みなこの加賀太くらいに太くて、もっと長い、巨大な胡瓜だが、加賀太よりも若干皮が薄くて甘みがある。しかし、日本の普通の胡瓜で作ったのでは、キューカンバーサンドの気分が出ないのだ。それゆえ今回も、さっそく作った。
 キューカンバーサンドウィッチは、ごく単純なもので、要するに、マスタード・バターを薄く塗った食パンに、加賀太を五ミリくらいの暑さの輪切りにしたものを乗せ、それにごく少量の塩をふってから、黒胡椒を少したっぷり目に挽きかける。あとはそれをサンドウィッチにして切って食べるばかりである。
 今回は、同時にスクランブル・エッグのサンドも添えた。
 ああ、このキューカンバーサンドウィッチというものは、あまりあれこれと味を付けてはいけない。ただ塩コショウだけ、そのストイックな佇まいがイギリスだ。
 さっそく、熱い熱いミルクティといっしょに、朝食に食べた。うまいなあ。