2017年12月26日火曜日

クリスマス


 きのうはクリスマスだった。
 私のところは、以前は自宅にみんな集まって、イギリス直輸入のクリスマス・プディング(これについては『イギリスはおいしい』参照)など楽しみながら、クリスマス・ディナーをやったものだったが、今は息子一家はニューヨークに在住だし、娘一家は横田の教会脇の牧師館に住んでいるので、なかなか小金井の実家に大勢であつまるのも大変だしで、このごろは私ども夫婦が娘の家に出かけていって、孫どもといっしょに賑やかにクリスマスを祝うことにしている。まあ、娘婿が牧師なので、クリスマスのときは、いつもよりすこし念入りな食前の祈りなどするけれど、あとは特に敬虔とかいう感じではなく、ひたすら山のようなプレゼントをびりびりと開けて、ただ賑やかに遊ぶだけである。
 アメリカのクリスマスというと七面鳥のローストを思い浮かべるが、ことしは11月の感謝祭の日に七面鳥を焼いたので、クリスマスはポークリブのローストと、ケンタッキー・フライドチキンということになった。まあ、たまには、KFCも悪くない。が、日頃あまり油っ気の強いものは食べないので、きのうは夜までお腹が減らなかった。
 さて、写真は、私の家の近所の愛すべき洋菓子餔メリクリのクリスマスケーキと、わが秘書井上迪子君のお祖母様お手製のシュトーレン・トルテである。シュトーレンはドイツのクリスマス菓子だが、ほんとうはクリスマスの日まで、すこしずつ薄く切って食べて行くというのが習慣らしい。が、こちらはなにしろ大喰らいのアメリカ男がぞろぞろといる家なので、きのう一日でたちまち食べ尽くしてしまった。やわらかで、日本的な風趣があって、しかし、スパイスの効いた好風味、大いに楽しませていただいた。お祖母様ありがとうございます。
 そして結局その日の夕食は、胃の負担を減らすために野菜入りのお粥となった。呵呵。

2017年11月30日木曜日

デュオ・ドットラーレ公演

北山先生・林・井谷先生

左から、居福君・駒田君・林・二宮先生

 11月29日午後七時から、紀尾井町サロンホールでの演奏会、『歌で旅する』を無事打ち上げた。今回のプログラムは、次のとおり。

 PROGRAMME 
第一部 旅は道連れ(デュエット)
 遠くへ行きたい (永六輔作詩 中村八大作曲)
 みかんの花咲く丘 (加藤省吾作詩 海沼實作曲 堀江貞一編曲)
 仰げば尊し (T.H.ブロスナン原詩、HND作曲 文部省唱歌 深見麻悠子編曲)
 琵琶湖周航の歌 (小口太郎作詩 吉田千秋作曲 青島広志編曲)
 旅愁 (犬童球溪作詩 オードウェイ作曲 深見麻悠子編曲)
 故郷を離るる歌 (吉丸一昌訳詩 ドイツ民謡)
 高原列車はゆく (丘灯至夫作詩 古関裕而作曲)
 
 ---- 休憩 ----

第二部 組歌曲『旅のソネット』 全七曲(新作初演)
 林 望 作詩 二宮玲子 作曲
 駒田敏章(バリトン独唱) 居福健太郎(ピアノ)
 1,旅立とう
 2,ひとつの時代
 3,行き止まる
 4,げんげ田の道を
 5,花火
 6,和尚さん
 7,八甲田

  ---- 休憩 ----

第三部 歌のひとり旅(独唱)
 折ればよかった(近藤朔風作詩 ブラームス作曲) 北山
 Whither must I wander?(『旅の歌』より、R.L.スティーヴンソン作詩 R.ヴォーン=ウイリアムズ作曲) 林
 歌の翼に(ハイネ作詩 林望訳詩 メンデルスゾーン作曲) 北山
 翼(武満徹作詩・作曲 ヘニング・ブラウエル編曲) 林

 以上のほかに、アンコールとして『朧月夜』(上田真樹編曲)『憧れのハワイ航路』の二曲を演奏、予定通りの時間を以て、盛り上がりのうちに無事終演となった。今回もこの気候の不順ななか、満席のご来聴を得て、深く感謝申し上げある。
 今回、喘息と闘いながらの歌であったが、それだけに、また思いも一入のところがある。
 写真の上は、デュオ・ドットラーレ。伴奏者は、井谷佳代さん。みんな忙しいなかを、なんとか日程をやりくりしての遠距離恋愛ならぬ遠距離デュオの練習は、ほんとうに大変ではあるが、しかし、その一回一回が楽しく充実した時間であった。人生の幸福を感じさせてくれる音楽との出会いに、まずは感謝である。
 下の写真は、左から、ピアノ居福健太郎君、バリトン駒田敏章君、そして、私の右隣が作曲の二宮玲子先生。こちらは新作の組歌曲『旅のソネット』の初演者組である。駒田君の圧倒的な歌声に場内は喝采の嵐であった。良い作品が出来た。あとはこれをなんとかして多くの歌い手に歌ってもらって、クラシック歌曲界のスタンダードに育てたい、そのためにはなんとかして楽譜を出版しなくてはと熱烈に思っているところである。
 この演奏会には日経電子版のクルーが収録取材に見えて、その記事を池上輝彦さんが上手にまとめてアップしてくださった。その動画は、
 https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24886390Q7A221C1000000
こちらで閲覧できるので、ぜひご一瞥ください。
 次のドットラーレの演奏会予定は、来年五月、金沢の九谷焼美術館において開催することになっている。

2017年11月20日月曜日

行橋ゆき


 11月18日・19日と、北九州の行橋まで講演にでかけた。18日は、行橋市の商工会の女性部会の記念公演というので、御希望により『美味しいということについて考える』という題目で、もっぱら食べ物を論じる話をした。要するに、「おいしい」と感じることと、「満足する」ということは、すぐれて文化的な側面があり、西欧人と日本人のそれは、実のところ正反対だといってもいいくらい違っているのだということを、例を挙げながら縷々お話しした。
 講演は夕方の四時からだったのだが、前日に北九州の苅田町まで行って宿泊し、講演までの空き時間は、例によって、そのあたりの田園を逍遥し、写真など撮って歩いた。苅田は、九州トヨタを始めとする大企業の工場が櫛比して、あまり観光的な町ではないが、それでも、そこから行橋のほうへ向っていくと、たとえば蓑島というところがある。もともとはその名のとおり島であったと思われるが、今は地続きになっていて、夏場は海水浴場として賑わうらしい。
 しかし、冬の今は人気(ひとけ)もなく、寒々とした海辺の僻村という感じが、却って風情となっていた。この写真は、その蓑島の海水浴場である。こんもりとした照葉樹林に蔽われた丘が、いかにも海辺の村らしい。黒潮を感じさせる風景である。


 そこからさらに行橋のほうへ向って、田の畔道(くろみち)を辿ると、河口を隔てた向こうに、沓尾(くつお)という村がある。岸辺の集落らしい穏やかな佇まいの村だ。
 ここにも、なんの当てもなくぶらりと行ってみたが、守田蓑洲(もりた・さしゅう)という篤農家の旧居が美しく保存されているのに逢着した。今は文化財として無料で公開されていて、中に上がることもできる。
 このあたりもぐるりと周遊し、ついで稲童(いなどう)の漁港あたりも散策してみた。稲童には溜め池が多く、それが一種独特の風景美となっている。美しい田園地方である。また古墳群があって、上古にはこのあたりが大いに栄えた場所であったことを偲ばせる。
 その海岸あたりを車を降りて散策していたら、
 「野良犬に注意」
 という看板に遭遇して、慌てて逃げ戻った。野良犬頗る剣呑である。
 そうして、午後に、稲童のギャラリー稲童というところで、こんどは川瀬巴水の木版画の美について語ってきた。

2017年11月7日火曜日

綾羅錦繍


 きのうの夕方、信州の山荘、翠風居に来た。
 三時間ほどの快適なドライブで夕方に到着したのだが、その頃には、もう黄昏ていて紅葉の色はよくもみえなかった。
 けれども、今朝目覚めてみると、窓外はまさに綾羅錦繍の紅葉で、見事な色彩である。
 幸いに、きのうもきょうも小春日和で、信州の山間で標高800メートルの当地でも、さまで寒くはない。これでもう少しすると、この紅葉も落ち尽し、やがて雪がやってくる。
 すでに北アルプスの高峰は雪を被って白く輝いている。
 里の田はすっかり刈田となり、そちこち野焼きの烟りが上がっていて、これで安曇野は案外と烟たい。
 しかし、山荘のあるあたりは雑木林に守られて、幸いに空気は清澄である。
 これから、まもなく熊どもも山へ冬眠に帰っていくであろう。

2017年10月26日木曜日

金沢モリスハウス演奏会


 10月22日の日曜日、折しも台風21号が襲来して、日本中が大荒れの日に、私は金沢で歌を歌ってきた。すなわち、犀川べりにある、ウイリアム・モリスの家を模した教会建築(もとは結婚式場であった由)を会場として、北山吉明・昌平父子の演奏会が開かれたのだが、そこに、特にお願いして出演させていただき、『あんこまパン』全曲、R・ヴォーン=ウイリアムズの歌曲『Whither Must I Wander?』、そして武満徹作詞作曲にかかる『翼』の三曲を独唱し、なおまた、アンコールに、北山父子と三人で古関裕而作曲『高原列車は行く』を重唱してきたというわけである。私の歌のピアノ伴奏は、井谷佳代さん、この写真にピアニストが写っていないのは、まことに残念でありますが・・・。
 折しも台風のための猛烈な風雨のなか、満席の会場では、皆さんが温かく迎えて下され、まことに気持ちのよい演奏会であった。
 写真は、そのうち、『あんこまパン』を熱唱しているところである。
 この教会建築は、声が理想的に響いて、じつに歌いやすいホールである。
 今後、またこの会場を使って、デュオ・ドットラーレの演奏会なども、目下企画しているところ、ぜひお楽しみに。

2017年10月7日土曜日

文庫版謹訳源氏第二巻



 九月から刊行が始まった『(改訂新修)謹訳源氏物語』も、順調に推移して、このほど、第二巻が無事刊行の運びとなりました。
 第二巻は、末摘花から花散里まで、藤壷との密通やら、野宮の別れ、さらに須磨への退隠、明石の入道との不思議な縁など、読みどころ満載で、面白い巻々です。
 まだまだ先は長く、当分大変ですが、校閲者のAさんともども、ねじり鉢巻きで改訂作業に当っています。どうか皆様、本文決定版としての文庫版『謹訳源氏物語』どうぞ最後まで御贔屓にお願い申し上げます。

 

2017年9月9日土曜日

国文学研究資料館講演


 昨日、9月8日は、立川の国文学研究資料館にて、『古文眞寶』についての研究会が催され、今回はとくに武蔵野美術大学の先生がた、大学院生、学部学生の皆さんが大勢参加されての、共同研究集会というふうな催しであった。『古文眞寶』は、私どもは漢文学における日本でもっとも普及したアンソロジーとして研究するのであるが、武蔵野美術大学のほうでは、これを文字デザインの史的研究の対象として格好のものと捉えられる。そこで、文学とデザインと、双方から歩み寄って、お互いの知見を突き合わせ、また対話をすることによって、新知見を得ようという試みである。武蔵野美術大学の皆さんは、非常な熱を以て、これに参加され、国文学研究資料館サイドからは、同館教授神作研一君と私とがその文献としての価値などについて講演した。私としては、『古文眞寶』の受容の側面と、それから文字や版面デザインの側面の両面に亙って知るところ考えるところをお話しし、またPowerPointを用いて、江戸時代における版本の歴史や、その字体などの実際についてご覧いただいた。なかなか面白い議論が交わされた、たのしい研究会であった。

2017年8月31日木曜日

秋景色


 大町滞在も終りに近づいてきた。
 『謹訳源氏物語』文庫版の改訂・校閲作業に追われいるうちに、いつのまにか信濃は秋そのもの、昨日も、この近在のさる手打ちそば店を探索しに出掛けてみたら、もう写真のように稲穂は重く稔って、まもなく刈り入れも始まるかという感じになっていた。
 ことしは天気が悪くて、毎日雨ばかり降った夏で、それは信濃も同じことであったけれど、幸いに稲の成育はそれほど悪影響を受けなかったらしい。
 ただ、こうなってから台風の嵐などに際会すると被害が出るので、まずは安穏なる秋の訪れと無事の収穫を祈るばかり。
 いま安曇野では、林檎がだいぶ色づいてきて、まもなく収穫も始まるであろう。
 また休耕田は多く蕎麦畑に転作されていて、そこここに真っ白な蕎麦の花も可憐に揺れている。ススキも穂が出て秋風に揺れている。
 きょうなどは、台風15号の影響で、一気にシベリアから寒気が流れ込み、わが山荘翠風居のあたりは、ずいぶん寒くなった。あわてて夜はホットカーペットなどオンにして足下を温めることにした。そうしないと、体が冷えて喘息がひどくなるからである。
 ことしの夏もとうとう逝ってしまった。
 この季節がいちばんさびしい。

2017年8月12日土曜日

翠風居にて


 豊橋での演奏会を終えてすぐ、私は酷暑の東京を脱出して、例年のとおり、信州信濃大町の山荘『翠風居』に腰を据えた。
 なんとしても終えなくてはならない仕事は、『謹訳源氏物語』文庫版の修訂と校正である。まあ、もう一度読み直しという仕事で、明けても暮れても再び源氏と対峙する日々であるが、なにしろこちらは冷涼な気候で、一切冷房というものが必要ないのは、体と心の安寧のためにはなによりの環境である。
 ほんとうは欲張って『謹訳徒然草』の執筆にも手を染めようと思っていたのだが、七月以来の体の不調がたたって、なかなかそこまでの余裕がない。
 この不調は、その後、当地の呼吸器の専門医に受診した結果、喘息であるということが確定診断となったので、いまはもっぱらその治療にいそしみながら、やっと仕事も乗ってきたというところである。さるにても、私の喘息はもう若いころからの宿痾だから、これとうまく折り合いを付けながら、しかし最善を尽して仕事をするためには、冷房などの必要なところに居てはやはり問題が多い。冷房の空気を吸うだけで、喘息の発作が誘発されるからである。おかげさまで、やっと声も元に戻り、いまは仕事の傍ら、また全力歌唱を試みることができるようになった。ありがたいことである。

2017年8月3日木曜日

ドットラーレ豊橋公演



 昨日、八月二日は、豊橋の西村能舞台を会場として、また北山ドクターと二人、デュオ・ドットラーレの豊橋公演をやってきた。
 今回は、ピアノ伴奏を井谷佳代先生にお願いして初めての機会であったが、先生の温雅で流麗なピアノに乗せて、大いに歌ってきたところである。
 ただ、北山ドクターは、いつもながらの朗々たる美声で大向こうを唸らせていたものの、私自身は、二週間ほど前から突然に気管支喘息のような症状に襲われて、練習もままならず、ただひたすら本番の時に声が出るようにと必死の養生を続けていたのであった。まあなんとかそれでも途中で落ちてしまうことなく、所定の曲数をすべて歌い終えたというところである。思うように声が出なかったのは遺憾の極みではあるが、なにぶんとも生身の体が楽器ゆえ、こういうことは避け難いところがある。そんななかでも、最善を尽して歌ってきたつもりではある。
 今回も『母の教へ給ひし歌』という題名で、昨冬に金沢で演奏したプログラムに準拠して歌ったが、一部曲目を変更した。
 会場の西村能舞台というのは、豊橋駅からほどちかい住宅地にあって、北山ドクターの従姉さんに当る方がオーナーの個人邸宅内の能舞台で、いまは能舞台としては使用せず、舞台の中央にグランドピアノが鎮座して西洋音楽のための小ホールとして使われている由。ご縁を以て演奏させていただけたのは、まことに楽しい、よい経験であった。

2017年8月1日火曜日

揚げ豚皮


 この夏、一家揃って婿殿のアメリカ(ヴァージニア)の実家に里帰りしていた娘夫婦と孫どもが、元気に無事帰ってきた。
 みんなアメリカの広大な自然のなかでのびのびと夏休みを過ごしたと見えて、一回り大きくなって戻った。なによりのことである。
 さて、ここもとお目にかけるものは、その娘達からのお土産として貰った、アメリカン・スナックである。なんでも、日本には無い珍しいものをと思って選んだそうだが、なるほどこれは珍しい。豚の皮を油で揚げたもので、こういうものは、イギリスにもあるが、イギリスのはほんとうにただ揚げただけで味が付けてないのに対して、アメリカのはいろいろとフレーバーが着けてあるところが、これまたアメリカらしい。で、その一つはバーベキュー味、もう一つはソルト&ヴィネガー味とある。
 さっそく食べてみたが、これはもともとが豚の皮なので、全体に非常に濃厚にオイリーであって、かなり重い。胃弱の私どもには、なかなか食べ切れない味わいのものであった。ソルト&ヴィネガーは、Walker のpotato crisps(日本流に言えばポテトチップ)でお馴染の味だが、相手が豚の皮となるとだいぶ様子が違う。まあ、たとえばビールなど飲む人が、そのつまみにするというような具合式の食べ物かと思うが、お茶では重すぎてちょっと持て余す感じではある。しかし、アメリカ人は、こんな油っこいものをどんどん食べるので、そりゃ太るわけですなあ。

 

2017年7月20日木曜日

バター不使用のショートブレッド


 かねて、ショートブレッドというお菓子は、私の愛好すること深きものであるが、それが美味しいけれど、めったやたらとカロリーが高いという欠点がある。なにしろ、組成からして、全体の三分の一はバター、六分の一は砂糖、というのだからしかたない。美味しいものは体に悪い、そこをどうクリヤーするか、私はまた灰色の脳細胞を運転することしばし、ついによいことを思いついた。
 バターに代えて、オメガ3脂肪酸に富むココナツオイルを使ったらどうか。また小麦粉に三分の一くらいきな粉を交えたらどうか、この二つのアイデアを、さっそく実行してみたところ、見事に成功したので、ここもとご報告する次第である。
 ショートブレッドの製法・材料については、拙著『ホルムヘッドの謎』に詳しく出ているのでごらんいただきたい。その材料の小麦粉300gのところを、小麦粉200g+きな粉100gに変更し、バター200gに代えて純良なココナツオイル200gとする。あとはほぼ作り方は同じだが、ココナツオイルには塩が含まれていないので、かならず塩を一つまみ加えていただきたい。さらに、ココナツオイルの香りが強すぎるといけないので、シナモンを若干加えてみた。
 焼き時間は、今回は生地の厚みを7ミリくらいで作ったので、180度で十五分とした。こうしてじっくりと焼き上げた結果、これはまた見事にショートブレッドが完成。食べてみると、さくさくしてなんともいえぬ美味、これでバターなしとはとうてい思えない。ココナツオイルの香りもちょうといい程度に感じられ、シナモンとよいバランスとなった。これならいくらでもたべられる。きな粉でカリウムやイソフラボンなども取れるし、これは健康志向のショートブレッド、どこかのお菓子屋さんが作って売り出してくれるとよろしいのだが。

2017年7月19日水曜日

ルバーブ

まことにまたご無沙汰で申訳ありません。
 ひさしぶりの更新は、ルバーブのコンポートであります。
 ふつうのスーパーではまだあまり見かけないが、ルバーブという植物がある。これが、見た目は軸の赤い蕗といった風情なのだが、煮るとまるで苺のようなフルーツの味、というじつに不可思議なもの。これについては『イギリスはおいしい』に縷述してあるので、ぜひ御一読願いたく・・・。
 さるほどに、このほどある方から、富士高原にて栽培されているルバーブをたくさん頂戴するという幸いを得た。さっそくこれに砂糖と赤ワインとシナモンと、若干の黒胡椒を加えて色も美しいコンポートを作った。なにぶん蕗の軸のようなものだから、切っているときはザクザクとしてなかなか繊維が強く、こわい感じのテクスチャーなのだが、これを煮るとあっという間にその繊維がほどけてフワフワになってしまうというところがまた、実に不思議である。それゆえ、あまり煮すぎるとすっかり形が崩れてしまうし、酸味が弱くなっておいしくない。あまり煮すぎないところで、ジューシーなコンポートにつくり、これを瓶詰めにして保存すると日もちもするし、実に美味しいものである。
 ルバーブは大黄という漢方薬の下剤の一種で、イギリスでも、もともとはそういう薬草として食べられていたものかと思うが、今はまったくフルーツのように愛好される。全体に爽やかな果実的酸味が豊かなのは、おそらくクエン酸やリンゴ酸を含むのであろうし、赤い皮は葡萄の皮などおなじようにポリフェノールを含有するものと想像される。ただ、苺などと違って、糖分は含まれないので、煮る時は、苺などよりも多めの砂糖を入れる必要がある。
 こうして美しくでき上がったルバーブのコンポートは、毎朝のトーストに、あるいはヨーグルトに添えて、または豚肉のソテーの薬味として、あるいはカレーを作るときのチャツネ代わりにと広く使える。煮え立っている熱々のをそのまま瓶にいれ、即座に固く蓋をして室温になるまで放置し、そのあと冷蔵庫で冷たくして保存すると長期にも保存できる(冷ましてから瓶詰めしては日もちしないので御注意)。

2017年6月21日水曜日

ドットラーレの練習


 空梅雨だ、水不足だとニュースになっていた折から、きょうは、思いもかけぬ豪雨となり、あまつさえ強風、落雷とさんざんな悪天候になった。
 さるなか、かねての予定どおり、金沢から北山ドクターを迎えて、私の家の音楽室でデュオ・ドットラーレの稽古をした。この荒天のなか、おいでいただいたお二人は、すっかりびしょぬれになってしまい、それぞれまずは着ているものを着替えてから、練習にとりかかるという始末となった。
 八月に豊橋で小さなコンサートを開催するので、そのための合わせ練習。今回はピアノ伴奏者に井谷佳代さん(写真一番右)をお願いしての初めての会なので、すこし伴奏合わせも丁寧に実施したところである。
 豊橋は、北山ドクターの従姉さんで西村さんという方の御自宅にある能舞台でコンサートをするという企画で、能舞台でピアノ伴奏で歌うというのは、私にとっては初めての経験である。プログラムは、先日金沢で開催した『わが母の教へ給ひし歌』に準拠し、一部ソロ曲などを変更する。
 あわせて、11月29日の紀尾井町サロン・ホールでの演奏会のための、新曲の試唱もこころみたところであった。外の大嵐もなんのその、熱気むんむんの気合いのこもった練習を終えてから、きょうは、また私の手料理で、茄子と夏野菜のキーマカレーと、野菜のサラダというメニューでありました。
 カレーは、きょうの練習前、午前中に仕込んでおいて、夕方に温めて食べた。自分で言うのもなんだけれど、なかなか美味しくできた。ははは。
 すっかり食事も終って、解散になるころには雨もあがり、良い宵になった。

2017年6月6日火曜日

女子高組とワイワイ


 だいぶ御無沙汰をしてしまい、恐縮の極みであります。
 さて、今は『謹訳源氏物語』を文庫化するに当って、もう一度始めから全部読み直しつつ、超一流の敏腕校閲者にも依頼をして、徹底的に誤脱などを正し、こんどこそは決定版のテキストを作ろうと、目下一生懸命というところである。そんなことで、とくにアップすべきこともなかったため、写真日記もそのままになっていたのであった。
 さるところ、きのうは、かつて慶應義塾女子高校で教鞭を執っていた頃・・・それは私が25歳から31歳までの六年間であったから、茫々たる往時であるが・・・その時分に、その生徒であったOGたちが集まって、四十年ぶりの食事会を催してくれた。みなひとかどの活躍をしている彼女たちだが、集まってワイワイ言っていると、心はただちに女子高生であった頃に戻って、まことに天真爛漫、愉快な一時となった。
 この場所は、新宿高校の直ぐ近くにある、農園ビストロ「マスマス」という、ちょっと隠れ家的な一軒家・・・新宿のど真ん中に、こんな一軒家があること自体が奇跡のような・・・で、その三階個室を借り切っての楽しい美味しい会食であった(このビストロは以前にも同じような会合に使ったことがある)。私はだいたいが宴会というものは大嫌いで、男たちが喜ぶ飲み屋での宴会などは、決して行かないのだが、こういうふうに女性たちの会では、私が飲まないこともあってか、お酒はまあ二の次三の次で、和気靄々としたお喋りで時が過ぎるので、ちっともいやな思いをしない。酔余の狼藉などということも、したがって一切ない。男の酔っ払いの無意味な饒舌に付き合わされるほど時間の無駄にして不愉快なことはないのだが・・・。しかも、この店は完全禁煙につき、タバコの毒ガスを吸わされる気遣いもない。じつに気分爽快なる集まりであった。
 教師をやっていると、こういうことが折々にあって、それがなによりの楽しみでもある。いわゆる教師冥利に尽きるというのであろうか。

2017年5月4日木曜日

安曇野の春


 東京はもう初夏という佇まいだが、安曇野はまだ春のただ中にある。
 いまちょうど、田という田に水が張られ、一枚また一枚と田植えが進んでいる。まもなく安曇野はどこも緑の早苗に覆われることであろう。この写真は穂高のあたりの景色だが、まだ背後の北アルプスの山陵には真っ白く雪が積っている。この雪が融けて流れて田を潤し、地に滲み入ってはやがて安曇野の名水を生むのである。


 北国の里山は、針葉樹の濃緑と、落葉樹の若緑とが美しい混淆をなし、そうしてそのはざまに山桜が満開に咲いている。野には連翹、里桜などなど、百花将に繚乱、しかし、このもっとも美しい季節はあっという間に過ぎて、まもなく初夏の佇まいに変じていくことであろう。

 わがエコノミスト村も、新緑が美しく、水仙や菫、躑躅などの花々が可憐に地を彩っている。冬眠から醒めた熊もおそらくはそこらを歩いていることであろう。猿の群れは村の中を我が物顔に徘徊し、狐やカモシカなども目の当たりに見る事ができる。鳥のことはあまり詳しくもないのだが、日なかに老い鴬が鳴くのを聞いた。樹間遥かに見えるのは北葛岳の雪峰である。

2017年4月26日水曜日

Songs of Travel


 きょうは、かねて注文していたヴォーン=ウイリアムズの『旅の歌』の楽譜が届いた。
 とくにその第一曲の「ヴァガボンド」という歌は人口に膾炙していて、多くの歌手が歌っているけれど、なかなかこの全曲演奏を聞く機会は日本では無い。
 そこで、YouTubeの動画にどんなのが上がっているかな、という興味を持って検索してみたら、いくつか全曲演奏の動画を見付けた。
 片端からそれを聴きながら、ずっと楽譜を読んでいると、ああこれはいい作品だなあと今さらながら心にずんと来るのであった。
 なかでも、第七曲の「Whither must I wander」という歌はほんとうにしみじみとして、詩も曲もまことに美しい。聴いているうちに涙が出てくる。そうして、この曲は練習すれば私自身も歌えるような気がしてきた。いや、ぜったいにこれは歌ってみたい。詩は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンである。この詩が絶品である。
 それを聴いたついでに、あのロイヤル・アルバート・ホールで毎夏毎日催されるBBCのPROMの動画もいくつか見た。とくに最終日の、「Rule Britania」やら、「Land of Hope and Glory」などは、聴衆総立ちでみんな大声で歌っている。ああ自分もここにもう一回行ってみたいなあと、つくづくイギリスが懐かしくなった。そうして、やっぱり俺はイギリスが好きだ、と自分に向って呟いた。

2017年4月21日金曜日

筍のマリネ


 平塚にお住まいの友人Mさんから、御自宅の庭で取れた筍を送っていただいた。毎年頂戴するのだが、今年のはまた例年にまして、アクがなく、柔らかでとびきりの美味であった。もちろん、さっそくに糠を入れて一時間ほど湯がき、そのまま冷まして、下ごしらえは完了。まずは若竹煮を作り、さらに筍ご飯を炊いた。
 とまあ、ここまでは当たり前の筍料理だが、さて、なにか珍しい、また美味しい趣向はないだろうかと知恵を絞る事しばし、これをちょっとマリネにしてみてはどうだろうかという妻の示唆もあって、さっそく作ってみた。
 まず湯がいた筍を櫛形に薄く切り、これに小麦粉を打って、サラダ油でカラリとなるまで揚げる。その前に、酒、味醂、砂糖、減塩醤油、酢、鷹の爪でマリネ汁を作り、同時に玉ねぎをスライスして、さっと熱湯を潜らせて臭みと辛味をとっておく。この玉ねぎスライスをバットに置いて、上から熱したマリネ汁をかけ、カラカラと揚がった筍をば、ジュワジュワッっとこのマリネ汁に落す。
 そうしてすっかりマリネし終ったら玉ねぎスライスを上に被せて、ラップをして冷蔵庫に半日くらい置くとよい。冷えるにしたがって味はよく染み込み、どこかワカサギのマリネ風の姿になってくるが、あじは歴然として筍。しかも柔らかくてさくさくして、じつに美味しい発明料理となった。マリネ汁を濃すぎないように作ることが旨く作るコツである。
 ぜひお試しあれ。

2017年4月17日月曜日

信濃川


15・16の両日、新潟に行ってきた。
 新潟市のリュートピア能楽堂で、遠藤和久・喜久兄弟の能楽師による二番能があって、去年は曽我兄弟がテーマだったのだが、今年は『平家物語』をテーマとして、第一部は『二人静』そして第二部は『船弁慶』という番組であった。
 その解説を終えて、私は帰途についたが、例によって自分の車を運転しての新潟往復、片道約320キロほどの道のりで、まあ独り気楽にドライブしていくにはちょうどいい距離というか、充分に運転の旅を楽しんできた。
 しかし、折柄花見時の週末とあって、とくに帰りは日曜の午後、帰途についた時には、すでに上り線は三十キロの渋滞ということになっていた。
 このまま渋滞に突っ込むのは楽しくない。
 そこで、あちこちのPAで休憩を取り、またはところどころインターで下道に降りて、しばらくは一般国道を走ってみたり、また景色の面白そうなところでは、あれこれと寄り道をしたり、そこらのラーメン屋に入ってみたり、この自由自在こそが自動車旅の醍醐味である。
 今回は、日の暮れぬうちにと思って小千谷インターで高速を降り、しばらく信濃川沿いの国道を走ってみた。
 やがて信濃川も中流域の荒々しい姿を見せ始め、あたりは豪雪地帯とあって、四月の中旬気温は15度くらいにもなろうというのに、まだまだそこら中に雪が残っている。私はしばらく人気もない信濃川堤を逍遥して、その荒々しい川の景色を写真に収めた。こういう景色に遭遇して、ゆっくりと写真など撮る、自動車旅は楽しいなあ、と改めて思ったところであった。
 そんなふうに寄り道のゆっくり旅をしているうちに夜になり、渋滞はもうすっかり解消していたのであった。旅は急がぬに限る。

2017年4月10日月曜日

昆布食パン


 大阪淀屋橋に神宗(かんそう)という昆布の老舗がある。その御主人はさすがに美味しいものが好きで、タバコが嫌いで、しかもお酒を飲まない、ときているので、ちかごろすっかり意気投合し、同社の広報雑誌に料理をつくったり、またご主人の尾嵜さんと対談をしたり、更には、同じく名高い料理人にして、やはりタバコ嫌いで下戸という祇園浜作(はまさく)のご主人ともいっしょに料理談義をしたり、ずいぶん面白いことになっている。
 さて、その広報雑誌に、同社の塩昆布を用いた料理を作ってほしいという依頼を受けて、何品か作った。
 ●蕎麦米の野菜餡かけ、昆布風味
 ●塩昆布入り、甘酒と豆乳のアイスクリーム
というのがその時作った品目だが、じつはそのほかにもアイデアがあった。一つは、衣に昆布を混ぜて揚げた豚ヒレ肉の竜田揚げであるが、これは美味しかったけれども、雑誌には出さなかった。
 もう一つが、ここもとお目にかける「昆布食パン」である。
 なに、作りかたはごく簡単で、同社の塩昆布を細かく切って、粉に交え、自動パン焼き器で焼くだけのことだから、どうってことはない。しかし、その取材のときは時間がなくて焼くことができなかったので、きょう、作ってみた。すると、あら不思議。この神宗の塩昆布は塩だけでなく甘みもあるので、食パンもふんわりと瑞々しく、なおかつ塩気と甘みがバランスよく仕上がったのは期待以上であった。昆布の薫りは幽かにするが、パンの芳香を邪魔する事はなく、ただ、ほのかに旨味が加わったという感じであろうか。とてもおいしい食パンになった。
 もし興味がお有りの方は、大阪神宗の塩昆布(細切り)を買い求めて(通販で手に入る)ぜひ試しに作ってごらんになるとよい。
 

2017年3月24日金曜日

巴水の日本憧憬


 
 きょう、新著の『巴水の日本憧憬』(河出書房新社)がリリースされた。
 去年から編輯・執筆に当っていたものだが、今回は、大田区立郷土博物館の全面的なご協力を得て、多くの資料に直接当って調べることができ、また同館から多くの画像データ使用を許されて、美術書として極めてクオリティの高い出来上がりになったことを、大変に嬉しく思っている。とくにこの大田区立郷土博物館の皆様のご協力には深く深く感謝をしているところである。
 巴水は、私が青年時代からずっと愛好し注目して、また昔は作品もまだまだ安価であったこともあり、何十年と蒐集してきたところでもある。今回は、その家蔵の作品をも少なからず版下として使用した。今日では、あのアップルのスティーブ・ジョブズがコレクターとして多くの作品を買い集めたこともあって、俄に注目を浴び、作品は驚くほど高騰してしまったこと、これは嬉しくもあり悲しくもある。
 出版にあたっては、木版画の風趣、刷りの味わいを極力再現するために、製本、料紙、印刷などに格別の注意を払い、装訂はコデックスとして、フラストレーションなくページがきれいに開いて、見開き図版も中央で分断されることがないように配慮したところである。しかも極く厚いボール紙の表紙をつけて(現代のボール表紙本?!)じつに立派な書姿を持った一冊に仕上げてもらった。これについては、版元と編集者、また印刷・製本会社の皆様に格別のご努力を頂いたところである。
 さらには、川本三郎先生より、すばらしい特別寄稿を頂戴して、花を添えていただいた。今回初めてこういうかたちで紹介する作品も何点かあり、巴水に新しい光を当てるという意味でも、私なりに力を尽くしたつもりである。
 これから、できるだけ講演会やサイン会など催して、多くの方々に手に取っていただこうと思っている。
 巴水を御存知のかたはもちろん、御存知のないかたもぜひこの際、川瀬巴水という素晴らしい画家が大正昭和の日本にいたことを知って、その美しい版画世界を味わっていただきたいと思うのである。

2017年3月18日土曜日

カードを作る

写真をクリックして拡大してご覧下さい。

 このほど、新しくカードを四種作った。かねてから、自作の絵や写真をアレンジして、二つ折りカード用紙に適宜案配し、キャノンのプリンタで印刷して自家用のカードを作っては、グリーティング・カードとして用いたり、あるいは普通に書いた手紙を四つ折りにしてこのカードに挟んで封筒に入れる、などの使い方をしてきたから、こういうカードを受け取ったかたも少なからずあることと思う。今までは、昔イスタンブールのホテル・ペラパラスのアガサ・クリスティゆかりの部屋からスケッチした朝の街風景のカードと、下関の近くの古い漁港の風景のカード(いずれも自画)、それから明治の古い東京風景画を使ったカードなどを使用してきたが、ちょっと新しいのを作りたいと思い、今回また、いずれも自分で描いた絵をスキャンして、新しく作ったのである。前の二枚は、ヴィンテージ・カー(鉛筆画)とバルカン特急寝台車内のエッチング(ペン画に淡彩)、後ろはロンドン西部にある15世紀の古建築(水墨)と、山羊(水墨に淡彩)と、いずれも趣の異なる絵を選んだ。これで季節がらや内容を勘案して、適切なカードを使うというわけである。売ってるカードはつまらない。やはり自分で描いた絵のカードに限る。絵はまだ何百点も保存しているから、さあ、これからまたどんなカードを作ろうか・・・。

2017年3月13日月曜日

伊東へ



 3月の9日・10日の一泊二日で、伊豆は伊東温泉へ春の旅行に行ってきた。むかし、私がまだ学校の先生をしていた時分には、春休みには必ず伊豆へ家族旅行をしたので、そのことをちょっと思い出して、久しぶりに思い立ったのである。
 いや、ほんとうは、夫婦二人で骨休めにでも行こうかという計画だったのだが、娘一家もぜひ一緒に行きたいというので、急遽総勢八人の大旅行となってしまった。幸いに、宿は無事部屋が取れて、アメリカ孫たちも、初めての温泉旅館に宿るという経験をした。伊東温泉の「風の薫」という海沿いの旅館で、どの部屋にも露天風呂温泉が設備されているというのが売り物の、なかなか良い宿であった。写真はそのベランダに設置された温泉露天風呂で、孫どもはまったく初めての経験ゆえ、大騒ぎで楽しんだ。もともと温泉は大町の家のほうで慣れているので、じつはみんな温泉好きなのである。
 とはいえしかし、おりしも春の嵐と言うべき、恐ろしいほどの強風が吹き荒れていて、いや、私もこの露天風呂に入るは入ったが、その北風は轟々と激烈に吹き来たり、体は温かいが、顔と頭はまるで冷凍にでもなっているような、とんでもない体感であった。なかなかうまくは行かぬものである。
 翌日は、熱川温泉近くまで足を伸ばして、太田農園というところで苺狩りをした。これまた孫息子たちには初めての経験で、とくに長男のタイタスは大の苺好きとあって、まるで夢のような一時を過ごしたというわけであった。この農園の苺ハウスでは、二種類の苺が栽培されていたが、いずれも、驚くほど大粒で、つやつやとして、しかも糖度も薫りも申し分なく、そりゃもう「元を取る」意気込みでどんどん食べて、すっかり苺で腹を膨らしたのである。
 そのあとは、そこの近くの、有名な「バナナワニ園」を探訪し、孫ボーイズは、これまた数え切れないほどの各種ワニを興味津々で眺めていたのは、良い勉強になった。写真は、そのワニ園で、三人揃ってワニを見物しては、なにかと評定しているボーイズ。
 まあ、孫をつれての旅行は大変だけれど、お行儀もよく気持ちの良い子供たちなので、引き連れていくのはやはり楽しかった。さすがにちょっと疲れたけれどね。

2017年2月23日木曜日

子規記念館講演と瀬戸内の海



 先週の土曜日、18日に愛媛県松山市の子規記念博物館の招きで、松山まで講演に行ってきた。今回は、
 『子規、私の読みかた』
 と題して、正岡子規の夥しい俳句作品のなかから、主に「食べ物」をテーマとした句を選び出し、それらを軸として、子規の生涯と文学を論じることにしたのである。
 じっさい、子規は、死ぬ直前まで、あの結核の脊髄カリエスのため身動きのできぬ重病の身でありながら、じつにおどろくほどの「食いしん坊」ぶりを発揮していたことは、『病床六尺』や『仰臥漫録』などを読めばわかる。同時に、彼はその苦しい病床にあって、驚異的な気力を以て著述を続けた事にも感銘を受ける。つまりは、食欲と著述は子規の活きていく二つの柱だったような気がする。
 そんなことを中心として、彼の若いころからの作品を概観しながら、同級の夏目漱石との交友にも触れつつ、一時間半たっぷりとお話しをしてきた。記念館の講堂はおかげさまで満席の盛況で、はるばると講演に出向いた甲斐があったというものであった。
 講演を終えた翌日、旧友の愛媛大学清水史教授の案内で近在の鹿島へ景色をながめに行った。良い天気で、瀬戸内海の景色が素晴らしかったが、風が強くていささか寒い日であった。また下の写真は、ご当地名物「鯛飯」のセット。このタレと玉子を熱いご飯に掛けて、そこへ鯛の刺身を和してざらざらと掻き込む。一種の漁師料理であろう。瀬戸内の鯛は、なるほど潮の流れが早く栄養豊かな海の恵みで、まことに結構であった。

2017年1月21日土曜日

ラムのミルク煮



 そもそも私はラムという肉を愛すること、並々ならぬものがある。
 純粋に「肉の旨味」という観点からすると、これは疑いなく、
  ラム⇒豚⇒鶏⇒牛
 という順序になるだろうと思うのである。
 しかしながら、ラムは独特の匂いがあるので、苦手という人もあるかもしれない。この匂いも、私には「香り」という風に感じられて少しもイヤではないが、とはいえ、なにかこう新しい食べ方はないだろうかと、かねて思っていた。もともと、私はラムを食べる時は、ブラックソルトと黒胡椒だけで味をつけて、ソテーするだけの、シンプルな食べ方をもっとも佳しとするのだが・・・。
 すると、きょう天啓のごとくひらめいた調理法がある。
 「そうだ! 牛乳だ」
 というので、私はこれをミルク煮という方法で煮てみたのが、この写真である。いやあ、われながら、これは頗るの上にもう一つ頗るがつくくらい美味しい。
 作りかたは簡単で、フライパンにたっぷりのミルクを入れ、そこにラムの薄切りを入れてしばらくミルク茹でにする。
 いっぽう、ほんとにこれはたっぷりの生姜を千切りにして置く。
 さて、ラムに火が通ったら、一度ミルクから出して包丁で細く切って、こんどは生姜の千切りと一緒にその茹でていたミルクに戻し、味付けは、濃い口醤油、砂糖、そして鷹の爪の輪切り、と、これはちょうどスキヤキくらいの味付けにする。まあ、味加減が分からない人は、「スキヤキのタレ」でも買ってきて入れたら簡単かもしれぬ。
 で、これをすっかり水分がなくなるまで、よくかき混ぜながら煮詰める。その結果が、上記の写真であるが、この風情から想像するとおり、牛乳の味はどこにも残っていなくて、ただほんわかとした旨味だけが残っている。そしてなぜか肉が柔らかく仕上がるのは不思議である。
 嘘だと思うなら、どうぞお試しあれ。

2017年1月12日木曜日

新年の御挨拶


 ややおくればせながら、あけましておめでとうございます。
 この年末年始は、例によってひたすら仕事をしておりました。おかげさまで無事越年いたし、本も二冊つつがなく書き上げた次第です。
 これから『謹訳源氏物語』の文庫化のための校正にとりかかりますが、その間もひっきりなしに原稿の締め切りやら、講演の準備やらが続くので、なかなか休む日がありません。
 さるなかにも、毎日午後三時になると、お茶の時間となりますが、最近出色のお茶菓子として愛好しているのが、写真の、青木屋の「蒸かし酒まんじゅう」であります。これは多摩の銘酒沢の井の酒粕と清酒を加えて作られていて、これがじつによい香りがします。酒を使ってあるといっても充分蒸かしてあるので、アルコール分は完全に飛んでいて、私でも安全に、おいしくいただけます。アンコも上品、ふんわりと柔らかで、まことに結構しごく。だまっていると三つくらい食べたくなるので、一生懸命我慢をしているというところです。
 ただしこのまんじゅうは正月限定で、今月末までしか販売されないので、せいぜい食べられるうちに食べようと思っているところであります。