2009年5月27日水曜日

これはなんぞや

ここもとお目にかける品物は、『夜光パン』というもの。これ、
上越市高田の瓦煎餅専門店栄喜堂の店頭にて発見したるお菓子で、
いかになんでも、この「夜光」というネーミングが不思議である。
べつにこのパンが闇の中で光るというわけでもなさそうだ。店頭に
この名の張り紙が出ていたので、さっそく店に入って買い求め、そ
の際、お店の人に、どうしてこれが「夜光」パンなのかとその由来
を尋ねたけれど、「さあー、どうしてでしょうねえ。昔からこの名
前でして」とのことで、さっぱり解らなかった。食べてみると、
しっくりとした感じの固めのパン生地の上にうっすらと砂糖がコー
ティングされているというもの。これが結構おいしい。私はこうい
う味は予て愛好しているので、二袋買ってきたが、たちまち食べて
しまった。家人にも評判がよかった。このネーミングも、たべてみ
るとなんとなく納得出来る感じもあって、名前も味のうち、という
気がした。地方都市にはときどき、こういう面白い名前のお菓子が
あるのでたのしい。ちなみに直江津には「継続だんご」というのも
ある。これも、一種の餡ころ団子なのだが、この名前が愉快でつい
買ってしまうという感じがする。そういえば、鳥取に「風呂敷饅
頭」というあり、松山に「労研饅頭」というあり、饅頭の世界は不
思議に面白い名前が多い。

2009年5月26日火曜日

雁木通り

このごろは地方講演を頼まれることも多いので、ずいぶんあちこち
に出かける。それで、5月23日に、長野市の清泉女学院
大学の招きで『言葉の品格』という講演をし、それからすぐに移動
して、つぎに25日に上越市高田で、新潟日報主催の上越レ
ディスセミナーの幕開けの講演で、旅の話をしてきた。高田は、
行ってみると、中心部はかなり再開発が進んでいたが、ちょっと中
心を離れると、むかしながらの雁木の歩道が健在だった。この風景
は、雪国高田ならではの、いかにも懐しい景色で、私はここを行き
つ戻りつ、たくさんの写真を撮った。いちどこの雁木の風景を雪の
中で見てみたいと思わずにはいられない。しかし、やがてここも次
第に再開発の手が及んで、こういう昔床しい景色の衰滅も時間の問
題かもしれない。よい景色を見、よい道を歩いた。

2009年5月18日月曜日

スタイルブック

昨夜、23時30分からの三十分番組で「スタイルブッ
ク」というのが放送になった。これは、私の日常の密着取材的な番
組で、執筆、散歩、声楽、能楽、絵画、料理、写真、運転、俳句、
などなど、あれこれと取材したものを要領良くまとめて三十分に収
めてあった。その番組のなかで、私がリュックをしょって写真の撮
影に出かけるシーンがあるのだが、そのとき実際に撮影した写真が
この風景である。用いたカメラは、リコーのGX100という面
白いコンパクトデジタルで、最近はこのカメラを専ら愛用している
のである。ここは白州の尾白川水系の支流の一つで、私の山荘から
すぐ近くにある。ちょうどその時は、新緑で、えも言われず美し
かった。この沢沿いには原生の山吹がたくさん咲いていて、美し
かった。そこで一句。
  山吹は独り毅然と黄なりけり   浮世坊

スタイルブック

2009年5月14日木曜日

西園地引網の豊漁

先月の末に、鳥取の北栄町西園浜の地引き網をテレビの番組で紹介
するというので出かけたということをここに書いた。しかるに、あ
れから、毎日のように大豊漁が続いているという、嬉しい知らせが
現地から届いた。そこで、浜の網元松井市三郎(いちみろう)さ
ん、弟で鮮魚商の功二郎さんをはじめとする網衆のかたがたの御好
意で、その大豊漁の網から、おすそ分けの鮮魚が、今朝特急の冷蔵
便で東京の自宅まで届けられた。あけてみると、まるまると太った
すばらしい大鯵が六本。それから、良い形のスズキが二本、ピカピ
カと光りながら氷のはざまに詰められていた。魚好きの私の家族も
大喜び。さっそく私自身が庖丁を執って、鯵はごらんのように塩焼
き用に仕事をし、スズキは半分は刺し身に、半分はムニエル用の切
り身に作った。さすがに新鮮このうえなく、上乗に脂も乗って結構
至極なる美味であった。ほんとはトロ箱に入ってる状態のまま写真
を撮ればよかったのだが、荷物到着に狂喜乱舞して、前後を弁えず
すぐに庖丁を執って調理にかかってしまったので、あとになって、
写真日記に思いが到ったというテイタラクであった。すなわち、こ
の写真を撮った時点では、スズキの一部は、はやくも刺し身となっ
てわが腹中に収まってしまっていたというわけである。ともあれ、
あの人の良い浜の網衆の方々に、ここで改めてお礼を申し上げる次
第である。

2009年5月12日火曜日

福澤諭吉展

私は大学から慶應に入ったが、その時には、むろん福澤諭吉のこと
はほとんど興味もなかったし、著書を読んだこともなかった。むし
ろ下からの生え抜きの慶應生には、ちょっと不愉快な感じすら持っ
たくらいである。しかし、大学、大学院を卒業して、慶應女子高校
の先生をしたり、付属研究所斯道文庫の研究員をしたり、慶應との
縁はずっと切れなかった。その間にだんだんと福沢諭吉の著書を読
んだり、あるいは世の中のあれこれを見聞きしたりするにつけて、
だんだんと、福澤という人がいかに時代に抽んでた卓抜な思想家で
あったかということを痛感するようになった。今では、福澤は私の
心の師といってもよい。掲出の写真は、家蔵の『女大学評論/
新女大学』である。並装の第十一版であって、とくに貴重書という
わけではない。が、その男女平等、男も女も独立して互いに切磋琢
磨しつつよい調和関係を築くことこそ社会改革の大前提だとした福
澤の思想の新しさは未だに失われていない。10日にこの会場ホールで
行った講演は、その福澤の女性論、また徹底して良き夫良き父で
あった福澤の家庭観、そういうことについて、彼の著述を引きなが
ら一時間半に亙って話した。この、現在博多で開催中の『福澤諭吉
展』は、彼の多面的重層的な人間性と、それゆえに社会の多方面に
与えた影響の大きさ広さを、圧倒的な質と量の展示を以て明らかに
して見せる、滅多とない優れた展講会で、またその図録(2500
円)も、極めて完成度の高い逸品である。願わくは、九州一円の
方、すくなくとも慶應義塾の塾員諸氏は挙ってこれを見聞せられん
ことを! 下の写真は、展講会の慶應義塾側のスタッフと共にとっ
た記念撮影。

うまいっ!

5月8日から10日まで、北九州へ講演に行ってき
た。9日は、苅田町で、『薩摩スチューデント』の話をした。
私はこの町の「町づくりカレッジ」の名誉学長ということになって
いて、年に二回、いろいろな話をしにいくのである。そのあと、博
多に移って、福岡市美術館で開催中の『福沢諭吉展』の記念講演を
した。『福沢諭吉の見ていたもの』という題目で、おもに女性論・
家族論の話をした。その博多は、そもそも美味しいものの多い町だ
が、今回は、またじつに美味しい寿司の店を知った。誰に教わった
というわけでもない。私の定宿としている百道浜(ももちはま)の
ハイアット・レジデンシャル・スイート博多の近くにあったので
ちょっと行ってみたまでである。それがこの写真の店で『まさ庄』
という。付け台の向こうに立っているのが御主人、寡黙で、しかし
篤実な仕事をされる。寿司は東京の一流に劣らない、上品で、過不
足なく「仕事」のしてある、まことに上乗の江戸前寿司であった。
九州も博多となると、こういう名店がひっそりと隠れているので
あった。百道浜に立つTNC放送会館という殺風景なビルの一階
の、何の曲もない構えの店なのだが、寿司の実力は、寿司狂の私が
保証する。醤油などもあの甘い九州醤油でなくてちゃんと江戸紫で
あったのは嬉しかった。しかも値段は、食べたこっちがびっくりし
て恐縮するほどリーズナブルであった。良心的この上もない寿司屋
さんである。もし博多で旨い寿司を食べたかったら、ぜひ訪れてみ
る価値がある。電話092-852-5430

椎若葉

椎とか樟とか、あるいは椿とか、そういう固くて艶のある葉を持っ
た常緑広葉樹を、一名照葉樹という。日本では黒潮の流れに乗って
亜細亜のほうから流れてきたと言われ、とくに南方の海岸に多い。
昔はもっと広くこういう樹林相が見られた筈なのだが、どんどん開
発されていまは神社の境内とか、海岸の傾斜地とか、そういうとこ
ろにしか残っていない。これらの照葉樹でも、椎や樟などの若葉を
特に椎若葉とか樟若葉とかいい、初夏の季語となっている。たまた
ま、私の家の庭に植えてあるマテバシイ(馬刀葉椎)にも、いまや
若々しい新芽が盛大に吹き出して、ああ、椎若葉!と感嘆を覚える
季節がやってきた。その好もしい佇まいをちょっとだけ写真に撮っ
てみた。