2016年12月29日木曜日

鮪のハンバーグ


 きょうは、久しぶりに早稲田の八幡鮨に行った。ちかく創業百五十年にもなるので、そのお祝いの会を企画して、第一回の幹事会をやってきたのである。
 そのついでに、私のほうから特にお願いして、鮪の血合いを分けてもらってきた。血合いは刺し身にも鮨にもならないので、たいてい賄いのオカズにして食べるのだそうだが、栄養満点な鮪の血合いは、うまく料理すれば、美味しい材料でもある。以前に、一度これを竜田揚げにして美味しく食べたので、きょうは、まず骨などを取り除き、そのあと包丁でトントンとたたいてミンチにした。
 そこへみじん切りのショウガ、全卵、玉ねぎのみじん切り、パン粉を混ぜてよく捏ね、さらに胡椒とウスターソース、それに西圓寺味噌を加えてさらに捏ね、小麦粉を付けてよくよく焼いてハンバーグに作ってみた。
 これが魚肉であることは争われぬことながら、たしかにそれはそれで充分に美味しいハンバーグになった。この部位は、おそらくDHAやEPA、鉄分なども豊富に含まれているはずだから、これを食べて栄養をつけることにしよう。
 八幡鮨さん、ありがとう。いただきます。

2016年12月26日月曜日

クリスマス・ディナー


 今日はクリスマス。横田基地のすぐ近くに住んでいる娘の家で、クリスマスディナーを楽しんできた。娘婿はアメリカ人の牧師で、今娘一家はその教会のすぐ隣に住んでいるのである。
 恒例の七面鳥は、昼食のクリスマス・ディナーで食べた。これは六キロほどの大きさのターキーを五時間あまりかけて焼き上げたというわけで、じつに美味しい。思うに、家禽類のなかでも、七面鳥ほどおいしい肉はないのではないかと、私は思うのである。味にじっくりと深みがあって、しかも肉質は淡泊で低脂肪、筋繊維はしっかりとして食べごたえがある。これは娘が焼いたものだが、とても美味しく焼けていた。私ども夫婦に、娘夫婦、それに三人の息子と一人の(生まれたばかりの)娘、と総勢八人でクリスマスを祝った。教会は敬虔なるバプティスト派ゆえ、飲酒は一切御法度とあって、乾杯もジュースであげ、みな素面でたのしくお喋りやプレゼントの披露やら、楽しく一日が過ぎる。
 夕方のサパーには、チャック・ローストというアメリカ料理で、これは牛の肩肉の塊をクロック・ポットという低温調理鍋で半日ほども煮込んだもの。牛肉はほろほろになってまた独特の旨味がある。
 きょうはそういうわけで、ついつい食べ過ぎて胃薬のお世話になった。ははは。

2016年12月19日月曜日

同窓会的・・・


 きのう18日の午後、新宿の朝日カルチャーセンターで、『流露する人情、平家物語』と題した講演をしてきた。おかげさまで教室は満席で、補助イスが出たということであったが、みな和気靄々たる雰囲気のなか、私は講釈師よろしく合戦場やら、別れの愁嘆場やらの謹訳を朗読したり、平家物語の概説をしたり、できるだけ分かりやすくと心がけて話をしてきた。もうすこし若い人たちにも聞いて欲しいなあとは思うけれど、なかなか若い人にまではこの思いが伝わらないのは、歯がゆい思いがする。
 この講座に、かつて慶應義塾女子高で教鞭を執っていた時分の教え子たちが集まってくれて、久しぶりの「リンボウの授業」を楽しんでくれた(彼女達は、リンボウ先生なんて敬称は付けやしないので、リンボウさんとか、リンボウと呼び捨てとか、まあそんなものであった)。みんなもう立派な「おとな」ではあるが、しかし、集まって話をすれば高校時代そのまま、心はいつまでも若いのである。この写真を撮ったあと、みんなでひさしぶりの同期会というか女子会というか、新宿の某料理屋で楽しい会食の一時を過ごした。教師冥利に尽きるというのは、こういう時である。

2016年12月13日火曜日

修道士スタイル


 今年の師走はずいぶんと寒い。ラ・ニーニャの影響かもしれぬ。
 しかし、仕事をするときは、部屋を温かくするのは、どうも好まぬ。だいいち眠くなるし、咽がからからになるからである。
 大昔、受験時代には、真冬のさ中に窓を全開にして、凛冽たる冷気のなかで勉強していて、家人に嫌がられたものであったが、今も基本的にそういうスタイルは変らない。ただし、床暖房になってるので、足だけは温かい。
 ところが首や肩が冷えると、それもこまるので、以前この日記に「勉強頭巾」というものを紹介したことがあったが、今は、さらにそれがパワーアップして、ご覧のような、むかしの修道士のような上着・・・というか、これは袖と頭巾のついたフリース毛布というべきものだが・・・を着て、ぬくぬくと勉強しているのである。
 これはぜひ皆さんにもおすすめする。なにしろこれで暖房費が大幅に削減できるというものだから、エコそのものであるし。

2016年12月11日日曜日

加藤浩子さん著作


 つい最近、平凡社から、三冊の本が贈られてきた。見れば、加藤浩子さんの音楽の本で、平凡社新書の三冊である。
 加藤さんは、じつは私の慶應義塾女子高教師時代の教え子で、気鋭の音楽学者である。どうも「さん」づけはしっくりしないので、慶應義塾の伝統に従って「君」づけで書く事にしたい。加藤君は、慶應の大学・大学院と音楽学を修めた俊秀で、今は多く啓蒙的な仕事に携わっているらしいが、この三冊などは、そのもっとも良い意味に於ける、格好の啓蒙書である。私などは、若いころから日本のことしか研究してこなかったので、ヨーロッパの文化史についてはまことに疎い一人なのだが、そういう立場でこの三冊を読んでみると、ははあ、そうであったか、なるほどなるほど、と打ち頷かれることが多い。
 解りやすく、面白く書かれているので、勉強するというよりは、楽しみながら多くのことを知り得たというところが、すこぶるめでたいのである。
 とかく啓蒙書とはいっても、やたらと難しげな表現を使ったり、どうかすると衒学的なところが目立ったりする本も多いのだが、加藤君の著述は、すこしもそういうところがなく、それはもうほんとうに周到稠密に調査が行き届き、また実際の音楽への「愛」が充ち満ちていて、しかも文章が平易闊達、温かな読後感が得られる。
 この三冊が平凡社から出たというところも良い。平凡社は、今も良心的な出版の態度を持している珍しい老舗出版社で、私も『イギリスはおいしい』『イギリスは愉快だ』『古今黄金譚』などを同社から刊行しただけでなく、名物雑誌の『太陽』にも、何度か特集の案内役として出た事がある。
 はじめて同社から本を出したとき、担当編集者の山口さんは、「初めての本を平凡社から出したというのは、きっと後になって、よかったとお思いになりますよ」と言われたが、果たしてその通りになった。今も私は平凡社の一ファンでもある。
 そういう著者としての良心と力量が、出版社としての良心と底力にマッチして、この三冊は音楽ことにオペラ好きの人には必須の「教養書」となった。ぜひご一読を。

2016年12月7日水曜日

冬じまい


 きのう今日(5日・6日)の一泊二日で、信州信濃大町の山荘の冬じまいに行ってきた。やはりこれから年末にかけては、相当に雪も積るし、気温も、ぐんと冷え込む。それが信州のこの辺りの当たり前の冬なのだ。
 それゆえ、わが山荘「翠風居」も、毎年この時期になると、冬じまいということになる。また来春の三月末ころに、山荘開きをするまで、この山荘はしずかな冬眠に入る。
 行ってみると、もう木々の葉はすっかり落ち尽くし、地面は分厚い落葉の布団をかぶっていた。すこしでも風が吹くと、その落葉がカサコソと音を立てる。それまた一風情というところである。
 さしも甚だしく出没していた熊も、この季節になると山へ帰って冬眠に入るので、いくらか安全になるが、最近は、山の餌が足りないせいか、温暖化の一現象か、わりあいに遅くまで熊が出没する傾向にある。困った事である。
 今回は、熊には遭わなかったが、大きな猿の群がゆうゆうと庭先を通っていくのに出会った。

2016年11月23日水曜日

漱石と古典


 きのうは、東京エフエム内にある、衛星放送局ミュージックバードまで、番組収録に行ってきた。番組の企画とお相手は、同局の名プロデューサで、『謹訳源氏物語』の全巻録音などのプロデュースをして下さった田中美登里さん。もう二十年来の付き合いで、いわば気心の知れた「相棒」というところである。写真左の赤いセーターを着ているのが、その田中プロデューサである。田中さんとは、以前、『リンボウ先生の音楽晩餐会』と『リンボウ先生の歌の翼に』という一連の音楽朗読番組を何年も御一緒したのである。
 今回は、漱石没後100年、生誕150年という記念の番組で、十年前に私が全巻朗読してピア出版から出版したCDブック『夢十夜』を、完全放送してくださるというのが目玉であったが、同時に、「語る文学」として、『謹訳源氏物語』『謹訳平家物語』にも光を当てていただき、おおくの生朗読を交えて三時間の放送を収録してきたのである。漱石では、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』のなかから朗読をした。
 この放送は、次のとおりである。

MUSICBIRD THE CLASSIC(121ch)
「ウィークエンド・スペシャル」
2016年12月4(日)19時〜23 再放送:12月10日(土)12時〜16
夏目漱石没後100年&生誕150年記念
~リンボウ先生が読む『夢十夜』(『源氏』も『平家』も)
ゲスト:林望(作家、国文学者) 聞き手:田中美登里
 
MUSICBIRDTOKYO FMグループの高音質CS衛星デジタル音楽放送。
クラシック、ジャズなどジャンル別に多数のチャンネルがあり、   
これを聴くには専用のチューナーとアンテナが必要。
お問合せは0332219000

 ぜひ、いちどお聞きいただきたく、ここに御案内申し上げる次第であります。


2016年11月21日月曜日

謹訳平家物語完結


 申し遅れました。
 すでに、十一月の頭に、かねて刊行中であった『謹訳平家物語』の最終第四巻が刊行となり、これにて、本作は完結となりました。
 第四巻は、いよいよ大詰め、壇ノ浦で平家が滅亡し、その一族がみな滅ぼされるまでを描き、副次的に義経が頼朝に追われる身となる話もここに描かれます。
 そうして、一番最後に『灌頂の巻』が置かれて、壇ノ浦で生き残った建礼門院が、大原野寂光院に隠棲して念仏三昧の寂しい暮しのなか、後白河法皇が突如訪ねてくる物語が、しみじみとかたられて、さしも長い物語もここに終焉を迎えます。物語全体のなかでも、格別に味わい深いのがこの第四巻に収められた巻十から十二、並びに灌頂の巻であります。
 平家一族の亡魂への鎮魂の物語と言っても良い本作は、私が高校生の頃から愛読に愛読を重ね、心を込めて訳述したもので、ぜひぜひ、ぜひぜひ、多くの方々に読んでいただきたい、それも黙読ではなくて、音読で、しかも聴き手を前にしての朗読で読んでいただけると、もっともよく味わいがわかるだろうと思います。産経新聞の書評欄に、中島誠之助先生が、素晴らしい書評を書いてくださいましたし、また読売・毎日両新聞の書評欄にも著者インタビューが出たところです。合わせて御一読のほどお願いいたします。
 またもと雑誌ミセスの編集長だった岡崎成美(おかざき・しげみ)君が、この作品についてのインタビュー動画(Ⅰ・Ⅱ)を作って、彼自身のフェイスブックにアップしてくれました。こちらもぜひ検索のうえ、ご一瞥くださいますと嬉しく存じます。
 動画や書評は次のサイトでご覧下さい。

↓岡崎成美さんのフェイスブック

https://www.facebook.com/shigemi.okazaki.3?ref=br_rs

↓岡崎成美さんのツイッター(ツイッターでも、動画はご覧になれます)

https://twitter.com/mrsokazaki

↓産経ニュース 〔書評倶楽部〕 中島誠之助さん書評 

http://www.sankei.com/life/news/161119/lif1611190028-n1.html

↓毎日新聞 「今週の本棚」

http://mainichi.jp/articles/20161120/ddm/015/070/030000c

金沢のコンサート


 錦秋もそろそろ終わりになり、山々はすっかり冬化粧になりました。
 さるなか、昨日十一月二十日は、シェア金沢という福祉施設内のライブハウスMOCKにて、北山吉明先生とのデュエット「Duo Dottorale」のコンサートをやってきました。今回は『母の教へ給ひし歌』というテーマで、懐かしい叙情歌や昔流行ったドイツリートの名曲、あるいは子守歌などを北山ドクターと二人で14曲ほど熱唱してきました。この演奏会は、歌が大好きな北山ドクターの御母堂のために、私どもが懐かしい歌を歌って愉しんでいただく、という企画で、ご高齢の御母堂も来られて最前列で聴いておられました。私の母はすでに亡くなりましたが、母も歌が大好きであったので、きっときのうはどこかに来ていたように思います。プログラムは、
  里の秋
  蛙の笛
  野菊
  みかんの花さく丘
  故郷を離るる歌 *
  浜辺の歌
  仰げば尊し
  琵琶湖周航の歌
  鱒 ◎
  歌の翼に *
  アイルランドの子守歌(英語) ◎
  モーツァルトの子守歌
 そして、アンコールに
  朧月夜
  憧れのハワイ航路
 の二曲。*は北山ドクター独唱、◎は私の独唱。あとはすべてデュエットでした。
 なかでも、『仰げば尊し』は、新進気鋭の作曲家深見麻悠子君に嘱して私どものために新編曲してもらった男声デュエット版の初演となりました。美しい編曲で、この曲では、涙が出たという人もあったそうです。また、「鱒」「歌の翼に」の二曲は、私の訳詩の日本語版で。この訳詩版は、音楽之友社の高校音楽教科書のために私が作った訳詩で、今も高校の音楽で歌われています。いずれも原詩に忠実に、分かりやすい現代語の訳詩となっています。また「野菊」「朧月夜」は我が敬愛する作曲家上田真樹君の編曲男声二重唱譜により、「琵琶湖周航の歌」は青島広志編曲版によって歌いました。企画と司会(解説)は私が担当し、ピアノ伴奏は五味こずえ君でありました。
 コンサート終了後は直ちに帰途につき、7時間半、夜の信濃路を運転して駆け戻ってきました。良い一日でした。
  
 

2016年11月4日金曜日

親芋子芋孫芋


 いまは、ちょうど里芋の新しいのが採れる盛りで、今年も糸魚川の息子の嫁のご実家から、りっぱな里芋などをどっさりと送っていただいた。
 東京では、里芋といえば、コロコロと切り離して袋詰めにされて店頭にでているので、こういう姿の「一家」を見ることはほぼない。
 中央にドンと親芋がひかえ、その周囲にりっぱに太った子芋がいくつも付き、さらにその子芋からまた孫芋までひっついている、一家眷族まことにめでたい姿である。
 私の母などはこの親芋が好きで、よく煮て食べていたが、私はどちらかという子芋のねっとりと軟質なほうが好ましい。祖母は彦根の人で、里芋を煮るときはいつも茹でこぼしてこのぬめりを取ってから煮たそうだが、祖父は東京人で、いつも、
 「そのぬめりがオイシイんじゃないか」
 と文句を言ったそうである。私も祖父に賛成である。
 さっそく、ぬめりなど取る事なく、ねっとりと煮て食べた。まことに香りよく、柔らかで、けっこうな冬の旬菜である。

2016年11月3日木曜日

古典の日


 毎年、十一月一日は、古典の日という特別な日に指定されている。
 そのため、各地でその記念行事が催されているのだが、去年と一昨年は、東京で国文学研究資料館主催の講演会があって、私は二年連続でその記念講演をした。いずれも源氏物語についての講演で、やはり古典といえば源氏、というわけである。
 今年は、古典の日推進委員会の主催で、京都での催しがあり、これは講演だけではなくて、対談やら音楽やら、いろいろ盛りだくさんな行事であった。
 その一番最後に、基調講演というのを頼まれて、『源氏物語、そのさまざまな面白さ』という講演をしに京都まで行ってきた。例によって、車を運転して、往復十四時間。まことに普通はそういうことは思いつかないかもしれないが、鉄道嫌いの車好きの私としては、新幹線で行くよりもずっと疲れないから不思議だ。
 そのイベントに、中村勘九郎さんも出演、たまたま楽屋が隣同士だったので、この際、ミーハーよろしく、記念写真をとらせていただいた。思っていたよりもずっと背が高く、体格の立派な人だなあという印象。気さくで腰が低く、とても感じがよかった。
 もっとも、そのイベントは、あれこれ欲張りすぎて、時間が足りなくなり、どんどん押してきた結果、最後の基調講演のところを短くせよと無理難題、最初は五十五分という依頼だったのが、五十分になり、ついには四十分でやれ、というので、源氏五十四帖の浩瀚な世界を、せいぜいコンパクトにお話したところである。が、せめて一時間は頂かないと、時間が短か過ぎるなあと、遺憾な思いであった。
 講演を終えて、そのまますぐに帰京の途につき、名神ー中央高速と、通い慣れた道を通って、坦々と走り、深夜十二時ちょうどに自宅に帰り着いた。

2016年10月9日日曜日

空心菜の花


 ながらくの御無沙汰、まことに恐縮でありますが、じつはこのところ非常にタイトなスケジュールに追われていました。
 その最大のものは、やはり『謹訳平家物語』の初校と再校という仕事です。
 校正といっても、この『謹訳平家』は、朗読テキストというのがコンセプトなので、ふつうの本のそれとは、ちょっとやりかたが違います。そもそも、原稿も第一次草稿を書き上げると、それを朗読しながら、推敲していきます。読んでみて、リズムの合わないところはないか、もっと美しい音律はないかと模索しながら、この推敲だけでも二日くらいかかります。
 こうして完成稿ができると、ベテランの校閲者の元に回し、そこでさまざまの問題点の指摘を受けて、これを初校のときに修正していきます。この初校のときにも、すべて朗読しながら、極力文章を洗練するべく努力します。そして再び校閲者に戻して再校が出ます。再校もまた、朗読しながらやっていくのです。草稿から再校を上げるまでに、なんども声に出して読んでみて「朗読テキスト」としてのブラッシュアップをしていくわけです。不思議なことに、黙読しているだけでは気付かない不具合に、朗読すると気付くことが多いのです。それだけテキストに集中するということなのでしょう。
 だからこの本は、黙読しないで、ぜひぜひ朗々と音読してほしいと思っています。
 ともあれ、『謹訳平家物語』は、全四巻、ついに完結し、まもなく印刷にとりかかります。十一月下旬までには刊行になると思います。
 やっと少しだけ時間ができたので、また信濃大町の家に来ています。まだ少し早いのですが、いくらか紅葉が始まっています。今日、金沢から北山ドクターも来村して、また二人で歌の稽古に励みます。
 そこで昨日、大町のスーパーで買ってきた地元野菜の空心菜を、今朝の朝食で食べようと思ったら、なんと、ピンク色の可憐な花がついていました。かわいいので写真にとりましたが、食べてみたら、茎のところは固くて歯が立ちませんでした。花が咲くようになっては、つまり「薹が立ってる」ということなんですね。

2016年9月5日月曜日

信州の秋


ながらく御無沙汰をいたしました。
 八月は、信州の山荘翠風居に独りこもって、ひたすら『謹訳平家物語』の執筆に専念しておりましたが、幸いに、八月の末に灌頂の巻まですべてを書き上げ、無事東京に戻ってまいりました。
 まだ青々とした稲の苗が水漫々たる水田に揺れていた六月ころから信州に行き、八月末に戻ってきた頃には、写真でもおわかりのように、水田はすでに稲穂が黄金色に実って、豊かに頭を垂れておりました。
 ふと道の反対側、梓川の岸辺を眺めてみると、もう一面のススキ原で、風はまだいくらか暑気を含んではおりましたが、東京の空気とは格別、やはり明らかな爽秋の気配が横溢しておりました。
 それから一週間あまり経って、今ごろはおそらく、朝晩は肌寒い気温になっているだろうと想像しています。九月になると、里のそこここに、熊の出没が著しく、秋は注意しなくてはならない季節でもありますが、しかし、信州の秋の美しさ快さは、子供の頃からいつも信州で夏を過ごしてきた私どもには、まさに故郷の秋という感慨があります。
 『謹訳平家物語』の最終第四巻は、ただいま校閲作業中にて、十一月に予定どおり刊行される手はずになっておりますので、どうか読書の秋に、一冊お手元にお備えくださいますよう、心からお願い申し上げます。

2016年7月24日日曜日

夏祭

きょう、夕方にまた町まで歩きに行った。もちろん運動のためである。山荘のあたりは熊公が出るので危険で歩けないので、わざわざ町まで出るのである。すると気温が、山荘のあたりより数度乃至五度くらい高くて、町は暑いのだった。
 しかし、きょうは近在の若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の例大祭の日で、町中が歩行者天国になっていた。面白いから見物に行ったところ、各町から祇園祭の山鉾のような山車や舞台が行列して、それはなかなか盛んなものであった。
 さらに行くと、駒に騎乗した稚児の行列などもあって、どこからか集めてきた各種の馬に跨った稚児たちが、悠々と通り過ぎていった。山車の前には、町内の大人というか長老というか、貫録を見せたおじいさんたちが羽織袴にパナマの帽子やら、裃に陣笠やら、黒いスーツの正装やらで粛々と先導していくのであった。この写真の山車は、高見町からでた「安珍清姫」の舞台であった。舞台下は囃子方が入っていて、御簾内で囃子を奏でる。なかなかの盛儀と見えた。普段は寂しい町も、この時ばかりは人だかりでエネルギーを取り戻しているように見えた。

2016年7月17日日曜日

猿の群れ

信濃大町の山荘あたりは、ほんとうに豊かな里山という感じで、熊も出る、鹿も歩く、イノシシも走る、そしてニホンカモシカなども折々村内をぶらついている。なかで、もっともよく来村する賓客はニホンザルの群れ、というか一家である。大きなボス猿があたりを払うような威勢を示してゆく周囲を、何頭かの母猿はおのおの小さな子猿をおんぶしたり抱っこしたり、少し大きくなった少年猿は、人間の子供と同じように、縦横無尽に駆け回り、大声を出し、好奇心を発揮し、それはもう見ていると可愛いものだ。
 ただ、この野生の猿も、近づくと危険なので、遠くから眺めるだけである。
 現在私の家は、屋根の塗装工事のための足場が組んであるので、いわば、猿にとってはジャングルジム風の面白さがあると見えて、若い猿どもは、この足場に上ったり降りたり、走ったり、ゆすったりと、楽しそうに遊んでいる。
 たまたま一匹が足場に乗って辺りを眺めているところが写真に撮れたので、ここもと御目にかける。なんとなく格好になってるねえ、これは。

2016年7月8日金曜日

白馬へ

一週間ほど前から、例によって信濃大町の山荘に隠棲中である。今回は、なんとしても『謹訳平家物語』を最後まで書いてしまわなくてはならぬ、と悲壮なる覚悟で、酷暑の東京を逃げ出し、山のような本を持参して、こちらに篭居しているのである。
 さるなかにも、昨日からは、アメリカ在住の息子の娘たち・・・つまり孫娘どもが二人だけでこの山荘に「お泊まり」に来ている。東京は異常な酷暑なので、ちょうどいいときにこの涼しい山峡の里に来たものだと思う。
 しかしながら、ただでさえ小さな家に、二人の「賓客」を迎えるとなると、なかなかたいへんで、庵主の私だけが超然として執筆に励むというわけにもいかず、実質的には、一日じゅうこの孫たちの世話や家事に明け暮れる始末である。
 さるなかにも、きょうは白馬村へ遠足にでかけた。行ったのは、白馬ガラス工房というところで、いわゆる蜻蛉玉と呼ばれるガラス玉を使って、手作りのアクセサリーを拵えるという、まあ女の子の好きそうな趣向を求めて出かけたのである。
 行ってみると、白馬村は、どうしてどうして堂々たる高原リゾートになっていて、長野県では軽井沢と並んで見事なランドスケープデザインが施されている。ホテルやペンションもよいデザインのものが櫛比して、まるでヨーロッパに迷い込んだような印象であった。近くに避暑に来ていて、白馬がここまで美しくでき上がっていることを知らずにいたのはまことに不覚であった。
 写真は、そのなかでもなかなか出色のホテル、「ラ・ネージュ本館」で、八方の麓、和田野の森というところにある。じっさい、堂々たるイギリス風の建築で、いわばヴィクトリア時代からエドワード時代に流行した擬古的デザインである。残念だったのは、ここまでイギリス風に作っていながら、ちょうど午後三時であったにもかかわらず、「アフタヌーン・ティ」のようなサービスを全くしていないという、この一点であった。これだけのロケーションがあるのだから、ぜひティのサービスをするとよい、と強く経営者に勧めたいと思ったところである。
 この森あたりは標高が千メートルくらいあるのであろう。ごく冷涼で、じつに気持ちのよい気温であった。また、来るべし。

2016年6月23日木曜日

タンゴの時代東京公演

きょう、6月22日は、東京紀尾井町の、紀尾井町サロンホールで、『タンゴの時代』東京公演を開催。
 これは先月金沢で催したコンサートと、ほぼ同じ内容(一部変更)の、楽しいタンゴの展覧会式演奏会でした。
 幸いに、今回は、私の声帯の調子もよろしく、思うように歌えたので、終った後の気分も最高でした。
 終了後、打ち上げをにぎやかにやって、ついさきほど帰宅。
 これから寝るところです。
 この充実した実り多い一日を、天に感謝しつつ。
 ああ、楽しかった。
 写真、左から、中田佳珠さん(P)、五味こずえさん(P)、私(B)、北山ドクター(T)、力石ひとみさん(BN)、演奏終了後の記念写真。なんだか楽しかった空気が写っている感じがしますね。

 また次は、さあ、なにをやろうかなあ・・・じつはもう次も決まっていますが。
 乞う御期待。


2016年6月14日火曜日

ねじばな

ことしも我が鍾愛するネジバナが咲いた。
 この花の面白いことは、おどろくべき生命力である。一つ一つの花を見ると、まるでグラジオラスのような姿で、色も可憐そのもの、過度に自己主張しないその控えめな花の姿といい、約束通り毎年咲きいでる律義さといい、なんともいえず好ましい花である。
 毎年、初夏の季節になるころ、カラカラに乾燥していたハンギングの鉢に、ボヤッとした感じでこの草は芽を出す。宿根草なので、その古い根から毎年新しい芽がでてくるのだ。これが二三度の雨に当たって、ぐんぐん、ぐんぐんと伸びてくると、まもなくこういうふうにピンクの可憐な花を咲かせる。下から順に咲いていって頂点まで咲き切ると、あとは枯れるばかりである。真夏の炎天になるころには、すっかり茶色く枯れて、この鉢はまたもとの荒涼たる枯野の風情に帰る。そうして、猛暑炎天の日々を、ひたすら乾燥と熱暑に耐えて生き抜き(まるで砂漠のサボテンもかくやという生命力の強さである)、もしや枯れてしまったかなあと危ぶんでいると、また明くる年の初夏に、同じように芽が出てくる。
 ことしはまた、例年になく花茎がたくさん立った。最初に生えたときは、ほんの二三本であったのが、今年は二十本近くも咲いた。
 なにしろ、この鉢は、ただここに懸けてあるだけで、水も肥料も一切与えたことがない。そういう過酷な環境でも、律義に花を咲かせてくれるネジバナ。ああ、人生もかくあるべしと教えているようではないか。

2016年6月6日月曜日

滴翠園コンサート



大分県日田市鶴河内の旧家井上家滴翠園の穀蔵ホールでの演奏会は、無事、盛況裏に終了した。同家の築百年を記念しての演奏会で、『いまむかし歌の教室』と題して、テノールの勝又晃君と二人、男声デュエット「デュオ・アミーチ」として、なつかしい唱歌や歌謡曲の数々を歌い、また、それぞれの独唱で、勝又君はよく知られたテノールの名歌曲『カタリー』『エストレリータ』それに『帰れソレントへ』を、天にも響けとばかり、朗々と輝かしい声で歌い、私は、ガルデルのタンゴ『こいつぁだめさ』、アイルランド民謡『the Rose of Tralee』、小林秀雄『落葉松』、高田三郎『くちなし』を、しんみりと歌ってみっちり二時間の演奏会となった。
 写真は、本番に先立って、三日の夜におこなったリハーサルの風景である。
 当日はあいにくの大雨で、邸内はぬかるみ、足下が悪い状態であったけれど、お客様は続々と詰めかけてこられ、ホール内は人であふれ返って超満員となった。
 唱歌や歌謡曲などは、お客様がたのなかにも、いっしょに口ずさまれる人が多く、非常に熱気あふれる演奏会の空気は、ちょっと経験しない楽しさであった。
 十七年前の同ホールこけら落としの時もそうであったが、リハーサルと本番と、それぞれ終ったあとには、お心尽くしの手料理で、盛大にもてなされ、その美味、その豪華、言うべき言葉を知らぬくらいの御馳走で、これには、まったく感動また感動、胃袋が三つくらいは欲しいなあと思ったことであった。写真は、地元の川で釣られた天然鮎の焼き物、やはり鮎は川魚の王者というべく、まことに結構な風味であった。
 コンサートは四日の夜であったので、同日の昼間、しばし日田市内豆田町の古く美しい町並みを見物にいった。以前に来たときも、また別の取材で訪れたときも、豆田町は探訪したが、いっそう清潔に整備されたようで、まるで映画のセットのようであった。
 本番は、地元のケーブルテレビが二台のカメラを据えて撮影収録し、また大分日々新聞も取材に見えた。地元ではそうとうに大きなイベントとなったことであろうと思われる。井上邸は、生きた文化財、その見事な建築技巧と意匠には、つくづく脱帽である。
 季節がら、夜は蛍の明滅を眺めたのも、また珍しく楽しいことであった。

2016年5月26日木曜日

謹訳平家物語第三巻

ちょっとお知らせするのが遅くなりまして恐縮ながら、現在刊行中の『謹訳平家物語』の第三巻がリリースとなりました。
 この第三巻は、いよいよ平家が滅亡にむかって、坂道を転げ落ちていく「滅びの章」ともいうべく、全体に悲壮感ただよう名場面が目白押しです。
 都落ちの哀話、義仲の沙汰、義経の出陣、一の谷の合戦、そのほか、各地で転戦しながら、しだいに衰微していく平家のありさまが、じつにすばらしい表現で書かれています。私などは訳しながら落涙したくらいの名場面が、いくつもありました。ぜひぜひ、皆さま書店で手に取ってご覧下さい。そしてお求めになって、折々に朗読してみてください。あるいは朗読会などをなさっている方は、ぜひこの一冊を朗読テキストとしてお取り上げください。日本古典のなかでも出色の面白さを、ぜひぜひ感じ取っていただきたいのです。またこの作品は、『源氏物語』などとはことなり、高校生くらいでも充分に理解し味わうことのできるものなので、とくに若いかたがたにご一読をお願いします。
 なお本書については、さきごろ毎日新聞に著者インタビューが掲載されたので、下記のサイトでご参照ください。
 http://mainichi.jp/articles/20160517/dde/018/040/036000c
 また、『赤旗』日曜版5月29日の紙面にも、大きなインタビュー記事が掲載されますので、ご覧いただけますと幸いです。

2016年5月22日日曜日

あんこまパン

さて、金沢のコンサートを無事終えて、次は日田市鶴河内にある、井上邸滴翠園ホールでの「井上邸壱世紀記念コンサート」である。今回は、懐かしい叙情歌の二重唱が中心で、お相方は、テノールの勝又晃君。伴奏は、いつものとおり五味こずえ君である。
 そこで、その最後のリハを20日におこなった。まあまあ、声の調子もよろしく、勝又君とのデュエット「デュオ・アミーチ」はもうずいぶん経験を積んだことでもあり、たのしく合わせることができた。独唱曲もたのしく歌い通す事ができたのは、一つの収穫であった。
 リハに先立って、私の手料理で「まかない」を供したが、今回は、サンドウィッチでの軽食とした。手前の石皿には、ポテトとキューカンバーの、真ん中の印版の皿にはスクランブルエッグ、ツナとフライドオニオンの、それぞれサンドウィッチがのせてある。キューカンバーは加賀の太胡瓜を用いてイギリス風に仕立てた。そうしていま勝又君と私が手にしているのが、本家本元『あんこまパン』である。考えてみると、歌では何度も歌ったけれど、彼らにこの「あんこまパン」を御馳走するのは、これが最初であった。幸いに、二人とも、おいしいおいしいと言って平らげてくださったのは、まことにありがたいことである。この「あんこまパン」の作りかたについては、拙著CDブック『あんこまパン』をご参照願いたい。

2016年5月21日土曜日

金沢コンサート

去る5月18日、金沢アートホールでの、林ー北山組(デュオ・ドットラーレ)のコンサート『タンゴの時代』を無事終了した。この写真は、当日のリハーサルでの一コマで、男二人の間に立って歌っているのはピアニストの中田佳珠さん。アンコールの『夏は来ぬ』を歌うに際して、この際、ソプラノとして歌い手に加わっていただいたのである。中田さんは金沢大学付属高校の音楽の先生でもあるので、さすがに堂々たる美声で大いに花を添えてくださった。ピアニストは五味こずえさん、バンドネオンは力石ひとみさん。
タンゴの時代、というテーマだからというので、今回は、敢てタキシードでなくて、もうすこしラテン的なものをめざし、ご覧のような格好で歌った。われながら、すこ〜〜しキザであるが、まあ、タンゴだからこのくらいキザでもよろしかろうと思っているところである。しかるに、肝心の歌は、なかなか思うようにもいかなかったのが、切歯扼腕であったが、いずれ次回は捲土重来を期したいと、そう思っているところである。
          
すべてのプログラムが終って、フォワイエで記念撮影。左から中田佳珠さん、力石ひとみさん、私、北山ドクター、そして五味こずえさん。おかげさまで、場内は超満員という嬉しい悲鳴となった。
 さあ、いよいよ次は紀尾井町サロンでの東京公演である。こんどこそ、失敗しないようにがんばって歌いたいとひそかに期するところがある。

2016年5月9日月曜日

リハーサル

だんだんと金沢コンサートの日も近づき、いよいよ今日がひとまず仕上げのリハーサルということになった。
 きょうは東京の拙宅に、北山ドクター、バンドネオンの力石さん、そしてピアノの五味君と集合して、一通りの曲目を試みた。私自身は、まだまだ仕上がるところまで到達せず、これから一汗かいて努力しなくてはなるまいと思っているところである。
 が、北山ドクターは、もう本番さながらの万全の仕上がりに近く、堂々たる歌声にはうならされた。ぜひ、私もこういうふうに歌いたいものだと、密かに期するところがある。
 リハが終ったあとは、私の手料理にて夕食をともにした。
 きょうのメニューは、まず林特製ハヤシライス、とまあ洒落のようだが、もともとこのハヤシライスというのは、丸善の早矢仕有的(はやし・ゆうてき)が考案したものとされているので、林望が作ってハヤシライスというのは、別に洒落でもないのである。このハヤシライスは二日がかりで念入りに作ったのでかなり手間ひまがかかったが、それなりに美味しくできて、皆さんに喜んでいただいた。それからコールスロー、これはイギリス定番のキャベツのサラダである。手前の鉢に入っているのは、筑前煮で根菜を主とした煮物ゆえ、三つ揃えて栄養的に万全を期したというところである。
 さあ、これからまた練習、練習。

2016年5月6日金曜日

地には菜の花

世の中はゴールデン・ウイークだというので、さぞかし道が混むだろうと思い、毎年この時期は外に出ないで過ごしてきたのだが、今年は、ふと思い立って、三連休の中日五月四日に信州信濃大町の山荘へやってきた。すると、この日は中央高速はまったくガラガラに空いていて、三時間半ほどで到着することができた。こんなことなら、毎年来ようかなあと思っているところである。
 今回は、北山ドクターも、御母堂を伴って来村されたのだが、折しも新緑が滴るようで、その美しさは御母堂にも大変喜んでいただけたそうである。まことにめでたい。
 しかし、私の方は、どういうわけかひどい寝違え状態で、まるで首が回らず、その痛みでろくに夜も眠れないありさま。とはいえ、喧騒を離れて、新緑滴るごとき信州の天地に遊んでまことに心の保養になった。
 きょうは、北山ドクターと同道して、白馬のほうまで蕎麦など食べに行った。快晴の空のもと、芽吹きの山には、まだ桜も残り、地には一面の菜の花、そして田には満々と水が張られて、いよいよ田植えの時期となった。
 信州のもっとも美しい佇まいが、そこにあった。一年に何度とない好日である。

2016年4月18日月曜日

松阪行

先週の土曜日に、松阪の本居宣長記念館の主催で、鈴屋学会が開催され、そのまあ、一種の基調講演を頼まれたので、宣長の愛して止まなかった『源氏物語』について、いささかの講釈をしてきた。
 松阪には、初めて足を踏み入れたのだが、さすがに江戸時代には紀州藩の治めるところであったという歴史を思わせる、どこか丈高い風格のある町である。今回は、あいにくに奥歯が痛み出すというハプニングに襲われ、本来は、講演終了後もう一泊して松阪のそちこちを探索してくるつもりだったのだが、それも今回は諦めて、ただちに帰途についた。それゆえ、せっかくの松阪をろくに見ることもできなかったのは、はなはだ心残りと言わねばならぬ。いずれまた再訪の機会もあるであろうということを期待して、今回はまっすぐに帰ってきたのであった。
 ただ、同記念館の館長吉田悦之先生のご案内で、同館の誇る豊富な宣長自筆本の展示を逐一拝見し、極めて深い感銘を受けた。宣長にはいままでやや縁遠い感じであったけれど、知れば知るほど、私自身と共通する思念の存在を感じ(恐れ多い言いかたではあるけれど)なんだか他人のような気がしないのであった。
 また隣接地に移築されている宣長の旧居にも館長じきじきのご案内を頂き、特別に宣長の書斎にも参入することを許されたのはまことに望外の幸いであった。
 清潔質素、そして大きく開かれた窓の外には緑が滴るようで、もともとあった場所では山や桜が窓外に望見された由である。この床の間の一行書きは宣長にとっての心の師であった賀茂真淵の霊位を表したものである(この字は宣長の自筆)。
 『源氏物語玉の小櫛』を読むと、宣長が源氏をどういうふうに読み味わっていたかが解るが、それは私も、自分自身の考えを書いたかと思うくらい同感するところである。まあ、そんなことも少しばかりお話しながら、講演そのものは物語のなかで紫上がどのように描かれているかという、その創作意図を探るという方向でお話をし、例によって謹訳源氏の朗読なども交えてお聞き頂いた。
 松阪はよいところ、ぜひまたゆっくりと訪ねたいと思っている。

2016年4月6日水曜日

タンゴの時代

(詳細なデータは、この画像をクリックすると大きく表示されますので、拡大表示の画面でご覧下さい)⇒東京の紀尾井町サロン公演のほうはチケット完売になりました。金沢アートホール公演のほうはまだ多少残席がございますので、揮ってお申し込みください。
いよいよ、私どものコンサートのチラシが出来てきました。
五月の金沢コンサートと、六月の東京コンサートは、同じプログラムなので、この一枚で共用することにした次第です。
 金沢市アートホールのほうは、300席ほどのキャパシティがあるので、まだ余裕がありますが、紀尾井町サロンホールのほうは、80席しかない小サロンなので、すぐに完売満席となることが予想されます(去年の十二月のコンサートのチケットはあっという間に売り切れとなってしまいました)。
 ですので、もしご来聴希望のかたは、いずれもお急ぎ、上記連絡先までチケットのお申し込みをいただけますよう、お願い申し上げます。
 コンサートのプログラムが一部変更になりました。

  第一部
  こいつぁだめさ(ガルデル作曲『Por Una Cabeza』の林望訳詩版)
  勁き心で(カナロの『Corazon de Oro』の林望訳詩版)*
  あなたの診断(インストルメンタル)
  いまひとたび(高木東六作曲、旧題藤浦洸作詩『古い港』林望新詩版)
  遠い春(高木東六作曲 野上彰作詩)*
  悲唱(高木東六作曲 門田ゆたか作詩)*
  忘られぬ夢(高木東六 鳥羽俊三作詩)
  (休憩)
 第二部
  君帰る日は(ガルデル作曲『El dia qe me Quieras』の林望訳詩版)
  黒猫のタンゴ(パゴーモ作曲 おおのみずほ訳詩)*
  オブリヴィオン(ピアソラ作曲、インストルメンタル)
  リベルタンゴ(ピアソラ作曲、インストルメンタル)
  霧子のタンゴ(吉田正作詩作曲)
  だんご三兄弟(内野真澄・堀江由朗作曲、佐藤雅彦・内野真澄作詩)*
  など・・・(*印は二重唱)

 目下、私どもは信濃大町の山荘に一堂に会して、リハーサルを重ねております。どうぞみなさま揮ってお運びくださいますよう、心よりお願い申し上げます。

2016年3月29日火曜日

デュエット練習


 昨日の日曜日は、信濃大町に集合して、北山吉明先生とふたり、今回のコンサートのための練習に励んだ。
 なにぶん今回は、初めて接する古い和製タンゴ(高木東六作曲)が何曲もあり、しかも独唱もあれば二重唱もあるというわけで、まずは少し回数多く稽古をしなくてはということになった。
 幸いに、北山先生の大町エコノミスト村内の山荘「蓁蓁居」も新装なって新居開きということになり、そのhouse warming を兼ねて、練習をすることになったのである。蓁蓁居は、私の山荘翠風居から歩いて二三分のところにある。
 いくつかの良く知られたアルゼンチン・タンゴも含めて、メインはタンゴ。コンサートも『タンゴの時代』と題したことゆえ、今回は、金沢在住のバンドネオンの名手力石ひとみさんにも加わっていただいて、タンゴ初心者たる私どもの、たのもしい支柱となっていただいた。
 今回の練習の伴奏ピアノは、金沢在住の中田佳珠(かず)さんが参加してくださった。
 美しい森のなかの蓁蓁居には、薪ストーブの火が燃えて、たいへんに居心地のよい家である(写真で私の顔が赤らんで写っているのは、ストーブの火が暑くて火照っているのである)。そこで、まずはこけら落としとして、こうして楽しく一日を歌い暮らした。まもなくチラシも刷り上がってくるので、そしたら、またここにそのチラシを掲載しようと思っている。乞う、ご期待。
 

2016年3月16日水曜日

私の朝食


 ずいぶんまた更新をさぼっていたことを申し訳なく思っています。
 じつは、『謹訳平家物語』の第三巻を書き上げるのに専念していたこともあり、なかなかここにご報告することがありませんでした。
 しかし、それも無事完了して、現在のところ四月の末には、第三巻がリリースされる見込みとなっております。

 さるところ、きのう、『サライ』という雑誌に頼まれて「私の朝食」という取材を受けた。しばらく前にも、別の雑誌で同じような企画があり、それにも出たので、やや重なるところが避けられないけれども、まあ朝食はそれほど変ったものは食べないので、すこしだけ変化をつけて出すことにした。今回の献立は、ほんとに毎日の朝食というのに近く、ご覧のように、ソーセージとブロッコリの茹でたのが主菜で、そこにフルーツトマトをサイドディッシュとしてつけた。これには「便利で酢」というトキワという会社の作っている調合酢と黒胡椒がかけてある。この食べ方はトマトの調理法としてベストではないかと、私は密かに思っているところである。主食としては自家製食パンのココナッツオイル焼き、それに自家製柿コンポートをジャム代わりに添えた。左上に見えているのはデザートで、これは「デコポンのピザ」である。なに、できあいのピザ台に、デコポンの実を剥いて散らし、そこに砂糖と黒胡椒を適宜蒔いてから、低脂肪の融けるチーズをのせて、250度で6分ほど焼いた、それだけのものだが、これがまた実に美味しいデザートである。たまたまピザ台とデコポンがあったので、試しに作ってみたら大成功であったという次第。どうか皆様もぜひ、夏みかんや伊予柑などでお試しあれ。ほかに、飲み物はミルクティ、そして無脂肪ヨーグルトとヤクルト400を一本。実際には、この朝食は二人前である。
 このサライの記事は、五月発売の六月号だという話なので、まだだいぶ先のことであるが、刊行の暁には、ご覧いただければ幸いである。

2016年1月21日木曜日

丼の美学

以前、どんぶりを蒐集しているという随筆を書いたことがあった。それを読んだテレビ制作の人が、NHK衛星放送第一で放映している『美の壺』という番組に出てくれないかと言ってきた。いやなに、私のどんぶり蒐集ってのは、とてもとても美術番組に出てお見せするようなものではなく、そこらの安物を面白がって集めているにすぎないからと、一生懸命にお断りしたのだが、「いや、その大衆性にこそどんぶりの本質があるというものですから、ぜひぜひぜひぜひ」と重ねてお願いされてしまって、しかたない、この上は恥をかきに出てみようかと、また例の物好き魂が蠢動して、とうとう正月早々に出ることになった。といっても収録は私の自宅でというので、いままで孫どものおもちゃ棚になっていたところを急遽片付けて、そこにそれらしく丼どもを並べつつ、なんとか格好をつけた。
 じっさい、私の丼コレクションは、まことに大衆的なもので、決して中島誠之助さんにお見せするようなシロモノではない。しかしながら、丼ってのは、そこらの大衆食堂で、職人衆などがガツガツと昼飯をかっこんだ、そんな場面に出てくるもので、とりすまして茶懐石などに出てくる器とは、もともと出自来歴が違い、この大衆的なたたずまい、安い価格、大量生産の産物、というところにこそ、もっとも大切な「価値」がある。いま写真でたまたま手にもっているのは、まあ幕末くらいの伊万里であるが、これはもともと大中小三つ揃いの入子鉢であった。その大中は人に進呈して、いちばん小さいのを丼がわりに手元に残したもので、もともと丼ではない。なかには、幡ヶ谷の大衆食堂コニシが店じまいをするので店先に「どうぞご自由にお持ちください」と出しておいたのを、ひとつ結縁までに頂戴したものやら、靖国神社の青空市で300円で買ってきた、正真正銘の立ち食いそば用の超安物やら、いろいろである。しかし、もともとたかが泥をひねったような茶碗をたいそうな金額でやりとりするという茶道などの世界が、あれは俗物根性というもので、私はいっこうに感心しない。それよりも、みなさまのお役に立てれば結構ですよと、ぐっとへりくだって丈夫につくられた大衆食器どんぶりのほうに、私ははるかにはるかに親密の情を覚えるのである。たまたまこの日は声楽の稽古日にあたっていたので、秘蔵のコニシ丼に、みずから調理した親子丼を盛って、我が親愛なるピアニスト五味こずえ君にご馳走したのであった。写真の棚の背後に飾ってある絵もすべて私の作品である。左から「雨上がり」(水彩画)「The Manor, Hemingford Grey」(鉛筆画)「花嵐」(パステル画)。ちなみに、放送は2月26日金曜日の七時からと聞いた。