2020年9月1日火曜日

昆虫闖入





  ちょっとだけ月末に東京に戻っていたが、8月29日の町田市立国際版画美術館での講演仕事を終えて、東京の猛暑に追われるごとく、また信州の家に戻ってきた。
 さすがに、もう八月末九月初ともなると、信州の山里は秋気が明らかに感じられるようになった。稲穂はもう黄色くなりかかり、お米の香りが野に満ちている。
 八月中は、ともかく家の中に飛び込んでくる虫が非常に多く、網戸などあって無きがごとしとでもいうか、夜、仕事をしているとたちまち小さな虫がそこらじゅうに散らばって落ちているという状態になり、しょうがないので、蛍光灯の下に水盤を置いて水と中性洗剤を入れて置いておくと、おもしろいようにそのなかに虫が落ちてとれる。自家製室内誘蛾灯というべき工夫だが、さるなかにも、ある夜は、とつぜんに大きな黒い虫がばたばたと室内を飛び回るのを発見、いったいどこから入るのか見当もつかぬが、よくみるとどうもミンミンゼミらしい蝉であった。蝉は、夜だから鳴きもせずおとなしくしていたが、翌朝は、床に落ちて死んでいた。
 さらにまた別の日は、赤とんぼが闖入してきて、家のなかをあちこち飛び回った。これも放っておいたら、翌朝、かわいそうに自家製誘蛾灯の水盤のなかで絶命していた。
 季節は夏から秋へ、確実に移り変わっていく。

2020年8月17日月曜日

初秋の山里


 大変御無沙汰をいたしておりまして、申しわけ有りませんでした。

 例年のごとく、私は信濃大町の山荘翠風居に隠遁しつつ、片方では『謹訳徒然草』を書きすすめ、また片方では『定年後の作法』の校正も同時並行的に進行しています。

 七月中は、当地も毎日雨ばかりで、ごくごく涼しい日々でしたが、八月に入って梅雨が明けるとさすがに多少夏らしい暑さも感じられます。もっとも、信濃大町の町のほうは私の家のある山懐より気温が五度ほど高いので、昼間はかなり暑い感じがします。それでも、町そのものが標高800メートルの高さにあるので、東京よりはいつも五度くらいは低い気温です。そこから、高瀬川渓谷沿いに山懐に入った拙宅のあたりは、また五度くらい低くなるので、東京とくらべると平均して十度ほど涼しいという毎日です。気温はいつも軽井沢と同じくらいです。

 翠風居は、里山の雑木林のなかにすっぽりと包まれているので、ちょっと風が吹くと、木々の枝などが屋根やテラスなどに落ちてきます。今朝も夜が明けてみると、ウッドテラスにまだ青葉のドングリの枝先がいくつも落ちていました。かすかな秋、小さい秋、そんな感じがして、嬉しくなって写真に収めました。

 昨日は、北山吉明ドクターとピアニストの中田佳珠さんを迎えて、ミニコンサートよりももっとささやかな、マイクロコンサートを翠風居の居間でいたしました。客人は、私が子供の頃から、この別荘村で親しくしている旧友のお二人だけをお招きしました。ほんとうは村のクラブハウスで去年に続いて第二回のミニコンをやる予定だったのですが、コロナで中止せざるを得ず、しかたなく、練習の一環としてのマイクロコンサートを試みたというわけです。幸いに声帯の調子もよく、非常に充実して歌えた一時間半でした。やはり歌を歌うことは私にとっては、大きな大きな生き甲斐で、コロナなどに負けてたまるか、という心意気で歌の楽しさと力を実感した次第です。

 というわけで、元気にしておりますので、どうか皆さまご安心ください。

2020年6月24日水曜日

真竹の子



 きのう、中央高速の談合坂サービスエリアに立ち寄ったところ、季節柄の真竹の筍を売っていた。おお、これはめずらしい。真竹は、あの八百屋に出る孟宗竹の筍が終わって、初夏の頃に出てくるもので(東京ではスーパーなどに出てくることはまずないが)、しかも、孟宗竹が地面に顔を出すか出さぬかくらいの若い時分に採るのとちがって、もうかなり「竹」になりかかりまで伸びたところを採る。
 それゆえ、一見するとまるで竿竹の子分のような感じで、果してこんな竹ん棒みたいなものが食べられるんだろうかと怪しむくらいなのだが、いやいや、これがまったく旨い。じっさいには、真竹の子は、かなり竹になっていても、ちっとも堅いということはなく、庖丁でもサクサクと美しく切れる。
 孟宗竹の筍とちがって、肉厚はずっと薄く、一番厚いところでもせいぜい一センチくらいのものである。で、これはあまりアクがないので、そのまま茹でても美味しいのだが、すこし薹が立っている感じであったから、万一にもエグみなどあってはいけないと思い、やはり糠をいれて一時間ほど茹でた。すると、ほんとうに良い香りがして、ふんわりと出来上がった。
 そこで、これを庖丁で切るのでなく、指で縦に裂いて、ちょうどシナチクのように作り、まずは筍を油で炒め、そこに、酒、味醂、醤油、酢、中華味の素、胡椒、輪切りの鷹の爪、とこう調味料を合わせて入れ、フライパンですっかり水気が無くなるまで煎り付ける。これで、とてもおいしい真竹の子の中華メンマ風ができた。いや、じつに結構なる味であったが、これは左党の人なら、ちょいとビールが欲しいね、とでも言いそうな風情に思われた。

2020年6月12日金曜日

昇降デスク


 このところ、どうもまた腰の調子が悪く、しばしばぎっくり腰のようなことになるので、なかなか長時間座って仕事をするのが辛い。
 そこで、最近の研究成果として、人間座っている時間が長いと体に悪いということが分ってきたので、オフィスなどでも立って仕事をするところが増えてきた。医者として働いている息子にも尋ねてみたところ、やはり彼もデスクが昇降できるようになっていて、立ったり座ったり変化させながら仕事をしているということであった。
 それならば、ひとつわが書斎にも昇降式のデスクを導入しようと、今般新たに、デスクの上に置く昇降式のデスクを買った。
 それが写真のこれである。
 こうすると、立って読書もでき、コンピュータ仕事も楽々とできる。そうして立っているのに疲れたら、こんどはデスクも下げて座って仕事をする、ということにした。

 こんなデスクはつい最近出てきたものであるが、たしかに、立って仕事をすると能率があがり、眠気も防ぐことができる。これは良いものを手に入れた、とほくほくして仕事に励みつつあるところである。

2020年6月6日土曜日

アポリネエル詩抄



 もうできるだけ本は買うまい、と内心には決めているのだが、いざちょっとsexyな本に遭遇すると、ついついその決心も揺らいで、また買ってしまうのだ。これは一種の病です。いわば「愛書病」。
 もともと、私は戦前に長谷川巳之吉という変わり者の版元が出した書物を、ちょっと特別な思いでみている。その出版社を第一書房といった。この第一書房こそは、近代日本に於ける、もっとも美しい本を出した、出そうとした、特別の版元として記憶されてよい。そして中身の詩についても、一家言を有する人であったが、そのお目がねに叶って美しい詩集を世に出してもらった詩人は何人かいる。その代表は田中冬二であるが、堀口大学もまた、長谷川のお気に入りの人であった。
 昭和二年十二月十日発行の初版特装本限定1500部のうちの一冊を、きょう我が書室に迎え入れることができた。ごく上質の料紙に活版の印字も鮮やかな、そして表紙は四色の墨流しに茶の革背、そこへ天金を奢って、背文字も金の箔押しだ。こういう本を作ってもらった訳者の堀口大学はさぞ嬉しく思ったであろう。なにしろ、刊行されてから百年近く経ったこんにちただいまでも、ただこの本を手に入れて嬉しがっている人間がいるのだから。ましてや、大学は刷り上がってきた本書を手にして、一日見飽きなかったのではあるまいか。

2020年5月16日土曜日

時代に先駆けて


 このごろは、コロナ防疫の観点から、ステイ・ホームの徹底が著しく、そのゆえに今までは外食にも相当に助けられていたところが、いまはもっぱら家で料理して内食一点張りという人も増えたことと思われる。
 そのため、毎日三度三度の食事を作るのに、ほとほと草臥れたという愚痴をこぼす人も少なくあるまい。
 ところで、私は以前から、いつも書いている如く、毎日の食事は、みな私が調理担当で、妻は作らないが、しかし、もうずっと長い年月こうしてやってきて、食事の仕度が面倒だとも、また何を作ったらいいか困惑するとも、一向に思わない。
 それどころか、毎日冷蔵庫にある食材を、どう組み合わせて、何を作るか。毎日変化をつけて、栄養にも留意して、翌日の便通にまで気を配って、和洋中あれこれと作っているが、楽しいとしか思いようがない。
 で、その家で食事を作って食べるという愉悦について、じつはもう六年前、2014年に『家めしの王道』という本を、角川SSC新書というシリーズから刊行しているのである。
 これも、今ごろ、この誰もが家めしを原則として、頭を悩ましているときに出せばタイムリーだったが、『風邪はひかぬにこしたことはない』(ちくま文庫)と同様、出すのが早過ぎた。この小著には、家で料理をすることの原則、道具、方法、具体的レセピに至るまで、たっぷりと書いてあるので、ぜひご一読いただきたいものだ。
 もっともそのレセピの多くは、この『写真日記』にカラー写真入りで掲載してあるので、これも御参照いただければ幸いである。

2020年5月3日日曜日

加賀太きゅうり



 金沢の北山吉明ドクターが、能登の七尾の高島園という若い篤農家が、手塩にかけて作っている、加賀名産の赤土野菜というのを、箱にいっぱい送って下さった。コロナ合戦の最中の私達には何よりの陣中見舞いだ。
 いろんな、見たことも聞いたこともないような珍しい地場野菜があれこれあったなかに、私の好きな加賀太胡瓜も入っていた。これを加賀の人がどう料理するのかは、良くも知らないのだが、なんでも皮を剥いて薄切りにしたりして食べるらしい。
 しかし、私はこれが手に入ると、まっさきにイギリス式のキューカンバー・サンドウィッチを作ることにしている。なにしろ、イギリスの胡瓜というのは、みなこの加賀太くらいに太くて、もっと長い、巨大な胡瓜だが、加賀太よりも若干皮が薄くて甘みがある。しかし、日本の普通の胡瓜で作ったのでは、キューカンバーサンドの気分が出ないのだ。それゆえ今回も、さっそく作った。
 キューカンバーサンドウィッチは、ごく単純なもので、要するに、マスタード・バターを薄く塗った食パンに、加賀太を五ミリくらいの暑さの輪切りにしたものを乗せ、それにごく少量の塩をふってから、黒胡椒を少したっぷり目に挽きかける。あとはそれをサンドウィッチにして切って食べるばかりである。
 今回は、同時にスクランブル・エッグのサンドも添えた。
 ああ、このキューカンバーサンドウィッチというものは、あまりあれこれと味を付けてはいけない。ただ塩コショウだけ、そのストイックな佇まいがイギリスだ。
 さっそく、熱い熱いミルクティといっしょに、朝食に食べた。うまいなあ。

2020年4月14日火曜日

おこりんぼう


 さて、ここもとお目にかけまするは、この度新しく刊行いたしましたる、最新の拙著、題して『おこりんぼう』と。
 これは、『倫風』という雑誌に何年も連載してきた「わからずや漫筆」というエッセイをば、一冊に纏めたものでありまするが、世にへそ曲がり、頑固オヤジとして虚名も高き、わたくしリンボウこと林望が、どうもこの世の中、おかしいじゃないか、と思うことにつき、縦横に論じ来たり破し去ったというべきもの。御用とお急ぎでない方は、どうぞゆるりとご一読賜りまして、「ひや、ひや」とでも、「さうだ、さうだ」とも、大向こうからの掛け声など賜りたく、伏してお願い申し上げ奉ります。

2020年4月12日日曜日

作りました



 コロナ禍のせいで、閉門蟄居中ではあるが、とはいえ、毎日家の近所をせっせと約一万歩ずつくらい、強歩行をして運動と気晴らしに当てている。
 すると、近所の精肉店に「牛スジあります」という張り札が出ていた。
 ほんとうは、牛スジよりも豚スジのほうが好ましいのではあるが、この際、まずはこの牛スジを買い求めて、煮凝りを作ることにした。
 また、去年拙宅の庭の梅で作った梅ジャムがそろそろ払底してきたので、ついでのことにマーマレードを作ることにもした。それで、愛媛県産の木成り晩橘柑というものを買ってきた。よくよく表皮を洗浄してから、このままではちょっと苦味が勝ちすぎるので、外皮を半分剥いて、それからごく薄い輪切りにし、あとは黒胡椒を少々挽き入れて砂糖で煮ただけであるが、ほどよく苦み走った大人のマーマレードが出来た。これが四個で四瓶、まあ一ヶ月や二ヶ月は楽しめる。
 牛スジは、まずよく洗ってから、水に投じて火にかけ、生姜をへぎ切りにしたものを加えて下ゆでする。充分に火が通ったら、湯は捨て、またさんざん水洗いしてから、線維を断ち切る方向にごくごく薄くスライスし、そうして本煮。清酒、味醂、醤油、細い千切りにした生姜、さらに薄切りの玉葱と輪切りのトウガラシ、ほんの僅かの酢を加えて、落とし蓋でことこと煮ること一時間半ほど。あとは密閉容器に移して冷蔵庫で冷やすと、美味しい牛スジの煮凝りができる。ははは、きょうの夕食は、これがメインである。しかもコラーゲンたっぷり。おいしいぞ〜〜。

2020年4月7日火曜日

風邪はひかぬにこしたことはない


 きょう、いよいよ新型コロナの蔓延を抑えるための、緊急事態宣言が発出されるということである。いや、遅きに失したと、私は思うが、それでも、出さぬよりは出したほうがよいというものだ。
 じつは、私は、今から十二年前に、上記写真のような『風邪はひかぬにこしたことはない』という本をちくま文庫で刊行している。あまり売れなかったので、ご存じない方も多いと思うのだが、これは、もともと風邪にかかりやすく、そのために慢性の気管支炎や喘息でさんざん苦悩をなめた経験から、どうしたら風邪をひかずに過ごせるかという、いわば感染症予防のノウハウを洗いざらい伝授する本である。その根幹は「人を見たら風邪引きと思え」という思想であって、パーティには行かない、病気を人に移さないのがマナー、電車には乗らない、エレベータには乗らない、人ごみは避ける、常住マスクをする、帰ったら良く手を洗う、鼻洗浄のすすめ、ウイルスが付着したかもしれないものは口に入れない(だから、剥き出しで売られているパンとか、ビュッフェ式の食べ物とかは、食べない)・・・等々のノウハウを、私は経験的に徹底伝授しているのである。これが十二年前に出した本だが、今出せば多少は世の中のお役に立ったかも知れぬと、残念に思っているところである。じっさい、今の新型コロナは別格ながら、ありきたりの普通の風邪だって、じつはそのなかの四種類は、既存コロナウイルスが病原体だということが分っているのは示唆的かもしれぬ。
 この思想に基づいて、私のオフィスの玄関には「風邪引きの人の入室厳禁」という大きな木札が掲げてあることは、関係者には良く知られた事実で、今になると、この思想の正しさを事実が追承認してくれたという思いがある。みんなが、だらしない生活を改め、不要の集まりや酒飲み会などをやめ、タバコは禁止、そうすればコロナの蔓延はかなり防げていた筈なのだ。そういう意味での、これは警世の書だったのだが・・・。少し、書くのが早すぎた。
 かくて私は、今はまったく閉門して蟄居し続けているのである。
 

2020年4月4日土曜日

白いたんぽぽ



 このコロナ禍のなか、ひたすら小金井の陋屋に隠居して、うつらうつらと過ごしているのであるが、さる日々のなかでの大切な日課は、運動である。
 私の日々の運動は、単純に「歩く」ことである。いわゆる「スポーツ」は一切やらない。またフィットネスのようなところに出掛けて、わざわざ金を払って、ベルトコンベアの上で索漠たる歩行時間を過ごそうとはついぞ思わぬ。それは時間と金の無駄である。歩くなら、そこらの道の上を歩くがよろしい。
 幸いに、わが小金井のあたりはまだまだ緑豊かな郊外で、しかもほとんどが住宅地だから、歩くところに不自由することがない。北には小金井公園、南には「はけの道」、また西には滄浪泉園、東に武蔵野恩賜公園、学芸大学の森もあれば、そちこちに残された小緑地もある。そうでなくて、ただ住宅地の細道を歩くのも楽しいし、住宅地のところどころには自然遊歩道も縦横に整備されている。
 しかも、これらの道を歩くには、一銭の金も要らず、つねにアウトドアだからコロナに取りつかれる心配もなく、何より良いのは、四季折々の風景とともに運動できることだ。
 そう思って歩いていると、きょうは珍しくも白いたんぽぽを見付けた。じつはこの辺りの路傍には、気をつけて見ていると、ときどき発見することができるのである。私どもが子供だった時代には、この辺りはそこらじゅうに武蔵野の雑木林や畠のあぜ道があって、少年たちの遊び場に事欠かなかったものだが、今は流石にもうほとんど残っていない。それでも、こうしてふと白いたんぽぽに遭遇したりすると、それだけで、なにか得をしたような気がするから、おもしろい。

2020年3月31日火曜日

応戦



 前回アップしてから、はや一月以上が経ってしまいました。
 この間、あけてもくれても、コロナウイルスとの壮絶なる戦いに終始し、なにもかも予定が狂ってしまいました。
 その狂乱に呼応するように、天候も滅茶苦茶で、まるで一日置きに初夏と冬が入れ替わるような乱高下を繰り返しています。
 テレビをつければ、毎日毎日コロナウイルスの暗い憂鬱なニュースばかり、ついには、イギリスのジョンソン首相、チャールズ皇太子まで感染ということになり、また、プラシド・ドミンゴやトム・ハンクスなど著名芸能人の感染も多くなってきました。いまや、イタリア、スペイン、フランス、イギリス、イランなど、いずこも猖獗を極め、死者数はうなぎ登りです。日本の現状は、じつのところよく分っておらず、ほんとうに辛うじて押しとどめているのか、それとも単に検査せずに数をごまかしているだけなのか、国民には知るすべもありません。
 そういうなかで、昨夜遅く、志村けんがコロナ肺炎のため急逝しました。
 まことに、海のようにも山のようにも悲しいことであります。
 がしかし、この一死を以て、志村は、とりわけ若い人たちに、このウイルスの危険性を知らしめ、どうか軽率な行動をしないようにと、教えて去ったのではないかと思います。
 私自身は、あらゆる仕事はキャンセルになり、ひたすら自宅に籠居していますが、さるなかにも、夫婦で近在を歩行運動するのだけは毎日欠かさずに続けています。だいたいは一日に9000歩から10000歩というのが目やすですが、幸か不幸か仕事が消えて暇になったので、悠々と人気のない道をあるいています。あとは思いがけず出来た長期の閑日を利用して、この夏に書き上げるつもりだった本を次々と書いてしまおうと思っています。なにごとも前向きに努力するに如くはありません
 写真は、小金井公園のスナップで、この日は、娘一家六人といっしょに歩行運動に行きました。こどもたちも安全なところで運動させないといけないので、閑散たる小金井公園は格好の運動場でありました。
 まだまだウイルスをやりこめることはできませんが、なんとかして感染爆発を食い止めて、秋までには、平穏無事な日常を取り戻したいと祈るばかりです。
 どうか皆さま、酒場、クラブ、ライブハウス、麻雀荘、パチンコ店、映画館、カラオケ店、もろもろの喫煙所、行列飲食店、などなど危険のあるところ、ウイルスを感染したりされたりしがちなところには行かず、
  Stay at home!
 ということを心して下さい。また、喫煙はコロナによる重症化を著しく高めることがわかっております。この際、喫煙などという愚行を直ちにお止め下さい。
 わが祖国は、叡知ある日本国民の行動によって、行く末が決するのでありますから。お願いです。

2020年2月23日日曜日

春日遅々


 しばらく御無沙汰をしておりましたが、実は、二月五日のドットラーレ練習会の翌日、突然に風邪を発症し・・・どこでうつったものだか、まったく見当もつかないのですが・・・それから10日ほど風邪ウイルスと戦っておりました。幸いに順調に回復し、とくに重篤な喘息などになることもなく、いまはすっかり元気になりました。今回は割合にたちの良い風邪だったと見えて、ただ咳きが出て閉口したくらいで、熱はまったくなく、節々の痛みだとか悪寒などもなかったので、ひたすらこの咳に対する対症的応戦に専念して、無事快癒に至りました。その間、このごろ耳の治療のためにコンスタントに通っている調布の清野先生という鍼灸の先生のところで鍼の治療をしてもらったところ、劇的に咳が治まったという経験をしました。
 この風邪の間も、伏せっていたわけではなく、毎日歩くことはこれを廃さず、一日に少ない時で6000歩、多いときは一万歩を越えて、せっせと速歩すること連日に及びましたが、すこしも息が切れるとか目が回るなどのこともなく、歩いているときは却って元気横溢という感じでありました。
 風邪から回復して、ふと気づくと庭の豊後梅が満開になって、よい香りを放っておりました。もう春一番も吹き、これからは爛漫の春となりますが、世上には、新型コロナという自動車のような名前のあやかしのウイルスが蔓延しつつあり、剣呑この上なしという思いでいます。だから、たいていの観劇などの予定はキャンセルし、やむを得ない仕事以外は閉門して家を出でずという隠遁的生活をしています。
 ただいまは、檜書店から近刊予定の『謹訳世阿弥能楽集』(仮題)の詳密な校正を進めていますが、なかなか難しい仕事で、蝸牛の歩みのごとくにしか進みません。それでも、限りのある仕事はいつかは終わる、そう思ってせっせと難解なる能の詞章に向き合っております。

2020年2月5日水曜日

とうじ蕎麦



 きょうは、またまた金沢から北山ドクターを迎えて、ドットラーレの練習に一日すごした。こんど、五月二十日に金沢で演奏会『忘れられた歌たち』をやるので、そのための合わせだが、その名の通り、忘れられた歌が多いので、まったくの新曲と同じく、一生懸命に譜読みをしつつ曲を研究しているところである。
 ドットラーレの練習の後は、いつも私の手料理にて夕食をご一緒して解散ということにしているので、今回は、寒中でもあり、あったかい「とうじ蕎麦」をメインとし、副菜にコンニャクのピリ辛煎り、それから大納言の煮豆という素朴な献立とした。
 「とうじ蕎麦」は、「湯(とう)じ蕎麦」の意ともいい、また「投汁(とうじ)蕎麦」が語源だともいうが、いずれにしても、もともと松本の奈川あたりの郷土料理らしい。
 これを私は、去年安曇野の王滝という店で初めて食し、じつに美味しいので自分でも作ってみようと試みたわけである。これは、もともと柄の付いたそれ専用の小さな竹篭に蕎麦を入れて、鍋で煮えている具だくさんの蕎麦つゆに投じて温め、その汁や具も一緒に食べるという素朴な料理だが、きょうは、忠実にその真似をしてみた。具は、鶏肉、焼き豆腐、油揚げ、大根、人参、玉葱、長葱、椎茸、コンニャク、菜花、芹、ぜんまい、といったところ、蕎麦は信濃大町倉科製粉の安曇野を使った。やはり乾麺ではこれが一番である。
 初めて作った「とうじ蕎麦」は、皆さまに大好評をいただき、四人で六人前の蕎麦をぺろりと平らげてしまった。
 写真上は、その「とうじ蕎麦」をフハフハ言いながら食べているところ。右は北山先生、真ん中はピアノ伴奏に駆けつけてくれた今野尚美君である。

2020年2月2日日曜日

桜咲く


 きょうは、上野公園の東京文化会館まで、藤原歌劇団の『リゴレット』を見に行ってきた。何年ぶりだったろうか、上野公園は。東京芸大で教壇に立っていたのは、満五十歳までなので、辞職してからもう二十年になる。当時の教え子たちのなかには、今や押しも押されもせぬ第一線の演奏家になった人も少なくない。
 その頃までは、芸大の内外も、なお明治の面影を残していたし、芸大周辺の町場ともなると、いかにも上野界隈という奥床しい風情が横溢していたものだ。
 しかし、きょう行って見ると、昔の建物は多く取り壊されて新しい新式建築に置換えられ、または空しく有料駐車場になってしまっているところもそちこちにあった。上野公園の地下には、立派な有料駐車場が新設されたが、そこに停めると非常に高額な駐車料金を取られるので、私はわざわざ公園からはちょっと離れた池ノ端の100円駐車場に停めて、てくてくと歩いて行った。すると、昔は芸大界隈にはそれほどな人立ちもなく、森閑とした風情が残っていたものだが、今や、外国人が無数に歩き回り、新しいカフェが出来、昔日の面影はもうほとんど残っていない。だが、三段坂を下ったあたりの裏路地には、なおまだ、往年のままの手汲み井戸が残っていたし、芸大時代にいつも行っていた浜寿司も健在のようだった。
 懐かしい思いで歩き回っていたら、公園のなかの寒桜が早くも満開になっていた。いかに寒桜でも、ちょっと咲くのが早すぎるのではないかと思ったが、これも異常なる暖冬のせいにちがいない。ああ、芸大時代が懐かしいなあ。

2020年1月18日土曜日

謡曲独吟


 今年は、正月早々から忙しく、ゆっくりと新年を祝ういとまもなかった。
 既述のとおり、孫どもはみなアメリカに居て、正月といっても夫婦だけでささやかな祝いだったけれど、さるなかにも、一月六日には毎日新聞に頼まれた鷗外の文体についての小文の〆切りが来る、五日には、日本合唱指揮者協会の研修会での講演はある、というわけで、毎日大わらわのうちに松の内はさっさと終わり、引き続き筑摩書房から出す予定の新著の口述筆記はある、句会はある、JR東日本に頼まれた講演はあるで、毎日ばたばたと駆け回っているうちに、はや一月も半ばを過ぎてしまった。
 さるところ、必要あって昔の写真を捜していたら、まだ三十代の頃かと思しき能舞台での写真に逢着した。このころは、津村禮次郎師の膝下にあって熱心に能を学んでいたもので、これはいわゆる素人会で、独吟をしている写真である。梅若能楽堂での一コマ。この時代に蓄積した能のあれこれが、その後何冊も能についての本を書くための下地となった。ありがたいことである。

2020年1月9日木曜日

昼の月


 新春早々の一月五日に、日本合唱指揮者協会という団体に招かれて、今年最初の講演仕事をしてきた。
 『歌曲の詩を読む』という主題で、「城ケ島の雨」の、北原白秋の詩の解析と鑑賞というのが主な内容で、もう一つは、「七つの子」という野口雨情の詩をどう読むべきかということもすこし話した。
 会場は、新宿の京王プラザホテル42階であったが、講演が始まる前・・・3時半からという予定だったが、その前の総会が押せ押せになって、実際には、3時四十五分からの講演となった。その待ち時間に、ふと窓外をみると、すばらしい冬晴れで、その中天たかく昼の月が見えた。午後3時ころに月が見えるのは珍しいので、すぐに写真に撮ったが、肉眼でみるとけっこう大きな月なのに、写真にとると、こんなケシ粒みたいな白い点になってしまうのは不思議な気がする。つまりそれくらい、私どもの肉眼というのは、選択的に物を見ているのだということがわかる。上の写真をクリックして拡大表示すると、たしかに白く月が写っている。
 平和な一日であった。

2020年1月2日木曜日

謹賀新年


 まずは、明けましておめでとうございます。
 年々歳々、お正月の祝い膳も手抜きになってまいりましたが、それでも例年は、黒豆とか焼き魚とか、林家伝来の芋玉とか、そういうものは作っていたのですが、今年はついにすべてやめて、近所のスーパーで、1780円なりのお節セットというものを買うという手抜きの極みとなりました。なにしろ、大晦日も年が明けるまで、ずっと書斎仕事で息つく間もなく、お節どころではないというのが正直なところでした。
 それでも、最近のこういうのはなかなか良く出来ているなあと、変なところに感心。去年はネットで冷凍の二万円くらいのお節セットを取り寄せたのですが、それがいっこうにおいしくもなかったことを思うと、これで良いのではないかと納得。ただし、お雑煮などはちゃんと作りました。
 私は新年早々から、すぐに〆切りの来る頼まれ原稿やら、正月早々からの講演に備えての勉強やら、春に刊行の新著の著者校正やらに忙殺されていて、お祝いの気分などはまったくどこにもありません。いくらなんでも、そろそろのんびりと隠居的正月、と行きたいものでありますが、世の中はままなりません。
 ともあれ、本年もよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。