2011年12月29日木曜日

曽祖父の面影

 昨日、亡父の遺品などを整理していたところ、思いがけず古い写真が出てきた。そのなかに、私の曽祖父、林譲作(字【あざな】は善鼎【ぜんてい】)の肖像写真があった。この曽祖父は、父林善継、母は柳田氏、安政二年、江戸に生まれた。明治五年、当時まだ東京の明石町(現在の聖路加病院のあたり)にあった海軍兵学寮に入り、十四年海軍少尉任官、以後十九年大尉を拝任して参謀本部局員となり、二十一年には海軍大学校教官に補せられた。そうして、二十三年、フランスで建艦されていた戦艦厳島の受領回航員に任ぜられて、同艦を回航中に、運悪く腸チフスに罹り、アデンで病没した。したがって、今もその墓はアデンにあるそうである。この譲作の娘の貞【てい】が私の祖母である。このまま譲作が無事帰国していたら、おそらくはあの日本海海戦にも、秋山真之らと並んで、参謀として三笠に乗り組むくらいの地位にあったかもしれぬ。あるいは、連合艦隊のいずれかの艦長にでもなっていたか・・・いずれにしても、間違いなく将官に昇るべき逸材であったらしい。私の書室には、この譲作が兵学寮時代に作った物理や代数の勉強ノートが残っているのだが、その几帳面な筆跡からみて、ごく真面目な青年だったらしく思われる。運命の不思議さは、譲作が若くして病没したために祖父が入り婿としてやってきたわけで、そうでなかったら、また全然別の家族が形成されていた・・・つまりは私もここには存在しないのだから、世の中というものはまことに面白い。

2011年12月16日金曜日

謹訳源氏物語第七巻

 『謹訳 源氏物語』の第七巻が、やっと刊行になった。
 この巻は、柏木に始まって幻に終わる。すなわち、位人臣を極め、天皇に準ずるほどの高位に昇って、何不自由ない立場になった源氏が、しかし、思いもかけず柏木によって、正室の女三の宮を犯されて子供が産まれてしまうというとんでもないことになる。藤壷との密通は、こうして因果応報の結果を招くのであったが、その柏木を、真綿で首を締めるようにして、死に至らしめる源氏の恐ろしさ。そんなことがあって、いよいよ世を捨てたいという思いに駆られながら、しかし、浮世のしがらみから脱することもできず、三の宮も出家し、最愛の紫上は亡くなってしまう。源氏の晩年は、そういう急坂を下っていくような懊悩の日々であった。この巻は、なかでも御法に描かれる紫上の死去前後の物語が素晴らしい筆の運びで、源氏全体のなかでも白眉だと私は思う。もののあはれの横溢する、その御法に続いて、一人残された源氏が、落莫たる一年を送るその十二ヶ月が、幻の巻で、これが大晦日で終わる。次の巻、雲隠には本文がなく、その次になると、もう源氏の死後、子孫たちの物語になるから、事実上、この幻をもって源氏の物語は終わる。実に読みごたえのある、見事な結末である。もしまだお読みでないかたは、この際ぜひ、第一巻からご一読願いたい。あるいは、若菜の巻(第六巻)から読み始めるという行きかたもあるかもしれぬ。