2009年12月31日木曜日

大晦日所感

いよいよ2009年も大晦日となり、あっという間の一年であったと、例によっての感慨を催しているところである。今年は、八月から執筆を開始した『謹訳源氏物語』で持ち切っているうちにはやくも大年というわけで、きょうもひたすら机に向かって源氏と対話を試みつつ新年を迎えるところである。ところで、この写真は、私が小学校の、たぶん六年生のときの写真ゆえ、今から48年前の丑年であったろうかと思われる。画面のやや右の方に、マチコ巻きにしている人がいるが、これが担任の小柴先生。司葉子にそっくりのすこぶる美人の先生(小学校の先生にしておくのは勿体ないと思ったのだが)であった。私は中央やや左のほうに、なにやら仔細らしくカッコつけて画板を構えている。で、ふと気がつくと、私の回りは女の子ばっかりで、男の子の群れからは離れている。すなわち、無意識に、この頃からどうも女の子のなかにいるのが好きで、男の世界は嫌いだったということがこれでわかる。ははは、三つ子の魂というものである。ではみなさま、良いお年をお迎えください。

2009年12月29日火曜日

書誌学の弟子たち

連日の源氏三昧のさなか、忙中閑在りというわけで、きょうはかつて(もう二十年の昔になるのだが)上智大学の大学院で、書誌学を講じたときのなつかしい教え子たちが、私を囲んで還暦を祝う(ひやかす?)会をかねての、書誌学同窓会を催してくれた。新宿のさる料理屋で、一夕おいしい料理をぱくつきながら、なつかしいなつかしい話しに花が咲いた。みなそれぞれの場所で活躍していて、なかには私が教えた書誌学を忠実にまたそれぞれの教務先で学生に教えているという嬉しい報告もあった。教師という仕事は、基本的にはあまり儲からない職業であるが、お金には替えがたい、こういう「教え子」という宝を手に入れることができるのは、なによりのこと。きょうのように、それぞれ活躍している弟子たちが集まってくれると、まことに教師冥利に尽きる思いがする。

2009年12月26日土曜日

夕顔の恋

ただいま、源氏物語全訳を執筆中であることは、たびたびお知らせした通りであるが、その入門編とでもいうような意味もあって、『夕顔の恋』という本を、つい最近刊行した。版元は朝日出版社。この本は、源氏のなかでも、もっとも男好きのするタイプと思われる夕顔という女を巡って、それがどのように源氏のなかに描かれ、どんな意味があるのだろうか、ということを「夕顔ファン」の一人として、おもしろく分かりやすく書いたものである。この表紙の人は、夕顔とは何の関係もない新進のモデルさんだが、こういう美人フォトを装訂にも、また本文中にも挿入して、古典物としては珍しい雰囲気を醸し出している。おそらく、古典が苦手な人にも読みやすいと思うので、とくに若いかたがた、あるいは定年後のオジサンがた、ぜひぜひ読んでみてください。なかには、源氏物語の本文、そしてこの本専用の林望現代語訳、さらに、読解エッセイとが収められている。ただし、この本に用いた現代語訳は、現在進行中の『謹訳源氏物語』のそれとは全然ちがう。念のため。林 望

2009年12月25日金曜日

節約の王道

10月に、この『節約の王道』という小著を出したところ、思いがけずこれがベストセラーの仲間入りをして、びっくりするやら、うれしいやら、である。世はあげて不景気、デフレとあって、とかくに「節約」が叫ばれるこの頃ゆえ、こういう本が江湖の喜び迎えるところとなるのかもしれない。しかしながら、この本は、ちまちました節約のノウハウを教えるという本ではまったくなくて、もっと大きな生活コンセプトを論じた(といってもごく分かりやすく)本である。例えば、ビールを買うところを発泡酒にして節約する、というのではなく、それなら、いっそ飲むのをやめて健康志向に切り替えたらどうか、水道代をみみっちく節約するくらいなら、ぜひタバコなどはすっきりやめてしまうがよかろうとか、パチンコだの競馬だのマージャンだの、およそ博打に類するものは、すべて人生の敵とみて、この際全廃すべしとか、生活全体を見直して、下らないことに金を使わず、ぜひとも有益なことにお金資源を集中すべきことを説く、まあ生活改善の勧めだと思っていただきたい。タバコを1000円に、というのは、私も強く主張しているところだが、それがわずか100円のみみっちい値上げなどという無意味にして愚劣なる政策がまかり通る世の中に、節約という意識からも一矢を放ちたい、そう思って書いたのである。是非御購読を賜りたい。

2009年12月22日火曜日

源氏物語の日々

12月に入って以来、来る日も来る日も『源氏物語』の書き下ろしに没頭中で、たしかに大変な仕事ではあるが、なんといっても源氏が面白いので、この苦心惨憺がちっとも苦痛ではない。それどころか、一日が36時間か48時間くらいあればいいのになあ、とあらぬ願いを抱くくらい、この原文の意味を正確に解釈し判断して、それを、どうしたら面白く、読みやすく、そして原文の意図を「漏れなく」伝えられるか、と頭の中の知識や語彙を総動員して考えに考えぬく日々が続いている。三月から第一巻が刊行されることが決り、題名も『謹訳源氏物語』と決定した。装訂も造本も、すこぶる斬新なものになる予定である。写真、手前は『源氏物語湖月抄(北村季吟)』、上右は、新潮社古典集成本、その左は吉沢義則著『対校源氏物語新釈』、いちばん後ろにちらっと見えるのが玉上琢弥著『源氏物語評釈』、その他にいくつもの注釈書や、参考資料を参照しながら進めているのだが、それはこの写真の枠の外に置いてある。

2009年12月15日火曜日

大根尽くし

きょうはまた雑誌クロワッサンの依頼で、大根尽くしの料理の取材撮影。大根をメインにしてどれだけの料理が作れるかということで、これはダイエットとしては最適の料理である。詳しくは雑誌が刊行になってから、そちらをお読み頂くことにして、その出来上がり写真のみ、ここにお見せしたい。前列左から、大根の梅干し和え、鶏大根、大根の皮とニンジンのきんぴら、左中ほどに見えるのは、大根の葉の菜飯、後列左から、納豆とジャコの大根おろし和え、風呂吹き大根(胡麻味噌添え)、三種類の大根とニンジンの和風サラダ。以上、鶏大根のみは煮込みに時間がかかるので、少し前から煮込んでおいたが、あとは調理時間、すべてで約一時間。結局、撮影・取材団の全員の分まで合計六人前ほど作って、終わってから全部平らげてしまった。たいへん結構でありました。なお納豆おろし和えの入っている抹茶茶碗は、私の自作の茶碗である。

2009年12月14日月曜日

楊貴妃

きょうは、目黒にある喜多能楽堂まで、能の解説の講演に行ってきた。本日は青葉之会といって、観世流銕仙会の柴田稔師の公演で、『楊貴妃』という美しい能の解説であった。これは、唐の白楽天の『長恨歌』『長恨歌序』に材をとって脚色した、舞踊劇的な能で、主人公シテは楊貴妃の霊魂ということになっているのであるが、ただ、それが現世のほうへ化けて出て来るというのではなく、蓬莱島にいる楊貴妃の霊魂に、幻術師が会いに行くというところが珍しいアイディアである。喜多能楽堂は、喜多流の本拠たる能楽堂だが、演能は喜多流ばかりには限らない。きょうもほぼ満員の盛況であった。

2009年12月8日火曜日

久しぶりのお料理取材

きょうは、久しぶりに、料理実演の取材があった。「いきいき」という雑誌で、鍋物を中心にして二人前の食事をつくってほしいという依頼だったので、きょうは、醤油味のちゃんこなべと、五色サラダ(あご醤油風味ドレッシング)、それに大根とニンジンの皮のきんぴら、という献立(掲出の写真は、その鍋のみ)。ふつう、こういう取材は、どこかキッチンスタジオを借りて、フードコーディネーターなどが付いてやるのだが、きょうのは、私の自宅で、なにもかも自前という、編集部にとっては、もっとも金のかからない都合のいい取材であった。もっとも、こっちもわざわざ都心まで出なくて済むので好都合なのである。自宅といっても、実際には、新しく作った息子の家を拝借したのである。料理はとてもおいしく出来て、終わってから、編集者二人、写真家、そして妻と秘書と私と、六人で、この鍋を平らげた。

2009年12月6日日曜日

歴史的工事

きょうは歴史的な日になった。というのは、JR中央線が三鷹から国分寺まで高架線になり、その切り替え工事が、夜を徹して敢行されているのである。すでに下り線はしばらく前に高架化されていたが、残りの上り線が、まさにきょう、予定より三ヶ月工事を前倒しして高架化が実施されるわけである。まだ高架の駅は未完成で、これから残りの仕上げ工事にかかるところだが、とりあえず「開かずの踏切」として悪名高かった小金井街道の踏切がついに姿を消すことになったのである。中央線開通以来の歴史的な出来事で、ここ数十年来の小金井市民の念願であった。これによって、小金井市は南北分断を解消して、商業的にもまた交通上も非常に便利になったことを実感する。なにしろ、この踏切は朝などはまったく開かないので、交通は勢い立体交差の新小金井街道に集中し、ここがまた大渋滞となって、ラッシュの時間は、わずか500mくらいの道を進むのに、一時間という途方もない渋滞となるのであった。きょうを以てそれも語りぐさとなる。この歴史的工事を見るために、多くの人がカメラを手に集まっていた。写真は武蔵小金井駅上り線。すでに線路が外されているのが見える。