2012年7月31日火曜日

善光寺

七月最後の週末は、長野の善光寺表参道での講演会に出向いた。
善光寺境内、大本願の地下ホールに、大勢のかたがたが集まってくださって、私の話に耳を傾けられた。
今回は、『古典文学と地名と魂』というテーマで90分の話をした。
主に『古今集』巻二十の大歌所御歌にスポットを当てながら、『万葉集』や能楽、『大和物語』など、さまざまの古典作品にわたって材を採りつつ、いかに日本の地名には大切な魂が宿っているか、そしてそれを和歌などに読むことにどんな意義があるか、ということを語った。
信濃での講演なので、シナノという地名のことや、信濃の東歌などにも話を及ぼした。
さて、写真は、その講演に先立って、少し時間があったので、車を駆って、近在を見物して歩いた。その道々、旧北国街道の北側にひっそりと静まっている田子池という池に遭遇した。この池は釣りをする人には良く知られているらしいが、北岸には古墳などもいつくかあって、由緒のある古い池と見える。
岸辺には林檎の木が繁り、はやくも青い林檎がたくさん実っていた。
素晴らしい好天で、非常に暑い日であったが、この写真からも、強い紫外線のありようが見て取れるようだ。
緑が滴るようであった。

2012年7月18日水曜日

とんだ災難

人間、どこに災難が転がっているか、まったくわからぬ。
今朝、ズボンをはこうとした瞬間、なにやらポキッっという音がして、左手の薬指が鉤の手に曲ったまま伸展しなくなってしまった!
慌てて「手の外科」という看板を出している整形外科へ駆けつけて、調べてもらった結果、これは左手薬指の腱が断裂しちゃったので、ギプスで固定して約二ヶ月ほど、腱がまた再生するのを待つべし、とのこと。
このクソ忙しいのに、まったく不自由だけれど、こればかりはなんとも仕方がない。別にたいして力を加えたわけでもないのに、と思うけれど、お医者さまの言うには、なにかの拍子に、プツッと切れたりするものなのだそうだ。
ま、運が悪かったというほかないが、それでも、丁寧に対応すれば自然に再生して治るというので、ホッとした。

2012年7月9日月曜日

追悼・畑中良輔先生

七夕の昨日、都立青山斎場にて、日本声楽界の重鎮、畑中良輔先生の「お別れの会」が開かれた。
私も、先生晩年に知遇を得て、たいへんに良くして頂いたので、この会の発起人の末席に連なった。
先生は、すばらしいバリトン歌手として、特に戦後の日本オペラの正統的な発展に大変に大きな寄与をされたばかりでなく、新国立劇場の芸術監督としても後世に残る業績を残された。そのいっぽうで、東京芸術大学の教授としては、夥しい声楽家を育て、まさに名伯楽としての名声も天下に響いている。
そればかりか、作曲家としては『花林(まるめろ)』に代表される名歌曲を数多く作曲され、日本の歌曲に豊かなレパートリーを加えられたことは特筆すべきところであろう。
さらにさらに、わが慶應義塾大学ワグネルソサエティの合唱指揮者として、半世紀を超える長きにわたって熱血的指導をされ、戦後のワグネルは畑中先生なくしてはとうてい今日の隆盛を見ることはなかったに違いない。されば、お別れの会に於て、オールワグネルの大合唱団が、タンホイザーの大行進曲を全力歌唱して、満場を感動させた。私も恥ずかしながら、これには涙を禁じ得なかった。
私自身にとって、先生はながらく、遠く仰ぎ見るだけの存在であったけれど、いつのころからか、「リンボウさん、リンボウさん」と、親しくさせていただき、青の会、水戸芸術館クリスマスコンサート、そしてこの三月の『ブル小屋ごちゃまぜコンサート』等、先生主宰の演奏会に、何度も「バリトン歌手」として呼んでくださり、わが『あんこまパン』などの曲を客演独唱する機会を与えてくださった。この『ごちゃまぜコンサート』は、先生の生涯最後の演奏会となったのであったが、そこに私も参加させて頂いたことは、一生の記念となった。
それから間もなく、五月二十四日に、先生は忽焉として白玉楼中の人となってしまわれた。まことに悲しいできごとであった。寿、実に九旬。
先生はその最晩年に至るまで、いつも湯上がりのように清潔で血色よいお顔をしておられ、ダンディぶりは常に変らなかった。そして厳しい指導でも知られたが、その指導の底には常にまた温かい心が脈打っていて、誰からも深く敬愛されたところであった。一度でも親しく先生の謦咳に接した者は、その優しいお人柄、またお茶目なユーモアのセンスなど、先生の魅力に取り憑かれてしまうと言っても過言ではなかったろう。
一言で申すならば、先生はまさに、「品格」が人間の形をしている、とそんな存在であったろうか。
先生のご冥福を祈る。合掌。

2012年7月3日火曜日

謹訳源氏第八巻刊行

ながらくお待たせいたしました。
 謹訳源氏の第八巻が、やっと店頭に並びます。
 第七巻から、ずいぶんと間が空いてしまって、皆様方からお問い合わせを頂戴し、また、ご心配をいただきまして、恐縮いたしております。
 なにぶん、この巻は、450ページにも及ぶ厚冊で、読みでは十分、それだけに書くのも、また校正するのも一筋縄ではいかない長さでありました。
 いよいよ源氏の没後、その子孫たちの物語が始まります。
 いわゆる匂宮三帖という巻々は、いささか過渡的なところがありますが、橋姫以下の、宇治十帖は、また本編とは違った語り口、興趣があって、これはこれで、またなかなか読みごたえのある物語です。
 なお、第九巻の刊行は、年末近くになるだろうと思いますが、これから夏休み返上で執筆にいそしむというところです。