2009年12月31日木曜日

大晦日所感

いよいよ2009年も大晦日となり、あっという間の一年であったと、例によっての感慨を催しているところである。今年は、八月から執筆を開始した『謹訳源氏物語』で持ち切っているうちにはやくも大年というわけで、きょうもひたすら机に向かって源氏と対話を試みつつ新年を迎えるところである。ところで、この写真は、私が小学校の、たぶん六年生のときの写真ゆえ、今から48年前の丑年であったろうかと思われる。画面のやや右の方に、マチコ巻きにしている人がいるが、これが担任の小柴先生。司葉子にそっくりのすこぶる美人の先生(小学校の先生にしておくのは勿体ないと思ったのだが)であった。私は中央やや左のほうに、なにやら仔細らしくカッコつけて画板を構えている。で、ふと気がつくと、私の回りは女の子ばっかりで、男の子の群れからは離れている。すなわち、無意識に、この頃からどうも女の子のなかにいるのが好きで、男の世界は嫌いだったということがこれでわかる。ははは、三つ子の魂というものである。ではみなさま、良いお年をお迎えください。

2009年12月29日火曜日

書誌学の弟子たち

連日の源氏三昧のさなか、忙中閑在りというわけで、きょうはかつて(もう二十年の昔になるのだが)上智大学の大学院で、書誌学を講じたときのなつかしい教え子たちが、私を囲んで還暦を祝う(ひやかす?)会をかねての、書誌学同窓会を催してくれた。新宿のさる料理屋で、一夕おいしい料理をぱくつきながら、なつかしいなつかしい話しに花が咲いた。みなそれぞれの場所で活躍していて、なかには私が教えた書誌学を忠実にまたそれぞれの教務先で学生に教えているという嬉しい報告もあった。教師という仕事は、基本的にはあまり儲からない職業であるが、お金には替えがたい、こういう「教え子」という宝を手に入れることができるのは、なによりのこと。きょうのように、それぞれ活躍している弟子たちが集まってくれると、まことに教師冥利に尽きる思いがする。

2009年12月26日土曜日

夕顔の恋

ただいま、源氏物語全訳を執筆中であることは、たびたびお知らせした通りであるが、その入門編とでもいうような意味もあって、『夕顔の恋』という本を、つい最近刊行した。版元は朝日出版社。この本は、源氏のなかでも、もっとも男好きのするタイプと思われる夕顔という女を巡って、それがどのように源氏のなかに描かれ、どんな意味があるのだろうか、ということを「夕顔ファン」の一人として、おもしろく分かりやすく書いたものである。この表紙の人は、夕顔とは何の関係もない新進のモデルさんだが、こういう美人フォトを装訂にも、また本文中にも挿入して、古典物としては珍しい雰囲気を醸し出している。おそらく、古典が苦手な人にも読みやすいと思うので、とくに若いかたがた、あるいは定年後のオジサンがた、ぜひぜひ読んでみてください。なかには、源氏物語の本文、そしてこの本専用の林望現代語訳、さらに、読解エッセイとが収められている。ただし、この本に用いた現代語訳は、現在進行中の『謹訳源氏物語』のそれとは全然ちがう。念のため。林 望

2009年12月25日金曜日

節約の王道

10月に、この『節約の王道』という小著を出したところ、思いがけずこれがベストセラーの仲間入りをして、びっくりするやら、うれしいやら、である。世はあげて不景気、デフレとあって、とかくに「節約」が叫ばれるこの頃ゆえ、こういう本が江湖の喜び迎えるところとなるのかもしれない。しかしながら、この本は、ちまちました節約のノウハウを教えるという本ではまったくなくて、もっと大きな生活コンセプトを論じた(といってもごく分かりやすく)本である。例えば、ビールを買うところを発泡酒にして節約する、というのではなく、それなら、いっそ飲むのをやめて健康志向に切り替えたらどうか、水道代をみみっちく節約するくらいなら、ぜひタバコなどはすっきりやめてしまうがよかろうとか、パチンコだの競馬だのマージャンだの、およそ博打に類するものは、すべて人生の敵とみて、この際全廃すべしとか、生活全体を見直して、下らないことに金を使わず、ぜひとも有益なことにお金資源を集中すべきことを説く、まあ生活改善の勧めだと思っていただきたい。タバコを1000円に、というのは、私も強く主張しているところだが、それがわずか100円のみみっちい値上げなどという無意味にして愚劣なる政策がまかり通る世の中に、節約という意識からも一矢を放ちたい、そう思って書いたのである。是非御購読を賜りたい。

2009年12月22日火曜日

源氏物語の日々

12月に入って以来、来る日も来る日も『源氏物語』の書き下ろしに没頭中で、たしかに大変な仕事ではあるが、なんといっても源氏が面白いので、この苦心惨憺がちっとも苦痛ではない。それどころか、一日が36時間か48時間くらいあればいいのになあ、とあらぬ願いを抱くくらい、この原文の意味を正確に解釈し判断して、それを、どうしたら面白く、読みやすく、そして原文の意図を「漏れなく」伝えられるか、と頭の中の知識や語彙を総動員して考えに考えぬく日々が続いている。三月から第一巻が刊行されることが決り、題名も『謹訳源氏物語』と決定した。装訂も造本も、すこぶる斬新なものになる予定である。写真、手前は『源氏物語湖月抄(北村季吟)』、上右は、新潮社古典集成本、その左は吉沢義則著『対校源氏物語新釈』、いちばん後ろにちらっと見えるのが玉上琢弥著『源氏物語評釈』、その他にいくつもの注釈書や、参考資料を参照しながら進めているのだが、それはこの写真の枠の外に置いてある。

2009年12月15日火曜日

大根尽くし

きょうはまた雑誌クロワッサンの依頼で、大根尽くしの料理の取材撮影。大根をメインにしてどれだけの料理が作れるかということで、これはダイエットとしては最適の料理である。詳しくは雑誌が刊行になってから、そちらをお読み頂くことにして、その出来上がり写真のみ、ここにお見せしたい。前列左から、大根の梅干し和え、鶏大根、大根の皮とニンジンのきんぴら、左中ほどに見えるのは、大根の葉の菜飯、後列左から、納豆とジャコの大根おろし和え、風呂吹き大根(胡麻味噌添え)、三種類の大根とニンジンの和風サラダ。以上、鶏大根のみは煮込みに時間がかかるので、少し前から煮込んでおいたが、あとは調理時間、すべてで約一時間。結局、撮影・取材団の全員の分まで合計六人前ほど作って、終わってから全部平らげてしまった。たいへん結構でありました。なお納豆おろし和えの入っている抹茶茶碗は、私の自作の茶碗である。

2009年12月14日月曜日

楊貴妃

きょうは、目黒にある喜多能楽堂まで、能の解説の講演に行ってきた。本日は青葉之会といって、観世流銕仙会の柴田稔師の公演で、『楊貴妃』という美しい能の解説であった。これは、唐の白楽天の『長恨歌』『長恨歌序』に材をとって脚色した、舞踊劇的な能で、主人公シテは楊貴妃の霊魂ということになっているのであるが、ただ、それが現世のほうへ化けて出て来るというのではなく、蓬莱島にいる楊貴妃の霊魂に、幻術師が会いに行くというところが珍しいアイディアである。喜多能楽堂は、喜多流の本拠たる能楽堂だが、演能は喜多流ばかりには限らない。きょうもほぼ満員の盛況であった。

2009年12月8日火曜日

久しぶりのお料理取材

きょうは、久しぶりに、料理実演の取材があった。「いきいき」という雑誌で、鍋物を中心にして二人前の食事をつくってほしいという依頼だったので、きょうは、醤油味のちゃんこなべと、五色サラダ(あご醤油風味ドレッシング)、それに大根とニンジンの皮のきんぴら、という献立(掲出の写真は、その鍋のみ)。ふつう、こういう取材は、どこかキッチンスタジオを借りて、フードコーディネーターなどが付いてやるのだが、きょうのは、私の自宅で、なにもかも自前という、編集部にとっては、もっとも金のかからない都合のいい取材であった。もっとも、こっちもわざわざ都心まで出なくて済むので好都合なのである。自宅といっても、実際には、新しく作った息子の家を拝借したのである。料理はとてもおいしく出来て、終わってから、編集者二人、写真家、そして妻と秘書と私と、六人で、この鍋を平らげた。

2009年12月6日日曜日

歴史的工事

きょうは歴史的な日になった。というのは、JR中央線が三鷹から国分寺まで高架線になり、その切り替え工事が、夜を徹して敢行されているのである。すでに下り線はしばらく前に高架化されていたが、残りの上り線が、まさにきょう、予定より三ヶ月工事を前倒しして高架化が実施されるわけである。まだ高架の駅は未完成で、これから残りの仕上げ工事にかかるところだが、とりあえず「開かずの踏切」として悪名高かった小金井街道の踏切がついに姿を消すことになったのである。中央線開通以来の歴史的な出来事で、ここ数十年来の小金井市民の念願であった。これによって、小金井市は南北分断を解消して、商業的にもまた交通上も非常に便利になったことを実感する。なにしろ、この踏切は朝などはまったく開かないので、交通は勢い立体交差の新小金井街道に集中し、ここがまた大渋滞となって、ラッシュの時間は、わずか500mくらいの道を進むのに、一時間という途方もない渋滞となるのであった。きょうを以てそれも語りぐさとなる。この歴史的工事を見るために、多くの人がカメラを手に集まっていた。写真は武蔵小金井駅上り線。すでに線路が外されているのが見える。

2009年11月29日日曜日

田村高校

福島県郡山にほど近い三春町の県立田村高校へ講演に行ってきた。といっても、高校生を相手に話したのではなく、県内の学校図書館の関係教職員のかたがたの研修会で話してきたのである。テーマは、『古典を読む楽しみ、読ませる教育』ということで、かねて持論の、もっと古典を豊かに面白く読ませたいということを、いくつかの実例を引きながら話した。講演そのものは二時間を超過する長丁場になったが、みなさん熱心な聴衆で、会場には熱気が溢れている感じがした。講演の前に少し時間があったので、校内をぐるりと回ってみたが、入口のところになにやら愛すべき表情をした二宮金次郎の石像があって、いかにも会津らしい空気を感じた。行き違う生徒たちは、みな明朗に挨拶をしてくれて、すがすがしい学校であった。

2009年11月28日土曜日

冬じまい

毎年、十二月が来るころに、山梨県北杜市白州にある山荘を冬じまいしに行く。今年も11月24日にしまってきた。ベッドの蒲団を片づけ、大掃除をして、それから、水道の水を抜いておく。そうしないと冬季は凍結して水道破裂の畏れがある。例年十二月の中旬くらいにしまうことにしていたのだが、数年前に、十一月に異例の大寒波が来て、早くも水道が凍結するということがあり、それ以来、十一月中に家じまいをすることにしたのである。ほんとうは、これからの季節が薪ストーブをどんどん燃やして過ごす楽しい季節なのだが、忙しくてなかなか行かれないので仕方なく冬じまいにしてしまうのである。せめて、しまいに行った日に、存分に薪を燃やしてストーブに命を吹き込んだ。あったかくていい匂いがして、よいものである。

2009年11月23日月曜日

自慢の柿の木

庭にはぜひ柿の木を植えるとよい。この柿は、わが庭の自慢の柿の木に、今年もたわわに実ったもの。今年は生り年と見えて、みっしりと実り、しかもその一つ一つがじつに充実しているのがよろしい。とくに日当たりがいいという場所でもないのだが、ただ、台所のゴミをば、ゴミ乾燥機に入れて堆肥風に作り、これを適宜あちこちの木の廻りにうめている。それがよかったのかもしれない。甘柿で、風味はごく宜しい。沢山の実のうち、屋根に上って手が届く範囲だけは収穫して、それでも食べ切れぬくらいある。一本の木のうちのまあ、三割くらいしか収穫できないので、あとの七割は鳥たちの食べ分である。この甘い柿を目当てに各種の鳥が飛来して、秋の庭はにぎやかだ。この柿は、以前小金井駅の南に住んでいた時分、その庭にあった木を、ここに連れてきて植えたもの。植木職人は、移植は無理だと言ったが、そこをたって頼んで植え替えたところ、ずいぶん休んでから芽吹いた。それが今では亭々たる大木になって、毎年こうやって、目と口と鳥たちを楽しませる。げにも柿の木は素晴らしい。

2009年11月22日日曜日

源氏物語講義

きょうは、横浜の労働プラザというところで、朝日カルチャーセンター横浜教室の主催する『源氏物語』についての講演をしてきた。二時間たっぷり、源氏のリアリズムについてお話ししてきたが、みなさん熱心で気持ちよく講義してきたことだった。終わってから、この講演会に参加してくれた、かつての慶応義塾女子高校の教え子たちと一緒に元町の一茶庵という手打ちそばの店であっさりと蕎麦や湯豆腐などを食べ、そのあと、近くの茶店(というんだろうなあ、あれは)若干の甘味とお茶を喫し、それからさんざんおしゃべりなどして帰ってきた。慶応女子高の教え子たちは、いつ話しても気持がよい。私がこの学校で教えていたのはまだ二十代の時分であったから、彼女たちと話していると、その遠い青年時代に帰ったような気持がするのであろう。蕎麦もあんみつもたいへん結構な味であった。元町は三十年ぶりくらいに足を踏み入れたが、なんだか外国の田舎町のような風情で、なかなか好ましかった。

2009年11月15日日曜日

武蔵野二中

11月14日、武蔵野市立武蔵野第二中学校という中学の創立60周年記念式典が挙行され、私はそこで全校生徒、教職員、来賓、父兄参列者を前に、一時間ほどの記念講演をしてきた。実は私はこの中学校の卒業生で、今の生徒にとっては大先輩にあたる。ここを卒業したのは昭和三十九年三月、つまりあの東京オリンピックの年である。しかも創立六十年ということは、私の生まれた年とこの中学の創立は同年だったということで、かたがたご縁が深い。が、校舎自体はすべて建て直されて当時の面影は皆無であった。私が中学生だった時分、このあたりはまだ茫漠たる武蔵野の面影があって、そこらじゅう麦畑、芝生畑、そして雑木林だった。そんななかで、私は日々山野を跋渉して呑気な小中学生時代を過ごした。少しも本などは読まなかった。けれども授業は一生懸命に聞いていた熱心な生徒ではあったので、成績はすこぶる良かった。まだ受験塾などに通わずとも、真面目に授業を聞いてさえいれば都立の有力な高校にいくらも進める、そういう良い時代であった。私はここを卒業してから、都立戸山高校に進んだが、そのあたりのことは拙著『帰らぬ日遠い昔』に詳しく書いてあるから、御一読くださらば幸甚。

2009年11月13日金曜日

ニンジンの葉のてんぷら

先日、テレビ東京の「ガイアの夜明け」(これ私の愛視聴番組です!)を見ていたら、オイシックスという農産物などの通販会社の奮闘を特集しているのに遭遇。これがなかなかおいしそうなので、すぐにお試しセットを買ってみた。それが今日届いたのだが、なかに葉つきニンジンというのが入っていて、これが見事な葉っぱである。ほとんど無農薬だという。てんぷらにするとおいしいということだったので、その葉を良く洗い、軸の固いところを去って、葉っぱの部分だけを、からりとてんぷらにしてみた。この場合、色と歯触りを重視する観点から、衣のほうに軽い塩味をくわえて、天つゆにつけずに食べるということにした。ひさしぶりにてんぷらなど作ってみたが、いやあ、これが実にどうも、サクサクほろほろ、なんともえいぬ美味であるのに驚いた。普通のスーパーではこういう新鮮な葉は手に入らないから、このニンジンを買い得ただけでも、このセットは成功であったと評価できる。ついでに、この葉をお浸しにしてもみたが、こちらは、案の定筋ばっていてそれほどおいしいとも思えない。ニンジンの葉はてんぷらに限ると判定。まことに美味で結構でした。

2009年11月11日水曜日

CLC

現在、横浜のみなとみらい、パシフィコ横浜で、図書館情報フェアが開かれていて、世界各国からの参加を得て盛大な催しとなっている。きょうは、そのなかのイベントの一つとして、ケンブリッジ大学出版が、このほど世界に向けてリリースすることになった、Cambridge Library Collection というプロジェクトのプレゼンテーションのために、同社代表のアンドリュー・ブラウン氏と公開対話を試みた。これは、1800年から1920年までの、学術的に価値のある、しかし今では入手も閲覧も困難な書籍を、デジタル化して、これを安価なペーパーバックの形で復刻しようという試みである。今年は1000タイトル、来年からは一年に3000タイトルを復刻するという気宇壮大なプロジェクトであり、しかもケンブリッジ大学出版の学問的良心にかけて、良質な底本の選定、書誌情報や解題の完備、複写の高品質などを保証しようという点で、Googleや、アメリカの複製出版として有名なKessinger社のそれと、明確な差異がある。私はこの試みは学者としてまた作家として大いに歓迎する。というわけで、その前夜、ブラウン氏夫妻と、また同社日本支社長のマーク・グレシャム氏、ならびに担当の平野啓子氏と会食をしながらいろいろと談論風発したことであった。この写真は、その時の記念写真。中央がブラウン氏、私の左がブラウン夫人、そして、右の二人が、グレシャム氏と平野氏。場所は芝浦の料亭「牡丹」。

2009年11月10日火曜日

石森延男

最近、石森延男の色紙を入手した。この「菊の花がさきだした。そのかおりもとりもどしたい。昭和四十一年十月十八日 石森延男」と書いてある色紙は、なにげない文句だが、彼があの美しい唱歌『野菊』の作詩者であることを思い合わせて読むと、なかなか感慨深いものがある。『野菊』は昭和十七年に書かれた唱歌で、作曲は下総皖一。当時、その「野菊」の詩が戦意発揚に役立たない軟弱な作だと陸軍に批判された石森は、正々堂々、大和魂にも「にぎみたま(和魂)」というものがあってこそ国威は宣揚されると論じて一歩も引かず、ついにその平和的で愛すべき詩を認めさせたと伝えられる。旋律も非常に美しい名曲であるが、戦後すぐに歌われなくなった。私ども歌を愛する者からすれば、残念至極なことで、是非ともこれは復活してもらいたい歌である。その意味で、石森が「そのかおりもとりもどしたい」と書いたのには、深い感慨があるように思われる。ちなみにこの曲は、私どもの愛唱歌で、いつも舞台では演奏する(上田真樹編曲)。先日の岩手紫波町あらえびす記念館でのコンサートでも、嶺貞子先生のソプラノ、私のバリトンで、二重唱で歌って好評を博したところである。

2009年11月7日土曜日

半藤さんとの談論風発

夏目漱石のお孫さんに当る半藤末利子さんと対談をした。味覚春秋という個性的な雑誌があって、そこに私は『食べ物煩悩記』という、まあ毒にも薬にもならない食べ物についての随筆を連載しているのであるが、おなじく半藤さんも連載を書いておられるので、そのご縁で、初めてお目にかかって対談を、という企画となったのである。といって、別にこれというテーマがあるわけでもなく、食べ物のこと、家族のこと、漱石のこと、いわゆる談論風発というスタイルで、愉快に二時間ほどもおしゃべりをした。半藤さんは、ほんとうに闊達明朗、お話しするのがとても楽しい方で、二時間はあっという間に過ぎた。会場となったのは、新橋近くの摩耶という和食店。お料理も大変に結構であった。

2009年11月2日月曜日

岩瀬文庫

名古屋の少し東あたりに、西尾市という町があり、そこに「岩瀬文庫」という有名な古書ライブラリーがある。これは同地の岩瀬弥助という肥料商の富豪が、私財を投じて収集した古典籍の宝庫で、私も昔、若い頃には、よくこの文庫の浮世草子を調査研究するために通ったものだった。きょうは、その岩瀬文庫主催の講演会に招かれて、一時間半みっちりと古書の話をしてきた。折からの悪天候のせいもあってか、聴衆は少なかったが、しかし、ほんとうに熱心で気持のいい雰囲気であった。夕刻、終わって直ちに帰途につき、あいにくと荒天模様となって豪雨と霧の中央高速をひた走って戻ってきた。ひさしぶりに、岩瀬文庫の古書の香りをかいで、懐かしい思いにしばし浸ったことであった。しかし、私が岩瀬文庫に通っていたのはもう三十数年の昔なので、今では駅舎も街路の景観も文庫の建物自体も、なにもかも様変わりで、あたかも浦島太郎の心持ちを味わった。

2009年10月30日金曜日

スコン

近く11月9日の午後四時五分から、NHKラジオ第一放送、ラジオ井戸端会議という番組に生出演して、アフタヌーンティなどのことを話すことになっている。そこで、昨日、担当のディレクターらが打ち合わせに来た。どうせなら、ちゃんとしたイギリス式のスコンとキューカンバーサンドイッチ、それに、本式の美味しいミルクティを御馳走することにして、久しぶりにスコンを焼き、キューカンバーサンドイッチを作った。写真は、そのスコンに、クロッテッドクリームとイチゴジャムの載せたところで、スコンはこうやって食べるという見本である。世の中にはインチキなアフタヌーンティばかりがはびこっていて、とくにホテルなどのそれはひどい。東京でまともなティを出すホテルなどは皆無である。どうしてフランス料理の人たちはイギリスのティについてきちんと学ばないでいい加減な自己流でごまかしているのであるか、そしてそのくせ法外に高い金を取っているのであるか、理解を絶している。このスコンの作りかたは、拙著『イギリスはおいしい』の文春文庫版の「あとがき」に詳しく書いてあるので、誰でも簡単に作ることができる。ぜひお試しを。なお、載せるものは、クロッテッドクリームがなければサワークリームを用いられたい。甘いホイップクリームなどを使うのは邪道も邪道、大邪道である。

2009年10月28日水曜日

ヤマカズがんばれ!

フランスのブザンソン国際コンクール指揮部門で栄えあるグランプリを獲得した指揮者の山田和樹君が、今日と明日の二日間、手勢の横浜シンフォニエッタを率いて、青葉台フィリアホールで凱旋公演する。プログラムは、モーツァルト、ビゼー、そしてメンデルスゾーン。山田君とは、かねて懇意のところで、私の作詩した『夢の意味』東京混声合唱団の初演も彼が振ってくれた。そんなご縁もあり、そのリハーサルにお邪魔して、インタビューをさせてもらった。雑誌のミセスの企画である。ミセスは、かつて「若きすご腕」という連載をしたことがあり、そのホストをつとめたのが私で、第一回の登場ゲストが山田君だった。今はヨーロッパと日本とを行き来しつつ忙しく活躍している彼だったが、久しぶりに再会してみると、以前とちっとも変わらない気さくさで、その飾らない人柄にはいつもながら好感が持てる。それでも、第一線でこれから闘っていくのだという気迫のようなものは、全身からオーラのようになって出ていた。これからがほんとうに楽しみである。手にもっているのは、最近リリースになった東京混声合唱団の山田和樹指揮『木とともに人とともに』(谷川俊太郎/三善晃、フォンテック)。

2009年10月26日月曜日

久保田チェンバロ工房

きのうは、新座にあるチェンバロ製作家の久保田彰さんの工房に見学に行ってきた。こんど久保田さんが『チェンバロ 歴史と様式の系譜』という美しいDVDブックを刊行されるについて、私に推薦文をと依頼されたので、まずはともあれ工房を拝見に伺ったのである。チェンバロはまるで美術品のように美しい楽器で、その音も貴族的にして典雅、激しない熱情、と呼びたいような世界である。実際に楽器を仔細に見せていただくと、これはまるで木でできた精密機械のようであった。御案内くださったのが、チェンバロ奏者の水永牧子さんで、何曲か所望して演奏もしていただいた。まことに愉しいチェンバロ工房訪問であった。久保田工房の皆様と水永さんに感謝。

2009年10月25日日曜日

曽根干潟

先週は大牟田へ講演に行ったが、この週末は再び九州に赴き、北九州の小倉の南、苅田町(かんだまち)の市民講座で和歌の話をしてきた。じつはこの町の市民カレッジというのの名誉学長に任ぜられている関係で、春秋の二度、講演をしに行くのである。講演は午前中で終わるけれど、敢て帰京の飛行機は夜の便にして、半日を北九州逍遥に当てるのがいつもの例である。今回は、その苅田町のすぐ北に広がる広大な干潟、曽根干潟を見物に行ってきた。あいにくと満潮で干潟はみられなかったが、その半ば水没している堤防に、汐干を待つ白鷺の群れが見られて、面白いので写真をとった。この干潟はまたたいへんに生物の豊かなところで、天然ウナギなどもこの近くの河で獲れるという。苅田というと工業町、工場地帯という印象なのだが、じつはこのような豊かな自然がたくさん残っていて、これからの観光開発なども期待される場所である。

2009年10月22日木曜日

炭坑という産業遺産

17日に大牟田市で「ふくおか県民文化祭」というのがあって、今年はとくに、九州一円の産業遺産を世界遺産に登録したいという運動に光を当てるというわけで、私もそういうテーマで講演をしにいった。『産業遺産というながめもの』という題名で、先達の工業国イギリスの例をあれこれ紹介しながら、日本はまだまだこれからの状況にあることを話した。講演が終わってから、三池炭鉱の宮原坑跡という産業遺産を見学にいった。写真の建物はその地下水を排水するための巨大なポンプで、イギリスから導入したものだそうである。炭坑はすでに閉鎖され、炭鉱住宅もほぼ完全に姿を消して、旧炭住地域はまだ一面の草原になっていた。じつはまだまだ炭田としては厖大な埋蔵量があるのだそうだ。といって、これからまた石炭の時代になるとも思えないけれど、石油の時代も終わりそうだから、案外と石炭に光があたる時代が再び来る可能性だってないとも言えないかもしれない。

2009年10月21日水曜日

あけび

さるところで珍しく立派なアケビを手に入れた。アケビというものは、野に成っているところは何度か見たことがあるが、売ってるのを買ったのは、これが初めてであった。さっそく中子の実を食べたが、なにせアケビなどろくに食べた記憶がないので、平気で種まで食べてしまった。ところが、この種は食べてはいけないものであったらしく、口中がイガイガとした感じになってしまい、しばらくその不愉快が取れなかった。調べてみると、種を食べると便秘になるとあったが、幸いに便秘にもならず別段の不具合は生じなかった。このアケビの鞘は味噌炒めなどにして食べると美味しいとあったが、そのイガイガですっかり出ばなをくじかれたせいで、とうとう味噌炒めのほうは試さずに終わった。なにごとも、先達はあらまほしきことなりと兼好法師の教えた通り。東京育ちは、どうもこういうところの基本的ノウハウが不足しているなあと、今さらながらに痛感。

2009年10月15日木曜日

ゼロカーボン

 昨日は、ひとっ走り房総半島の先端まで行ってきた。べつに遊びに行ったのではない。写真の場所は、いまヒライという千葉の会社が進めつつある「ゼロカーボン・プロジェクト」という計画のパイロットサイトである。私はこのプロジェクトの特別アドバイザーなので、その現地を、計画の枢要にある建築家のかたがたと一緒に視察するために行ってきたのである。この原生林に覆われた山を背後にして、目の前に黒潮の海が見える。しかも観光化されていなくて、じつに良い場所であった。ここに限りなく炭素排出ゼロに近い近未来住宅を試作しようというのである。私も、建築家たちを相手に、丁々発止と思うところを述べた。実際にいつこの家が立ち上がるか分からないが楽しみなことである。

2009年10月13日火曜日

おや、こんなものが

秋の良い日和に誘われて、また、緊張して固くなった体をほぐすというつもりもあって、午後のよい時間に近所を歩き回ってみた。小金井街道を北上して、西武新宿線の花小金井駅まで行って、その間にあちこちと脇道をたどってみたりしつつ、あれこれ眺めて、なかなか面白い散歩(といっても歩き方は例の超速歩で、どんどん歩くのである)であった。いつもこういうときにはカメラを持って歩くのだが、きょうも愛用のルミックスを手に歩いていたら、ふと、街道脇に、なかなか由緒ありげな小祠があるのに初めて気がついた。いままでこの道を何度も歩いているけれど、見過ごしていたのは不思議である。見れば、どうやらこれは馬頭観音の祠である。昔、この辺りがまだのどかな農村であった時分には、馬は農耕に欠かせない家畜であった。農家にとっては必須の道具であり家族でもあったと言ってもよい。そういう時代には、馬の観音様も信仰されたもので、こうした馬頭観音は全国の農村に数多く残っている。なつかしさについパチリと一枚。これも昔、私が中学生のころに、若杉慧という写真家の書いた『野の仏』というフォトエッセイがあって、そのなかの馬頭観音の写真と文が教科書に出ていた。とてもしんみりした良い文章で、私が「文体」ということを意識した最初の文章であったのだ。そんなことも思い出した。

2009年10月12日月曜日

あらえびすの里にて


11日、岩手県紫波町のあらえびす野村胡堂記念館で、『古典文学の愉しみ』という講演をして、そのあと、歌を歌ってきた。今回も、『あんこまパン』。これが、ほんとうに心の温かな聴衆の皆さんにおおいに励まされた感じで、一挙手一投足に爆笑また爆笑という、大受けの舞台であった。この会は、野村胡堂の実家に近く、美しい田園を見下ろすところに建っている記念館で、野村胡堂奨学金を受けた人たちが恩返しのような心で音楽や講演をするというものであったが、私は、いつもお世話をいただいている東京芸大名誉教授峯貞子先生のお声がかりで、奨学金とは関係ないけれど講演と歌をさせていただいたのである。芸大筝曲の安藤政輝教授、珠希さん父娘とも御一緒で、最後は和洋揃って一同で『朧月夜』『野菊』を演奏した。ピアノは有森博君と五味こずえ君。そういえば、今回の会は、私の命名で「和洋あいあい、東西音楽の交歓」と題し、その題字も私が揮毫したのだった。この会は二度目だけれど、いつも気持の良い会である。折しも秋の刈り入れが終わった田園はまさに山紫水明の所という風光明媚な土地で、風景で愉しみ、人情を愉しみ、そして終わってからの野村家での御馳走に大いに舌鼓をうち、よいことばかりの一日であった。宴会を中座してすぐに帰京の途についたが、七時間ほどの深夜ドライブをまた愉しみながら、午前三時に帰り着いた。ああ、楽しかった。




2009年10月6日火曜日

大学生の頃

 きょうはちょっと古い写真が発見されたので、お目にかけることにしよう。ご覧のようにヒゲのない若い時代の写真で、これはおそらく大学一年生くらいのときに撮ったものと想像される。大学入試で面接があったので、さすがにヒゲは剃ったのであった。我ながら、やや女性的な顔つきだなあと思わぬでもない。面白いことに、この時代の顔は、左半分と右半分でずいぶん相貌が違っていて、これを半分ずつ隠してみると、息子は右半分の顔によく似ていて、娘は左半分が遺伝しているように思われる。ところが今写真をとると、こういう左右のアンバランスはなくなって、左右同じようになっているのはどうしてであろうか。こうしたことも顔相のほうからいうとなにか意味のあることかもしれない。ともあれ、珍しい写真をとくとご覧あれ。

2009年10月5日月曜日

三田会

きょうは、慶応大学の同窓会である、三田会の第126期の文学部幹事会に招かれて講演をしてきた。福沢諭吉のフェミニズム的思想、その歴史的先進性についての話をしたのだが、みんな熱心に聞いてくれた。なにぶん文学部の三田会なので、幹事といってもほとんどが女性なのである。ごくたまに男の顔も混じっていたが、みな体育会の猛者たちで、しかし、ほんとうに気持ちのいい爽やかな男達であった。会場は、日吉キャンパスの協生館という新築の大学会館で、ひろびろとしてすがすがしい会場であった。講演が終わってから、同じ会場のしつらいを変えてティーパーティという趣向、このスイーツがまことにまたおいしかった。やっぱり母校慶応は懐かしい故郷という感じがする。

2009年10月3日土曜日

雲仙に行ってきた

9月26日、はるばると雲仙温泉の雲仙観光ホテルまで、イギリスの旅の話をしに行ってきた。お料理のおいしいことでも名高い同ホテルが、珍しくイギリス料理のフルコースを用意してくれて、その晩餐のあとに、私のイギリス旅の話を聞こうという会を催したのである。さすがにお料理もおいしく、とくに地元鹿牧場の鹿肉を供してくれたのは、珍しくて結構な趣向であった。秋になると、イギリスでは鹿肉のステーキなどが良く出たもので、懐かしい感じがした。同ホテルは、昭和十年に国策を以て建てられた欧風の素晴らしいクラシックホテルで、いまはすっかり内部リニューアルが済んでますます素敵になった。帰りがけに、島原半島の西半分を、細い田舎道を選んで逍遥してきたが、これまたとても気持ちの良いドライブだった。こんどは純粋に遊びで行きたいものである。


2009年9月19日土曜日

錦糸瓜または素麺南瓜

晩夏初秋の美味、錦糸瓜を、今年も頂戴して、さっそくいつものように二つに縦割りにしてから、櫛形に切り、皮を去って、それを熱湯に入れてしばし茹で、氷水に取って指でほぐすと、ほんとうにこのように美しい錦糸状になる。これをよく流水に晒し、固く絞ってから、私は、ほんとうに素麺のつゆに卸し生姜を和し、それにつけて食べる。錦糸瓜も素麺南瓜も、じっさい良く名付けたものである。まことにしゃきしゃきパリパリとした歯ごたえの素晴らしさ、何もクセのない風味、さわやかな黄色、しかも食物繊維満載でほとんどカロリーは無し、とダイエット的昼食にはうってつけである。もっともこれを三杯酢などに和しておかずにもなり、白身の魚の汁などの相方にもよろしく、ともかくこんなに良いものは珍しいという感じがする。私の大大大大好物の一つ

2009年9月17日木曜日

テレビドラマ出演!

れれれっ!! トレードマークのヒゲがない、とびっくりされた方も多かろうか。じつは来年の終戦記念日に放映予定のNHKのドキュメンタリードラマ『日本のいちばん長い夏』のなかで、作家の大岡昇平の役で出演してきた。昨日と今日の両日収録があったのである。ドラマの仕上がりは見てのお楽しみとしようけれど、ともかく大岡昇平はヒゲなんか生やしてないので、どうか剃ってくださいと監督に懇願されて、断腸の思いで剃った(すぐまた生やすけど)。しかし、やってみると、役者というものは大変な仕事だと痛感する。出演者はプロアマ混合で、上の写真は松平定知アナとのツーショット。松平さんは、ジャーナリストの扇谷正造役、じつに見事な演技に感心。下の写真は、落語家で医師の立川らく朝師匠。こちらは徳川夢声の役。これまたさすがに噺家だけあって堂々の夢声ぶりであった。いずれも着しているのはドラマ用の衣装である。於、緑山スタジオ。

2009年9月12日土曜日

ナツユキカズラ

この真っ白な花は、和名ナツユキカズラ、英語俗称Russian Vineというものである。これは私の家のガレージの屋根を覆い尽くして、毎年六月ごろと十月ごろの二回、真っ白に花を咲かせる。今年の二度目の花は例年より少し早い。おそらく異常に早く秋が来たことと関係があるのであろう。この蔓性の木は、別名mile a minute とも言い、つまり一分に一マイル延びるほど旺盛な生命力を持っているということである。イギリスでは広大な庭のフェンスや、空港周りの壁などによく見かけるが、日本にはほとんど入っていない。これはイギリスからの輸入ものである。この木がガレージを完全に覆い尽くしているため、ガレージのなかは夏でも涼しく、また落葉樹なので冬は少しも暗くない。

2009年9月11日金曜日

湖月抄

源氏物語の全訳は着々と進捗中ながら、九月に入ってからは、普通のルーティンの仕事も平行してこなさなくてはならず、なかなか時間の配分が大変である。この写真は、家蔵の『源氏物語湖月抄』江戸前期刊本で、なかなかよい刷りの本。近代の注釈書もむろん有益であれこれ参考にしているのだが、解釈に行き詰まったときなど、案外にこの北村季吟の注解がヒントを与えてくれることがある。家蔵本は『静修館図書印』の旧蔵印記があるが、この静修館がどこであるかは未考。


2009年8月28日金曜日

源氏物語と帰宅の時代

ながらく更新もせず、もうしわけなく存じます。じつはその後ずっ
と書斎に篭城して、この夏はほとんどどこにも出ず、ひたすらひた
すらに源氏物語の全訳に取り組んでおりました。おかげさまで、第
一巻の分として、桐壷から若紫までは脱稿して出版社に送り、いま
はひきつづきその先を書き進んでいます。さすがに手ごわい相手で
はありますが、これほどまた楽しい仕事もなく、源氏物語の素晴ら
しさ面白さに、日々心を遊ばせながら、こつこつと正攻法で進んで
います。私の現代語訳は、今までにない新しい文体で、しかし、ど
うやったら源氏の面白さを分かりやすく読みやすく、しかも学術的
に正確に解釈しながら進めるかという、チャレンジであると思って
います。作家である前に古典学者であるという私自身のアイデン
ティティに基づいて、女流作家の方々のそれとは明らかに一線を画
した、なるほどこういう現代語訳もあるのかとびっくりしていただ
こうと思いつつ、毎日毎日、精進潔斎、謹厳実直に源氏に向かい
合っています。十一月には第一巻が出ますので(祥伝社より刊行)
ぜひ御購読ください。
その前に、このほど、『帰宅の時代』が新潮文庫になりました。文
庫本の表紙は、私がみずから水彩で装画を描きました。あわせてご
覧いただけましたら幸いに存じます。

2009年8月4日火曜日

無事動き出す

















わがマックは、ジャパン・ベストレスキュー・システムという会社の専門家に頼んで、家中のネットワークをきちんと設定しなおしてもらった結果、すべてうまく動くようになった。まことにめでたい。また、こういうことは、結局餅は餅屋で、なにも分からぬ素人が何日も額に汗してやるよりは、適切な代価を払って、さっさと専門家に頼むにかぎる。この会社のエンジニアは、まことに人柄も感じ良く、テキパキとよくやってくれた。ありがたいことである。写真のマックの画面は、その懸案のタイムマシンが、無事機能しているというところの画面である。左のほうにある白い箱がタイムカプセルで、無線ステーション、ハブ、ハードディスクを兼ねる。かなり発熱するので、ご覧のような風通しのよい台に収めて熱がこもらないようにした。夏は、コンピュータもハードディスクも発熱体なので、書斎はけっこう暑くなる。手前の本は、現在執筆中の源氏物語のテキストである。

 


2009年8月1日土曜日

わがマックの不始末

わがiMacは、無事立ち上がって、快調に仕事をこなしてくれ
ているのだが、ただ一つ困ったことは、タイムマシンという自動
バックアップのシステムがまともに機能しないことである。なんど
やっても、バック作業は途中でエラーになってしまう。もともと、
この1テラバイトのHD全体をバックアップする目的で、1テラバ
イトのタイムカプセルという通信機能つきのアップル純正HDサー
バーを大枚はたいて買ったのだが、これがまるっきり動かない。い
つでも途中でエラーとなって止まる。なにか設定が間違ってるらし
いのだが、もともと自動設定ということになってるので、何がなに
やらさっぱりわからない。マニュアルを見ても、これがとても日本
語とは思えないような、理解不能の文章で、私はもうすっかり諦め
た。アップルに問い合わせようにも、どこへ問い合わせろというこ
とすら書いてないから、てんでわからない。私はもう何日も格闘し
てとうとう諦め、餅は餅屋というわけで、有料の出張サービスに申
し込んだところである。移行アシスタントもエラーになって動かな
い、バックアップもエラーになって動かない、まったくアップルと
いう会社は相変わらず不親切の権化である。添付の写真は、そのタ
イムマシンのバックアップ作業開始直後の画像で、これが65
GBバックアップするには七時間も八時間もかかるから、席をはず
さざるを得ない。すると、戻ってくるとなんのことはない、エラー
ですというので停止してしまってるのである。といって、これが終
わるまでずっと画面を見ているわけにもいかず、なにがどうエラー
なのかの表示もいっさいないので、取りつく島がない。というわけ
で、まだわがマックは十分な状態になっていないのである。どうい
うわけで、こういう中途半端な間違いだらけのシステムやら機器や
らを平気で販売するのであろうか。だいいち、タイムマシンって、
デザインこそ素晴らしいけれど、使い方は非常にわかりにくく、い
まだかつていちども使ったことがないのである。こらっ、アップ
ル、なんとかせい!

2009年7月26日日曜日

わがマックの更新

日頃、我が相棒として一日じゅうつきあってくれているiMac
が、去年の正月に買ってからまだ一年半にしかならないのに、もう
ハードディスクが満杯に近くなってきて、このままでは源氏物語の
大仕事にはとても間に合わないという気がしてきたので、思い切っ
て新しいiMacに更新することにした。今回は、最新型のマシ
ンに1テラバイト(1000GB)の広大なハードディスクを搭
載し、なおかつ、バックアップマシンとしてのハードディスクにも
1テラバイトを用意した。近ごろはハードディスクもメモリも信じ
がたい価格に下がったので、こういうことが可能になったのであ
る。思えば、1990年ころ、初めてアップルのSE/30を
買ったころは、メモリ512KB、ハードディスクなし、スト
レージはフロッピーが原則であり、発売されたばかりのハードディ
スクはたかが10MB程度で20万円もした。隔世の感と
はこれである。しかし、この二台のiMacは、ファイアワイヤ
ケーブルで接続して移行アシスタントを使えば、自動的に旧マシン
のすべてが新マシンにコピーされるはずなのであったが、実際に
やってみると、どうしてもエラーになってすぐに止まってしまう。
なぜだかわからないけれど、しょうがないので全部手作業で更新移
行をしたところ、丸二日かかってもまだ終わらない。マックの世界
ではこういうことはしばしば起きるが、まあ、いつものことだか
ら、もう怒る気にならぬ。ただ笑って、マックもしょーがねーな
あ、とぼやくばかりのことである。

2009年7月22日水曜日

真夏の鳥鍋

この暑いさなか、物好きにも鳥の水炊きを作って食べた。暑中に鳥
鍋をつつくのは、京都の夏の風物詩の一つで、あの鴨川の河原に床
を出して、多くの店が鳥鍋などを供する。客は一風呂あびて、浴衣
がけで川風に吹かれながら鳥鍋で暑気払いをするというわけなのだが、今回はそ
の行き方で、わざわざ京都錦市場の鳥清(http://www.kyoto-
torisei.com/)から取り寄せて作った。これがコラーゲンたっぷり
のまことに濃厚な鶏出汁と一キロもの上質な鳥肉のセットで、三四
人前というのだが、まあ六人前はゆうにあるほどの肉の量であっ
た。これで4380円というのは非常にお買い得という感じがす
る。真夏の鍋もまことに結構である。仕上げには、この出汁のなか
に中華そばを入れて共汁で食べる。おいしくて、おなかにもたれな
いのはさすがである。

2009年7月13日月曜日

我が愛用の庖丁たち

ここに並んでいるのは、私の日頃愛用する庖丁のあれこれである。
いずれも、薩摩国、薩摩川内市なる東郷刃物という鍛冶屋さんが
打っている手打ちの庖丁である。値段はちっとも高いものではなく
て、一本三千円以内だから、むしろすこぶる庶民的な品物。しかし
ね、薩摩の鍛冶の力量を侮ってはいけない。さすがに武張った土地
柄ゆえか、これらの刃物は、ハガネが良くて、実に実によく切れ
る。しかも、ちょっと研げばたちまちに切れ味が出て、刃こぼれな
どしない粘り強さも具わっている。右から、大振りな菜切り庖丁、
中型の菜切り庖丁、変形柳葉、鯵切り庖丁、というわけだが、特に
右の二本は私の日常使っているもの。なにしろ五分も研ぐと、トマ
トの上に置いただけで、庖丁自体の重さによって、みごとに二つに
切れてしまうというくらいの切れ味である。バランスもよくて、こ
ういう庖丁で調理することには、それ自体快楽があるのである。私
ども家庭の調理人には、何十万もするようなプロ用の刃物など使う
必要などありはしないのである。

2009年7月11日土曜日

かなしみのそうち

きょうは、滝野川会館というところで、東京芸術大学付属高校の生
徒たちによる、アカンサスコンサートという催しがあり、そこでは
校内の演奏会で選ばれた演奏者たちが、それぞれの楽曲(今回はア
ンサンブルのみ)を披露した。そのなかに、朗読と歌とピアノとフ
ルートのための組曲『かなしみのそうち』が演奏されたので、作詩
者として聴きに行ってきた。もっとも単に作詩者としてというだけ
ではなくて、彼女たちが練習するに当って、さまざまなアドバイス
をしたというご縁もある。演奏はほんとうに完成度が高くて、素晴
らしかったが、同時にまた若々しく情熱的で真摯な演奏態度がとて
も好感された。演奏が終ったとき、私の後ろの席の人たちが
「あ〜、すてきねえ」と感に堪えたように漏らしたが、それはまっ
たくその通りだと思った。写真左から、ピアノの新納(にいろ)
君、ソプラノ斉藤君、朗読青柿君、私、フルート岡田君、そして作
曲者の上田真樹君。

2009年7月10日金曜日

教師冥利につきる

ちょっと前のことになってしまったけれど、この写真は、六月下旬
に慶應の女子高で私が教えた教え子たちが五十人近くも集って、私
の還暦を祝ってくれた時の写真である。私は、慶應女子高では一介
の非常勤講師に過ぎなかったのだが、それでも、こんなに多くの元
生徒たちが(いまはもう四十代後半の立派な女性たちだが)集って
くれた。そして、集った以上は、単にお祝いの会食というのでなく
て、慶應の日吉キャンパスのセミナールームを会場として、私の講
義を一時間半ほどみっちり聴いて、それから会場を変えて会食と
なった。ここに集うてくれた教え子たちは、多く社会の第一線で活
躍している非常に有能な女性たちだが、三十年ぶりに会えばやっぱ
り高校生のころの雰囲気そのまま、ほがらかで聡明で、じつにきも
ちのいい子たちなのであった。ああ教師になってよかったなあ、と
いわゆる教師冥利に尽きる思いがするというのは、まさにこういう
ときである。

2009年7月9日木曜日

タバコの害毒

タバコについて。浜松での禁煙運動の話をこの写真日記に載せたと
ころ、その浜松の加藤医師から、こんな新しい記事がおくられてき
た。医学的疫学的な大規模調査の結果として、自分が吸わなくと
も、受動喫煙のために認知症のリスクが高まり、また親の喫煙が子
どもの若年死・発ガンなどのほかにも、小児の認知障害を惹起する
エビデンスがある、という医学的な記事である。こういう明確なる
証拠があるにもかかわらず、「健康のために吸いすぎに注意しま
しょう」などというごまかしのような注意書きを書いて、事足れり
としているJTという会社の悪質性や、そこに天降ることを目的と
してこれを保護しているキャリア官僚たちの罪はまさに万死に値す
るというものである。自身喫煙される人はもとより、配偶者が喫煙
者だという非喫煙者も、この現実を直視しなくてはいけない。先日
もテレビニュースをみていたら、自民党の会合で、モウモウとした
タバコの煙のなかで、平気でタバコを吸いながら何かを議論してい
る議員たちの姿が映し出されたが、国会がこれではこの国の将来は
危うい。政治家はもっときちんとした意識をもってもらいたいもの
である。

禁煙うちわ

この写真は、先日、浜松で講演の折に、同地の開業医で、タバコの
害をなくすために浜松を中心として力を尽くしておられる加藤一晴
医師から頂戴した「禁煙うちわ」というものである。私は、このウ
チワを手に『枕草子』の講演をして、どうか一人でも多くの方が喫
煙などという百害あって真に一利なき愚行から足を洗われるように
一言お願いを申し添えた。聴衆は全員ご婦人がたで、喫煙者はおそ
らく一割にも満たない少数であったと思うけれど、その夫はおそら
く半分以上喫煙者で、その夫の吸うタバコから出る猛烈なる毒ガス
によって、受動喫煙の害を受け、肺気腫、肺ガンを始めとして、あ
らゆる病気を身に受けることになる、という現実に、ご婦人がたも
目覚めてほしいのである。そして、一日も早く、夫たちに喫煙をや
めさせるように努力してもらいたい、とそういう願いを申し上げた
ところである。ちなみに、会場となったホテルコンコルド浜松のロ
ビーには「喫煙コーナー」などというものが設置してあったので、
加藤医師と二人でホテルに申し入れ、よく考えてほしい旨を話した
ところ、翌日にはすべての喫煙場所がロビーから撤去されて、少し
でも安全な空間となっていたことを、私どもは嬉しく思った。すべ
てのホテル、レストラン、喫茶室、バー、などは今や世界標準と
なっている「完全禁煙」ということを断行されるよう、切にお願い
したい。禁煙にしても客は減らないということは、幾多の調査がこ
れを証明している。喫煙者を基準に物事を考えてはいけない。日本
の総人口の七割以上は非喫煙者なのだから。子どもや女性や、そし
て非喫煙者たちを、受動喫煙の大害から守るべく、ぜひWHOの標
準に従って欲しいものである。

2009年7月8日水曜日

夏の富士五湖

たいへんにながいこと、更新をさぼってしまってもうしわけありま
せん。じつは、猛烈な忙しさで東奔西走していて、六月いっぱいは
まったく寝る暇もなく、七月に入って、ようやく少しだけ時間がで
きました。東奔西走というのは、文字通りで、6/27に名古屋
でアーツ&クラフツの講演をしたことは、BBSにも書いてあると
おりですが、そのあと、また7/2に浜松で中日レディースサロ
ンというところの招きで、枕草子の話をしてきました。浜松への往
復は、中央高速から富士山麓に抜け、東名富士インターで東名に入
る、というルートを往還します。これが道々涼しくて景色もよく、
おいしいものもいろいろあって愉しいドライブです。この写真はそ
の途中、本栖湖で撮影したもの。夏の富士五湖はとてもよい景色で
す。空気はおいしいし。

2009年6月9日火曜日

訂正とお知らせ

6/1付の本欄で、世界禁煙デーのことを書いたなかに、巣鴨のとげぬ
き地蔵さんで制作販売している禁煙ネクタイ、ということを書いた
が、その後、とげぬき地蔵のご住持で、なおかつ医師の来馬
明規さんからメールを頂戴した。なんでも、このネクタイは、とげ
ぬき地蔵さんのオリジナルではなくて、アメリカで販売されている
ものだそうである。早合点をお侘びして訂正し、同時に、ここにそ
の入手先をお知らせしておきたい。興味あるかたは、ご覧あれ。

Can You make it any clearer? NO SMOKING! Tie
http://www.zazzle.com/can_you_make_it_any_clearer_no_smoking_tie-151576407102746272

2009年6月3日水曜日

口述筆記中

きのうから、新しく日経新聞社から出す本の口述筆記が始まった。
かくのごとく、編集者と筆記者を前にして、しきりと談じていると
ころである。こんどの本は、どうやったら無駄な金を使わずに合理
的な暮らしをするか、ということがテーマであるが、もともと、私
は「飲まず、吸わず、打たず、買わず、贈らず、投資せず、飾ら
ず」なので、暮らし方そのものが節約的なのである。まったくの
話、飲む、打つ、買う、なんてのを三拍子というけれど、なんでそ
んなことが面白いのか、理解の外の、さらにまたその外である。聞
くならく、世の中の作家連中は、銀座あたりの文壇バーなんてとこ
ろに出没して夜な夜な飲んだりするのが道楽らしいが、まったく時
間と金の無駄である。私は誰に誘われても、謹んでお断りして、一
切さような愚かしいところには出かけない。