2016年6月23日木曜日

タンゴの時代東京公演

きょう、6月22日は、東京紀尾井町の、紀尾井町サロンホールで、『タンゴの時代』東京公演を開催。
 これは先月金沢で催したコンサートと、ほぼ同じ内容(一部変更)の、楽しいタンゴの展覧会式演奏会でした。
 幸いに、今回は、私の声帯の調子もよろしく、思うように歌えたので、終った後の気分も最高でした。
 終了後、打ち上げをにぎやかにやって、ついさきほど帰宅。
 これから寝るところです。
 この充実した実り多い一日を、天に感謝しつつ。
 ああ、楽しかった。
 写真、左から、中田佳珠さん(P)、五味こずえさん(P)、私(B)、北山ドクター(T)、力石ひとみさん(BN)、演奏終了後の記念写真。なんだか楽しかった空気が写っている感じがしますね。

 また次は、さあ、なにをやろうかなあ・・・じつはもう次も決まっていますが。
 乞う御期待。


2016年6月14日火曜日

ねじばな

ことしも我が鍾愛するネジバナが咲いた。
 この花の面白いことは、おどろくべき生命力である。一つ一つの花を見ると、まるでグラジオラスのような姿で、色も可憐そのもの、過度に自己主張しないその控えめな花の姿といい、約束通り毎年咲きいでる律義さといい、なんともいえず好ましい花である。
 毎年、初夏の季節になるころ、カラカラに乾燥していたハンギングの鉢に、ボヤッとした感じでこの草は芽を出す。宿根草なので、その古い根から毎年新しい芽がでてくるのだ。これが二三度の雨に当たって、ぐんぐん、ぐんぐんと伸びてくると、まもなくこういうふうにピンクの可憐な花を咲かせる。下から順に咲いていって頂点まで咲き切ると、あとは枯れるばかりである。真夏の炎天になるころには、すっかり茶色く枯れて、この鉢はまたもとの荒涼たる枯野の風情に帰る。そうして、猛暑炎天の日々を、ひたすら乾燥と熱暑に耐えて生き抜き(まるで砂漠のサボテンもかくやという生命力の強さである)、もしや枯れてしまったかなあと危ぶんでいると、また明くる年の初夏に、同じように芽が出てくる。
 ことしはまた、例年になく花茎がたくさん立った。最初に生えたときは、ほんの二三本であったのが、今年は二十本近くも咲いた。
 なにしろ、この鉢は、ただここに懸けてあるだけで、水も肥料も一切与えたことがない。そういう過酷な環境でも、律義に花を咲かせてくれるネジバナ。ああ、人生もかくあるべしと教えているようではないか。

2016年6月6日月曜日

滴翠園コンサート



大分県日田市鶴河内の旧家井上家滴翠園の穀蔵ホールでの演奏会は、無事、盛況裏に終了した。同家の築百年を記念しての演奏会で、『いまむかし歌の教室』と題して、テノールの勝又晃君と二人、男声デュエット「デュオ・アミーチ」として、なつかしい唱歌や歌謡曲の数々を歌い、また、それぞれの独唱で、勝又君はよく知られたテノールの名歌曲『カタリー』『エストレリータ』それに『帰れソレントへ』を、天にも響けとばかり、朗々と輝かしい声で歌い、私は、ガルデルのタンゴ『こいつぁだめさ』、アイルランド民謡『the Rose of Tralee』、小林秀雄『落葉松』、高田三郎『くちなし』を、しんみりと歌ってみっちり二時間の演奏会となった。
 写真は、本番に先立って、三日の夜におこなったリハーサルの風景である。
 当日はあいにくの大雨で、邸内はぬかるみ、足下が悪い状態であったけれど、お客様は続々と詰めかけてこられ、ホール内は人であふれ返って超満員となった。
 唱歌や歌謡曲などは、お客様がたのなかにも、いっしょに口ずさまれる人が多く、非常に熱気あふれる演奏会の空気は、ちょっと経験しない楽しさであった。
 十七年前の同ホールこけら落としの時もそうであったが、リハーサルと本番と、それぞれ終ったあとには、お心尽くしの手料理で、盛大にもてなされ、その美味、その豪華、言うべき言葉を知らぬくらいの御馳走で、これには、まったく感動また感動、胃袋が三つくらいは欲しいなあと思ったことであった。写真は、地元の川で釣られた天然鮎の焼き物、やはり鮎は川魚の王者というべく、まことに結構な風味であった。
 コンサートは四日の夜であったので、同日の昼間、しばし日田市内豆田町の古く美しい町並みを見物にいった。以前に来たときも、また別の取材で訪れたときも、豆田町は探訪したが、いっそう清潔に整備されたようで、まるで映画のセットのようであった。
 本番は、地元のケーブルテレビが二台のカメラを据えて撮影収録し、また大分日々新聞も取材に見えた。地元ではそうとうに大きなイベントとなったことであろうと思われる。井上邸は、生きた文化財、その見事な建築技巧と意匠には、つくづく脱帽である。
 季節がら、夜は蛍の明滅を眺めたのも、また珍しく楽しいことであった。