2010年8月29日日曜日

野宮

 昨日は、新宿の朝日カルチャー内の能舞台で、『能と源氏物語』の講座の第二回をやった。今回のテーマは、六条御息所を主人公とする名作『野宮』。前回同様、坂口貴信君に来てもらって、妹の翠君とともに、実演を交えて能としてのあれこれを面白く演奏してもらった。私は、もっぱら原作の葵、賢木などの巻々に見える六条御息所その人について、主に詞章方面から解説したが、なんといっても、貴信君が、じっさいに「増(ぞう)」の面を三面持参してくれて、その比較や、実際に面をかけてみることについてのノウハウなど、面白い話をしてくれたのは、今回の目玉企画であった。左の人は、受講者で、生まれてはじめて本物の能面をかけてみているところ。ただし、面の裏側に当てをつけないで、ただ面をかけると、実はせっかくの能面が全然生きない、ということを知ってもらうためにつけているので、彼女の面のかけかたは、実は正しくないのである。右が貴信君と、翠君。こちらはちゃんと当てをつけて正しい位置にかけてみているところ。面をかけるとき、凛とした空気が張りつめる。

2010年8月26日木曜日

水永牧子リサイタル

 きょうは、新宿オペラシティ、近江楽堂において開催された、チェンバリスト水永牧子さん(写真左)のリサイタルに、ゲストとして出演してきた。後半の頭に十五分ほどイギリスと音楽の話をして、あとはスペシャルサプライズと称して、アンコールで共演の広瀬奈緒さん(写真右)と、ヴォーン=ウイリアムズの「リンデン・リー」を二重唱した。なにぶん、昨日までは長引く夏風邪が治り切らず、歌おうとすれば咳き込むという調子で、どうなることかと思っていたばかりか、広瀬さんも一昨日突如として高熱を発して倒れるという一大事が出来して、はらはらしたが、幸いに、二人とも本復して奇跡的に演奏会は無事終了した。源氏で忙しく、このところ、ちょっと演奏会とは遠ざかっていたので、ひさしぶりの舞台だったけれど、でもさすがに名手二人とともに歌ったのは楽しかった。近江楽堂は、はじめて行ったが、こぢんまりとして、まるでちいさなチャペルのような会堂で、ほんとうによい音響であった。楽しかった!

2010年8月19日木曜日

復活

大変ご心配をおかけしておりましたが、ようやく今朝から、だいたい体調も復してまいりました。今日から仕事に復帰します。まったく、悪質な風邪で、まだ完全には抜けていないけれど、あとは気力でやっつけるというところです。
この写真は、わが敬愛する祖父、林季樹(すえき)の大礼服姿で、祖父は、江田島を出た海軍軍人であったが、結局将官にはなれず、昭和の大軍縮のときに予備役編入となった。今で言うリストラされてしまったのである。しかし、その後は国語漢文の教育者として復活し、ごらんのようなハンサムであったので、川村女学校などでは大人気であったと聞く。戦後はずっと長い長い隠居生活を送った末に九十一歳で大往生した。真面目を絵に描いたような、ほんとうに愛すべく敬すべき祖父であった。

2010年8月16日月曜日

閉門

数日前から、いやな夏風邪に冒され、きょうなどは、ずいぶんと熱が出て朦朧として過した。いっこうによくなる気配もない。ところが、これがどこでウイルスをキャッチしたものだか見当もつかない。私は『風邪はひかぬにこしたことはない』(ちくま文庫)という本を書いたくらい、風邪の予防にはあらゆる手を尽して、変人奇人呼ばわりされているくらいなのだ。おそらくは、先日の日比谷での美楽舎講演か(これがいちばんアヤシイ)、そのあとの武蔵野自由大学での講義か、そのあたりのところで感染したものだとしか思いようがない。それにしてもずいぶんとひどい風邪で、こういうウイルスをまき散らした人間を草の根を分けても探し出して文句を言いたい気分であるが、むろんそれはわからぬ。こんなことでは、いっそ「閉門」という大看板を出して、いっさいの面会も、講演も、講義も、なにもかも謝絶して、ひたすら草廬に隠遁したいとまで思うけれど、それもままならぬし・・・。とかく風邪には効く薬がないというのが、もっとも困ったところである。ともかくひどい気管支炎状態で、息苦しく、横にもなれない。これでまた源氏執筆を初めとしてすべての仕事が押せ押せで遅れてしまう。私にとっては、風邪を引くことは、すなわち経済的にも大打撃なのである。

2010年8月13日金曜日

生命の木

この絵は、私の娘の春菜が、描いて贈ってくれたものである。春菜は、ロンドン大学のゴールドスミス芸術学校を卒業して、アーティストの道を進むのかと思っていたら、今はアメリカのヴァージニアで「お母さん」業にいそしんでいる。しかし、ときどきこういう絵を描いては、家に飾ったりしているようである。夫のダニエル君はバプティスト派の牧師さんなので、彼らの家のなかにはキリスト教的な雰囲気が横溢していて、その意味で古き良きアメリカを垣間見る思いがする。この文言は、ヨハネ伝福音書の第三章第十六節「それ神はその独り子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠(とこしなへ)の生命(いのち)を得んためなり」ということだそうである。

2010年8月11日水曜日

簡単フォカッチャ

最近は、自家製フォカッチャを作るのを楽しみとしている。これがまた非常に簡単にできておいしいのだ。この写真は、その焼き立ての姿だけれど、これで一切オーブンなどは使わない。ただ生地をニードして、薄く手延べして、すこしたっぷりめのフルーティなオリーブオイルをフライパンに入れて、蓋をして両面こんがりと焼くばかりである。作り始めから出来上がりまでおよそ十分。これほど簡単でおいしいパンはまたとない。詳しい作り方や材料の分量などは、近く、お料理の連載を開始する予定なので、そこに書くことにしたい。この写真をみると、あたかも卵黄でもつかってあるかのように見えるが、卵黄もバターも一切使わない。使うのは低脂肪牛乳だけである。だからこうみえて非常にヘルシーだというのも、まず保証つき。今回はレーズンなど入れてみたが、これまた結構至極。朝食の時になど、下手な出来合いのパンより、出来立てのこのフォカッチャのほうが百倍おいしい。

2010年8月9日月曜日

むかしの小金井薪能

8月になると、毎年小金井薪能が、都立小金井公園で開催される。この催しは、今を去ること三十数年前に、わが師津村禮次郎師と私とが発案して、手作りで始めたもので、今年はその三十二回になる。今年は8月29日の夕刻からで、演目は、津村師の新作能『朱鷺』と、『鞍馬天狗』の半能ということである。現在も私はこの薪能主催の団体の役員ではあるが、実際には、もっと若い人たちが運営するということになっている。この写真は、その小金井薪能のずっと昔の写真(石橋)で、撮影は森田拾史郎氏。この写真をよくご覧いただきたい。右のほうに写っている裃をつけた地謡の左から二番目に、私が写っている。此の頃は津村師の演能には、たいてい地謡方として出演していたのであった。たぶん私がまだ三十代の前半くらいであろうか。珍しい一枚、とくとご覧あれ。

2010年8月7日土曜日

美楽舎展にて

きょうは、日比谷のさるギャラリーで開催されている美楽舎という団体の展覧会で、芸術と生活ということについて、講演をしてきた。この美楽舎という団体は、まったくふつうのサラリーマンなどでありながら、こつこつと美術品を蒐集することを楽しんでいる人たちの集まりで、きょうはその共同の展覧会なのであった。私は、とくに川瀬巴水の木版画の家蔵品をお見せしながら、生活のなかに芸術があることの意味や、蒐集の態度についてなど、ひろくお話しをした。
この写真の左に写っている人は、そういうサラリーマン美術収集家として令名の高い山本勝彦さん、筆名山本冬彦さんという方で、この団体主要メンバーの一人。もし酒やゴルフや賭事などに費やす時間と金があったら、せいぜい画廊めぐりでもして、無名の、しかし才能豊かな若いアーティストを探し出し、眼力を以て良いものを鋭意蒐集したほうがよい。そういうことで、この国の芸術の力はぐんと上がっていくはずである。林 望

旧調布飛行場のタンクバリア

この妙竹林なものは、もとの米軍関東村、さらにその前を辿れば東京調布飛行場であった場所に置かれているコンクリートの塊である。ここは、もともと陸軍が使っていた飛行場であったが、戦後米軍に接収され、一部は関東村となった。しかし、その部分は返還されて、現在味の素スタジアムその他の施設に利用されているが、一部は、芝生のひろびろとした運動場となった。そこが今さらに野球場やらなにやらを作るために工事中である。このコンクリートは、その入口にを扼するように置かれていたものが、工事に際して撤去されてこうして脇に置かれているのである。私の想像では、このコンクリートは、戦時中に飛行場として使われていたときに設置されたアンチ・タンク・バリアではないかと思う。こういうものは、イギリスの田舎でもときどき見かけるのだが、多くは橋などに置かれて、敵国の戦車の侵入を防ぐためのものである。このコンクリートの味わいは、いかにも戦争中のものという時代がついていて、これを捨ててしまうのはもったいないなあと思うのだが・・・。果たしてこの私の想像が当たっているかどうか。ほんとのところをご存知のかたあらば、ご教示ねがいたい。

2010年8月2日月曜日

いわき市遠野町うつつ庵


福島県郡山市立美術館に招かれて、昨日、ビアトリクス・ポター展の特別講演に行ってきた。ポターのことを話したというよりは、ポターやピーター・ラビットを産んだ時代の思潮、イギリス的なものの考え方という話をした。猛暑のなかであったけれど、来聴者は超満員の盛況で、ぎっしりと立ち見が出るほどだった。午後三時半ころに講演を終了して、ただちに帰途についたが、常磐道も日曜午後の渋滞が予想されたので、途中磐越道の小野で降りて、常磐道いわき湯本までのあいだは、ひたすら山間部の国道を右往左往しながら、東北の夏を見物してきた。なかなか風光明媚で山深いよいところだった。もういわきも近くなった、遠野町上遠野というところに、うつつ庵という手打ちの蕎麦処があって、さっそくここに立ち寄ったところ、嬉しいことに店内完全禁煙とあった。蕎麦はいわゆる更科の白い蕎麦と、田舎蕎麦と両方あった。私はかねて更科系を好むので、そちらを頼んだのだが、ふむ、なかなか結構な味わいであった。車の旅は、こういうふうに時間にも径路にも縛られず行った先々で自由に食事などを楽しめる、そこにいちばんのメリットがある。