2008年12月27日土曜日

またまたまた新刊

今日、次の新刊の見本刷りが、版元の檜書店から届いた。これは『能よ
古典よ!』という能についての本なのだが、今回は、私の最近の新
作能二曲の完全テキストも収載し、なおかつ、この写真の帯にある
ように、自分で装訂を担当した。漆のような黒カバー、帯は山吹
色、本体表紙は若草色、そして見返しは海老茶色、花裂れは縹色
(はなだいろ)、という思い切った色使いで、ちょうど能装束の重
ねの色が袖口からちらりと見えるような風情を演出した。これが平
積みになると、色の重ねが美しく見えるという狙いである。幸い
に、観世流の宗家観世清和師の推薦序文を忝なくした。まことにあ
りがたいことである。実は、この本の装訂にはもう一つ「仕掛け」
があるのだが、それはここには書かない。購入して下さったかただ
けが、あっと思ってくださるように、秘密にしておくのである。も
ともと、当流の雑誌たる『観世』に二年ほど連載したものに加筆
し、いくつかの書き下ろしを加えて出来た本であるが、あえて能の
写真は使わず、読み物としての性格を色濃くした。一般書店店頭に
は、新年早々くらいから配本される予定である。定価1900
円。ぜひご購読をこいねがうこと然り。

2008年12月24日水曜日

歌い納めの『あんこまパン』

昨日は、水戸芸術館主催の『クリスマスプレゼント・コンサート』
に客演して、自作『あんこまパン』をば、熱唱してきたところであ
る。このコンサートは、日本声楽界の大御所畑中良輔先生が企画な
らびに司会にあたられる、心温まる、まことに楽しい会で、例年満
席になるのだそうである。今回もまったくぎっしりの満席であっ
た。このホールは、うまく設計された音楽専用ホールで、じっさい
の舞台に立って歌ってみると、よく声の響く、しかし妙な残響の残
らない空間で、これほど歌いやすいホールも珍しい。今回は、畑中
先生のご指名により、れいの『あんこまパン』を五味こずえ君の伴
奏で歌ってきたのである。直前になって突如の腰痛に襲われて
ちょっと危惧したけれど、幸いに体調の調整がうまくいって声帯は
とても調子がよかったのはうれしかった。この写真は、本番の直前
に楽屋で撮影。私が着ているものは、『イギリスはおいしい』に紹
介してある、オクスフォード大学のスコラーズガウンである。

2008年12月20日土曜日

お茶漬け鰻

今日はまた、京都縄手三条南「かね庄」のお茶漬け鰻を送ってくだ
さった方があって、まことに嬉しいのであった。この鰻は、おそら
く天下一品の美味といっても間違いないと思うくらいの、なんとも
いえない美味しいものであるが、ただそれが美味しいというだけで
なくて、私にとっては、懐かしい師匠の想い出に繋がるというとこ
ろも嬉しいのである。昔、私がまた慶應の大学院生だったころの話
だ。先師森武之助先生は、人も知る食通酒通であった。で、私が京
都へ出張調査に出かけるに際して、「三条京阪の駅からちょっと南
に下がったところにな、『かね庄』という店がある。なーに、行け
ばすぐ分かる。ここの店の『お茶漬け鰻』を買ってきてくれない
か」とそういって、先生は私に五千円を手渡された。その金額まで
はっきり憶えているのだが、思えばあれはもう三十年もの昔にな
る。私は言い付かったとおり、その店の「お茶漬け鰻」を先生の分
五千円、そして自分用にも同じように買って帰った。食べてみる
と、この濃厚な色にもかかわらず、味は決して濃すぎないのは、
まったく不思議なくらいで、その風味は舌の上の幸福というべき味
であった。以来、京都にいくと必ずこれを買い求めてくることにし
ている。ここ三十年来、ほとんど値段が変らないのは、不思議なく
らいである。値段だけでなく、味も寸毫だに変らず、今も昔も並び
無く旨い。そうして店の構えも、包装紙の意匠も、なにもかも、
まったく変らない。変らないのは、これ以上変えようがないという
ことでもあろうか。きょうはその懐かしくも美味しいお茶漬け鰻
で、さっそくお茶漬けを作って舌鼓を打った。ああ、美味しかっ
た。またこれを下さったTさん、ありがとうございました。

2008年12月19日金曜日

愛宕梨の風格

『徒然草』のなかに、友とするに良きものとして、「物くるる友」
というのがある。なにか良い物をくれる友人は、もつべきものだと
いうことである。さるほどに、きのう、大分の知友が、御当地の名
産たる「愛宕梨」というものを送ってくれた。梨はいまごろはもう
季節がずいぶんおそく、ほとんどの梨は終ってしまったが、そのこ
ろになって出てくる晩生のものには、新高などのように巨大なもの
が多い。この大分の愛宕もその尤物で、見よ、私の顔と同じくらい
の、堂々と壮大なる佇まいの梨である。これが、食べてみるとまこ
とに瑞々しくて果肉のきめ細やかなところが、ちょっと洋梨の雰囲
気も感じさせる。なにしろこの梨は、かなり大きな段ボール箱に
たった四つしか入らないほど大きいが、当たり前の梨の四つ分ほど
の量があるので、それで通常の梨十六個分に相当する。23日の水戸の
コンサートを目前にして、咽喉や気管支の特効薬的食餌たる梨を頂
戴したのは、まことにうれしい。

2008年12月17日水曜日

万葉特番

 12月15日は、ああ、ああ、長い長い一日だった。
 正月の元旦夕方のNHKBSハイビジョンの特別番組で、『万葉
集への招待』というのが放送される。これに、ま、枯れ木も山の賑
わいとでもいうような訳柄にて、出演してきたというわけである。
昼の打ち合せから始まって、予定では七時に終るはずだったのだ
が、じっさいになると、テレビの常で、かならず予定は遅れてい
く。それで、結局、すべてが終ってオフになったのは、なんともう
九時に近い時間であった。はぁっ。この収録会場は、埼玉市大宮の
郊外にある「くらしっく館」という保存古民家で、しかも非常に寒
い日であった。目の前に囲炉裏があって、炭火が熾っているとはい
え、外は凛冽たる寒さで、足下が冷えるといけないので、おさおさ
怠りなく防寒に努めたのである。私は、不思議に足の冷えない靴
下、という秘密兵器で重装備しているのだが、それは写真ではわか
らない。しかし、出演者の皆さん和気靄々たる現場で、時間が長過
ぎることを除けば、楽しい収録でもあった。写真、右から、メイン
司会の国井アナウンサー。私の左に檀ふみさん、三船美佳さん、倉
田真由美さん。お三人とも、美しくて品格があって、とても素敵
だった。国井アナの司会ぶりも、さすがにベテラン、プロ中のプロ
という感じがした。

2008年12月12日金曜日

このスコンはなかなか良い

 横田基地の第五ゲートから遠からぬところに、Zuccotto 
というカフェレストランがある。いかにもアメリカ風の、そうさな
あ、ちょうど中南部かカリフォルニアあたりの草原のなかに長距離
バスの駅に付属して設けられているような、そんな空気があって、
ちょっと愉快である。ここの料理は食べたことがないので批評の外
だけれど、写真のスコンは、なかなか逸物である。この店のケーキ
類は自家製で、いかにも手作りという風情でおいしいが、この見事
に「狼の口」を開いたスコンも、たしかに本物のスコンの香りがす
る。惜しむらくは、すこーし甘味が強過ぎるのと、付け合わせて出
てくるのが、御定法のジャムとクロッテッド・クリームにあらずし
て、アイスクリームと生クリームというところが画竜点睛を欠くの
ではあるが、東京でもめずらしいスコンの本物を食べさせるのはエ
ライ。紅茶を頼むと、ちゃんとポットで出てくるのも好もしいが、
ただコーヒークリームを一緒にもってくるのは、一考を願いたい。
ただし、牛乳をくれませんか、と頼めば、ちゃんと冷たい牛乳を
持ってきてくれるのは、おおいに感心した。店のしつらいも、なか
なか洒落ていて、私はこのちょっとスロッピーな、あるいはポップ
な感じを愛する。外にはテラス席もあって、良い季節には外で食べ
るのも楽しい。値段もリーズナブルだし、働いている若い人たちも
感じが良い。

2008年12月11日木曜日

三田の山、藝文学会

三田の慶應義塾図書館は、いまや銀杏の黄金の落ち葉のなかにあっ
た。きょうは、三田で開かれた、慶應義塾大学文学部の藝文学会に
招かれて、国文学の岩松研吉郎教授、英文学の高宮利行教授と、三
人で鼎談してきた。本来は学術的な会なのだが、あまり学術的にで
なくて、なにか談論風発的に、日本とイギリスと、書物と、スポー
ツ、といろいろなことにまたがる話しをしようという趣旨であっ
た。岩松さんは私が大学院のときの助手だった方で、もう今年で定
年になった。高宮さんとはイギリスで偶然にお目にかかって以来の
おつきあいで、お二人ともいかにも慶應ボーイという趣の瀟洒な紳
士である。慶應では、あまり向きになって学問の話しなどするのは
野暮天だというような、雰囲気がある。含羞の情というのだろう
か。所詮学問は遊びじゃないか、そんなに向きになるなよ、とでも
いうような気分。ひさしぶりに三田で、二人のよき先輩とともに、
イギリスのことを中心に語り合ってきた。よい一日であった。やっ
ぱり母校はいいなあ。写真の右側が高宮さん。

2008年12月8日月曜日

幽霊の干物???

私もそうとうにいろいろなものを、全国各地で食べていると自負し
ているのだが、それでも、ときどき「未知との遭遇」があって、驚
かされる。6日に、小倉で『自分らしく生きる』というテーマ
で講演をしてきた。小倉に行くとき、私がもっとも楽しみにしてい
るのは、旦過市場(たんがいちば)を見て回ることだ。ここには、
あらゆる食べ物を、びっくりするような安価で売っている。しか
も、魚菜ともに、おどろくほど新鮮で質が良い。また、寿司だの、
一銭洋食だの、薩摩揚げだの、お菓子だの、炊き込みご飯だの、サ
バや鰯の糠炊きだの、そりゃもうみるからにおいしそうなものが
あって、それを買って、場内の無料休憩所でパクつくのも、旅の楽
しみの一つである。この写真にうつっている「幽霊の干物」のよう
なものは、「タラの胃袋」という干物で、こいつを四日かけて水で
戻して甘辛く煮付けて食べるのだ、と魚屋さんのオバチャンに教
わった。東京ではいっこうに見かけないもので、私も生まれて初め
て見た。どんな味のものか、これも未知のところ。されば、試しに
買ってみたので、これから四日かけて戻して、料理を試みてみよう
と思っているところである。

2008年12月7日日曜日

ジョナサン・ケリー

12月4日の夜は、楽しいコンサートに参加できて、有意義な一
夕となった。じつは私は日本ブリテン協会の理事、という隠れた肩
書きも持っているのであるが、その関係で、ブリテン協会主催のコ
ンサートに一役かったというわけであった。ブリテンの作品で『オ
ウィディウスの変身物語より、六つの変身』作品49,というオーボエ
独奏のための組曲作品がある。これはもともとギリシャ神話などの
変身物語をオウィディウス(英語ではOvidという)が編纂し
たラテン語のテキストから、ブリテンが六つの変身物語を選んで、
標題音楽的に作曲した、ちょっとした超絶技巧的作品である。が、
その各曲の冒頭に、ブリテンが書いた短い英文コメントがついてい
て、それを朗読して演奏するということが多い(らしい)。そこ
で、今回は、日本ブリテン協会主催ではあり、またこれが日英修好
150年記念年行事でもあるので、私が、古典語で日本語訳し、それを
英語の原文と、日本語の文語訳文と、二つ並べて朗読するというこ
とになった。で、そのオーボエを吹いたのが、ベルリンフィルの首
席オーボエ奏者のジョナサン・ケリーである。ジョナサンは、この
催しに賛同して、出演料なんか度外視して出演を快諾してくれたそ
うで、非常に熱演であった。彼はケンブリッジ大学の歴史学出身の
インテリで、典型的なオックスブリッジアクセントで話す。音楽だ
けでなく、人柄も、知性も、ほんとうに申し分のない、すばらしい
紳士である。だから、このコラボレーションはとても楽しかった。
ジョナサンも、楽しかったと言ってベルリンに帰っていったそうで
ある。音楽は、これだからよい。これも、ブリテンの遺徳というべ
きか。写真はリハーサルのあとで。

2008年12月2日火曜日

店じまい

 白州の家を建ててから、もう何年になるだろうか。おおむね十五
六年にはなると思われる。東京の自宅から、ドアtoドアで二時間半程
度なので、もっと気楽に週末など過ごしに行こうかと思って作った
のだが、さて、実際には忙しくてそれどこではなく、週末ごとには
各地の講演などに飛び回っていて、なかなかこの家にも足が向かな
い。それで、当初は、年に何回かは、数日くらいずつの休暇をここ
で過ごしたものだったが、この数年は、一回くらいしか行くことが
できない。それで、ただただ春三月に別荘開きをして、ずっと使わ
ぬままに十二月に店じまいに行く、そんなことを繰り返している。
いっそ売ってしまおうかとも思わぬでもないのだが、まあ買う人も
あるかどうかわからぬし、やっぱり自分なりに思い出や思い入れも
あって、売りたくない気持ちも強いのだ。いい所なんだけどなあ。
とくに、今ごろの季節に行くと静かで、心が非常に休まるのだが。
時間が足りないのはいかんともしがたい。

2008年12月1日月曜日

わが愛する寿司

 人も知るごとく、私は、大の寿司狂で、毎日食べても食べあきな
い、というくらい寿司が好きである。そのため、日本国中どこへ
行っても寿司に見参すること、われながら物好きの極みであるが、
やっぱり寿司は東京がもっとも美味しいと思うのである。それはそ
うだ。寿司といっても、こんにちはどこへいっても「江戸前」の看
板を出しているところばかりだから、江戸前握りなら、やっぱり東
京が元祖なのである。だから名店も多く、寿司ネタもよいものが
揃っている(とはいえ、上方の押し寿司はまたそれで結構だし、各
地の地方色豊かな混ぜ寿司などもそれぞれに美味しいものがあ
る)。とはいえ、寿司行脚のうちには、まずいなあ、と思う寿司に
遭遇することも非常に多いが、いやいや、それもまた行脚修行のう
ちと割り切っている。
 この写真の寿司は、私の行きつけの店で、杉並区浜田山なる勘六
の寿司の佇まいである。これは赤身のヅケである。勘六の寿司は、
小振りで上品で、ネタも飯も、みな良い。私は飯もネタも大きいの
は疎ましくて嫌いであるが、勘六のは、ほぼ理想に近い。
 さて、この日の赤身はすばらしく美味しかった。そのしっくり
ねっとりとおいしい赤身をヅケに作ってくれたのがこれである。寿
司というものは、あれこれと好きなものを注文しつつ、職人さんと
四方山の話をしながら食べられるので、一人で行っても楽しい。そ
れがなじみの店の、気心知れた職人さんとあればなおさらである。

2008年11月30日日曜日


清泉女子大で

 きょうは五反田の清泉女子大へ『古典文学と私』という講演をし
に行ってきた。講演では、主に、私の国文学自分史的な話を交えな
がら、いくつかの古典を朗読したり解釈したりして聞いていただい
た。たくさんの聴講者がつめかけてくださって、盛大な講演会に
なったのは、うれしかった。清泉女子大は、旧島津公爵邸、江戸時
代はここは仙台の伊達藩の下屋敷だったところだそうである。この
コンドル設計の壮麗な西洋館は、さすが島津さんのお邸だなあと感
動をおぼえた。時あたかも、庭の木々の紅葉が盛りで、得も言われ
ぬ美しさであった。そして、こういう大学で勉強する学生たちは幸
せなことだと羨望をすら感じたことである。

2008年11月26日水曜日

またもや新刊

 さて、そろそろ風邪の神の横行する嫌な季節になった。とりわけ
て、昨今では、タミフルの効かないインフルエンザも出現し、さら
には新型の恐るべきウイルスの発生も危惧されている。そんなに怖
いインフルエンザでなくとも、普通の風邪だって、やっぱり罹れば
なにかと嫌なことばかりだ。特に高齢者ともなれば、風邪がもとで
肺炎になって命にかかわる場合だってなくはない。だから、どう
やって風邪をひかぬようにするかということは、いまや大問題だと
も思われる。そこで、かねてから風邪を予防することただならず、
まさに、粉骨砕身してきた私が、そのノウハウを大公開しようとい
う趣向である。まあ、医学的に根拠のあることから、まるっきりの
おまじないに至るまで、微に入り細を穿ち、筆は文学から哲学にま
で及ぶという、風邪文学の金字塔と自ら自負しているのであるが、
ははは。ちくま文庫のオリジナルで出したもので、ぜひ通勤の電車
のなかででも御一読賜わりたい。

2008年11月23日日曜日

晩秋の北九州

11月22日、北九州の苅田町へ講演に行ってきた。苅田まちづ
くりカレッジというものの名誉学長に任じられている関係で、毎年
春と秋に開講記念講演をしにいくのが例になっている。今回は、
『風姿花伝に読む人生の智慧』という主題で、一時間半ほど話して
きた。講演そのものは午前中に終ってしまうので、午後は、北九州
から筑豊あたりの野を逍遥しながら、晩秋の風情を楽しんできた。
この写真はこの度遭遇した野の景色である。むろん名所旧跡でも何
でもない。いわば、どこにでもあるような無名の風景だが、この山
かげにひっそりと肩を寄せているような瓦屋根の集積に無限のなつ
かしさが宿る。美しい景色だなあ、と思う。こういう静かな野の景
色を、私はこよなく愛するのである。そして、かかる人知れぬ美景
は、日本中津々浦々、それこそ到るところに、かそけくもいきづい
てるのである。どうだろう、旅にでてみたいと思わないか。

2008年11月18日火曜日

松山ぞなもし

きょう、愛媛大学の招きで、『美しい日本語のために』という講演
をしに松山の同大学まで行ってきた。愛大教授(国語学・言語学)
の清水史君とは、かつて東横短大で教鞭を執っていた時分の同僚
で、以来四半世紀以上も友誼を修しているところ。清水君に頼まれ
ては否ともいいがたく、はるばると松山まで行ってきたというわけ
である。講演の前に少し時間が余っていたので、市内の大黒屋とい
う店で名物のウドンに舌鼓を打った後、道後温泉にある伊佐爾波
(いざにわ)八幡宮という神社にお参りしてきた。なんでも寛文年
間の建築の由で、なるほど東照宮様式の壮麗な宮居であった。本殿
のぐるりに回廊が巡り、その回廊には、和算の設問と答えを書いた
「算額」というものがいくつも奉納されている。まことにアカデ
ミックで床しい雰囲気の神社で、またその表参道の階段上から見お
ろす市内の大景は素晴らしいものがあった。

2008年11月10日月曜日

旬菜膳語

岩波書店から『旬菜膳語』という本を出した。この本が出来るま
で、ずいぶん長い年月がかかっている。もともと、NHKのラジオ
深夜便という番組にレギュラーで出演を頼まれ、詩人の高橋睦郎さ
んと隔月に出て、その折々の旬の食材について、あれこれと所感を
話した。毎回一時間ほどの独り語りで、相当の準備が必要だった
が、それが二年で終って、あとに堆い資料の山が残った。これをそ
のままにしておいては勿体ないと思ったが、これを知った岩波の編
集者から、ぜひ本にしたいと申し出があった。それで『図書』とい
う雑誌に、これも二年間連載したのだが、その内容は放送とはまっ
たく違っている。文章にするとなると、また新しく調べを重ねて、
資料はますます膨大になった。その連載も終って、ようやくに一冊
の本になったが、単行本にするについて、さらに原資料の確認をや
り直して、神経衰弱になりそうな作業の末に、やっとこさ出来たの
がこの本である。大変ではあったけれど、半面、とても楽しい仕事
でもあった。今、食の危機が叫ばれているこの時代に、もう一度、
足もとの、この日本の食材に注目し、考え直してみるよすがとし
て、ご一覧いただければ幸いである。一人でも多くのかたのご高覧
をこいねがいつつ。

2008年11月9日日曜日

幼き日

この写真は、たぶん私が四つか、そのくらいの幼児だったころに撮
影されたものと思われる。右側にちょっと手だけが写っているの
は、母か、いや、手の年齢の感じからして母方の祖母かもしれな
い。当時、母の弟、つまり私の叔父は毎日新聞社のカメラマンだっ
たので、こういう写真を多く撮影して残してくれた。プロの写真だ
からたいてい良く撮れている。これは、おそらく、なにか字を教
わっているところのスナップであろうと思われる。私は、ごく幼い
頃から文字とか言葉とかに、とても興味のある子どもだったらし
い。それで、なにか字が書いてあれば、それは何という字かという
ことを聞かずにはいられなかった。電車に乗っていると、駅に停ま
る度に、その駅名の漢字を読んでは憶えていった。だから、私は小
学校に上がる頃には、ずいぶん漢字が読めたので、小学一年のとき
に、ひらがなから教わるということは、堪え難い退屈であった記憶
がある。いわゆる三つ子の魂というもので、今はその言葉をなりわ
いとするようになった。その代わり、数字にはてんで弱くて、計算
は不得意中の不得意。算数の応用問題なども、からっきり理解しな
かった。このあたりも三つ子の魂で、いまもって数字は年中間違える。

源氏朗読会

昨日8日は、横浜朝日カルチャーセンターの主催で、私の源氏
物語朗読会(会場、新横浜スペース・オルタ)であった。当初、来
聴者があまり集まらないというので、心配していたのだが、直前に
新聞が大きく告知してくれたこともあり、結果的には、ほぼ満席の
盛況となった。これは、私が現代語で書き直した源氏物語(雨夜の
品定め、夕顔の死、柏木と女三宮)を、永田砂知子さんの波紋音を
中心とするパーカッションとのコラボレーションの形で読むという
試みであったが、非常に面白い空気が出て楽しかった。場内も水を
打ったように静かに聴いては、ときどき、笑い声や、どよめきや、
いろいろな反応があってよかった。終ってから、横浜駅西口付近の
野田岩横浜店で打ち上げ。野田岩の鰻は初めて食べたが、たしかに
天然鰻であろうなぁ、これは、という食感と風味に、舌鼓をうっ
た。その姿だけちょっと写真でおすそわけ。

2008年11月4日火曜日

秋の田の

 秋の田は美しい。いや、田んぼはどこもみな美しいけれど、秋
の、良く実った田に、燦々と秋の陽光が注いでいる景色は、そこに
豊かな、めでたい気持ちが添うので、いっそうの美しさを感じる。
 この景色は、宮城県下川崎町のあたりの田園で、晴れ渡った空の
もと、まさに黄金の穂がいっぱいに実っていた。写真は、先月の仙
台クラシック・フェスティバルからの帰途に撮影したもの。もうあ
れからはや一月近く経ってしまって、今ごろはもう刈り株ばかりの
冬めいた景色になっているかもしれないが、この黄金の穂の揺れる
景色を、どうしてもここに出しておきたいと思ったので、すこしば
かり遅ればせだけれど、掲げることにした。こういう田が、国のあ
やまった減反政策やら、農村の疲弊、労働力の高齢化などの理由か
ら、どんどん荒廃に向かっていることを、私はなにより悲しく思
う。いや、悲しいなどという感情的なことではなくて、これは国の
根幹を揺るがしかねない一大事なのだ。農水省の無策愚策には、ほ
とほと愛想もこそも尽き果てる思いがする。

2008年11月3日月曜日

実相院コンサート

すっかり更新をさぼってしまいましたが、なにしろこのところはま
た殺人的な忙しさでした。そのさなか、京都の門跡寺として有名な
岩倉実相院で、田辺いづみさん、五味こずえさんとの歌のコンサー
トをしてきました。実相院が寄る年波でだいぶ傷んでいるので、そ
の修復支援のためのチャリティ・コンサートです。歌は、仙台で
歌った曲目と、大筋は同じでしたが、ちょっとまた工夫を重ねたと
ころもありました。まあ、なかなか本番は思い通りにはいかないも
ので、いくたの失敗もあり、自分としての反省はいろいろあります
が、それは今後の努力目標となります。すべてのことは前向きに考
えるようにしています。おかげさまで盛況の入りとなり、また聴衆
の皆様はとても温かくて、場内に善意のあふれているような、気持
ちの良い本番でした。御来聴のみなさま、そしておぜん立てをして
くださった実相院のみなさまに、またスポンサーになってくださっ
た三井ホームのみなさまに、深く感謝をいたします。

2008年10月19日日曜日

日本語は死にかかっている

これが、その『日本語は死にかかっている』の書影である。週明け
には店頭に並ぶ予定。

文章の品格

この十月は、私にとっては新刊のラッシュ状態で、NTT出版か
ら『日本語は死にかかっている』という本を出してサイン会をやっ
たことは既述の通りだが、ほぼ同時に、朝日出版社からは、この写
真の『文章の品格』という本をだした。この本は、しばらくまえ
に、NHK教育テレビで放送した番組用に書いたテキストを、大幅
に加筆修正したもので、全体として品格ある文章を書くための心
得、あるいは原則、といたようなことをテーマとしている。もとも
と放送用のテキストなので、ごく平易な文章で、誰にも分かり易
く、実践しやすく、ということを意図して書いてある。この際、ぜ
ひとも、この両著を併せ読んでいただくことで、話し言葉と書き言
葉と、両方とも品格ある日本語が使えるようにと願っているところ
である。いずれもそろそろ一般書店店頭に並ぶころかと思うので、
手に取って御覧いただければ幸い。十月はあと二冊、全然違うジャ
ンルの拙著が出る予定だが、それはまたいずれ。

打ち上げ

16日の夕刻六時から、東京駅八重洲口前、八重洲ブックセンター
で、新刊拙著のサイン会があった。この新著はNTT出版から出た
『日本語は死にかかっている』という本で、NTTライブラリー・
レゾナントというシリーズの一冊として書いたものである。題名が
相当に刺激的なせいか、サイン会には大勢のお客さんが来てくだ
さったが、その大半が男性客であるのにびっくりした。いままでの
拙著にはない傾向で、場所柄、また時間柄ということもあるかもし
れないが、それだけではないような気がする。サイン会を無事終え
てから、出版社が打ち上げの会を設営してくれた。田町駅の近くに
ある『牡丹』という大きな日本料理屋であったが、中山逹也料理長
の采配よろしきを得て、趣向豊かな名菜が並んだ。聞けば、編集部
が、私の低脂肪食ということをよく板場と相談して特別に献立して
くれたものらしい。ありがたいことである。そのなかから、写真上
はえい鰭旨煮、向こう側に手毬菊花蕪、右側に黒豆湯葉、手前に春
菊と菊花の浸し物、このえい鰭は、軟骨がほろほろになるまでよく
煮込んであって、やさしい口触りの一品。写真下は、鮑柔煮にケイ
パーと赤粒胡椒を添えたもの、手前は、味噌柚餅子が二片、右のや
や緑がかったものは鮑の肝の旨煮。〆には手打ちの越前蕎麦という
趣向。秋らしい食卓の風景を大いに楽しんで夜も更けた。

2008年10月18日土曜日

打ち上げ

2008年10月13日月曜日

せんくら

10月11日、「せんくら」こと、仙台クラシック・フェスティ
バル(第三回)で2公演歌ってきました。これでせんくらは二度目
の出演です。今回のお相方は、メゾソプラノの田辺いづみさん(写
真左)。朗々たる美声のメゾで、ご一緒するのこれが二回目。ピア
ノは毎度おなじみ、いつもの相棒、名手五味こずえさん(同右)。
今回は、ちょっと夜の遅い公演などもあって、はたしてお客さんが
来てくださるかどうか、だいぶ気をもみましたが、幸いに、よい聴
衆がたに恵まれて、ほんとうに気持ちの良い、楽しい演奏をするこ
とができました。第一部は、『朧月夜』『花』(滝廉太郎の)な
ど、おなじみの日本の名歌、それからイギリス民謡のいくつかを歌
いました。独唱は、いずれもブリテン編曲のイギリス民謡集のなか
から、私が『The Plough Boy』『Lincolnshire
Poacher』の二曲、以前よりも調を上げて、テノール用原譜に近い高
さで歌いました。田辺さんは、『The Last Rose of Summer』
おなじみアイルランドの名歌です。第二部では、私が『あんこまパ
ン』を、田辺さんは『浜辺の歌』をそれぞれ独唱、あとは、モー
ツァルトのオペラデュエットあり、ロッシーニの『猫の二重唱』あ
り、フランクの『パニス・アンジェリクス』ありと盛りだくさん。
ああ、楽しかった。

2008年10月6日月曜日

林流鼻泉道の極意

 かねて、私が鼻を洗うことを以て万病を防ぐ基としていること
は、知る人ぞ知る、知らぬ人ぞ知らぬ(当たり前か・・)事実であ
るが、その鼻を洗うのを怖がる人が多い。痛いのではないか、と
か、ツンと来るだろうとか、およそ分かっていない意見が多いのは
まことに遺憾であるが、私はこの道を極めること既に二十余年、夙
に林流鼻泉道(以前は鼻洗道と書いていたが、字まことに雅ならざ
るを以て、近年改めてかくのごとくす。これでビセンドウと読むの
である。呵呵)の開祖として多くの門弟を擁することは知る人ぞ知
る、知らぬ人ぞ知らぬ道理なれども、いまその極意というか、じっ
さいに実演してるところを写真に撮ったので、ここもとお目にかけ
る。わが口から、滝のごとく、あるいは龍巻のごとく大量の塩湯が
排出されているところを御覧ぜよ。この勢いで滔々たる水流を以て
鼻中を洗う。口より湧き出ずること、泉のごとし、というので、鼻
泉道という。これをすると気持ちいいだけでなく、風邪の予防に著
効あり。くわしくはこれから出る拙著『風邪はひかぬにこしたこと
はない』(筑摩書房刊)を熟読玩味されよ。

2008年10月4日土曜日

大阪天満薄暮

もう数日前になるけれど、9月29日に、大阪の帝国ホテ
ルで催された講演会に、日帰りで行ってきた。大阪の帝国ホテル
は、ちょうどこの天満橋のあたりにあって、地上で見ると大したこ
とはないのだが、上層階のラウンジから見おろす風景はなかなかの
ものである。大阪をよく知る編集者が、「ここは大阪でいちばん美
しい景色かもしれません」と言っていたけれど、なるほどそうかも
しれない。そもそも大阪は緑が少なくて、町並みにもあまり潤いが
ないので、私はあまり好きではないが、このあたりから、中之島の
あたりばかりは、水の都大阪というキャッチフレーズが似合う町並
みである。あいにくの雨天だったけれど、かえってそのほうがしっ
とりして風情があるように見えた。天満橋界隈、天空の薄暮。

2008年10月3日金曜日

正真正銘の国産松茸

ここもとお目にかけまするは、これぞ正真正銘、保証付きの岩手県
産松茸でござります。さる友人が、岩手の実家から送ってきたから
というので、ありがたくもおすそ分けに与ったのである。さっそ
く、これはぜんぶ松茸ご飯にして食べてしまったが、松茸の香り
は、炊き立てだけでなくて、ご飯が冷めても、またそれを電子レン
ジで温めても、決して消えない。すごいものである。そうして、松
茸の香りに似せた匂いは人工の香料でも付けることができる、とは
いうものの、香料の香りは所詮香料であって、天然の松茸の香りと
は格段の違いである。どこが違うといって、やっぱりこの品格が違
う。天然は、これみよがしなところが皆無で、ふんわりと鼻の奥の
ほうへさしのぼってくるが、人工のは、鼻先にべったりとひっつ
く。それにしても、この岩手の山で採れた松茸のおいしかったこ
と。合掌。感謝。

2008年9月23日火曜日

お彼岸

 萩からの帰り道、中国山地のしっぽというか、秋吉台の近くの山
道を抜けると、もう刈入れも済んだ田の畔に、いちめんに彼岸花が
咲いていた。彼岸花には白いのもあるけれど、やっぱりこの血の色
のように赤いのが彼岸花らしくてよい。中国山地は穏やかで、いわ
ゆる山紫水明の処という風情が横溢している。山は幾重にも折り重
なって、しかも、深からず、高からず、ちょうど人の背丈によく似
合うという感じがする。家々は、この地方独特の茶色い瓦をのせた
古風な作りで、いわゆる小国寡民、鶏犬相聞こゆるという空気であ
る。もし何も心配なく隠居するとしたら、こういうところが良いか
も知れぬ。海も近く、どうかすれば海風の通いすら感じられる。そ
して海の幸山の幸にも事欠かぬ、長門周防あたりの山里はいかにも
味わい深い。

2008年9月21日日曜日

萩、あじろ

9月19日の夜、萩市民会館において、同市主催の講演会があ
り、そこで『薩摩スチューデントと長州ファイブ』という話をして
きた。あいにくと、というべきか、例によってというべきか、迷走台風の
13号が、よりにもよって、西日本直撃かという危うい日時に遭遇
し、当初飛行機で行く予定を急遽変更して新幹線で行った。まった
く、雨男どころか、嵐男の異名をとる私のこととて、しかたないと
言えばしかたないけれど、難儀なことであった。主催者もさぞ肝を
揉んだことであろう。しかし、市のほうでは、野村興児市長も来聴
されて、大変な熱の入りようで、おかげさまで盛況のうちに講演会
は終了した。この写真は、講演の前に野村市長の招きで同市南片河
町にある懐石料理店「あじろ」で御馳走になった時の撮影。左が野
村市長、真ん中の白衣姿がこの店のご主人田中利隆さん。お料理
は、お世辞抜きで、まことに結構至極、新鮮な魚介を中心として、
全ての品が、どんぴしゃりと味の決まった名品であったのには、心
から敬服。大いに舌鼓を打ったのだが、あまりにも舌鼓ばかり打ち
過ぎて、ついにその肝心のお料理の写真を撮るのも忘れて、ガツガ
ツと食べ尽くしてしまい、後になって「しまった!」と思ったが、
後の祭りであった。呵呵。萩市に行ったら是非立ち寄りたい店である。

2008年9月16日火曜日

Scotch Broth

読者の方から、BBSにお訊ねのあった、スコッチ・ブロスのレ
セピを、『Mrs Beeton's All About Cookery』(刊年未詳、
二十世紀初頭ころの刊本。家蔵)のなかからお目にかけます。試し
に作ってみてください。イギリスの料理については、まず何を置い
ても、このビートン夫人の家政書を見るのが原則で、そこには大抵
のことが出ています。

武蔵野合唱団

 
きょうは武蔵野合唱団の特別公演というコンサートを聴きに行って
きた。というのは、ご覧のように、わが『夢の意味』が、作曲者上
田真樹君自身の手でオーケストラ伴奏版に編曲され、それを芸大の
手だれ揃いの若手オケ、横浜シンフォニエッタが演奏し、山田和樹
が熱血指揮するというので、これはもうワクワクしながらその初演
を聴きにいったのだ。武蔵野合唱団というのは、もともとこの武蔵
野市の緑町団地のコーラスグループから発展して、もう創立五十年
にもなるという、実力と規模を兼ね備えたアマチュア合唱団で、本
日も合唱だけで百五十人が乗るという壮大な演奏会となった。ほか
にはモーツァルト二作品、というちょっと風変わりなプログラムだ
が、そこへ、この合唱団出身だという、名テノール佐野成宏さん
が、客席から呼ばれて、『カタリー』と『オー・ソレ・ミオ』の二
曲を、マエストロ小林研一郎のピアノ伴奏で熱唱するというオマケ
までついて、なかなか楽しい良い演奏会であった。この『夢の意
味』は、昨年、東京混声合唱団の委嘱で作られて、その後、楽譜や
CDも出て世に知られるようになったが、今回はまたオケ伴奏とい
うスケールの大きな楽曲に成長、またこの秋には、早稲田大学のグ
リークラブが男声合唱版を初演するということになっている。上田
真樹君の音楽の素晴らしさは、曲を聴いていただければ、どなたに
も了解せられよう。美しくて分かり易くて、しかも心の奥にまで届
いてくる圧倒的な慰安の力を持っている。これが音楽なのだ。そう
いう曲は、現代ではほとんど見あたらないので、近来の傑作である
ことは動くまい。今後は、早稲田だけでなくて、たとえばわが母
校、慶應義塾大学楽友会あたりが、堂々たるスケールで再演してく
れないかなあと熱望しているところである。されば慶應の楽友会の
方、どうぞ、林望事務所(菊籬高志堂事務局)までご連絡くださ
い。待っています。

2008年9月10日水曜日

アメリカの孫

 
 アメリカに嫁いでいる娘春菜が、このほどめでたく男の子を出産
した。私にとっても、またアメリカ人の夫ダニー君の実家にとって
も初めての孫で、両家の両親、それから曽祖父曽祖母たちから、等
しく祝福を受けて、安寧のうちに元気にお乳を飲んでいるというこ
とである。私は忙しくてアメリカまで孫の顔を見には行かれないけ
れど、ありがたい世の中、ねんじゅうメールやスカイプで連絡をし
ているので、すぐそこにいるような感じがする。ところで、この写
真は、そのこのほど生まれた赤ちゃんではない。これは、その娘の
春菜が生まれて間もなくのころに撮った写真で、つまりこの赤ちゃ
んが成人して、このたび母親になったのである。そこで、この写真
の母親、つまり私の妻は、めでたくお祖母ちゃんとなった。時の経
つのはまことに速やかであることが実感される。

2008年9月7日日曜日

釜膳

 きょうは久しぶりに、三鷹の「釜膳」まで、釜飯を食べに行った。
 釜膳は、私の大好きな釜飯屋さんで、この写真では分からないけ
れど、一見まるで釜飯屋には見えないような、モダニズム風の設い
になっているところがまた良い。私はいつも定番の五目釜飯のコー
スを取るのだが(夜はコース料理のみ)、エビカニアレルギーなの
で、エビの代りに、他の魚介を入れてくれる。きょうはホタテが
入っていた。これが牡蠣のこともあり、いろいろと楽しい。コース
は煮物和え物の八寸(オードブル)に始まって、魚、肉、汁、釜
飯、と続くのだが、私は脂肪をできるだけ取らない食生活だという
ことを了解してくれていて、肉の代りに魚の焼き物を作ってくれ
た。刺し身は、マグロの酢味噌サラダ仕立て、鮭とジャガイモのグ
ラタン風、松茸の土瓶蒸し、そしてこの五目釜飯。これが優に三膳
分くらいあって、その最後のお焦げのところを、出汁漬けにして食
べるという趣向。これがまたなんとしても美味しいのだ。そうとう
な健啖家でも十分満腹にしてくれるだけのヴォリュームがあるが、
なにせ消化のいい和食なので、夜中にはきれいに消化して、はや空
腹感を覚える。おいしかったなあ、今日も。三鷹駅北口から歩いて
すぐのところにある。
釜膳 武蔵野市中町2-1-10 アップルウェイ1F 
0422-53-1007 定休水曜日

2008年9月6日土曜日

鞍馬天狗

 
 九月三日に、逗子で能楽解説の講演をしてきた。
 ちかぢかに柴田稔師の公演があるので、その前講義ということ
で、『鞍馬天狗』について話をしてきたのだが、熱心な聴衆で話し
やすかった。逗子はちょっと遠かったけれど・・・。
 掲出の図は、『和漢朗詠集註』という江戸前期の刊本(家蔵)
で、これは漢詩句の註は永済、和歌の註は北村季吟の手になる。和
漢朗詠の注釈書のスタンダードというべき名著である。この部分
は、漢の高祖の臣、張良が黄石公から兵法の奥義『三略』を授かる
という伝説、有名な逸話であって、日本でも広く知られている。
『鞍馬天狗』は、鞍馬の大天狗が牛若丸に兵法の奥義を授ける話
で、この張良の伝説などがもとになっているものと見られ
る。・・・というような話をしてきたのであった。

2008年9月2日火曜日

リンゴでお茶

ひさしぶりに、お茶の写真を。
このお皿にのっているものは、リンゴを甘く煮たもので、私の大好
物。リンゴを皮ごとごろごろとした大きさに切って、砂
糖、100%果汁のオレンジジュース、シナモン、白ワイン、そ
れに干し葡萄、とこう加えて煮るだけのことで、難しい手技はなに
もいらない。ただそうやってとろとろと弱火で煮詰めると、こんな
に色の美しい煮リンゴができる。右の蕎麦猪口に入れてあるのは、
黒胡椒を挽き入れたプレーンヨーグルト(無脂肪)。食べるとき
は、もちろんリンゴだけ食べてもいいけれど、より美味しくたべる
ためには、イギリス風薄切りパンのトーストに、このリンゴを載せ
て、上からヨーグルトを一匙かけてパクリと行く。相方はもちろん
熱いミルクティでなくてはならぬ。コーヒーなんて野暮なものを飲
むと、せっかくのデリケートなリンゴの香りが死んでしまう。

黒茶屋

 九月になった。
 時の経つことの疾き、まことに年々歳々加速度が付いていくよう
に思われる。八月の下旬から今日までは夏休みのつもりだったが、
結局、まったく一日の休みも取れないような調子で月日が過ぎた。
 きょうはその夏休み最後の一日だったので、昼間の面会仕事を終
えて、ふと思い立って妻と二人、五日市の黒茶屋という店へぶらり
と夕食を食べにいった。ほとんどは野菜で、鮎とヤマメを炭火焼き
で食べるという趣向、なかなか結構であった。黒茶屋は、御覧のよ
うな黒光りする古い民家を再生した店構えで、あたりはもう奥多摩
の山、秋川の清流、雰囲気がとてもよい。ちょっとだけ「休暇」の
気分を味わった。

2008年8月31日日曜日

下関稲荷座

 この絵は、戦前、下関にあった「稲荷座」という劇場を描いたも
のだが、じつは、この劇場は既に亡んで現存せず、こういう写真も
残っていない。残っているのは、ただ明治三十年くらいに斜め右45度
ほどの方向から撮影された写真のみである。私は、この春、下関市
の広報雑誌「083」の創刊号に特集「橋」というのを書いたの
がご縁で、現在はその編集委員にもなっている。そこで、この雑誌
の編集者のF君からのたっての依頼で、その明治撮影の斜め角度の
ぼんやりした写真から想像して、正面から見たところの稲荷座の絵
を描いてくれないかということになり、せいぜい想像力を逞しくし
て、これを描いた。現在発行されている「083」に、これは特
集頁のカラー扉絵として掲載されている。しかし、もともとはこう
いう墨絵で、B4版ほどの紙に描いてある。同特集に坂東玉三郎さ
んが出ておられるということで、この絵では、看板や紋所などすべ
て玉三郎さんのそれに描き変えてある。下関とはそういう面白いご
縁があって、今後とも折々に足を運ぶことになりそうである。下関
あたりは、海があって山があって、古い家並みがあって、私の好き
なところである。

2008年8月30日土曜日

あるウォーターフロント

 Waterfront と言えばなにやら素敵に聞こえるけれど、要す
るに水辺という意味である。この写真は、北品川のあたりのウオー
ターフロントで、ちょうど、昔ながらの船着きが、次第に時代の最
先端のビジネスフロントに置き換わっていく、その過渡期の風景を
見せている。思えば、私どもが大学生のころには、浜松町なんかは
(貿易センタービルなどは例外として)そこらじゅう古いお寺だと
か、黒ずんだ木造の船宿だとか、煉瓦作りの倉庫なんかが並び、
ひっそりとした「東京の田舎」だったものだった。三田の慶應大学
まで通う山手線電車の窓からは、まだ海の一部が見え、和船の漁船
が舫ってあったりしたが、それも今は昔のこととなった。ただ、こ
の風景のなかにも、屋形船がちょっと写っているのが、その頃の名
残というところである。このあたりにはしかし、戦前から続く素敵
な路地の住宅地なんかも僅かながら残っている。そういうのをすっ
かり滅ぼしてしまわないほうが、東京という町の文化的価値の上で
は望ましいのであるが・・・。

2008年8月29日金曜日

普茶料理『梵』




 きょうは、旧知の編集者二人へのお礼を込めて、入谷の普茶料理屋『梵』で会食をしてきた。じつは梵は、私のもっとも尊敬し愛好する純精進料理の店で、普茶料理として、日本有数の名店と言って良い。なにしろ手間ひまのかかった料理ばかりで、毎回四十品目くらいは出るだろうか。見て楽しく、味わって美味しく、しかもほんとうに新鮮な素材を用いた、完璧なお精進だから健康にも頗る良い。それに、竜泉寺裏のこの店の佇まいがまた、いかにも古風で趣深く、しっくりとした個室で、誰にも邪魔されず、タバコや酔漢にも悩まされることなく、静かな清談に時を過ごすことができる。こういう店は、東京ひろしと雖もそうそうあるものではない。それについては、この店の二代目御主人古川竜三さん御夫妻の、温雅なお人柄が反映しているように思える。店のサービススタッフもみな感じよく親切で、しかも、お料理はたいへんにリーズナブルな料金である。私はなにかというと、この梵に予約をして、人を接待もし、自ら楽しみで食べにも行く。とくに外国人の接待には絶好の店である。梵のホームページは
http://www.fuchabon.co.jp/
で見られる。きょうも楽しく美味しい歓談の一時を、感謝しつつ。
写真上は、岩牡蛎見立ての湯葉刺し身、酢蓮等の盛り合わせ。写真中は、お精進の鰻蒲焼きもどき、うざく風。鰻に見えるものの素材は豆腐や海苔など。写真下は梵の店の前にて、御主人の古川さんと。

2008年8月28日木曜日

御殿場

 いくつになっても、昔からの親友というものはありがたい。やっ
と仕事に一段落をつけて、つかの間の夏休みというわけで、大学時
代からの親友二人と、御殿場へ遊びに行ってきた。どんなに風貌は
オヤジになりはてても、会えばたちまちに心は大学生の時代に戻っ
てしまう。そういうことがなによりありがたいことである。御殿場
にはタサキ君(写真中央)の別荘がある。見晴らしのいい、涼しい
山の上である。雨ばかり降っていたけれど、翌日には少しだけ晴れ
間が出て、ほんのわずか富士山も見えた。三人とも酒もタバコもゴ
ルフもやらないので、ただただ近くの温泉に浸かっては、バカ話を
して過ごすのだ。これをみずから称して「三バカ大将」と僭称
(?)している。写真左はもうひとりの親友、ナグラ君。

2008年8月26日火曜日

詩集『青い夜道』



 この一月ほど、私はひたすらひたすら本を書いて過ごした。来る日も来る日も書斎でコンピュータや書物を睨んでは、せっせと文章を書く日々、それは神経衰弱になりそうな日々であったけれど、それもようやく一段落という時がきた。
 今日未明に、やっと、岩波書店からこの秋刊行の『旬菜膳語』の詳密な校正校訂を終えて、ほっと一息ついた。
 そういう厳しい生活のなかで、ふと御褒美のように良いことがやってくることがある。 
 私は、かねてから田中冬二という詩人が好きで、この人こそは、日本語の美しさをとことん突き詰めた、近現代きっての「ことばの貴紳」だと思っている。心が疲れたときに、ふと冬二の詩に目をさらし、その詩の風景に心を遊ばせるとき、私の方寸のうちになんともいえない懐かしいものが満ちてくるのを覚える。それは、過ぎ去ったものへの追憶といってもいい、美しい世界への憧憬といってもいい。その冬二の第一詩集は『青い夜道』という作品で、昭和四年に、長谷川巳之吉の第一書房から少部数発行された。そのうちの一冊が、きょう思いがけず私の書室にやってきたのだ。
 本は縁を以て到る。私が買う、というよりは、本のほうで私に買われてやってくるのである。亀山巌の装訂も、それ自体がまた一つの詩である。ああ、なんという美しい本、そしてなんという美しい詩であろう。この本には現代の復刻複製本も出ているのだが、初版の原本の放つ馥郁たる香気は、復刻には求むべくもない。やわらかな和紙にしっくりと圧された活字の、その印圧の味わい。印刷というものが、たんなるデータを紙に移すというだけの平板なものになる以前の、文字がまだ文字として生きていた時代の、書物という芸術がそこにある。詩集は、昔はこんなにも芸術的な存在だったのである。