2019年3月31日日曜日

古稀の祝い



 きのう土曜の宵、新宿のさる寿司屋で写真のような集まりがあった。
 これは、私がはるかむかし・・・もう二十年余も昔に、上智大学の大学院で書誌学を教えたことがあった、その時に私のゼミに参加した諸君が私の古稀を祝ってくれたのである。いまもこうして和気あいあいたる雰囲気のなかで、一介の非常勤講師に過ぎなかった私の古稀に祝宴を開いてくれた、まことに嬉しい限りである。彼らは、十年前の還暦のときも、おなじように祝ってくれた。それから十年が経って、みな相応に立派になり、大学、高校、高専などの教職や研究職にあって、大きな仕事を着々と進めている。
 結局、教職というものは、そうそうお金が儲かるわけでもなく、世間的に有名になるわけでもないけれど、こうやって、何年経っても「先生、先生」と言ってくれる教え子たちがいる、それがなによりのことである。きのうは、こうして、ささやかな幸福を味わい得た良い一日となった。

2019年3月11日月曜日

クラシカルギタークラブ


 さらにさらに時を遡ると、この写真はたぶん私が大学三年のときに、慶應三田の西校舎の地下にあった学生食堂で撮影された一枚である。
 私は、大学二年の時に一回留年しているので、同期の仲間よりも卒業は一年遅くなった。で、私は大学一年のときから、クラシカルギタークラブというのに入っていて、在学中は、暇さえあればクラシックギターを弾いていたのである。
 しかるに、大学も卒業間近になると、いわゆる卒業アルバムというのの編集が始まり、その巻頭カラーグラビアに、学内風景としてのさまざまな写真が載る。たまたまこの年の編集委員に、懇意にしていた男がいて、私はこの写真を撮って載せてくれるようにと頼んだのであった。左側にいるのは、伴君といって、このクラブの代表であった。右側は渡辺君といって最後の演奏会では私と組んでマウロ・ジュリアーニの二重奏曲を演奏した仲間である。こうして、1971年の卒業アルバムの巻頭を飾ってこの写真が掲載されたのであるが、肝心の卒業生写真のところには私は出ていない。当然のことながら、落第のために、まだこのときは三年生だったからである。こうして、私は、1971年のと、翌年の1972年のと、二年間に亙って卒業アルバムに載ることになったのである。呵呵。

2019年3月9日土曜日

1978年


 さらに時を遡って、この写真は、1978年の五月に、慶應義塾女子高校の教師をしていたころ、その修学旅行の引率に行った折の写真である。
 慶應女子高の教師といっても、一介の非常勤講師であって、担任などはむろん持つことなく、ただ古文と漢文を教えていたに過ぎぬ。それでも、多い年は週に四日出講していたので、まあ生徒から見れば専任の教師と同じように見えたかもしれぬ。この女子高は、いわゆる職員室(教員室)というものがなく、教師は学科ごとに別れてそれぞれの研究室に所属することになっていた。それゆえ、私は非常勤ながら、国語科研究室にちゃんとデスクを与えられて勤務していたのである。しかもなお、毎年の修学旅行には、高校三年生の京都・奈良に随行引率して行った。1978年というと、今から41年もの昔になるから、私は29歳であった。この頃は、口髭を生やしていなかったことは写真に見えるとおりだが、これは当時私は能楽の地謡方として常時舞台をつとめていた関係で、口髭などは落すようにと師匠から申し渡されていたことの結果である。
 この写真は、たぶん、京都の東急インで、早朝に生徒たちと散歩などしているところであろう。なにやら寝ぼけたような表情をしているのは、そのせいである。
 その後、さまざまな学校で教鞭を執ったが、この慶應義塾女子高での六年間が、もっとも充実して楽しい教員生活だったような感懐がある。

2019年3月7日木曜日

はるかなりヘミングフォード


 必要あって、古い写真帖を取り調べていたところ、こんな写真に行き当たった。
 これは、1992年の8月31日に、ヘミングフォード・グレイの村外れ、Great Ouse 川の岸辺での一枚である。今からもう27年前の写真である。ちょうどこの立っているところが、ボストン夫人のマナーハウスの真ん前のところで、私の背後に、その庭に入る鉄扉がある。八月の末ともなれば、イギリスは早や寒くて、こんな厚手のセーターを着ている。こういうセーターはBrenire(ブレナイア)といって、スコットランドの、まあ言わば労働着がもとになっている。このセーターは今も大切に着ているが、すこしも痛んではいない。
 1991年に『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』(ケンブリッジ大学出版)が刊行されたとのほぼ同時に『イギリスはおいしい』(平凡社)も出て、ベストセラーになったので、私は俄にイギリス関連の仕事に忙殺されるようになった。
 しかし、毎夏休みに、いつもイギリスで過ごすようになったのは、まさにこの時分で、今でもあの爽涼なイギリスの夏を心から懐かしく思う。また行ってみたいなあと思わぬ時とてもないが、実際には、もう行くことはないだろう。そう思うと、こんな写真がまた、無上に懐かしく、なんだか涙ぐましい思いさえ湧いてくる。
 嗚呼、イギリスの夏!

梅花馥郁たり



 庭の白梅が満開となった。
 この梅は、かつて小金井市の貫井南町というところに住んでいたころ、その庭でかわいがっていた白加賀という梅で、植木屋が、二の足を踏むところを、なんとか頼み倒してこの家の庭に連れてきたものである。
 それからは、日当たりが余り良くないせいか、たいして実は生らないが、何年かに一度はバケツいっぱいくらいの大きな実がなる。
 その実は、種を去って甘酸っぱいジャムに煮る。
 梅はもう一本あって、そちらは豊後梅という薄紅の花の咲く種類であるが、これとてもう樹齢四十年近いことになった。こちらも大きな実が生る。
 この白梅は、とても香りがよく、二階の部屋の窓をあけると、馥郁と香るのであるが、あいにくと、この季節は花粉がひどいので窓を開けておくことができぬ。しょうがないから、ときどきベランダに出て、その香を楽しむのである。
 小金井の里は、いま、どこもここも梅の花盛りである。