2014年9月28日日曜日

ガーデニングの国

ご案内のように、イギリスはガーデニングの天国で、家々の庭が、たいてい美しくガーデニングされている。それは良識ある市民の義務のようなものかもしれない。そうやって、自分の家を美しく作庭すること、その庭が連なって一つの街の景観を構成することから思えば、おのれの家の庭を荒れたままにしておくというのは、市民としての怠慢だと言わざるを得ぬ。事実これが、貧しい人たちの住む区域に入るととたんに庭が荒れ、市街の景観も荒涼としてくるのがわかる。
さて、この写真は、私が第二の故郷の家、ヘミングフォード・グレイのボストン夫人のマナハウスのお庭である。現在は、故ルーシー・ボストンの子息故ピーター・ボストン夫人であるダイアナさんが、一人この古い邸を守っている。五千坪からあるお庭を、このように美しく保つのは並大抵の仕事ではないが、今も四方のお庭は、このように見事に管理されているのは、ほんとうに頭がさがる。
イギリスに旅行の折に、ぜひここを訪れてみたいという人は、必ず前もってのアポイントメントが必要なので、次のホームページを参照していただきたい。
 http://www.greenknowe.co.uk/index.html



さてこちらのお庭は、私がケンブリッジに滞在するときの定宿となっている、ガートンのLIBRE HOUSEの庭である。ここは、Jill & Peter Free 夫妻の自宅でもあり、その広々とした庭の一角に、母屋に接続したアネックスが建てられてあって、そこがホリデイハウスとして提供されているのである。おおかた十二畳くらいのベッドルームと、6畳くらいのLDK,それにトイレ、シャワーなどが設備され、コンパクトにまとまったキッチンには洗濯機や電気クッカーが組み込まれ、また電子レンジ、高速Wi-Fiその他ひと通りの生活用品が備わる。それで、(季節によって多少変わると思うけれど)一週間で300ポンド(約五万円)くらいのリーズナブルな家賃(駐車は無料)なので、ほんとうに助かるのである。ロンドンでは、つまらないホリデイ・インの狭苦しいツインの部屋でさえ、一泊200ポンドもふんだくるのにくらべたら、まるで天国である。そして、このフリー夫妻の、ほんとうに誠実で優しいお人柄にも惹かれて、私はケンブリッジではつねにこの家を拝借してゆうゆうと暮らすことにしている。この家の庭も美しくガーデニングされているので、四季折々の風景を楽しむことができる。

ああケンブリッジ!

ロンドンから、ほうほうの体でケンブリッジに到着すると、そこは懐かしくて静かで、アカデミックで、気持ちのよい空気が横溢して、なんともいえない快さを感じた。この背後の高い塔の建物は、ケンブリッジ大学図書館の正面である。この建物こそ、私が三十代に力を尽くして『ケンブリッジ大学所蔵和漢古書総合目録』の編述にあたった、思い出の場所である。建物はまったく変わりなくそこに同じように建っていたが、なかは相当に模様替えになっていて、ちょっと面食らうこともあった。だいいち、トイレの水洗が「手かざしリモコン」になっていたのはびっくりした。ただし、もちろんウォシュレットのような仕掛けはありはしなかったが・・・。

ケンブリッジでは、市の中心からすこし離れた、Girton(ガートン)という村に宿るのを常としている。この写真は、そのガートンから市内のほうを遠く望んだもので、この道はHuntingdon Road(ハンティンドン・ロード)と呼ばれる。ちょうど、イギリスの秋らしい霧が立って、向こうの方はすこしぼんやりと霞んで見える。樹々はもう黄葉して、いちだんと瞑想的な雰囲気が感じられる。

2014年9月27日土曜日

ロンドンの光と闇

 フィンランドでの仕事を無事終えて、ヘルシンキのぶらぶら散歩も終えて、ロンドンに行った。数年ぶりのロンドンは、またもやかなり様変わりしていた。おそらくオリンピックをはさんでの変化が相当に大きかったのであろう。
まず第一に、かつては真っ黒に汚れ、荒れ果てて、それこそ荒涼たる区域だったsouthwarkの周辺がすっかりリノベーションをされて、面目を一新したのはいいけれど、なんだか薄っぺらい観光エリアになってしまい、ロンドンらしい「闇」が消えてしまったのは、いかにも残念。この写真は、旧市場の建物だが、私が三十年前にここらを歩いていたときは、ほんとに切り裂きジャックでも出てきそうな物騒なところであったし、その先の有名なパブ「The Anchor」も、十九世紀の昔のままでまことに好ましかったものが、今は、すっかりのっぺりした観光客相手のスポットになり、まるで趣をなくしてしまっていた。その一方で、この写真の後ろに写っている硝子張りの阿呆なデザインのビルのような、いわゆるポストモダンの、建築家の頭の悪さと趣味のなさが露見しているような愚劣なビルがあちこちに建っているのはあきれ果てた。この硝子ビルなど、上に行くほど面積がゼロに近くなるので、何のために建てたのか意図が知れぬ。また別の「有機的デザイン」の硝子ビルは、ちょうどそれが集光器の形になって、そのビルの下に車を駐めておくと、太陽光が集中して塗装が焼けて溶けてしまうという、大問題を引き起こしてロンドナーの失笑を買っているらしい。建築家の愚かな趣味と施主の無定見は、なにもわが東京の新国立競技場だけのことではないのである。
さるなかに、この「ロッホファイン」というスコットランドの鮮魚をメインとするレストランは、シティの只中にあって、結構な美味しさであった。しかも、イギリスのレストランとしては、例外的にポーションが小さく、われわれ日本人の口にも合いやすい。私はスコティッシュスモークサーモンを頼んだが、なんと「刺身風」とあって、刺身のように切った脇にわさびと醤油がついてきた。これで銀シャリがあれば申し分なかったが・・・。

趣味の良し悪し

ヘルシンキは大変に美しい街で、とくにその建築美には心打たれるものがあった。とくに誰の設計だとか、そういうのではないが、ともかく街に櫛比している建築の概ねの高さが揃っていて、しかしどれひとつとして同じようなものがないというか、ネオゴシック、ドイツルネッサンス風、アールデコ、アール・ヌーヴォー、ユーゲントシュティール、モダニズム、新古典主義と、いろんなのがみな美しく整備されて甍を並べているのは、建築好きの私には応えられない楽しさであった。おそらく、ミラノ、ブダペスト、ヘルシンキの三都市こそは、世界でもっとも建築の美しい愉しい街であることは動くまい。
しかしながら、そういう美しい街なのに、なぜか極端な悪趣味もあって、その代表がこの「小便爺さん」(ほんとはなにか別の名前があるのかもしれないが、知らない)である。
港の桟橋に、どういうわけか、こういう赤裸で禿頭の爺さんの巨像があって、それがまた、なぜかドウドウと小便を垂れている。ちゃんとその小便の「出口」の部分もリアリズムで造形されているのは、いちだんと悪趣味であった。
するとこの悪趣味を喜んで、わざわざその股の下から「そこ」を見上げて写真を撮る妙齢のご婦人などもいて、おもわず苦笑せずにはいられなかった。

フィンランドに行ってきた

9月の9日から16日間ほど、数年ぶりに外国へ行ってきた。
今回は、スカンジナビア・ニッポン・ササカワ財団の理事会というのがその用務で、私はどういうわけかその財団の理事(もとより無給の奉仕ながら)なので、年に一度の理事会に出席するため、はるばるとフィンランドまで行ってきたのである。この財団はニッポン財団の分家のような組織だが、フィンランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウエイ、アイスランドの五カ国で構成され、毎年持ち回りで理事会を開く。今年はフィンランドが当番国で、その北部リゾート地、クウサモというところで理事会が開かれた。まあその理事会のことはここに書くまでもないが、このクウサモというところは、ほんとうに森と湖以外なにもないというべき美しいところで、その風景を満喫してきた。
このあたりでは、トナカイを食用に飼っているので、そのトナカイのタルタルステーキやら、スープやらの珍味のご馳走にあずかった。これは掛け値なく美味しいものである。上の写真は、当番理事のヴィヒコさんご夫妻の別荘敷地内にある船着き場で、その広大な敷地と見事なログハウス、ほんとうの豊かさとは何かを考えさられた。

理事会を終えてから、一日だけヘルシンキに戻って、めずらしく観光などをしてみた。といっても、ただブラブラと街歩きをしただけで、なにの珍しいこともないが、この写真は、その港に面したマーケットでフィンランドのB級グルメをやっつけているところである。いまやパクっと行こうとしているのは、小魚のフライで、イギリスではこれをホワイトベイトと呼ぶが、フィンランド語ではなんというか知らない。なかなかうまい。そのほかに、ソーセージを揚げたのやら、じゃがいもを揚げたのやら、あれこれ頗る脂っぽいので、じつはちょっとだけ食べたにもかかわらず、おおいに胃にもたれ胸焼けに苦しめられた。