2013年4月30日火曜日

ふんわりの時間

きのうまでに『謹訳源氏物語』第十巻の著者校正を仕上げて、きょうは心も軽く東京エフエムへラジオ番組の収録に出かけてきた。
これは、中嶋朋子さんのトーク番組なのだが、自由自在に談論風発という感じで楽しくお話しをしてきた。
番組は、

http://www.tfm.co.jp/funwari/

をごらん頂きたいのだが、東京ガス提供の『ふんわりの時間』という日曜朝の番組で、東京エフエムから放送される。
きょう収録したのは、二回分で、第一回は五月五日の朝九時から九時半という時間枠。二回目は、五月十二日の同時間枠である。
五日の放送分は、『謹訳源氏物語』および、日本古典文学を巡っての楽しいトークで、三十分はあっという間に過ぎた。
十二日の放送分は、食いしん坊の魂躍如たる食べ物の話で、おおいに盛り上がった。中嶋さんの温かで柔らかなお人柄が、この番組の味わいで、とても話しやすい。
このブログをごらんの方々も、もしお時間があれば、ぜひお聴き下さい。

2013年4月29日月曜日

歌の練習

歌を歌うということは、なによりの精神の解放になる、と私は思うのだ。
というわけで、長年の歌の同志でもあり、師匠でもあり、心友でもある勝又晃君が、御夫妻で、源氏完成を祝って、四月二十七日の一夕、拙宅まで歌を歌いに来てくれた。
御夫妻は、来る五月二日午後七時から、大泉ゆめりあホールで、ジョイントのリサイタルを開催するので、その直前の練習などに忙しい合間を縫って、来てくれたのであった。まことにありがたいことである。
今回、ピアニスト井谷佳代さん(芸大院卒)が伴奏者として駆けつけてくれたのは、これまたお忙しい日々のなかで、まことにありがたいことである。
私は『あんこまパン』の練習もさせていただき、勝又君には、ひさしぶりに『行け、わが想い』を熱唱してもらった。ますます声量豊かに、拙宅音楽室内が勝又ボイスで充満している、とそんな感じがした。
そして、なによりも楽しかったのは、彼との二重唱(デュオ・アミーチ)で、『朧月夜』『夏は来ぬ』『野菊』『アル・ヒダ・ノス』などつぎつぎと歌い渡り、もっとも得意とする『アロハオエ』は、ほんとうによく声が響き合って、歌っていてとても気持がよかった。それから、勝又夫人岡村由美子さん(ソプラノ)に、私の妻までも加わって、滝廉太郎『花』や、『夢の子守歌』などを盛大に歌って、いやじつに楽しかった。源氏が終ったなあ、という実感があった。
二日の彼らのリサイタルには、私もぜひ一聴衆として、熱烈応援に駆けつけたいと思っている。写真左から、私、妻、岡村さん、勝又君、そして井谷さん。拙宅地下音楽室にて。

2013年4月23日火曜日

満開の桜に一面の雪

まつりごとが乱れていると、天の怒りに触れるのであろうか、天変地異まことに常ならぬことばかり起こって、はなはだ不穏な時代と痛感せずにはいられない。
さて、四月の二十日に、富山の内藤クリニックの主催で、健康についての講演会が催され、今回は100回の特別講演ということで、私が呼ばれて『最期まで元気で暮らしたい』という題目の講演をしてきた。その主たる心は禁煙の勧めなのだが、なおまたそこに、高齢になったからとてなにも諦めるには及ばない、という生き甲斐の話も加味して話したことであった。
それを終えてから、今回は珍しく、源氏も書き終えての骨休めという意味で、近鄰魚津市の金太郎温泉という宿にもう一泊して二十一日の午後に帰京したのだが、あいにくと、この両日は非常に珍しい春の寒波到来で、中部高原地帯はすべて雪ということになった。
帰途について、北国街道を走っていると、「上信越道、雪のためチェーン等冬用装備規制」と電光掲示が出ている。ややや、これは困った。いかになんでも四月の下旬に雪はもうふらないだろうと、つい最近スタッドレスから通常タイヤに履き替えたばかりで、チェーンなども持参していない。
能生インターの事務所で聞いても、さっぱり道路状況は掴めていないとのことで、埒が明かぬ。近くの道の駅の案内に聞いても同じことで、むしろ高速よりも国道148号に回って、姫川、小谷経由で松本へ出て、中央高速で帰った方が安全かもしれぬという人もあった。とはいえ、この糸魚川街道も山深い谷あいを辿る山道で、雪のない保証はない。
結局しかし、あれこれとやっているうちに、規制は解除になったらしく、思いきって上信越道を通って帰ることにした。
なるほど、信濃町から軽井沢あたりまでは両側一面の雪で、路肩にもいくらか雪が積もっている。路傍の桜は満開なのに、地は一面の雪と、実に珍しい景色であった。

2013年4月14日日曜日

謹訳源氏物語、完成

いやはや、まことに永のご無沙汰にて、更新をさぼっておりましたこと、深くお詫び申し上げます。
じつは、かねて執筆中の『謹訳源氏物語』の、最終第十巻の書き上げに忙殺されておりましたので、更新の余裕なく、失礼をしたような次第です。
おかげさまで、その第十巻の最終帖、夢浮橋も、とうとう書き上げました。思えば2009年の8月1日に起筆してから三年半、2010年の3月に第一巻を刊行してから三年の間、すべてを犠牲にしてこの作品の完成に力を尽くしてまいりましたが、それも、やっと完成の日をむかえることができましたことは、まことに感無量であります。その間、東日本大震災やら、老父の死、妹の死、そして義父の死と、つぎつぎと近親の人を送り、最後のほうは狭心症の発作に襲われるやら、目が悪くなるやら、まさに命がけという実感のある仕事でありました。
しかし、天神地祇の加護か、御先祖さまのお護りか、無事最後まで書き上げることが出来ましたことは、なにより嬉しく有り難いことと思います。
そこで、この荒行のような厳しい仕事の完成を、学生時代からの親友二人が、祝ってくれることになり、昨日、久しぶりに三人会合して久闊を叙し、かつはまた世外の清談愚談に時を移したという次第です。
この二人の親友に恵まれたことは、私の人生の最大幸福事の一つですが、写真の右は田崎誠君、真ん中は奈蔵功修君、であります。二人とも慶應の経済学部を出て、それぞれ三菱商事と三井物産に就職し、今はほぼ悠々自適に近い生活をしています。もともと田崎君と私は、慶應義塾のクラシカルギタークラブの仲間で、学生時代から一緒にそこらじゅう旅行して回ったり、ごくごく親しい間柄であったのですが、その田崎君の学部に於ける友人が奈蔵君で、彼はどういうわけか、田崎君と一緒に、しばしばギタークラブの溜まり場に遊びに来ていて、そのうち、三人は刎頚の交を修したのでありました。
まさに、三人揃って元気に今日の会合を持ち得たのは、幸いなる哉人生、の実感があります。
私どもは、こうして会合しても、みな酒もタバコもやらないので、まことに清々颯々、座談は天地人三才に亙って汲めども尽きせぬ興趣があります。酔眼朦朧たる諸君にはとうてい味わい得ない閑雅脱俗の仙境と、私どもはそのように自負しているところであります。竹林の七賢人ならぬ、妙竹林の三愚人と、このように自称しております。
ともあれ、『謹訳源氏』の執筆完了をご報告し、あわせて皆さまのご鞭撻に深謝申し上げます。刊行は六月初旬の予定ですので、いましばらくお待ち下さい。
写真は、新宿の水炊き処『玄海』にて。