2016年7月24日日曜日

夏祭

きょう、夕方にまた町まで歩きに行った。もちろん運動のためである。山荘のあたりは熊公が出るので危険で歩けないので、わざわざ町まで出るのである。すると気温が、山荘のあたりより数度乃至五度くらい高くて、町は暑いのだった。
 しかし、きょうは近在の若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の例大祭の日で、町中が歩行者天国になっていた。面白いから見物に行ったところ、各町から祇園祭の山鉾のような山車や舞台が行列して、それはなかなか盛んなものであった。
 さらに行くと、駒に騎乗した稚児の行列などもあって、どこからか集めてきた各種の馬に跨った稚児たちが、悠々と通り過ぎていった。山車の前には、町内の大人というか長老というか、貫録を見せたおじいさんたちが羽織袴にパナマの帽子やら、裃に陣笠やら、黒いスーツの正装やらで粛々と先導していくのであった。この写真の山車は、高見町からでた「安珍清姫」の舞台であった。舞台下は囃子方が入っていて、御簾内で囃子を奏でる。なかなかの盛儀と見えた。普段は寂しい町も、この時ばかりは人だかりでエネルギーを取り戻しているように見えた。

2016年7月17日日曜日

猿の群れ

信濃大町の山荘あたりは、ほんとうに豊かな里山という感じで、熊も出る、鹿も歩く、イノシシも走る、そしてニホンカモシカなども折々村内をぶらついている。なかで、もっともよく来村する賓客はニホンザルの群れ、というか一家である。大きなボス猿があたりを払うような威勢を示してゆく周囲を、何頭かの母猿はおのおの小さな子猿をおんぶしたり抱っこしたり、少し大きくなった少年猿は、人間の子供と同じように、縦横無尽に駆け回り、大声を出し、好奇心を発揮し、それはもう見ていると可愛いものだ。
 ただ、この野生の猿も、近づくと危険なので、遠くから眺めるだけである。
 現在私の家は、屋根の塗装工事のための足場が組んであるので、いわば、猿にとってはジャングルジム風の面白さがあると見えて、若い猿どもは、この足場に上ったり降りたり、走ったり、ゆすったりと、楽しそうに遊んでいる。
 たまたま一匹が足場に乗って辺りを眺めているところが写真に撮れたので、ここもと御目にかける。なんとなく格好になってるねえ、これは。

2016年7月8日金曜日

白馬へ

一週間ほど前から、例によって信濃大町の山荘に隠棲中である。今回は、なんとしても『謹訳平家物語』を最後まで書いてしまわなくてはならぬ、と悲壮なる覚悟で、酷暑の東京を逃げ出し、山のような本を持参して、こちらに篭居しているのである。
 さるなかにも、昨日からは、アメリカ在住の息子の娘たち・・・つまり孫娘どもが二人だけでこの山荘に「お泊まり」に来ている。東京は異常な酷暑なので、ちょうどいいときにこの涼しい山峡の里に来たものだと思う。
 しかしながら、ただでさえ小さな家に、二人の「賓客」を迎えるとなると、なかなかたいへんで、庵主の私だけが超然として執筆に励むというわけにもいかず、実質的には、一日じゅうこの孫たちの世話や家事に明け暮れる始末である。
 さるなかにも、きょうは白馬村へ遠足にでかけた。行ったのは、白馬ガラス工房というところで、いわゆる蜻蛉玉と呼ばれるガラス玉を使って、手作りのアクセサリーを拵えるという、まあ女の子の好きそうな趣向を求めて出かけたのである。
 行ってみると、白馬村は、どうしてどうして堂々たる高原リゾートになっていて、長野県では軽井沢と並んで見事なランドスケープデザインが施されている。ホテルやペンションもよいデザインのものが櫛比して、まるでヨーロッパに迷い込んだような印象であった。近くに避暑に来ていて、白馬がここまで美しくでき上がっていることを知らずにいたのはまことに不覚であった。
 写真は、そのなかでもなかなか出色のホテル、「ラ・ネージュ本館」で、八方の麓、和田野の森というところにある。じっさい、堂々たるイギリス風の建築で、いわばヴィクトリア時代からエドワード時代に流行した擬古的デザインである。残念だったのは、ここまでイギリス風に作っていながら、ちょうど午後三時であったにもかかわらず、「アフタヌーン・ティ」のようなサービスを全くしていないという、この一点であった。これだけのロケーションがあるのだから、ぜひティのサービスをするとよい、と強く経営者に勧めたいと思ったところである。
 この森あたりは標高が千メートルくらいあるのであろう。ごく冷涼で、じつに気持ちのよい気温であった。また、来るべし。