2012年4月28日土曜日

三田の五月


今日は、慶應の三田評論の名物鼎談「三人閑談」を、新倉俊一(にいくら・としかず)明治学院大学名誉教授、巽孝之(たつみ・たかゆき)慶應義塾大学教授のお二方とともにやってきた。新倉さんは、西脇順三郎の研究で知られた英米文学者、とくに英詩のご専門、巽さんは、アメリカ文学がご専門だが、明治時代の横浜正金銀行ロンドン支店長巽孝之丞(たつみ・こうのじょう)を祖父にもつという名門の出である。当時の慶應から行った留学生は、みなこの巽孝之丞邸でお世話になったので、非常に教養あるパトロンという格の紳士であった。今回のテーマは、ロンドンオリンピックに因み、「留学生の見たロンドン」ということで、漱石、小泉信三、西脇順三郎の三人を中心に、その周辺の水上滝太郎、郡虎彦、野口米次郎など、慶應ゆかりの文化人たちに及ぶ、ヴィクトリア末期からエドワード時代にかけての、ロンドンの空気なども含め、談論風発という感じで話しあった。もっとも、私は英文学のことはよくわからないので、内容のある話はもっぱら、新倉・巽両氏が語り合い、私はただ相づちを打ちながら、漱石のこと、信三のことなど、わずかの知見を語ったに過ぎない。
それはともかく、ひさしぶりに三田キャンパスに足を踏み入れてみると、またずいぶんと様子が変わっていた。三田の表玄関にあたる南校舎が全面的に建て替えとなり、すっかり面目を一新、いかにも快適な感じの校舎になっていた。
しかし、私どもが学生時代に授業を受けた第一校舎という古い校舎も健在で、それが下の写真である。昭和初期に建てられたこの校舎は、いまや堂々たる風格を醸し出して、中に入ると、なつかしい「学校」の匂いがした。ああ、学生時代にここで、池田弥三郎先生の、森武之助先生の、講義を聞いたよなあと、涙ぐましい思いがした。右手階段奥にチラリと電話ボックスが見えているが、現在はすでに公衆電話は存在していない。これも時代である。
上の写真は、キャンパス中央に聳える、通称「大銀杏」で、この銀杏の葉がすっかり散り尽してしまわないうちに講義ノートを調達できないと、年明けの試験はおぼつかない、すなわち落第の危険があるという、そういう指標になっている名物の大樹である。
校舎は建て替わっていても、そこを往来している学生たちの雰囲気は、私どもの時代とほとんど変らず、ただ女子学生のスタイルが良くなったことだけは、目を瞠る思いがした。呵呵。ああ、懐かしい学生時代!

2012年4月6日金曜日

馬籠の夕

 昨日、名古屋に新しく開校した名進研小学校の校歌を作詩したご縁で、その開校式に招かれて祝辞など述べてきた。
 式典などが終って、帰途はまた中央高速を走って帰ってきたのだが、どうも途中の恵那山トンネルが私は苦手である。あの非常に長いトンネルを通過中、もしここで大地震が起きたら落盤などが発生しはしないかと、まったく気が気でない。 
 そこで、昨日は、中津川で降りて、あとは旧中山道の山道をとことこと通って飯田まで迂回した。高速なら15分もあれば着くところが、1時間半ほどの山岳ドライブ、しかも途中の峠道ではさんさんと雪が降っていた。
 このルートだと、途中馬籠宿を通る。ついでだから見物してみようと立寄ったが、平日の夕方五時半ころのこととて、すべての店も施設も閉店。完全に人っ子一人いなかった。そのお蔭で、寂寥美溢れる夕景を撮影できたのはなによりであった。ちょっと川瀬巴水の木版画を意識した特殊の撮影を試みたら、よい効果が出た。この行灯の光が仄めいているところ、巴水の木版画でもあり、田中冬二の詩の世界にも通じている。この時間に見参したのは、なによりであった。