2009年1月25日日曜日

岐阜までひとっぱしり

24日に、岐阜県の各務原にある中部学院大学の公開講座に招かれ
て、『学ぶ力を磨く』という講演をしてきた。例によって往復は自
分の車を運転して行った。往路23日は、まことによいドライブで、楽
しかった。素晴らしい好天の中央高速を疾駆して、途中八ケ岳高原
のあたりでは、正面に八ケ岳の雪峯が大パノラマになって目を楽し
ませてくれた。運転しながら、このように正面に山並みが来るとこ
ろを狙って、左手にハンドル、右手にカメラ、というスタイルで、
何枚か撮影したうちの一枚である。しかるに、24日は寒波襲来で、中
央高速は雪に降りこめられると困るので、復路は東名高速をまわっ
て帰ってきた。東名は、中央高速に比べると距離が一割くらい遠い
うえに、なにしろ交通量が段違いに多く、走りにくいので、神経も
使い、また安全を心がけて走るために時間がとてもかかる。夜に
なってしまって景色も見えないし、帰りはひたすら、車のなかで音
楽を楽しみながら坦々と転がしてきたのである。

2009年1月16日金曜日

あんこまパン追加

追加します。
歌曲ピース『あんこまパン』は、イトーミュージックから発売され
ましたが、その連絡先は次のとおりです。
176-0013 練馬区豊玉中1-1-15-208 
(TEL)03-3557-5635
(FAX)03-3992-0004
E-mail library@itomusic.com

あんこまパン

 年末に日本音楽著作権協会からの通知が来た。それを見て吃驚仰
天したことは、なななんと、わが『あんこまパン』の演奏にかかる
著作権使用料として五万円ちかい金額が支払われたことが分かった
からである。こんな金額は、ポピュラー畑の人からみたら、問題に
ならないような端た金と見えるだろうけれど、クラシックの歌曲
で、しかも私が作詞したものとしては、空前の多額であったので、
吃驚したのである。おそらく、私の知らないところで、いろいろな
声楽家たちが、この曲を面白がって演奏会で取りあげてくれたもの
と想像される。いや、この歌こそは、私自身も、最近常々あちこち
で演奏しているのではあるが、今をときめく宮本益光君や、かの高
名なる佐藤しのぶさんや、渋い小栗純一さんやらがレパートリーと
して歌ってくれているのは、知っていた。が、それだけではこんな
数字にはなりっこないから、もっと多くの人たちがこれを取りあげ
てくれているのであろう。まことに嬉しいことである。と、思って
いたら、このほどその作曲者の伊藤康英君が、自分の主宰する会社
から、この曲の声楽ピースを発売してくれた。今までは、もう十数
年前に刊行して、すでに絶版になってしまっているCDブック『あ
んこまパン』(小学館)しか楽譜はでていなかったのだから、こう
いう手軽なピースにしてくれたことは、百万の味方を得た思いがす
る。これでますます、多くの人たちに歌われるようになるだろう。
ねがわくは、バリトン用に、二度下げた移調譜も刊行してくれると
さらにさらに嬉しいのだが。

2009年1月13日火曜日

鏡開き

 蔵前に栄久堂という老舗の和菓子屋さんがある。去年、この栄久
堂さんの出している小冊子に拙稿を寄せたことがご縁となって、今
年の正月十日に、鏡開きの吉例というわけで、粟餅とお汁粉用のア
ンコを頂戴した。かねてから私はアンコには粟餅(粟飯)がベスト
マッチだと思っているので、これはほんとに嬉しかった。さっそ
く、このアンコでお汁粉をつくり、粟餅を焼いてこれに和し、今う
ちに戻ってきている息子夫婦ともども、一家して大いに舌鼓をうっ
た。アンコといい粟餅といい、日本の甘味の美味しさに、ほっぺた
が落ちる思いがした。それにしても、鏡開きという行事、じつは
すっかり忘れていたが、こういうご縁で、よい鏡開きをさせていた
だいたのは望外の喜びであった。

2009年1月1日木曜日

謹賀新年

とうとうまた新しい年がやってきた。
あけましておめでとうございます。
さて、この写真は、今を去る二十五年前、私どもが一家してケンブ
リッジに住んでいた時分の、五月の休日の一コマである。ケンブ
リッジから車で三十分くらいのところに、ウィッケン・フェンとい
う湿地公園があって、そこはかのナショナルトラストが所有管理し
ている自然公園である。ケンブリッジ時代には、よくこうして家族
四人で近在のあちこちへ歩きにでかけた。手前にいるのは息子で、
当時小学校三年生、妻の隣にいるのが娘で、もうすぐ五歳になろう
かというところである。この娘が去年の九月に男の子(私共にとっ
ての初孫)を産んだのである。近頃はどういうわけか、ケンブリッ
ジ時代の写真を眺めては、昔を懐かしむ時が多い。あの頃は、家族
がもっとも家族らしく、幸福な日々だったなあと思うのだ。この写
真なんかも、そういう家族の空気がよく写し取られている。妻も、
「あの頃はいちばん楽しかったわ」と、いつも言う。そういう時代
があったことを、私は幸いなことであったなあ、と今にして思うの
である。年頭に当たって、ちょっとそんなことを思った。