2015年10月31日土曜日

秋の越後路

一昨日、28日に、新潟県立図書館の創立百周年記念イベントの一環として、同館での講演(源氏物語について話をした)をしてきた。
 27日に関越道・北陸道をまっしぐらに通って新潟入りし、翌日は講演、そうしてもう一泊して、昨日越後路と上州路の秋を満喫しながら、ぶらりぶらりと逍遥しつつ戻ってきた。車の運転がなにより好きな私にとっては、こういうふうに仕事を終えたあと、ひとり気ままにドライブしてあるくのが、なによりの気晴らしなのである。
 越後は、もうすっかり田も刈られて、冬じまいの佇まいであったが、あいにくと天気が悪くて空気がどこも霞んでいたのは、ちょっと残念に思った。
 ところが、越後と上州の国境の長いトンネルを抜けると、そこは別世界で、からりと晴れた秋景色であった。
 あちらのインター、こちらのインターと、しきりに高速から降りて、秋の田園を逍遥してきたが、なかでもこの写真は、月夜野インターで降りてから、当てずっぽうで走り回っているうちに、ふと遭遇した景色である。
 良い景色というのは、「どこ」という特別なところでない、ふつうの道のほとりに見いだされることが多い。だから私は、観光地には行かないし、いわゆる「展望台」なんて場所にはまったく興味もない。
 ちかくの山道には、「熊出没ご注意ください」という張り紙がそこら中に貼ってあって、うっかりしていると熊公に出くわさぬものでもない、と十分注意しながら、秋らしい空気の横溢するところで写真を撮った。
 こういう山村の風景に出会う時、ああ、日本の秋は良いなあ、とつくづく感じるのである。

2015年10月24日土曜日

日比谷カレッジ

一昨日、10月22日の木曜日、毎年恒例となっている、日比谷図書館と上広倫理財団の共催にかかるレクチャーシリーズの一環として、今年は『謹訳平家物語』をめぐってレクチャーをしている。先月は第一回として、平家物語とはなんだろうか、それを現代語に訳すということはどういうことか、という全体を通じての概論的な話をして、その第二回が一昨日の会であった。
 第二回は、翻訳家であり、詩人であり、版画家でもあるというピーター・マクミラン氏をゲストとしてお招きし、おなじく「訳す」ということながら、外国語の翻訳と、古典の現代語訳の異相と共通点などをめぐって話し合った。
 マクミラン氏は、『百人一首』の英訳で世界的に知られる気鋭の翻訳家、というか日本文学研究者であるが、現在はひきつづき『伊勢物語』の英訳に取り組んで、近日中にそれも世にでる運びとなっている由。
 流暢で高雅な日本語を駆使して、和歌におけるレトリックをどのように理解し、どのように英語で表現したら、英米人にもっとも正確に伝わるか、といって、もともとの歌の風韻を殺さぬように、詩人としてのセンスを活かして、あくまでも詩的に訳すには、どうしたらよいか、ということを、いくつかの例歌を俎上に上げて見事に論じられたのは大いに感服したところである。
 そのあと、聴衆には例の如く平家物語の原文(巻三「僧都死去」より)を配布しておいて、私は『謹訳』を朗読し、マクミラン氏はその英訳を、朗々と恰もシェークスピア劇のような韻律性をもって朗読された。これは大変におもしろい試みであったと自負するところである。
 終わってから、また二人して、わが愛してやまない早稲田の八幡鮨の暖簾をくぐり、大いに舌鼓を打った。写真は食後の一コマ。八幡鮨五代目安井栄一君と裕子夫人を交えて。

2015年10月9日金曜日

図書館と書物の薫り

10月の7日、愛媛県松山市の愛媛大学図書館の招きで、講演にでかけた。
 今回は、図書館の招きとあって、古い本の話をした。題目は上記のとおり、
 「図書館と書物の薫り」
 とした。私はもともとまったく本を読まずに少年時代を過ごした、非読書少年であったというところから説き起こして、どのようにそれが、書物を相手とする学問「書誌学」へと志すようになったのかという、その一部始終をお話した。さらに、日本各地の図書館を訪ねて、さまざまの古い本を調査したこと、また、イギリスをはじめとする西欧の図書館を訪ねてのさまざまな経験など、内容は多岐にわたった。
 場内は満席で、しかしその半分ほどは、愛大附属高校の生徒さんたちが特別研修として聴講していたのであった。
 要は、読書というものはただ漫然とたくさん読めばいいというものではなくて、各自が自分のモティヴェイションと興味にしたがって、じっくりと読み、味わい、そしてその書物を手許に置いて愛惜する心から、読書が血肉になっていくのだという趣旨を話した。さらには、古い典籍をじっさいに調査研究してきた経験をお話して、各国の図書館事情に及んだが、私はちょっと勘違いして、90分の講演だと思い、そのように用意していったところが、実は60分の寸法であったので、かなり端折って大急ぎで話した。もう少し時間が欲しかったなあというのが正直な感想である。しかし、生徒さんたちも熱心に聴いてくれたのはありがたいことであった。

彦根城内能舞台講演


 
 去る九月の二十七日、彦根市の招きで、彦根城内博物館に復元されている井伊家の能舞台(これは1800年(寛政12年)に築造されたものだが)で、能についての講演をしてきた。
 観世流の若手気鋭の能楽師、坂真太郎君にも助演を願って、『能舞台の神聖と不思議』と題して、私がまず能舞台という空間はいったいどういう意味を持ったところなのか、ということを概略お話し、つづいて、坂君に登場してもらって、能の所作、道具、謡いかた、音楽的組織、などなど実演を含めていろいろ面白く話してもらった。
 見所は200席ほどの椅子席で、これは博物館において新しく作られたものだが、当日は満席札止めの盛況で、みなさん楽しそうに聴いてくださった。
 この舞台は、御覧のように、橋掛りがほとんど45度の急角度で舞台に接続しているという古い形式をとどめている。しかし、現在はほとんど使われていないそうで、それはいかになんでももったいないなあと思った。せめて月に1回くらいは各流儀の演能でもしてはどうだろうか。

2015年9月15日火曜日

戦前戦後、歌の教室、東京公演


◎おかげさまで、このコンサートのチケットは完売となりました。ありがとうございます。

つづいて、12月16日水曜日に開催いたします、『戦前戦後、歌の教室』東京公演のおしらせです。
 去年から、金沢の外科医にしてテノール歌手という北山吉明ドクターと私と、二人の歌の演奏会をやってきましたが、とくに今年の五月二十日に開催した、『戦前戦後、歌の教室』というコンサートが大変好評で、ぜひ東京でもやってほしいというご希望が寄せられたのに勇気づけられて、えいっと思い切って東京公演を企画しました。二人とも超多忙な毎日を送っていますが、そのなかでも、歌は人生の輝く星、というような思いで、こんどは診療の合間を縫って北山ドクターに東京へおいでいただき(水曜日は休診日なので)おおいに熱唱しようということになりました。曲目は金沢でのそれに準じますが、一部変更があります。『朧月夜』『汽車ポッポ』『蛙の笛』など戦前戦後の懐かしい童謡から、戦時中の軍歌『月月火水木金金』『空の神兵』などを経て、戦後の歌謡曲『憧れのハワイ航路』『山の吊橋』などにいたる歌の近現代史という趣です。そしてまた、戦前戦後の日本歌曲『まちぼうけ』『お菓子と娘』『落葉松』『くちなし』に至る、まさに歌の教室。私共の歌談義を含めてたっぷりと語り、かつ歌いたいと思います。ソロもありデュエットもあり、さまざまです。席はわずかに80席しかありませんので、お早くお申込みください。お申込みは、
 林 望事務所 電話 042-386-3985     FAX 042-386-2428
 北山クリニック 電話 076-263-2400    FAX 076-263-2366
又はメールで
 kikurik@blue.ocn.ne.jp (林 望事務所)
までおねがいします。

タンゴの演奏会へのお誘い

さて、いよいよ夏も終わり、芸術の秋、音楽の秋、であります。
 まずは11月22日の日曜日に、ごらんのようなコンサートをいたします。もともとタンゴ・マドンナは、安田紀生子さん(ヴァイオリン)、賀川ゆう子さん(ソプラノ)、二宮玲子さん(ピアノ・編曲・作曲)の三人が結成した、クラシック音楽のプロたちによるタンゴユニットなのですが、かねて二宮さんとは、オペラ『MABOROSI』での作劇・作曲でご一緒したというご縁もあり、このユニットのレパートリーに日本語の詩を付けてほしいということでお手伝いしたところ、それならついでに歌ってみてはどうかということにもなり、先日、7月18日に、荻窪のサロンで試演ライブをやったところでした。
 その旗上げの本公演が上記のコンサートで、私も二、三曲ヴォーカルでも参加することになっています。今のところ、確実に歌う曲目は、カルロス・ガルデルの『Por Una Cabeza』邦題は『こいつぁだめさ』として、自ら訳した日本語詩で歌います。また、アストル・ピアソラの『リベルタンゴ』にも、日本語の詩をつけ、これは賀川さんとのデュエットで歌うことになっています。現在、他の曲も作詩中で、もう少し曲目が増えるかもしれません。ともあれ、ちょっと都心からは離れていますが、日曜日ですので、郊外散歩かたがた、ぜひ聞きにおいでください。お問い合わせは、
  090-5767-7305 安田さん
  090-5438-7538 賀川さん
 もしくは、当林望事務所までお問い合わせください。

2015年9月5日土曜日

新秋の信濃路



 夏じゅう平家物語と格闘していた信濃大町の山荘での生活も終え、昨日東京に戻ってきた。やはり信州から戻ってくると、東京の空気はどんよりとして蒸し暑く重い。
 もう信州の野はすっかり秋の佇まいで、じつに美しくどこか寂しげであった。上の写真は、信濃大町から山道を辿って長野のほうに少し行った山中の村、美麻(みあさ)のそば畑である。いまは蕎麦の真っ白い花が盛りで、その清潔な美しさは比類がない(私は一面のラベンダー畑だの、芝桜の丘、なんてのにはまるっきり何も感じないのだが、こういう風景には非常に感銘を受ける)。以前は蕎麦も輸入ものが多かったかと思うが、近年は信濃はどこもここも蕎麦畑が増えた。おそらく蕎麦の自給率もかなり改善されたことと推量される。これには、地粉での手打ち蕎麦店が夥しく増えたことや、蕎麦を食べる人の口が肥えて来たことも与って力があるのであろう。この白い花から香り豊かな信濃の蕎麦ができる。秋は新蕎麦の季節でもある。
 下の写真は、もう少し長野に近い山奥の鬼無里(きなさ)村の風景である。いままで鬼無里は音にのみ聞いて行ったことがなかったので、今回一人山道を運転して初めて見参。山奥だが、なかなか素敵なカフェなどもあって、よいところだった。その村の外れの道ばたでは、もうススキがさかんに穂を風に揺らせていた。ちょっと前までは、日本国中セイタカアワダチソウなんて外来植物が幅をきかせていたものだったが、最近はまた段々ともとのススキの野に回帰してきたような気がする。やはり秋はススキとアキアカネである。
 清爽な空気が、はや秋冷という感じになりつつある信濃を後に、東京にもどって、はやくも信州を懐かしんでいるところである。