このところ、いろいろな方から、素敵な野菜をたくさん頂戴する。まことにありがたいことである。
この巨大なるものは、かの夕顔の実である。すなわち、干瓢の材料になる野菜だが、干瓢はいくらも食べたことがあるけれど、生の夕顔は、ふつう東京の八百屋さんには売ってないので、いまだに料理したことも食べたこともなかった。それが、こたび、糸魚川のほうから送っていただいた。さてこれをどうして食べるかと、考えた末に、ほんの三分の一ほどを切り取って、皮を剥いたあと、ピーラーで薄く削ってから、電子レンジで10分ほど加熱して脱水し、それを油揚げと一緒に炒め煮にした。いやあああああ、じつに美味しい。干した干瓢を戻して煮たのよりずっとこの生のほうが風味がよい。すこしぬめっとして、こりこりと歯ごたえがあって、まことに結構なものであった。東京のスーパーでも売ればいいのになあ。
夕顔を煮て飯炊いて佳き日なり 宇虚人
2012年9月15日土曜日
久保ファームの蓮根
残暑は依然として収まる気配がないが、きょう、やっと今年の新レンコンの第一回が入荷した。
例によって、まいど贔屓にしている久保ファームのレンコンである。
去年は、一番肝心のときに台風にやられたとかで、作柄がイマイチだったとのことだが、今年は、台風も来ず、よい作柄と見える。
かねて、お盆すぎには、新物の収穫に入るので、そしたら送って欲しいと頼んでおいたのが、稍遅れて、きょうが今年の第一回となった。
クール便で送られてきた段ボールの箱を開けると、なかには、青々として瑞々しい蓮の葉に包まれた美しいレンコンがみっちりと入っていた。この蓮の葉の色の美しいこと、つい嬉しくなって葉もレンコンももろともに写真に撮った。
そして今晩、一本をオリーブ油でソテーして食べたが、充実して素敵なレンコンであった。これからは梨とレンコンの季節で、いずれも気管支の妙薬ゆえ、嬉しい季節になった。
例によって、まいど贔屓にしている久保ファームのレンコンである。
去年は、一番肝心のときに台風にやられたとかで、作柄がイマイチだったとのことだが、今年は、台風も来ず、よい作柄と見える。
かねて、お盆すぎには、新物の収穫に入るので、そしたら送って欲しいと頼んでおいたのが、稍遅れて、きょうが今年の第一回となった。
クール便で送られてきた段ボールの箱を開けると、なかには、青々として瑞々しい蓮の葉に包まれた美しいレンコンがみっちりと入っていた。この蓮の葉の色の美しいこと、つい嬉しくなって葉もレンコンももろともに写真に撮った。
そして今晩、一本をオリーブ油でソテーして食べたが、充実して素敵なレンコンであった。これからは梨とレンコンの季節で、いずれも気管支の妙薬ゆえ、嬉しい季節になった。
2012年9月5日水曜日
ギプスは取れたけど
どうも困った。
かねて、お医者様からそのように伝えられてはいたのだが、やっとギプスをはずしたら、案の定、指先がちょっと曲ってしまって、まっすぐにはならないのであった。これで普通だというのだが、さてさて、脳味噌のほうは、まっすぐな指先の位置を記憶しているので、どうしても、なにかしようとすると、指先の見当が狂ってひっかかってしまう。それで、またまたイテテ、ということになるので、もうしばらく、注意して暮しながら、脳味噌の記憶が修正されるのを待たなくてはならぬなあ。ああ、人間の体というものは、ほんとに微妙な精密なものだとつくづく思い知った。
ホウタイを取れば指先に秋風 宇虚人
かねて、お医者様からそのように伝えられてはいたのだが、やっとギプスをはずしたら、案の定、指先がちょっと曲ってしまって、まっすぐにはならないのであった。これで普通だというのだが、さてさて、脳味噌のほうは、まっすぐな指先の位置を記憶しているので、どうしても、なにかしようとすると、指先の見当が狂ってひっかかってしまう。それで、またまたイテテ、ということになるので、もうしばらく、注意して暮しながら、脳味噌の記憶が修正されるのを待たなくてはならぬなあ。ああ、人間の体というものは、ほんとに微妙な精密なものだとつくづく思い知った。
ホウタイを取れば指先に秋風 宇虚人
2012年8月28日火曜日
やれやれ
まことに人間の体というものは、微妙なバランスの上に成り立っているものだと、つくづく痛感している。
かねて負傷中の左手の薬指は、まだ治らないが、もう固定して一ヶ月と十日ほどたった。この間、他の指には異常な負荷とモーメントがかかるものと見えて、このところは、あちこちの関節に異常な痛みが発生して、もう、ほんとに困りはてているところである。
とくに今日は、親指の付け根の関節にひどい痛みが発生して、ほとんど物を持つこともままならぬ有様となった。
これでは困るので、明日にでもまた「手の外科」の門をたたこうかと思っているのだが、なにしろ、もとの腱断裂がなかなか治らないのが困る。
一種の老化現象であろうけれど、なんとかならぬものかなあ。イテテ。
2012年8月27日月曜日
詩のしごと
私は、高校生のころに、詩人になりたいと思っていた。けれども、詩人になるのは簡単ではないので、国文学者になった。それでも、詩を書くことは、私の心の癖であって、歩いていても、旅していても、風呂に浸かっていても、いつも澎湃として詩が心にわきおこる。詩魔のようなものが心に住んでいるのである。そこで芸大に奉職するようになってから、歌曲や合唱曲などのために、おびただしい詩を書いてきた。写真は、そういう詩業のなかの一部分である。『新海潮音』は、イギリス古今の恋愛詩を私なりに訳したもので、それぞれの時代に相応しい日本語で古典的に訳してある。そのむこうの『あんこまパン』は、CDブックで、『あんこまパン』『めぐる季節に』『ゆけ、わが想い』の三作品(いずれも伊藤康英作曲)を楽譜CDとも一冊にまとめておさめてある。なかでも、『あんこまパン』は、私の愛唱歌で、もうずいぶんあちこちの舞台で歌ってきた。左のほうのCD二枚は、『夢の意味』『鎮魂の賦』を収めた東京混声合唱団の録音で、いずれも上田真樹作曲、いまや合唱界のスタンダードになってきた感がある。その下の『美しい星に』は、佐藤眞さん作曲の合唱組曲で、那須野が原ハーモニーホールの委嘱作品。このほかに、佐藤さん作曲の作品には『いきてゆく』という江戸川少年少女合唱団の委嘱作品がある。それから『夢の意味』の楽譜。さらに、詩画集『夕暮れ巴水』が、いちばん向こう側に置いてある。
今私は、新しい抒情歌集『ふるさとへ』を作詩したところで、これは来年の春に佐野成宏さんのリサイタルで初演される予定である。こういう仕事の延長線上に、新作能『聖パウロの回心』や、オペラ源氏物語『MABOROSI』などの仕事があるのである。今も、詩を書いているときが、いちばん楽しい。
2012年7月31日火曜日
善光寺
七月最後の週末は、長野の善光寺表参道での講演会に出向いた。
善光寺境内、大本願の地下ホールに、大勢のかたがたが集まってくださって、私の話に耳を傾けられた。
今回は、『古典文学と地名と魂』というテーマで90分の話をした。
主に『古今集』巻二十の大歌所御歌にスポットを当てながら、『万葉集』や能楽、『大和物語』など、さまざまの古典作品にわたって材を採りつつ、いかに日本の地名には大切な魂が宿っているか、そしてそれを和歌などに読むことにどんな意義があるか、ということを語った。
信濃での講演なので、シナノという地名のことや、信濃の東歌などにも話を及ぼした。
さて、写真は、その講演に先立って、少し時間があったので、車を駆って、近在を見物して歩いた。その道々、旧北国街道の北側にひっそりと静まっている田子池という池に遭遇した。この池は釣りをする人には良く知られているらしいが、北岸には古墳などもいつくかあって、由緒のある古い池と見える。
岸辺には林檎の木が繁り、はやくも青い林檎がたくさん実っていた。
素晴らしい好天で、非常に暑い日であったが、この写真からも、強い紫外線のありようが見て取れるようだ。
緑が滴るようであった。
善光寺境内、大本願の地下ホールに、大勢のかたがたが集まってくださって、私の話に耳を傾けられた。
今回は、『古典文学と地名と魂』というテーマで90分の話をした。
主に『古今集』巻二十の大歌所御歌にスポットを当てながら、『万葉集』や能楽、『大和物語』など、さまざまの古典作品にわたって材を採りつつ、いかに日本の地名には大切な魂が宿っているか、そしてそれを和歌などに読むことにどんな意義があるか、ということを語った。
信濃での講演なので、シナノという地名のことや、信濃の東歌などにも話を及ぼした。
さて、写真は、その講演に先立って、少し時間があったので、車を駆って、近在を見物して歩いた。その道々、旧北国街道の北側にひっそりと静まっている田子池という池に遭遇した。この池は釣りをする人には良く知られているらしいが、北岸には古墳などもいつくかあって、由緒のある古い池と見える。
岸辺には林檎の木が繁り、はやくも青い林檎がたくさん実っていた。
素晴らしい好天で、非常に暑い日であったが、この写真からも、強い紫外線のありようが見て取れるようだ。
緑が滴るようであった。
2012年7月18日水曜日
とんだ災難
人間、どこに災難が転がっているか、まったくわからぬ。
今朝、ズボンをはこうとした瞬間、なにやらポキッっという音がして、左手の薬指が鉤の手に曲ったまま伸展しなくなってしまった!
慌てて「手の外科」という看板を出している整形外科へ駆けつけて、調べてもらった結果、これは左手薬指の腱が断裂しちゃったので、ギプスで固定して約二ヶ月ほど、腱がまた再生するのを待つべし、とのこと。
このクソ忙しいのに、まったく不自由だけれど、こればかりはなんとも仕方がない。別にたいして力を加えたわけでもないのに、と思うけれど、お医者さまの言うには、なにかの拍子に、プツッと切れたりするものなのだそうだ。
ま、運が悪かったというほかないが、それでも、丁寧に対応すれば自然に再生して治るというので、ホッとした。
今朝、ズボンをはこうとした瞬間、なにやらポキッっという音がして、左手の薬指が鉤の手に曲ったまま伸展しなくなってしまった!
慌てて「手の外科」という看板を出している整形外科へ駆けつけて、調べてもらった結果、これは左手薬指の腱が断裂しちゃったので、ギプスで固定して約二ヶ月ほど、腱がまた再生するのを待つべし、とのこと。
このクソ忙しいのに、まったく不自由だけれど、こればかりはなんとも仕方がない。別にたいして力を加えたわけでもないのに、と思うけれど、お医者さまの言うには、なにかの拍子に、プツッと切れたりするものなのだそうだ。
ま、運が悪かったというほかないが、それでも、丁寧に対応すれば自然に再生して治るというので、ホッとした。
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