2012年11月30日金曜日

冬じまい

ことしはまた寒い冬になると予報が出た。
例年、12月になると、山梨県の白州にある山荘の冬じまいに行くのだが、今年は、少し早めにしまいにいった。寒波がくると、どうかすると水道が凍ってしまうこともあるので、『謹訳源氏物語』第九巻を脱稿してすぐに、片づけにいったのである。
白州は、もうすっかり初冬のたたずまいで、紅葉はほとんど終りに近く、地面には一面に枯葉が散り敷いていた。そのふかふかとする落葉を踏んで、家の回りを掃除し、水道などの始末をする。それはまたそれで、ちょっとした風情がある。
もうこのところ、忙しくてなかなか山荘へ骨休めに行く事もできないので、毎年三月の末に山荘開きに行き、十二月の初めに冬じまいに行くというだけのことで、じっさいには滞在して休日を楽しむこともできないのは非常に残念な気がする。ここはとても良いところで、行けば空気が良く、風景も静謐でなんともいえない。冬には、薪ストーブなど燃やして、炎を眺めているだけで格好のリラクゼーションになるのだが・・・。
それで、この頃は、この家を売ろうかなあと、夫婦でいつも相談するのだが、いざこうして行ってみると、やっぱり居心地がよくって、なかなか売れないなあと言いながら帰ってくる。
『謹訳源氏物語』も、来年の春には全巻完成の予定なので、それが成就したら、夏でも秋でも、すこしまとめて骨休めに行こうかなと、せめて今はそれを楽しみにしているところである。

2012年11月12日月曜日

曽根新田

すっかり更新をせぬまま、とうとう十月も過ぎ、はや霜月となってしまった。
もう冬である。この間私は、謹訳源氏の書き上げに全力を傾注しながら、しかし、秋とあって講演の仕事も多く、東奔西走のなかで、ほとんど休みなく仕事に没頭していたというのが本当のところ、じっさい、さすがの私も相当に疲労困憊の日々が続いている。
さるところ、十月の月末は神戸まで源氏の話をしに出向き、この週末はまた、北九州の小倉にある北九州市立大学まで、こんどは知性論的な話をしに行ってきた。さすがに九州ともなると、車ではいかない。飛行機で行ったのだが、帰りには全日空の最新鋭機、話題のB787に初めて搭乗し、じつに快適なるフライトであったし、またサービスも全日空はまさに痒い所に手が届くという行きかたで、日航はまだこのレベルには達していないという実感がある。
さて、写真は、講演までの時間が少しあったので、小倉のすぐ南にある曽根新田のあたりを逍遥してきた時の一枚で、遠くに見える橋は、北九州空港への連絡橋である。その連絡橋近くまで、はるかに潮が引いて、広大な干潟が現れているのが見て取れる。このあたりは、この干潟を目当てに白鷺などの鳥も多く集まり、なかなか豊かな自然が残されている。そしてまた、岩牡蛎などの養殖もだいぶ盛んに行われているらしい。こういう干潟を見ていると、ここに息づく無数の生物の息吹のようなものがそこはかなく感じられて、心の慰安を感じるのである。

2012年9月18日火曜日

夕顔はおいしい

このところ、いろいろな方から、素敵な野菜をたくさん頂戴する。まことにありがたいことである。
この巨大なるものは、かの夕顔の実である。すなわち、干瓢の材料になる野菜だが、干瓢はいくらも食べたことがあるけれど、生の夕顔は、ふつう東京の八百屋さんには売ってないので、いまだに料理したことも食べたこともなかった。それが、こたび、糸魚川のほうから送っていただいた。さてこれをどうして食べるかと、考えた末に、ほんの三分の一ほどを切り取って、皮を剥いたあと、ピーラーで薄く削ってから、電子レンジで10分ほど加熱して脱水し、それを油揚げと一緒に炒め煮にした。いやあああああ、じつに美味しい。干した干瓢を戻して煮たのよりずっとこの生のほうが風味がよい。すこしぬめっとして、こりこりと歯ごたえがあって、まことに結構なものであった。東京のスーパーでも売ればいいのになあ。
  夕顔を煮て飯炊いて佳き日なり   宇虚人

2012年9月15日土曜日

久保ファームの蓮根

残暑は依然として収まる気配がないが、きょう、やっと今年の新レンコンの第一回が入荷した。
例によって、まいど贔屓にしている久保ファームのレンコンである。
去年は、一番肝心のときに台風にやられたとかで、作柄がイマイチだったとのことだが、今年は、台風も来ず、よい作柄と見える。
かねて、お盆すぎには、新物の収穫に入るので、そしたら送って欲しいと頼んでおいたのが、稍遅れて、きょうが今年の第一回となった。
クール便で送られてきた段ボールの箱を開けると、なかには、青々として瑞々しい蓮の葉に包まれた美しいレンコンがみっちりと入っていた。この蓮の葉の色の美しいこと、つい嬉しくなって葉もレンコンももろともに写真に撮った。
そして今晩、一本をオリーブ油でソテーして食べたが、充実して素敵なレンコンであった。これからは梨とレンコンの季節で、いずれも気管支の妙薬ゆえ、嬉しい季節になった。

2012年9月5日水曜日

ギプスは取れたけど

どうも困った。
かねて、お医者様からそのように伝えられてはいたのだが、やっとギプスをはずしたら、案の定、指先がちょっと曲ってしまって、まっすぐにはならないのであった。これで普通だというのだが、さてさて、脳味噌のほうは、まっすぐな指先の位置を記憶しているので、どうしても、なにかしようとすると、指先の見当が狂ってひっかかってしまう。それで、またまたイテテ、ということになるので、もうしばらく、注意して暮しながら、脳味噌の記憶が修正されるのを待たなくてはならぬなあ。ああ、人間の体というものは、ほんとに微妙な精密なものだとつくづく思い知った。
  ホウタイを取れば指先に秋風   宇虚人

2012年8月28日火曜日

やれやれ


まことに人間の体というものは、微妙なバランスの上に成り立っているものだと、つくづく痛感している。
かねて負傷中の左手の薬指は、まだ治らないが、もう固定して一ヶ月と十日ほどたった。この間、他の指には異常な負荷とモーメントがかかるものと見えて、このところは、あちこちの関節に異常な痛みが発生して、もう、ほんとに困りはてているところである。
とくに今日は、親指の付け根の関節にひどい痛みが発生して、ほとんど物を持つこともままならぬ有様となった。
これでは困るので、明日にでもまた「手の外科」の門をたたこうかと思っているのだが、なにしろ、もとの腱断裂がなかなか治らないのが困る。
一種の老化現象であろうけれど、なんとかならぬものかなあ。イテテ。

2012年8月27日月曜日

詩のしごと


 私は、高校生のころに、詩人になりたいと思っていた。けれども、詩人になるのは簡単ではないので、国文学者になった。それでも、詩を書くことは、私の心の癖であって、歩いていても、旅していても、風呂に浸かっていても、いつも澎湃として詩が心にわきおこる。詩魔のようなものが心に住んでいるのである。そこで芸大に奉職するようになってから、歌曲や合唱曲などのために、おびただしい詩を書いてきた。写真は、そういう詩業のなかの一部分である。『新海潮音』は、イギリス古今の恋愛詩を私なりに訳したもので、それぞれの時代に相応しい日本語で古典的に訳してある。そのむこうの『あんこまパン』は、CDブックで、『あんこまパン』『めぐる季節に』『ゆけ、わが想い』の三作品(いずれも伊藤康英作曲)を楽譜CDとも一冊にまとめておさめてある。なかでも、『あんこまパン』は、私の愛唱歌で、もうずいぶんあちこちの舞台で歌ってきた。左のほうのCD二枚は、『夢の意味』『鎮魂の賦』を収めた東京混声合唱団の録音で、いずれも上田真樹作曲、いまや合唱界のスタンダードになってきた感がある。その下の『美しい星に』は、佐藤眞さん作曲の合唱組曲で、那須野が原ハーモニーホールの委嘱作品。このほかに、佐藤さん作曲の作品には『いきてゆく』という江戸川少年少女合唱団の委嘱作品がある。それから『夢の意味』の楽譜。さらに、詩画集『夕暮れ巴水』が、いちばん向こう側に置いてある。
 今私は、新しい抒情歌集『ふるさとへ』を作詩したところで、これは来年の春に佐野成宏さんのリサイタルで初演される予定である。こういう仕事の延長線上に、新作能『聖パウロの回心』や、オペラ源氏物語『MABOROSI』などの仕事があるのである。今も、詩を書いているときが、いちばん楽しい。