2015年2月18日水曜日

Bandits

あっというまに月日が経って、もう二月も後半になってしまいました。
相変わらず、バタバタと忙しくしています。
現在は、『謹訳平家物語』の執筆に力を注いでいますが、これは全部で四巻の予定で、その第一巻は、原典の巻1から巻3までの三巻を収めています。今回のは、ほんとうに掛け値なしの「朗読台本」という文体で書いています。たぶん、遅くとも5月には第一巻が刊行になると思いますが、早ければ4月中に間に合うかもしれないと思っています。
さて、そんな日常のなかの楽しみは、いつもながら、隣にすんでいるアメリカン・ボーイズ(孫息子)たちで、毎日毎日疾風のごとくやってきては、さんざんに食べたり飲んだり、遊んだり、そして部屋中をカオス状態にして、また疾風のごとく、さっと引き上げていきます。
ある朝のこと、私たちの食堂のテーブルの上に、こんな紙が置かれていました。
 We got your bread, BANDITS(サイン)
これは、孫どもの隊長、長男のタイタス(六歳)が書いて置いていったもので、どうやら昨夜焼き上げてそこに置いておいたパンを、朝一番にやってきてさっさと持って行ってしまったと見えます。なにしろよく食べるので、一斤くらいのパンは、あっという間にかれらの胃袋に消えてしまい、私どもはまた一から焼きなおすという日々です。このBANDITSというのは「盗賊」というほどの意味です。
どうやら、かわいい三人の盗賊が我が食堂を襲撃して、そこに置いてあった焼きたての美味しいパンを強奪していったらしいのでした。はははは。朝起きて、おもわず微笑まざるを得ない、こういうことが人生の晩節には何より楽しいできごとかもしれません。その意味で幸いな人生を、私は感謝しているところです。

2015年1月19日月曜日

しのびねしふ


 第一句集、「しのびねしふ」(忍び音集)が出ます。
 目下のところ、『謹訳平家物語』(当初は『活訳平家物語』という題名にしようと思っておりましたが、謹訳、ということで統一することにいたしました。同時に、雑誌『観世』には、『謹訳能の本』を連載中でもありますし・・・)の執筆に全精力を傾けているところですが、さるなかにも、いままで四十年ほどに亘って作ってきた俳句のなかから、四百句を選んで句集を出すことにいたしました。それがここもとお目にかけます、『しのびねしふ』です。「忍び音」というのは、ホトトギスやウグイスが、まだ鳴き慣れぬころに、ひそやかな声で試しに鳴くことをいいます。じつは、もう長いこと、私は手元に「しのびねしふ」と題したファイルを作って、和歌、詩、俳句、訳詩、俳文などを興の至るに従って書きつけてまいりました。いままでまったく非公開で、ただ独り面白がっていたに過ぎないのですが、いつかはそのなかの俳句を選んで句集をつくろうと思っていました。それは還暦の時にと思っていたところ、還暦のときは『謹訳源氏物語』にかかりきりとなって、その余裕もなかったために、果たせませんでした。しかし、それも完成し、主宰する句会「夕星俳座(ゆふづつはいざ)」もそろそろ満四年を迎えようかという今、やっと実現に及んだという次第です。刊行は祥伝社が引き受けてくれました。
 そうして、ご覧のように、世の中の句集のイメージを覆すような、まことに素敵な書姿をまとった本として世に出ることになりました。この装訂は、現代デザイン界の巨匠、太田徹也先生がお引き受けくださいました。実際に手にとってご覧になるとわかりますが、「手に持つことの快楽、所持する嬉しさ、Objectとしての『書物』の楽しさ」を実感させてくれる、素晴らしいデザインとなりました。私自身も太田先生のデザインの「力」に、あらためて感服しているところです。
 大手の書店、またアマゾンなどでも、ぜひお買い求めくださいますよう、お願いを申し上げる次第です。定価は税抜きで1800円でございます。
 「宇虚人」は、私の俳号です。その意味は、本書のなかに書いてございますので、ここでは述べないことに致します。
 まもなく、二月の頭には店頭に並ぶことと思います。ぜひ、店頭でご覧くださいませ。
 アマゾンでは次のところを御覧ください
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=カタカナ&url=search-alias%3Daps&field-keywords=しのびねしふ

2015年1月3日土曜日

2015年新春のご挨拶


 まずは、

 新年あけましておめでとうございます。

 またもや、超過密スケジュールに追いまくられているうちに、すっかりアップデートをサボっておりまして、申し訳ありませんでした。
 おかげさまで、無事越年いたし、元気にお正月を過ごしています。
 ことしは、なにはともあれ、『活訳平家物語』の執筆と刊行に明け暮れるという予定で、現在もその書き下ろしに邁進しております。たぶん、4月には第一巻が刊行できるだろうと考えていますが、なにぶんともまだ書き上がっておりませんので、これからねじり鉢巻というところです。
 そんなわけで、みなさまご恒例の、アカシロ歌合戦とやらいう番組も一切見ることなく(しかし、見たくもないねえ、あんな馬鹿らしい番組は)ひたすら書斎に籠城して平家物語と対話するうちに年が明けました。
 正月元旦といっても、今は何もせず、ただ何もなくてもつまらないので、今年はオイシックスという会社からお節セット(ただし冷凍で届く)を取り寄せて、アメリカ人の婿殿に日本のお節料理とはなにかを味わわせるセレモニーだけはいたしました。上の写真がそのお節三段重のセットで、ほんのお印ばかりの量の、しかしおびただしい種類のおせち料理が詰めあわされています。コチコチに凍った冷凍便で届くので、大晦日から解凍を試みたのですが、解けず、結局電子レンジでチンするというお粗末。ただし、自分では、鶏ガラ鰹出汁の林家伝統の雑煮だけは作りました。
 むかし両親の健在であった時分には、兄弟眷属みな料理など持ち寄って盛大に賑やかに正月を祝い、お正月は楽しい思い出となっていますが、今はまったく様変わりです。林家では、「芋玉」というのと、「黒豆」は、必ず作るお節料理だったのですが、今年はそれも作らずに終わりました。
 元旦は、ひたすらひたすら年賀状の返事書きに明け暮れて、他のことはなにもできません。
 これであっという間にお正月も終わり、松も取れ、また忙しく暮らしているうちに、一年など、瞬く間に過ぎるのでありましょう。年々歳々時間の進みは早くなるような気がします。
 今年は5月20日に金沢アートホールで、北山吉明先生(外科医でテノール歌手)と二回目のジョイント・チャリティ・コンサートを開催の予定で、そのための練習などにこれから本腰を入れます。今年は戦後七十年にちなんで、「戦前の歌、戦後の歌」というテーマで、童謡・歌謡曲・歌曲さまざま熱唱いたします。
 ともあれ、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2014年11月22日土曜日

鎮魂の賦

ことしは、不思議に私の作詩した合唱作品の当たり年になった。
じつは本日、11月22日の午後五時から、慶応義塾大学ワグネルソサエティ男声合唱団の定期演奏会があるのだが、そのなかで、上田真樹作曲『鎮魂の賦』(朝日作曲賞受賞作品)の男声合唱版が初演される。
そこで、先日、そのワグネルの練習に立ち会って、いろいろ作詩者からのアドバイスやら、詩についての解説やらをしてきた。
いままで、何度かこの曲の演奏を聞いてきたが、この度のワグネル初演の男声合唱版こそは、じつはこの曲のもっとも適切な演奏形式ではないかと思わせてくれるような、素晴らしい演奏(まだ練習途上であったにもかかわらず)であった。
さすがに畑中良輔先生が生涯指導を続けてこられた、合唱界の一方の雄であるワグネルである。今回この鎮魂曲を取り上げるのは、ほかならず畑中先生に献呈するという意味合いも込めたよしである。
じっさい、練習に立ち会ってみると、底響きのする、そしてまた倍音の豊かに聞こえる厚みある演奏、学生諸君の気合の入った練習ぶりに、私は聴いていて落涙を禁じ得ないところであった。
本日の夕刻五時開演(人見記念講堂)の本番演奏をすこぶる楽しみにしているところである。
と同時に、面白いことに、ことしは筑波大学合唱団が創立40年記念定期演奏会を開くについて、現役合唱団は、同じく上田真樹作曲『夢の意味』を、またOBOG合唱団は、私の詩に、なかにしあかねさんが作曲した『ひとつの時代』という委嘱新作を初演するというので、これは、先日その練習に立ち会って、さまざまのアドバイスをしてきたところである。これまた、なかにしさんの作曲素晴らしく、短いながら(三曲構成)愛すべき作品となっていて、12月7日浅草公会堂の本番が楽しみである。近く、その現役合唱団の『夢の意味』についても練習立ち会いの予定で、はるばる筑波まで出向くことになっている。
と思っていたら、次にまた青山学院のグリーンハーモニー合唱団(混声)が、『鎮魂の賦』混声版を、12月29日午後三時開演の第六十回記念定期演奏会(人見記念講堂)で演奏するという連絡が指揮者から入り、指導を受けたいという希望に応えて、急遽その練習に立ち会うことになった。今日はその青山学院での練習立ち会いのあと、ワグネルを聴きに行く予定である。忙しいながら、楽しい一日である。
写真は、ワグネルの練習のあと、指揮者、伴奏者、作曲者、学生代表、OB会長らと会食の折の記念撮影。私の左側の女性が作曲の上田真樹君。右隣が指揮者の佐藤正浩氏、後ろに立っているワイシャツ姿がピアノ伴奏の前田勝則氏。

2014年11月3日月曜日

MIYABICA

去る10月19日、代々木の修養会ビルなるSYDホールにおいて、高牧康と東京ベルズの歌のコンサートが開かれた。
今回のコンサートは、このたび、ディスク・クラシカから新発売になった、彼らのCD『MIYABICA(雅歌)』のリリースを記念してのものであったから、CDに収められたすべての曲目を総ざらえに歌うというプログラムであった。
このMIYABICAというのは、私が新たに訳出した新訳日本語詩による外国曲(ちょっとエロス的な味わいがある歌ども)というコンセプトの謂いである。古いところでは、ダウランドやウィルビーの、あるいはジャヌカンやラッススなどの、ポリフォニックな重唱曲、新しいところでは、サン=サーンスやエルガーの合唱曲、さらには、高牧君自作の新曲など、まことに広いレパートリを包括するものである。もともと彼らは原語の演奏でさまざまの賞などを受けている実力派の重唱団であるが、このCDを制作するにあたって、ぜひ日本語に訳したヴァージョンで歌いたいという高牧君の熱い思いにこたえて、私は、あらゆる手練手管を尽くして、原詩に忠実でありながら、かつ聞き取りやすく、かつエロス的な艶があるようにと心を込めて訳詩を作った。
もともとアカペラの重唱団としては、日本有数の実力を認められているベルズの諸君のことゆえ、コンサートでは、この新しい日本語詩を縦横に歌いこなして、それはそれは見事な演奏であった。
このCDについては、下記のディスククラシカのサイトでご覧いただきたい。

 http://www.disc-classica.jp/lineup/takamaki_bells.html

ところで、その記念演奏会に、私はプロデューサの仙波知司さんと、ド突き漫才よろしく掛け合いの「解説」などすることになっていたのだが、なんと前々日くらいになって、高牧君から、どうしてもアンコールで一曲歌ってくれないかという要望が来た。それは困ると辞退したのだが、そこをなんとか、という重ねての要望もだしがたく、ついにこれを諾して、当日は、ダウランドの「Fine knacks for ladies」と、ヘンリー八世の「Pastime with good company」の二曲を彼らと一緒に英語で歌わせてもらうことにした。前者は、一番を私が独唱し、三番はアンサンブルで私はバスパートを歌う、ということで。また後者はかれらのアンサンブルとともに、私は旋律パートを歌うということにした。
写真は、そのリハーサル風景である。あまりに急なことで練習もできぬままの本番、私にしては珍しく緊張してしまった。ま、しかしそれもご愛嬌というものであったろうか。
どうかみなさま、このCD「MIYABICA」をよろしくお願いいたします。
(この日本語詩版の楽譜など出るといいなあ!)


2014年10月18日土曜日

薩摩の旅

ひさしぶりに薩摩に行ってきた。鹿児島市の城山観光ホテルが主催する維新回顧のイベントの一環で、『薩摩スチューデント』(1865年に薩摩藩がイギリスに送り込んだ15人の俊才留学生)のことを話してきたのである(くわしくは拙著歴史小説『薩摩スチューデント、西へ』光文社文庫をご一読ください)。所与の時間は60分という予定であったけれど、なにしろ15人もいる留学生のことを話すには足りない時間で、すこしオーバーして極力詳しく話した。
講演の前に数時間の閑暇があったので、ひとつは地元鹿児島テレビのインタビューを収録したのと、南日本新聞の取材で、磯の異人館に行って写真撮影、そしてそのあと、ご当地名物「ぢゃんぼ餅」をご馳走になった。この「ぢゃんぼ」というのは「両棒」と書いて「リャンボウ」と読んだのの転訛であろうと思われる。ご覧のように、一つの餅に二本の棒(串)が挿してある。それでこう呼ぶので、別にJamboではなく、むしろ小さなミタラシ餅と言うべきものであった。ただし、生地はミタラシ団子よりだいぶソフトで、よく伸びる。それでも一人前が写真の一皿なので、よほど大量である。これ一皿でずいぶん満腹してしまうが、もとは海水浴の人たちのためのおやつだったそうで、ヴォリュームがあるのはそのためだそうである。写真は異人館ちかく(そこがこの餅の発祥の地という)の平田屋という老舗で、その餅をやっつけているところである。これがなかなか美味しかった。

なんといっても鹿児島のピカイチのお菓子は、この加治木饅頭であろう・・と私は勝手に思っている。ヤワヤワとして、ペトペトとして、上品に甘く、暖かく、薄っぺらく造形してあるので食べやすくもある。私はこれが大好物で鹿児島に行ったら買わずには置かない。
今回の旅でも三軒の加治木饅頭を試みた。そのうちのひとつ岡田商店(加治木駅前)のそれを写真にとった。これもなかなかおいしかったが・・・、

数多い加治木饅頭屋のなかで、私がもっとも愛してやまないのは、この写真の店、すなわち新道屋(しんみちや)のそれである。ここは、毎日午前中で売り切れてしまうので、ホテルから出て、いの一番に買いにいった。そうしたら、もうすでに長い行列ができていて、三十分ほどもまたなければ買えないという盛況であった。新道屋の店は、小さなガラス窓で閉じられ、それが時々開いて、なかからお店の人が顔をだす。そしたら、注文だけして待つ。その間、くだんの注文窓は常にピシャリと閉じられている。まるで売ることを拒否するような風情だが、いやいやそうでない、これは室内の蒸気が逃げて饅頭が乾燥するのを防ぐという目的があって、こういう販売形態になっているよし。しかも「手作りの饅頭が三分に一回、二十個ずつ蒸し上がる」というわけで、じっくりとまたなくてはならない。なにごとも忍耐である。
私も列にならんで待つこと三十分、やっと自分の番になったので、十五個買った。うちは大家族なので、このくらい買わないと追いつかない。
出てきた饅頭は蒸したてとあって、手に持てないほど熱い。これをエイヤッとかばんに入れて、それから夕方まであたりを逍遥し、東京に着いたのがおよそ六時半、それから家に辿り着いたのは八時半になっていたが、なんとまだ饅頭は幽かに温かった。さっそく包を開いて舌鼓を打った。いやあ、うまい!
これは東京では絶対に買えないもので、鹿児島の加治木に行って、新道屋の店頭に午前十一時前には行って、行列して、忍耐して、やっと買えるのだ。しかしそれだけの努力と忍耐をする価値はたしかにある。それほどの美味であり、なおかつ一個が90円という安さで、じつにどうも結構至極である。
もし鹿児島に旅行をなさったら、ぜひこの新道屋の加治木饅頭を求めて食べてご覧になるがよい。なお、十五個買った饅頭は、家に帰った途端に、私は二個平らげ、娘婿も、妻も、みな二個ずつぺろりと食べてしまったので、即座に半分なくなってしまった。

それから、飛行機の時間まで、加治木、隼人、霧島のあたりをぶらぶらと当てもないドライブをした。
紅葉には少し早かったが、気候はよし、風景もなかなかのもので、束の間ながら、愉しいドライブだった。
途中、犬飼の滝というのに遭遇したが、どうしてどうして、立派な瀑布で、水量といい落差といい、一級品の滝であった。

2014年10月8日水曜日

飯田へ講演に

木曽の御嶽山が噴火をして大きな被害が出たことは、まことに心が痛むが、その御嶽も遠からぬ飯田へ4日に講演に行ってきた。
もしかして火山灰など降っていはせぬかと案じたが、風向きの加減か、この町にはとくに火山灰の被害などはないということであった。
講演は、源氏物語の世界を語るということで、予定の時間を若干オーバーして、二時間十分に亘って一生懸命話してきた。聴衆はとても熱心で、長い講演時間にもかかわらず、一心に耳を傾けてくださった。飯田は文学の盛んな土地柄らしく、もう長いこと続いている読書会の方々などがずいぶん聴きに来てくださったらしい。ありがたいことである。
講演に先立って、午前中に少し時間があったので、例によって車を駆って近在を見物して回った。そしたら、南原橋という高架橋にゆきあい、そこからは天竜峡が絵のように見事に見渡された。さっそく車を路傍に駐めて写真を撮りに歩いて戻ったが、いざ橋の真ん中まで行くと、そのあまりの高さに、高所恐怖症の著しい私はとても橋の欄干のところまでは近づくことができず、へっぴり腰になってすこし欄干から離れたところで写真を撮った。
なんでもこの辺りでは一番の高架橋で、年に何人も身投げをする人があるのだとか、後で聞いた。