まつりごとが乱れていると、天の怒りに触れるのであろうか、天変地異まことに常ならぬことばかり起こって、はなはだ不穏な時代と痛感せずにはいられない。
さて、四月の二十日に、富山の内藤クリニックの主催で、健康についての講演会が催され、今回は100回の特別講演ということで、私が呼ばれて『最期まで元気で暮らしたい』という題目の講演をしてきた。その主たる心は禁煙の勧めなのだが、なおまたそこに、高齢になったからとてなにも諦めるには及ばない、という生き甲斐の話も加味して話したことであった。
それを終えてから、今回は珍しく、源氏も書き終えての骨休めという意味で、近鄰魚津市の金太郎温泉という宿にもう一泊して二十一日の午後に帰京したのだが、あいにくと、この両日は非常に珍しい春の寒波到来で、中部高原地帯はすべて雪ということになった。
帰途について、北国街道を走っていると、「上信越道、雪のためチェーン等冬用装備規制」と電光掲示が出ている。ややや、これは困った。いかになんでも四月の下旬に雪はもうふらないだろうと、つい最近スタッドレスから通常タイヤに履き替えたばかりで、チェーンなども持参していない。
能生インターの事務所で聞いても、さっぱり道路状況は掴めていないとのことで、埒が明かぬ。近くの道の駅の案内に聞いても同じことで、むしろ高速よりも国道148号に回って、姫川、小谷経由で松本へ出て、中央高速で帰った方が安全かもしれぬという人もあった。とはいえ、この糸魚川街道も山深い谷あいを辿る山道で、雪のない保証はない。
結局しかし、あれこれとやっているうちに、規制は解除になったらしく、思いきって上信越道を通って帰ることにした。
なるほど、信濃町から軽井沢あたりまでは両側一面の雪で、路肩にもいくらか雪が積もっている。路傍の桜は満開なのに、地は一面の雪と、実に珍しい景色であった。
2013年4月14日日曜日
謹訳源氏物語、完成
いやはや、まことに永のご無沙汰にて、更新をさぼっておりましたこと、深くお詫び申し上げます。
じつは、かねて執筆中の『謹訳源氏物語』の、最終第十巻の書き上げに忙殺されておりましたので、更新の余裕なく、失礼をしたような次第です。
おかげさまで、その第十巻の最終帖、夢浮橋も、とうとう書き上げました。思えば2009年の8月1日に起筆してから三年半、2010年の3月に第一巻を刊行してから三年の間、すべてを犠牲にしてこの作品の完成に力を尽くしてまいりましたが、それも、やっと完成の日をむかえることができましたことは、まことに感無量であります。その間、東日本大震災やら、老父の死、妹の死、そして義父の死と、つぎつぎと近親の人を送り、最後のほうは狭心症の発作に襲われるやら、目が悪くなるやら、まさに命がけという実感のある仕事でありました。
しかし、天神地祇の加護か、御先祖さまのお護りか、無事最後まで書き上げることが出来ましたことは、なにより嬉しく有り難いことと思います。
そこで、この荒行のような厳しい仕事の完成を、学生時代からの親友二人が、祝ってくれることになり、昨日、久しぶりに三人会合して久闊を叙し、かつはまた世外の清談愚談に時を移したという次第です。
この二人の親友に恵まれたことは、私の人生の最大幸福事の一つですが、写真の右は田崎誠君、真ん中は奈蔵功修君、であります。二人とも慶應の経済学部を出て、それぞれ三菱商事と三井物産に就職し、今はほぼ悠々自適に近い生活をしています。もともと田崎君と私は、慶應義塾のクラシカルギタークラブの仲間で、学生時代から一緒にそこらじゅう旅行して回ったり、ごくごく親しい間柄であったのですが、その田崎君の学部に於ける友人が奈蔵君で、彼はどういうわけか、田崎君と一緒に、しばしばギタークラブの溜まり場に遊びに来ていて、そのうち、三人は刎頚の交を修したのでありました。
まさに、三人揃って元気に今日の会合を持ち得たのは、幸いなる哉人生、の実感があります。
私どもは、こうして会合しても、みな酒もタバコもやらないので、まことに清々颯々、座談は天地人三才に亙って汲めども尽きせぬ興趣があります。酔眼朦朧たる諸君にはとうてい味わい得ない閑雅脱俗の仙境と、私どもはそのように自負しているところであります。竹林の七賢人ならぬ、妙竹林の三愚人と、このように自称しております。
ともあれ、『謹訳源氏』の執筆完了をご報告し、あわせて皆さまのご鞭撻に深謝申し上げます。刊行は六月初旬の予定ですので、いましばらくお待ち下さい。
写真は、新宿の水炊き処『玄海』にて。
じつは、かねて執筆中の『謹訳源氏物語』の、最終第十巻の書き上げに忙殺されておりましたので、更新の余裕なく、失礼をしたような次第です。
おかげさまで、その第十巻の最終帖、夢浮橋も、とうとう書き上げました。思えば2009年の8月1日に起筆してから三年半、2010年の3月に第一巻を刊行してから三年の間、すべてを犠牲にしてこの作品の完成に力を尽くしてまいりましたが、それも、やっと完成の日をむかえることができましたことは、まことに感無量であります。その間、東日本大震災やら、老父の死、妹の死、そして義父の死と、つぎつぎと近親の人を送り、最後のほうは狭心症の発作に襲われるやら、目が悪くなるやら、まさに命がけという実感のある仕事でありました。
しかし、天神地祇の加護か、御先祖さまのお護りか、無事最後まで書き上げることが出来ましたことは、なにより嬉しく有り難いことと思います。
そこで、この荒行のような厳しい仕事の完成を、学生時代からの親友二人が、祝ってくれることになり、昨日、久しぶりに三人会合して久闊を叙し、かつはまた世外の清談愚談に時を移したという次第です。
この二人の親友に恵まれたことは、私の人生の最大幸福事の一つですが、写真の右は田崎誠君、真ん中は奈蔵功修君、であります。二人とも慶應の経済学部を出て、それぞれ三菱商事と三井物産に就職し、今はほぼ悠々自適に近い生活をしています。もともと田崎君と私は、慶應義塾のクラシカルギタークラブの仲間で、学生時代から一緒にそこらじゅう旅行して回ったり、ごくごく親しい間柄であったのですが、その田崎君の学部に於ける友人が奈蔵君で、彼はどういうわけか、田崎君と一緒に、しばしばギタークラブの溜まり場に遊びに来ていて、そのうち、三人は刎頚の交を修したのでありました。
まさに、三人揃って元気に今日の会合を持ち得たのは、幸いなる哉人生、の実感があります。
私どもは、こうして会合しても、みな酒もタバコもやらないので、まことに清々颯々、座談は天地人三才に亙って汲めども尽きせぬ興趣があります。酔眼朦朧たる諸君にはとうてい味わい得ない閑雅脱俗の仙境と、私どもはそのように自負しているところであります。竹林の七賢人ならぬ、妙竹林の三愚人と、このように自称しております。
ともあれ、『謹訳源氏』の執筆完了をご報告し、あわせて皆さまのご鞭撻に深謝申し上げます。刊行は六月初旬の予定ですので、いましばらくお待ち下さい。
写真は、新宿の水炊き処『玄海』にて。
2013年2月16日土曜日
とんだ災難
さてと、きょうは鎌倉の電通研修所へ古典文学の話をしに行ってきたのだが、その途次、とんだ災難に見舞われてしまった。右折禁止違反で取っ捕まってしまったのである。
午前中の講義なので、私は前夜鎌倉プリンスホテルに投宿して、午前九時半ころにホテルを出、研修所に向かったのだが、そこに行くためには、滑川の交差点で左折し、つづいて下馬の交差点で右折していかなくてならない。ところが、この下馬の交差点に差しかかったとき、私は、はたと困った。この標識の意味するところが実に分かりにくいからである。写真をクリックしてよくよくごろうじろ。たしかに、左の標識の補助表示の1番下のあたりに、ごく小さなごちゃごちゃした字で、「大型等以外の車両/終日」と書いてある。しかし、その上には大きな字で「大型等9-16/18-翌(?)7」、また右側の右折左折禁止の看板の下には「大型等7-9/16-18」と書いてある。さて、こんなごたごたと頭悪く書いてある標識を一瞬にして読み取って、はたしてここは右折していいのか悪いのか判断するのは、相当に困難である。私はここは大型車右折禁止、それも時間によっては大型は左折も禁止、という意味だと思ったのだ。事実大型や貨物だけが右折禁止という交差点もこういう調子の表示になっていることが多い。よくよく考えれば、それはたしかに、「大型等以外の車両/終日」と書いてあるから、普通車は終日右折禁止なのだと、まあ交差点内に停車でもして二、三分睨んでみれば分かるであろう。しかし、ことは交差点を沢山の車が通過する流れの中で、一瞬で判断しなくてはならないのだ。私は、ひとしきり頭を絞って考えた揚げ句、もう九時過ぎているのでダイジョウブなのかと思ってスッと右折してしまったのであった。みよ、このグーグルのストリートビュー写真でも1台騙されて右折している車が写っている。きっと彼も捕まって罰金を絞り取られたであろう。
ともあれ、私は日ごろから安全運転、順法運転の鑑であると言われている、定評ある超優良運転者である。だから、この看板の意味を短い時間では読み取れなかったというのが正直なところで、決して敢て無視したわけではない。割り切れないというか、怒り心頭というか、じつに後味の悪い一日となった。
午前中の講義なので、私は前夜鎌倉プリンスホテルに投宿して、午前九時半ころにホテルを出、研修所に向かったのだが、そこに行くためには、滑川の交差点で左折し、つづいて下馬の交差点で右折していかなくてならない。ところが、この下馬の交差点に差しかかったとき、私は、はたと困った。この標識の意味するところが実に分かりにくいからである。写真をクリックしてよくよくごろうじろ。たしかに、左の標識の補助表示の1番下のあたりに、ごく小さなごちゃごちゃした字で、「大型等以外の車両/終日」と書いてある。しかし、その上には大きな字で「大型等9-16/18-翌(?)7」、また右側の右折左折禁止の看板の下には「大型等7-9/16-18」と書いてある。さて、こんなごたごたと頭悪く書いてある標識を一瞬にして読み取って、はたしてここは右折していいのか悪いのか判断するのは、相当に困難である。私はここは大型車右折禁止、それも時間によっては大型は左折も禁止、という意味だと思ったのだ。事実大型や貨物だけが右折禁止という交差点もこういう調子の表示になっていることが多い。よくよく考えれば、それはたしかに、「大型等以外の車両/終日」と書いてあるから、普通車は終日右折禁止なのだと、まあ交差点内に停車でもして二、三分睨んでみれば分かるであろう。しかし、ことは交差点を沢山の車が通過する流れの中で、一瞬で判断しなくてはならないのだ。私は、ひとしきり頭を絞って考えた揚げ句、もう九時過ぎているのでダイジョウブなのかと思ってスッと右折してしまったのであった。みよ、このグーグルのストリートビュー写真でも1台騙されて右折している車が写っている。きっと彼も捕まって罰金を絞り取られたであろう。
ともあれ、私は日ごろから安全運転、順法運転の鑑であると言われている、定評ある超優良運転者である。だから、この看板の意味を短い時間では読み取れなかったというのが正直なところで、決して敢て無視したわけではない。割り切れないというか、怒り心頭というか、じつに後味の悪い一日となった。
2013年2月10日日曜日
徳川眞弓さんとプーランクを
こうやって音楽と関わった暮しをしていると、つぎつぎと音楽の仕事が到来する。それは私にとって、なによりも嬉しく、また生き甲斐にもなる。
今回は、プーランクの『象のババール』というピアノと朗読が交互に斬り結びながら、音楽の絵本という趣向で進んでいく作品の、その朗読を担当することになった。ピアニストは、徳川眞弓さん。『ババール』は有名な絵本であるが、私はもともと児童文学や絵本にはほとんど全く興味がない人間なので、万事はこれから研究しようというところである。しかし、これは絵本とは切り離して、純粋に音楽として演奏するというつもりの朗読なので、いわば、一種の「うた」だと見なしている。いや、声楽的にベルカントで歌うときと同じ声帯の使い方をしないと、大会場での朗読などはうまくいかない。といっても、あのオペラ歌手のような不自然な日本語で読むつもりは毛頭ないので、ご安心いただきたい。じつは、このたびリリースになった『謹訳源氏物語』の朗読も、発声としてはベルカントであって、決して安易に地声で読んでいるわけではない。そういうことの延長線上に、この作品も研究的に参加してみようと思っているところである。おまけに、私も少々歌をも歌おうかということになっている。
写真は、ちょうどきのう、その第一回の打合せと合わせ練習などをしたので、練習を終えてから、府中の手打ちそばの「心蕎人さくら」で蕎麦を喫しているところである。左が今回ご一緒するピアニストの徳川眞弓さん。右は、その仕掛け人でディスク・クラシカの主宰者仙波知司プロデューサーである。
徳川さんの公式HPは次のとおり。
http://park8.wakwak.com/~toktok/
今回は、プーランクの『象のババール』というピアノと朗読が交互に斬り結びながら、音楽の絵本という趣向で進んでいく作品の、その朗読を担当することになった。ピアニストは、徳川眞弓さん。『ババール』は有名な絵本であるが、私はもともと児童文学や絵本にはほとんど全く興味がない人間なので、万事はこれから研究しようというところである。しかし、これは絵本とは切り離して、純粋に音楽として演奏するというつもりの朗読なので、いわば、一種の「うた」だと見なしている。いや、声楽的にベルカントで歌うときと同じ声帯の使い方をしないと、大会場での朗読などはうまくいかない。といっても、あのオペラ歌手のような不自然な日本語で読むつもりは毛頭ないので、ご安心いただきたい。じつは、このたびリリースになった『謹訳源氏物語』の朗読も、発声としてはベルカントであって、決して安易に地声で読んでいるわけではない。そういうことの延長線上に、この作品も研究的に参加してみようと思っているところである。おまけに、私も少々歌をも歌おうかということになっている。
写真は、ちょうどきのう、その第一回の打合せと合わせ練習などをしたので、練習を終えてから、府中の手打ちそばの「心蕎人さくら」で蕎麦を喫しているところである。左が今回ご一緒するピアニストの徳川眞弓さん。右は、その仕掛け人でディスク・クラシカの主宰者仙波知司プロデューサーである。
徳川さんの公式HPは次のとおり。
http://park8.wakwak.com/~toktok/
2013年2月8日金曜日
岡本和久君
昨夕、投資教育家の岡本和久君と久しぶりの会食を愉しんだ。といってもこれもまた仕事の一環で、岡本君が主宰している「インベストライフ」という雑誌に掲載する対談が主な目的であった。
岡本君のプロフィールは次のサイトに詳しい。
http://www.i-owa.com/seminar/okamoto.html
さて、経済畑の岡本君と、文学畑の私とは、あまり接点がなさそうな感じがするかもしれないが、実は、はるかな昔、慶應義塾大学に在学中、私どもは同じクラブの仲間であった。それはクラシカル・ギター・クラブという、クラシックギターだけを演奏するというまじめなクラブで、私はその副代表を務めていた。岡本君は、ギターばかりの大合奏団の指揮者とソリストを兼ねていた、大変な音楽好きで、いまでもそのOB会の主要なメンバーでもある。
そんな関係で、若い頃からの古き良き知友なのだが、彼は日興証券から国際畑を歩き、今は独立し、個人を対象として、いかにしたら「品格ある投資」によるよりよき将来を築くかということを啓蒙する、IOウェルス、という会社を経営し、ひろくセミナーなどを開いている。そしてそういう品格ある投資が、結果として自分のためにもなり、また世のため人のためにもなるという、高いモラルに根ざした、美しい投資活動ということを一般の人たちに教育啓蒙しているのである。
人生観や、価値観、また社会的な意識など、私どもには共通の考え方が多く、経済畑に岡本君のような人がいてくれることは、この暗澹たる世の中の、せめてもの救いだと、私は考えている。
きのうも、人生のこと、命のこと、社会貢献のこと、教育のこと、おおいに談論風発して愉快な一夕であった。
ちなみに、目の前に置いてあるものは、人生におけるお金の使い方を教育または自覚するためのアメリカ製「豚の貯金箱」で、投入口、取り出し口、貯金槽、いずれも四つにわかれ、頭のほうから順に、SAVE, SPEND, DONATE, INVEST となっている(この貯金箱を岡本君の会社で輸入販売する由)。お金は、ただ貯金(SAVE)するだけでなく、有意義に使う(SPEND)することも大切、世のため人のために義捐(DONATE)することも大切だし、さらに将来を見据えて正しい投資(INVEST)をすることもなくてはならぬということを示している。大切なことは、投資というのは、ただ金もうけのために株や債券などを買ったり売ったりする「投機」とはまったく違う営為だということである。株は、社会のために良いことをする会社を見極め、その将来性をよく量って株を持ち(株を買うことで、その良い会社に助太刀をするというような心がけとでも言おうか)、目先の欲得で売ったりせずに何十年と長く持ち続ける、そういうものだと彼は教える。詳しくは岡本君の著書『賢い芸人が焼き肉屋を始める理由』(講談社α新書)などに就かれたい。
岡本君のプロフィールは次のサイトに詳しい。
http://www.i-owa.com/seminar/okamoto.html
さて、経済畑の岡本君と、文学畑の私とは、あまり接点がなさそうな感じがするかもしれないが、実は、はるかな昔、慶應義塾大学に在学中、私どもは同じクラブの仲間であった。それはクラシカル・ギター・クラブという、クラシックギターだけを演奏するというまじめなクラブで、私はその副代表を務めていた。岡本君は、ギターばかりの大合奏団の指揮者とソリストを兼ねていた、大変な音楽好きで、いまでもそのOB会の主要なメンバーでもある。
そんな関係で、若い頃からの古き良き知友なのだが、彼は日興証券から国際畑を歩き、今は独立し、個人を対象として、いかにしたら「品格ある投資」によるよりよき将来を築くかということを啓蒙する、IOウェルス、という会社を経営し、ひろくセミナーなどを開いている。そしてそういう品格ある投資が、結果として自分のためにもなり、また世のため人のためにもなるという、高いモラルに根ざした、美しい投資活動ということを一般の人たちに教育啓蒙しているのである。
人生観や、価値観、また社会的な意識など、私どもには共通の考え方が多く、経済畑に岡本君のような人がいてくれることは、この暗澹たる世の中の、せめてもの救いだと、私は考えている。
きのうも、人生のこと、命のこと、社会貢献のこと、教育のこと、おおいに談論風発して愉快な一夕であった。
ちなみに、目の前に置いてあるものは、人生におけるお金の使い方を教育または自覚するためのアメリカ製「豚の貯金箱」で、投入口、取り出し口、貯金槽、いずれも四つにわかれ、頭のほうから順に、SAVE, SPEND, DONATE, INVEST となっている(この貯金箱を岡本君の会社で輸入販売する由)。お金は、ただ貯金(SAVE)するだけでなく、有意義に使う(SPEND)することも大切、世のため人のために義捐(DONATE)することも大切だし、さらに将来を見据えて正しい投資(INVEST)をすることもなくてはならぬということを示している。大切なことは、投資というのは、ただ金もうけのために株や債券などを買ったり売ったりする「投機」とはまったく違う営為だということである。株は、社会のために良いことをする会社を見極め、その将来性をよく量って株を持ち(株を買うことで、その良い会社に助太刀をするというような心がけとでも言おうか)、目先の欲得で売ったりせずに何十年と長く持ち続ける、そういうものだと彼は教える。詳しくは岡本君の著書『賢い芸人が焼き肉屋を始める理由』(講談社α新書)などに就かれたい。
2013年2月4日月曜日
『謹訳源氏物語』第九巻+電子版第一巻
すっかりご無沙汰で、更新も怠っておりましたことをおわびします。
一月は、十日にアメリカのヴァージニアから、娘一家が一時帰国して、拙宅の隣棟のほうに三週間滞在していたもので、なにもかもそれに引っぱられて疾風怒濤のような生活でした。その娘夫婦と三人のボーイズもアメリカへ帰り、やっと平安が訪れたところで、折しも、『謹訳源氏物語』の第九巻が刊行になりました。
宇治十帖の半ばあたりの、まさに話も佳境にさしかかろうかというところ、早蕨・宿木・東屋の三帖がこの巻に収められています。
本編とはまた一味も二味も違う、現代小説風の展開を見せる宇治十帖。ぜひともご購読をお願い申し上げます。
と同時に、このたび、電子ブックの第一巻もリリースになりました。下の写真がその電子版の表紙です。
これは、『謹訳』の電子本文と、私自身の朗読音声とがワンセットになって、しかもたいへんに買いやすい価格になっているので、お買い得ではないかと思います。この朗読版は、ネット上で有料ダウンロードできます。
具体的には、iPhone、iPad、iPodtouchで、Appstore を立ち上げ、そこで、『謹訳源氏物語』もしくは、単に『源氏』と入力して検索してください。すぐに出てきます。私の朗読音声に従って、本文が黒から青に変っていく、あのカラオケの歌詞のような方式になっています。訳者自身が思いを込めて朗読した音声・・・これは東京エフエム系の衛星放送ミュージックバード局から毎日放送されています・・・その音声を聞きながら本文を読んで行くのは、また別の楽しみがあります。訳者自身が全巻まったく一人で朗読していくというのは、今までにない試みであろうと思います。録音するのは大仕事ですが、そこをがんばってやってきました。ぜひお聞きください。
電子版は、紙本における最新刷のテキストデータに準拠しているため、初版初刷にあった誤脱などがすっかり修正してあります。その意味でもお買い得かもしれません。
かくて、さしも長かった『謹訳源氏物語』も、あと一巻を残すだけとなりました。終ってしまうのが惜しいような思いを抱きながら、ともかくなんとしても良い訳文を完成したいと、ただその一念でやっています。六月には全巻成就の予定ですが、さて・・・。ともかくがんばります。
2013年1月1日火曜日
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
あっという間にまた正月となり、この分では、まばたきを二三度するうちにまた来年の正月になってしまいそうな気配です。
この正月は、『謹訳源氏物語』第九巻の校正をしながら迎えました。もうすぐに校正を終えて、印刷所に送ります。
この写真は、もう四半世紀あまり前、1986年のイギリス留学中に撮影した写真をセピア色に加工したもので、ケンブリッジ近郊のアングルセイ・アベイという僧院でのスナップです。左は息子の大地、右が娘の春菜、いまふたりとも成人して、それぞれに娘が二人と息子が三人、合計五人の孫持ちとなりました。まことに、月日の経つのは早いもので、ついこないだこんな子どもたちだったのが、今や人の親となっているのですから。そうして、息子はボストン、娘はヴァージニアと、いずれもアメリカに住んでいます。
正月早々から、この春菜の一家が総勢五人で賑やかに一時帰国してくるというので、いまやてんやわんやでその準備に明け暮れています。孫どもは、四歳、三歳、二歳、一歳、〇歳と、毎年一人ずつ生まれてきて、まことにめでたいことであります。娘のところの三人息子はアメリカ人とのハーフなので、今やカウボーイのいでたちにシェリフバッジをつけて、毎日ライフルの撃ち合いをしているという按配で、さて彼らがこの日本に来たら、どう感じるでしょうか。興味津々というところです。
あっという間にまた正月となり、この分では、まばたきを二三度するうちにまた来年の正月になってしまいそうな気配です。
この正月は、『謹訳源氏物語』第九巻の校正をしながら迎えました。もうすぐに校正を終えて、印刷所に送ります。
この写真は、もう四半世紀あまり前、1986年のイギリス留学中に撮影した写真をセピア色に加工したもので、ケンブリッジ近郊のアングルセイ・アベイという僧院でのスナップです。左は息子の大地、右が娘の春菜、いまふたりとも成人して、それぞれに娘が二人と息子が三人、合計五人の孫持ちとなりました。まことに、月日の経つのは早いもので、ついこないだこんな子どもたちだったのが、今や人の親となっているのですから。そうして、息子はボストン、娘はヴァージニアと、いずれもアメリカに住んでいます。
正月早々から、この春菜の一家が総勢五人で賑やかに一時帰国してくるというので、いまやてんやわんやでその準備に明け暮れています。孫どもは、四歳、三歳、二歳、一歳、〇歳と、毎年一人ずつ生まれてきて、まことにめでたいことであります。娘のところの三人息子はアメリカ人とのハーフなので、今やカウボーイのいでたちにシェリフバッジをつけて、毎日ライフルの撃ち合いをしているという按配で、さて彼らがこの日本に来たら、どう感じるでしょうか。興味津々というところです。
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