2016年11月4日金曜日

親芋子芋孫芋


 いまは、ちょうど里芋の新しいのが採れる盛りで、今年も糸魚川の息子の嫁のご実家から、りっぱな里芋などをどっさりと送っていただいた。
 東京では、里芋といえば、コロコロと切り離して袋詰めにされて店頭にでているので、こういう姿の「一家」を見ることはほぼない。
 中央にドンと親芋がひかえ、その周囲にりっぱに太った子芋がいくつも付き、さらにその子芋からまた孫芋までひっついている、一家眷族まことにめでたい姿である。
 私の母などはこの親芋が好きで、よく煮て食べていたが、私はどちらかという子芋のねっとりと軟質なほうが好ましい。祖母は彦根の人で、里芋を煮るときはいつも茹でこぼしてこのぬめりを取ってから煮たそうだが、祖父は東京人で、いつも、
 「そのぬめりがオイシイんじゃないか」
 と文句を言ったそうである。私も祖父に賛成である。
 さっそく、ぬめりなど取る事なく、ねっとりと煮て食べた。まことに香りよく、柔らかで、けっこうな冬の旬菜である。

2016年11月3日木曜日

古典の日


 毎年、十一月一日は、古典の日という特別な日に指定されている。
 そのため、各地でその記念行事が催されているのだが、去年と一昨年は、東京で国文学研究資料館主催の講演会があって、私は二年連続でその記念講演をした。いずれも源氏物語についての講演で、やはり古典といえば源氏、というわけである。
 今年は、古典の日推進委員会の主催で、京都での催しがあり、これは講演だけではなくて、対談やら音楽やら、いろいろ盛りだくさんな行事であった。
 その一番最後に、基調講演というのを頼まれて、『源氏物語、そのさまざまな面白さ』という講演をしに京都まで行ってきた。例によって、車を運転して、往復十四時間。まことに普通はそういうことは思いつかないかもしれないが、鉄道嫌いの車好きの私としては、新幹線で行くよりもずっと疲れないから不思議だ。
 そのイベントに、中村勘九郎さんも出演、たまたま楽屋が隣同士だったので、この際、ミーハーよろしく、記念写真をとらせていただいた。思っていたよりもずっと背が高く、体格の立派な人だなあという印象。気さくで腰が低く、とても感じがよかった。
 もっとも、そのイベントは、あれこれ欲張りすぎて、時間が足りなくなり、どんどん押してきた結果、最後の基調講演のところを短くせよと無理難題、最初は五十五分という依頼だったのが、五十分になり、ついには四十分でやれ、というので、源氏五十四帖の浩瀚な世界を、せいぜいコンパクトにお話したところである。が、せめて一時間は頂かないと、時間が短か過ぎるなあと、遺憾な思いであった。
 講演を終えて、そのまますぐに帰京の途につき、名神ー中央高速と、通い慣れた道を通って、坦々と走り、深夜十二時ちょうどに自宅に帰り着いた。

2016年10月9日日曜日

空心菜の花


 ながらくの御無沙汰、まことに恐縮でありますが、じつはこのところ非常にタイトなスケジュールに追われていました。
 その最大のものは、やはり『謹訳平家物語』の初校と再校という仕事です。
 校正といっても、この『謹訳平家』は、朗読テキストというのがコンセプトなので、ふつうの本のそれとは、ちょっとやりかたが違います。そもそも、原稿も第一次草稿を書き上げると、それを朗読しながら、推敲していきます。読んでみて、リズムの合わないところはないか、もっと美しい音律はないかと模索しながら、この推敲だけでも二日くらいかかります。
 こうして完成稿ができると、ベテランの校閲者の元に回し、そこでさまざまの問題点の指摘を受けて、これを初校のときに修正していきます。この初校のときにも、すべて朗読しながら、極力文章を洗練するべく努力します。そして再び校閲者に戻して再校が出ます。再校もまた、朗読しながらやっていくのです。草稿から再校を上げるまでに、なんども声に出して読んでみて「朗読テキスト」としてのブラッシュアップをしていくわけです。不思議なことに、黙読しているだけでは気付かない不具合に、朗読すると気付くことが多いのです。それだけテキストに集中するということなのでしょう。
 だからこの本は、黙読しないで、ぜひぜひ朗々と音読してほしいと思っています。
 ともあれ、『謹訳平家物語』は、全四巻、ついに完結し、まもなく印刷にとりかかります。十一月下旬までには刊行になると思います。
 やっと少しだけ時間ができたので、また信濃大町の家に来ています。まだ少し早いのですが、いくらか紅葉が始まっています。今日、金沢から北山ドクターも来村して、また二人で歌の稽古に励みます。
 そこで昨日、大町のスーパーで買ってきた地元野菜の空心菜を、今朝の朝食で食べようと思ったら、なんと、ピンク色の可憐な花がついていました。かわいいので写真にとりましたが、食べてみたら、茎のところは固くて歯が立ちませんでした。花が咲くようになっては、つまり「薹が立ってる」ということなんですね。

2016年9月5日月曜日

信州の秋


ながらく御無沙汰をいたしました。
 八月は、信州の山荘翠風居に独りこもって、ひたすら『謹訳平家物語』の執筆に専念しておりましたが、幸いに、八月の末に灌頂の巻まですべてを書き上げ、無事東京に戻ってまいりました。
 まだ青々とした稲の苗が水漫々たる水田に揺れていた六月ころから信州に行き、八月末に戻ってきた頃には、写真でもおわかりのように、水田はすでに稲穂が黄金色に実って、豊かに頭を垂れておりました。
 ふと道の反対側、梓川の岸辺を眺めてみると、もう一面のススキ原で、風はまだいくらか暑気を含んではおりましたが、東京の空気とは格別、やはり明らかな爽秋の気配が横溢しておりました。
 それから一週間あまり経って、今ごろはおそらく、朝晩は肌寒い気温になっているだろうと想像しています。九月になると、里のそこここに、熊の出没が著しく、秋は注意しなくてはならない季節でもありますが、しかし、信州の秋の美しさ快さは、子供の頃からいつも信州で夏を過ごしてきた私どもには、まさに故郷の秋という感慨があります。
 『謹訳平家物語』の最終第四巻は、ただいま校閲作業中にて、十一月に予定どおり刊行される手はずになっておりますので、どうか読書の秋に、一冊お手元にお備えくださいますよう、心からお願い申し上げます。

2016年7月24日日曜日

夏祭

きょう、夕方にまた町まで歩きに行った。もちろん運動のためである。山荘のあたりは熊公が出るので危険で歩けないので、わざわざ町まで出るのである。すると気温が、山荘のあたりより数度乃至五度くらい高くて、町は暑いのだった。
 しかし、きょうは近在の若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)の例大祭の日で、町中が歩行者天国になっていた。面白いから見物に行ったところ、各町から祇園祭の山鉾のような山車や舞台が行列して、それはなかなか盛んなものであった。
 さらに行くと、駒に騎乗した稚児の行列などもあって、どこからか集めてきた各種の馬に跨った稚児たちが、悠々と通り過ぎていった。山車の前には、町内の大人というか長老というか、貫録を見せたおじいさんたちが羽織袴にパナマの帽子やら、裃に陣笠やら、黒いスーツの正装やらで粛々と先導していくのであった。この写真の山車は、高見町からでた「安珍清姫」の舞台であった。舞台下は囃子方が入っていて、御簾内で囃子を奏でる。なかなかの盛儀と見えた。普段は寂しい町も、この時ばかりは人だかりでエネルギーを取り戻しているように見えた。

2016年7月17日日曜日

猿の群れ

信濃大町の山荘あたりは、ほんとうに豊かな里山という感じで、熊も出る、鹿も歩く、イノシシも走る、そしてニホンカモシカなども折々村内をぶらついている。なかで、もっともよく来村する賓客はニホンザルの群れ、というか一家である。大きなボス猿があたりを払うような威勢を示してゆく周囲を、何頭かの母猿はおのおの小さな子猿をおんぶしたり抱っこしたり、少し大きくなった少年猿は、人間の子供と同じように、縦横無尽に駆け回り、大声を出し、好奇心を発揮し、それはもう見ていると可愛いものだ。
 ただ、この野生の猿も、近づくと危険なので、遠くから眺めるだけである。
 現在私の家は、屋根の塗装工事のための足場が組んであるので、いわば、猿にとってはジャングルジム風の面白さがあると見えて、若い猿どもは、この足場に上ったり降りたり、走ったり、ゆすったりと、楽しそうに遊んでいる。
 たまたま一匹が足場に乗って辺りを眺めているところが写真に撮れたので、ここもと御目にかける。なんとなく格好になってるねえ、これは。

2016年7月8日金曜日

白馬へ

一週間ほど前から、例によって信濃大町の山荘に隠棲中である。今回は、なんとしても『謹訳平家物語』を最後まで書いてしまわなくてはならぬ、と悲壮なる覚悟で、酷暑の東京を逃げ出し、山のような本を持参して、こちらに篭居しているのである。
 さるなかにも、昨日からは、アメリカ在住の息子の娘たち・・・つまり孫娘どもが二人だけでこの山荘に「お泊まり」に来ている。東京は異常な酷暑なので、ちょうどいいときにこの涼しい山峡の里に来たものだと思う。
 しかしながら、ただでさえ小さな家に、二人の「賓客」を迎えるとなると、なかなかたいへんで、庵主の私だけが超然として執筆に励むというわけにもいかず、実質的には、一日じゅうこの孫たちの世話や家事に明け暮れる始末である。
 さるなかにも、きょうは白馬村へ遠足にでかけた。行ったのは、白馬ガラス工房というところで、いわゆる蜻蛉玉と呼ばれるガラス玉を使って、手作りのアクセサリーを拵えるという、まあ女の子の好きそうな趣向を求めて出かけたのである。
 行ってみると、白馬村は、どうしてどうして堂々たる高原リゾートになっていて、長野県では軽井沢と並んで見事なランドスケープデザインが施されている。ホテルやペンションもよいデザインのものが櫛比して、まるでヨーロッパに迷い込んだような印象であった。近くに避暑に来ていて、白馬がここまで美しくでき上がっていることを知らずにいたのはまことに不覚であった。
 写真は、そのなかでもなかなか出色のホテル、「ラ・ネージュ本館」で、八方の麓、和田野の森というところにある。じっさい、堂々たるイギリス風の建築で、いわばヴィクトリア時代からエドワード時代に流行した擬古的デザインである。残念だったのは、ここまでイギリス風に作っていながら、ちょうど午後三時であったにもかかわらず、「アフタヌーン・ティ」のようなサービスを全くしていないという、この一点であった。これだけのロケーションがあるのだから、ぜひティのサービスをするとよい、と強く経営者に勧めたいと思ったところである。
 この森あたりは標高が千メートルくらいあるのであろう。ごく冷涼で、じつに気持ちのよい気温であった。また、来るべし。