大昔の写真を一枚お目にかけようか。
これは私どもが大学四年のときに(正確にいうと、私一人は留年しているので、大学三年であったけれど)、親友四人で卒業旅行(?)に箱根に出かけたときに撮った写真である。もともとこういうモノクロの写真なのだが、とても雰囲気があって私の好きな一枚。
右端は、田崎誠君、彼は三菱商事に就職し、その後ずっと石油化学品関係の仕事をしてつい最近リタイアライフに入った。慶応の志木高校から経済学部卒。私とは大学のクラシカルギタークラブでの仲間として知り合い、大学時代からずっと親友であり続ける。今も折々会っては食事などを共にし、馬鹿話に興じることがある。彼は私と同様酒もタバコもやらないので、大いに共感するところがあるのである。
私の左にいる美少年も、我が人生の心友で、奈蔵功修(よしのぶ)君(今は髪の毛が消失してしまったので、こういう風情ではないが・・・)。やはり経済学部卒だが、高校までは学習院のお坊ちゃんであった。実家が慶応大学のすぐ裏手のようなところにあって、一生食うに困らない、まあ銀の匙を銜えて生まれてきたという人であろう。彼はもともと田崎君の友人だったのが、いつのまにか仲間になった。その後、同門で観世流の謡曲を学び、なにかと私人としてのつきあいが深い。大学卒業後は三井物産に入ったが、比較的早い時期に早期退職して悠々自適、今はお茶の宗匠のようなことをやって人生を楽しんでいる。現在は私の主宰する句会「夕星(ゆうづつ)俳座」の有力なメンバーでもある。
左端は渡辺和朗(かずあき)君。彼は商学部を卒業して、日興証券に入り、ずっと経済畑を歩いたが、一時ロンドンに駐在していたころは、折々その寓居におじゃましたものであった。奥方も慶応の文学部で、家族ぐるみのお付き合いとなっている。今はもうリタイアして大磯の邸で庭いじりでもしていることであろう。最近は会わないが、さて元気であろうか。この四人のなかでは唯一の大酒飲みである。好漢自重して健康ならんことを祈る。
人生の幸福の一つには、良い友を得ること、ということがある。その意味では、私の人生はまことに幸福であったと、彼らに巡り会えた慶應義塾大学に、いまさらながら感謝するのである。
2014年6月8日日曜日
金沢コンサート
たいへんに、たいへんに、更新をサボっておりまして、申し訳ありません。前回は3月の更新であったものが、いまや6月になってしまいました。またこれからは少し本腰をいれて更新しようと思います。
さて、さる5月28日、金沢アートホールにおいて、同地の外科医にしてテノール歌手という北山吉明先生と二人で、たのしいコンサートを開いた。
ピアノは、いつもお付き合いくださる五味こずえ君と、北山先生の伴奏者として中田佳珠(かず)さんのお二人がこもごも弾いてくださった。
プログラムは、次のとおり。演奏者名のない曲はデュエット。
第一部
朧月夜 高野辰之作詩 岡野貞一作曲 上田真樹編曲
夏は来ぬ 佐佐木信綱作詩 小山作之助作曲 上田真樹編曲
鉾をおさめて(林) 時雨音羽作詩 中山晋平作曲
くちなし(林) 高野喜久雄作詩 高田三郎作曲
かごかき(北山) 貴志康一作詩・作曲
佃煮の小魚(北山) 井伏鱒二作詩 中田喜直作曲
げんげ田の道を 林 望作詩 なかにしあかね作曲・編曲
行け、わが想い(北山) 林 望作詩 伊藤康英作曲
愛の挨拶(中田=ピアノ・ソロ)
吾が子よ(林)林 望作詩 二宮玲子作曲=新曲初演
夢の子守歌 林 望作詩 伊藤康英作曲
第二部
あんこまパン 林 望作詞 伊藤康英作曲
第一楽章 信じてくれないだろうなあ・・・
第二楽章 材料
第三楽章 サンドイッチ用のパンに・・・
蝉の鳴く日は(『めぐる季節に』より) 林 望作詩 伊藤康英作曲
われは海の子 文部省唱歌 上田真樹編曲
野菊 石森延男作詩 下総皖一作曲 上田真樹編曲
月の光(五味=ピアノ・ソロ) ドビュッシー作曲
アルヒダノス ウエールズ民謡 M・H・ジョーンズ英訳 上田真樹編曲
猫の二重唱 ロッシーニ作曲
アロハ・オエ リリウオカラニ王女作曲 林 望作詩 上田真樹編曲
(アンコール)花 武島羽衣作詩 滝廉太郎作曲(自筆原譜版による)
以上の通りの演奏であったが、いや、実に実に楽しい演奏会であった。場内もみなさん大盛り上がりで、『あんこまパン』などは、ふたりで漫才よろしく掛け合いの形で歌ったところが、爆笑また爆笑、上記の写真は、そのときのリハーサルの模様である。こういうふうに、二人で掛け合いで演奏するという試みも、この曲のばあい非常に効果的であったろうと思う。ピアノは、北山先生の独唱は中田佳珠さん、私の独唱は五味こずえ君が担当し、二重唱は主に五味君が弾き、一部中田さんにお願いするという形で分担した。
三番目の写真は、舞台の袖で開演前に記念写真。
あまりに楽しく、また、お客さんの評判もことのほかに良かったので、はやくも第二回のジョイントコンサートを企画しているところである。こんなコンサートを東京でもやりたいが、はたして金沢のようにお客さんが集まるかどうか・・・。
2014年3月25日火曜日
オペラMABOROSI
さる22日、23日の両日、甲府市の甲府コラニー文化ホールの小ホールで、新作のオペラ「MABOROSI」の初演が行われた。
これは、二年ほど前から計画が進み、私が台本を書き、二宮玲子さんが作曲をし、松本重孝さんが演出を担当するということで初演にむけて稽古が進んでいたものである。
写真は、その本番当日、舞台を背後に撮影したもの。
この作品は、源氏物語の「御法」「幻」の両巻、つまり源氏の最晩年と紫上の死を描くところだけを抽出して脚色したもの。
しかし、この両巻は、源氏物語のなかでも、もっとも哀れ深いところで、原作のなかでも名文で綴られている。
第一幕は御法、すなわち紫上の死去の場面。
第二幕は幻、すなわち紫上死後の一年間、源氏が悲しさに呆然としてすごす一年間を描きとおす。
作曲はまことに卓抜で、オーケストレーションも見事なものであった。
昼の部、源氏本岩孝之、紫上小林沙羅、夕霧布施雅也、中宮鵜木絵里ほか
夜の部、源氏鹿又透、紫上佐藤路子、夕霧山本耕平、中宮二見麻衣子ほか
というダブルキャストで上演された。松本演出の手練、また裏方を支えたThe Staff社の職人技、そして指揮者小森康弘の熱演も見事であった。
新作ながら、これで終わりというような作品ではなく、きっとこれから全国であるいは世界に打って出ての再演再々演など、日本オペラのスタンダードになっていくように、ますます努力精進を重ねたいと思う。
これは、二年ほど前から計画が進み、私が台本を書き、二宮玲子さんが作曲をし、松本重孝さんが演出を担当するということで初演にむけて稽古が進んでいたものである。
写真は、その本番当日、舞台を背後に撮影したもの。
この作品は、源氏物語の「御法」「幻」の両巻、つまり源氏の最晩年と紫上の死を描くところだけを抽出して脚色したもの。
しかし、この両巻は、源氏物語のなかでも、もっとも哀れ深いところで、原作のなかでも名文で綴られている。
第一幕は御法、すなわち紫上の死去の場面。
第二幕は幻、すなわち紫上死後の一年間、源氏が悲しさに呆然としてすごす一年間を描きとおす。
作曲はまことに卓抜で、オーケストレーションも見事なものであった。
昼の部、源氏本岩孝之、紫上小林沙羅、夕霧布施雅也、中宮鵜木絵里ほか
夜の部、源氏鹿又透、紫上佐藤路子、夕霧山本耕平、中宮二見麻衣子ほか
というダブルキャストで上演された。松本演出の手練、また裏方を支えたThe Staff社の職人技、そして指揮者小森康弘の熱演も見事であった。
新作ながら、これで終わりというような作品ではなく、きっとこれから全国であるいは世界に打って出ての再演再々演など、日本オペラのスタンダードになっていくように、ますます努力精進を重ねたいと思う。
2014年2月27日木曜日
雪国山形へ
雪の山形市へ行ってきた。
むろん仕事で、今回は山形市役所の職員研修の一端としての文化講演会ということで、源氏物語の面白さについて話してきた。
さすがに、この季節の山形まで車で行くというのは、万一また大雪でも降ったときのことを考えると、リスクが多すぎるということで、異例中の異例ながら、新幹線で往復することにした。新幹線に乗るのも何年ぶりであろうか。
大宮から乗るときには暑いほどの陽気で、これはしまった車でいけば良かったと思ったのだった。郡山を過ぎるあたりまでは、雪も先日の大雪の名残がそこそこ残っているという程度であったけれど、福島を過ぎるとどんどん雪景色になり、米沢に入る前の山中の鉄路は分厚い豪雪に覆われて、まったく春の気配もなかった。そうして、山形市についたときは、蒼く黄昏れる夕景色が、どこまでも「雪国」なのであった。やはりこれは車は無理だったかなと思いつつ、その日は暮れた。
翌日、講演も無事終了し、帰途の列車の時間まで二時間ほどあったので、旧県庁舎を見物し、それから町の旧市街をそぞろ歩いて見物してきたが、ほとんど古い町並みは残っていないのであった。途中小腹が減ったので、町のそば屋に入ってもりそばを食べたが、ぼそぼそと堅いばかりでちょっとも美味しくなかった。とくにつゆがいけないなあと思いつつ、半分残して出た。
帰りの電車は夜だったので、なにも見えないから、ずっと居眠りしながら帰ってきた。
結果的には、高速道路などは除雪はできているし、主要街道も問題なく除雪が済んでいるので、車で行く事もできたが、それは結果論というもので、もし大雪が降ったら、あの雪国では立ち往生したかもしれぬ。
ともあれ、もっと良い季節、新緑のころにでも、また訪れて少しは旨いものも食べたいものだと痛感したことである。
2014年2月16日日曜日
バレンタインの豪雪
今年のバレンタインデーは、とんだ豪雪になった。
この日私は、神田の竹尾という紙商社にいて、竹尾賞というデザイン関係の本の審査に当っていたが、午後中雪は降っていたものの、神田あたりはまだ積もるという状況ではなかった。
ところが、五時前に帰途についた時分には、はやくも新宿あたりの道路が冠雪しはじめており、環七、環八と下って行くにつれて、雪はいよいよ深くなってくる。降ってくる雪もあたかも吹雪のごとく、暮れて行く小暗さのなか、ますます雪はひどくなってきた。
小金井に着く頃には、もうそこらじゅう雪の原で、あらゆる道はすっかり冠雪し、その上をチェーンを装着した車が走っているせいで、でこぼことひどい悪路になっている。
私は四駆車にスタッドレスを装着して乗っていたので、それほどの危険は感じなかったが、それでもそろそろと30キロ以下で安全に走行してもどった。
それから深夜にいたるも雪は衰えず、夜中になるころには、ついに積雪は40センチを越えた。つい一週間前にも同じくらいの雪が積もって、雪かきに骨を折ったというのに、またもやこの豪雪で、ともかく雪がやむまでは静観ということにした。上の写真は自宅の二階窓からの写真で、隣の駐車場に置いてある車がもう埋もれているばかりか、隣家の塀も半ば埋まっているのが見える。こんな雪国のような景色は見た事がない。下の写真は、玄関前に置いてある車ごしに向かいの家を撮影したものだが、屋根や木々の上の雪の深さが観察できる。そして車は羽布団でもかけたように雪にこんもりと被われてしまった。
観測史上最高の積雪というニュースに、それはそうだろうと思わず納得。忘れ得ぬバレンタインデーになった。
2014年2月14日金曜日
アクシデント
いやはや、大変に長らくのご無沙汰で申し訳ありません。
さて、きのう私は浜松の浜松市立高校というところに招かれて、若いころに挫折を重ねたことを話してきました。じっさい、二十代のころの私は、なにもかも志どおりにいかず、就職もなんどもなんども失敗で、なかなか辛い時期でしたが、今から思うと、それが私の運命であったろうと思います。
私の話が高校一年生の心にとどいたかどうか、それはよくわかりません。
ところが、この講演をするために、市立高校に到着し、大きな資料の鞄を手にもって玄関を入ろうとしたところ、なんとしたことでしょうか、玄関の泥落としマットに足を取られてばったりと転倒してしまいました。ちょうど一塁ベースへのヘッドスライディングというような格好で、盛大に倒れ、しかし幸いに反射的に両手が出て、わりあいにソフトランディングしたので、骨折とか腱断裂とかの重大な怪我には至らず、ただ全身の筋肉痛と、手で着地したところの手のひらの内出血だけで済んだのは、まことに幸いでありました。
その場ですぐに湿布と氷で冷やしたことも奏功したのか、痛みや腫れなどはまったくありません。しかしそれにしても、一歩間違えれば骨折とか、アキレス腱断裂とか、歯を折ったりとかの大事故に至る所でした。
結局、これが老化現象というもので、歩いているときにも重々足先に意識をして、ちゃんと爪先を上げて歩くことが大切と悟りました。
きょうはまた大雪。せいぜいまた転ばないように気をつけなくては!
林 望
さて、きのう私は浜松の浜松市立高校というところに招かれて、若いころに挫折を重ねたことを話してきました。じっさい、二十代のころの私は、なにもかも志どおりにいかず、就職もなんどもなんども失敗で、なかなか辛い時期でしたが、今から思うと、それが私の運命であったろうと思います。
私の話が高校一年生の心にとどいたかどうか、それはよくわかりません。
ところが、この講演をするために、市立高校に到着し、大きな資料の鞄を手にもって玄関を入ろうとしたところ、なんとしたことでしょうか、玄関の泥落としマットに足を取られてばったりと転倒してしまいました。ちょうど一塁ベースへのヘッドスライディングというような格好で、盛大に倒れ、しかし幸いに反射的に両手が出て、わりあいにソフトランディングしたので、骨折とか腱断裂とかの重大な怪我には至らず、ただ全身の筋肉痛と、手で着地したところの手のひらの内出血だけで済んだのは、まことに幸いでありました。
その場ですぐに湿布と氷で冷やしたことも奏功したのか、痛みや腫れなどはまったくありません。しかしそれにしても、一歩間違えれば骨折とか、アキレス腱断裂とか、歯を折ったりとかの大事故に至る所でした。
結局、これが老化現象というもので、歩いているときにも重々足先に意識をして、ちゃんと爪先を上げて歩くことが大切と悟りました。
きょうはまた大雪。せいぜいまた転ばないように気をつけなくては!
林 望
2014年1月8日水曜日
ついに読了
一月六日午後、『謹訳源氏物語』の朗読を、ついに読み終えた。2010年の9月から朗読収録に着手、それから毎月だいたい三回のペースで読み続けてきた。途中、本の刊行が収録に追いつかれてしまい、半年ほど放送を中断した期間を設けたりもしたが、その後、再開。この日、すべて無事読了した。一回の放送は25分ほどだが、前後の枠を除いて正味20分弱。これを466回分朗読したのであった。一回の収録には四時間をかけて、だいたい八回ずつとった。最初はちょっと声が疲れるところもあったが、次第に、発声の研究をして、ベルカント発声で淡々と読んでいくとのどがまったく疲れず、それどころか、だんだんと声帯の調子が整ってきて、四時間終えたあとでは、自由自在に歌を歌えるような状態になっていることを発見。これはすごい発見であった。正しい姿勢、正しい発声、それが朗読にはなにより必要であることを見つけたのは大いなる成果であった。
最終回の最後の一行を読むときには、なんともいえない感慨があった。
それが終わって、スタッフたちから、月桂冠と金メダルの授与があり、記念写真を撮った。左から、収録担当の山脇君、ミュージックバードの高木君、同局のアナウンサー兼プロデューサで、わが長年の畏友たる田中君、私、収録担当の荒ヶ田君、そして右端が祥伝社の担当編集の栗原君。
現在その朗読番組はひきつづき放送中だが、いずれこれを放送だけでなくて、なにかの形でCDかデータDVDか、ネット販売か、形を決めて一般に発売できないか、研究中である。
最終回の最後の一行を読むときには、なんともいえない感慨があった。
それが終わって、スタッフたちから、月桂冠と金メダルの授与があり、記念写真を撮った。左から、収録担当の山脇君、ミュージックバードの高木君、同局のアナウンサー兼プロデューサで、わが長年の畏友たる田中君、私、収録担当の荒ヶ田君、そして右端が祥伝社の担当編集の栗原君。
現在その朗読番組はひきつづき放送中だが、いずれこれを放送だけでなくて、なにかの形でCDかデータDVDか、ネット販売か、形を決めて一般に発売できないか、研究中である。
登録:
投稿 (Atom)