八月の十日から十日間ばかり東京に戻り、猛暑と戦いながら、雑用をせっせと済ませ、また頼まれた講演なども終えて、ただちに信濃大町の家に戻ってきた。
たった十日ほどの違いだったが、安曇野の早稲の田はもう黄色く色づきはじめていて、赤とんぼは飛び、ススキも出始めている。信州の冷涼な気候のなかでは、秋の訪れが早い。
もう半袖半ズボンでは寒いので、秋の服装に変えたところである。
ところで、この八月お盆前後になると、地元の農産物直売所にはいろいろと楽しいものが並ぶ。甘い甘いとうもろこしなどもその楽しみの一つだが、もう一つは、名残の小苺、とでもいうようなカワイイ小さな苺が、たくさん、それも驚くような廉価で売られるようになる。これを山のように買ってきて、いちごジャムを作るのもここでの楽しみである。
洗ったり蔕をとったりする作業は大変だが、砂糖と赤ワインだけを入れてコトコトと煮る。途中アクをとることをこまめに、それで出来上がったのをガラス瓶に密封してすっかり冷えると、天然のペクチンが固まって、とてもおいしいジャムができる。
ただいま、このジャムを毎朝たのしくトーストにのせて食べているところである。
2015年8月10日月曜日
僻村塾
きのう8月8日、白山市の白峰の奥にある、「僻村塾」というところまで講演にでかけた。これが、あっと驚くような山村僻陬の地で、僻村塾とは言い得て妙と感心をしたことである。現在は、池澤夏樹さんが塾長で、ひとつ気楽に話をしにきてくださいと頼まれ、『平家物語』についての講話と朗読をしてきた。こんな不便なところにも拘らず、熱心な聴衆が五十人くらいも集まって下さったろうか。終わってから、塾のフェロウがたのお手料理による、たいへんなご馳走が出た。ひとつひとつ、地元の食材を中心として、それはもう、じつにじつにじつにじつに美味極まるご馳走だった。料亭料理のようなものでなく、超絶的に洗練された家庭料理・郷土料理なのだが、そこにこそ、天下の美味は凝集しているのだ、とあらためて痛感するような素晴らしいお料理であった。なかでも、ほっそりとした若鮎を囲炉裏の炭火で焼いた焼き鮎のまあ、うまかったこと。骨などないような柔らかさ、しかし、しっかりと鮎の香味があって、ああ、ああ、思い出すさえ垂涎というものである。
よい思い出を得て、きょう、酷暑のなかを信濃大町の山荘翠風居まで帰ってきたら、その涼しいことは、またなによりの妙薬であった。
よい思い出を得て、きょう、酷暑のなかを信濃大町の山荘翠風居まで帰ってきたら、その涼しいことは、またなによりの妙薬であった。
2015年7月23日木曜日
リベルタンゴ・デュエット
ちょっと記述が後先になって恐縮ながら、さる7月18日のライブ演奏のことを書いておかなくてはなるまい。
あのオペラ『MABOROSI』を作曲された二宮玲子さんが、こたびヴァイオリンの安田紀生子さん、ソプラノの賀川ゆう子さんと、三人してタンゴ・マドンナというタンゴバンドを組み、その本格的な旗揚げ公演に先立って、試演会とでもいうべきライブを開催した。荻窪にある「With 遊」という小ぢんまりとしたライブハウスで、客席には三十人ほどしか入らないところではあったが、午後二時からと四時からの、二回公演をした。
二宮さんとは、引き続き作詩と作曲という立場で、お付き合いを願っている、まあ「戦友」であるが、こたびは、まずアストル・ピアソラの名曲『リベルタンゴ』に詩を書いてほしいという、かなり破天荒なご依頼であった。さっそくこの作詩の難しい現代タンゴに、破れた恋の苦しみを歌った詩をつけて、送ったところ、これを二重唱に編曲したので、ぜひ客演してその初演につきあってほしいという、さらに破天荒なるご依頼を頂戴した。ところがこれが非常に難しい曲で、当初はとても無理ではないかと思ったのだが、何事も練習練習、小泉信三先生の言葉の通り「練習は不可能を可能にす」というわけで、なんとか本番に間に合わせたところ、大変ご好評をいただいた。同時に、先日の金沢で初演した『いまひとたび』(高木東六作曲・林 望作詩)も、こたびはピアノとヴァイオリン伴奏編曲版の初演として(二宮玲子編曲)、自分がガルデルにでもなったような心持ちで、すこぶるタンゴらしく歌ったのだが、歌っていてとても楽しかった。
写真は、『リベルタンゴ』を、賀川さんとデュエットしているところのスナップ。このユニットの旗揚げ本公演は、11月22日に予定されているので、またぜひお運びを願うこと然り(詳細は決まり次第、またHPに告知します)。
あのオペラ『MABOROSI』を作曲された二宮玲子さんが、こたびヴァイオリンの安田紀生子さん、ソプラノの賀川ゆう子さんと、三人してタンゴ・マドンナというタンゴバンドを組み、その本格的な旗揚げ公演に先立って、試演会とでもいうべきライブを開催した。荻窪にある「With 遊」という小ぢんまりとしたライブハウスで、客席には三十人ほどしか入らないところではあったが、午後二時からと四時からの、二回公演をした。
二宮さんとは、引き続き作詩と作曲という立場で、お付き合いを願っている、まあ「戦友」であるが、こたびは、まずアストル・ピアソラの名曲『リベルタンゴ』に詩を書いてほしいという、かなり破天荒なご依頼であった。さっそくこの作詩の難しい現代タンゴに、破れた恋の苦しみを歌った詩をつけて、送ったところ、これを二重唱に編曲したので、ぜひ客演してその初演につきあってほしいという、さらに破天荒なるご依頼を頂戴した。ところがこれが非常に難しい曲で、当初はとても無理ではないかと思ったのだが、何事も練習練習、小泉信三先生の言葉の通り「練習は不可能を可能にす」というわけで、なんとか本番に間に合わせたところ、大変ご好評をいただいた。同時に、先日の金沢で初演した『いまひとたび』(高木東六作曲・林 望作詩)も、こたびはピアノとヴァイオリン伴奏編曲版の初演として(二宮玲子編曲)、自分がガルデルにでもなったような心持ちで、すこぶるタンゴらしく歌ったのだが、歌っていてとても楽しかった。
写真は、『リベルタンゴ』を、賀川さんとデュエットしているところのスナップ。このユニットの旗揚げ本公演は、11月22日に予定されているので、またぜひお運びを願うこと然り(詳細は決まり次第、またHPに告知します)。
2015年7月22日水曜日
山林に隠棲中
次から次へと迫り来る締め切りやら、コンサートやら、講演やら、東京にいての仕事をやっと片付けて、信州の山荘にやってきている。
東京が猛暑でも、こちらは28度くらいの快適な気候で、夜は20度かそこらの、まことにひんやりとした空気になる。
冷房をかけずに楽々と眠れるのは、ほんとうに快適で、こういう環境にあっては、脳みその働きも百倍というものである。
現在は、もっぱら『謹訳平家物語』の書き上げに専念中で、これをなんとか夏の終わりまでに仕上げてしまいたいと思うのだが、いざやってみると、仏教語、儒教語彙、和歌・漢詩文など、さまざまな引きごとなどに妨げられて、そうスイスイとも書き進め得ない。
しかしながら、着実に一歩ずつ進めていくならば、やがて終わりも見えてくるであろう。源氏物語のような解釈上の困難さは、平家物語には存在しない。ただ、原典が持っている語り芸としての生き生きとした語り口を、どうやって現代語に活かすか、すなわち、いかに語り物らしい文体(私は仮にこれを「講釈体」と名づけている)で訳すか、鍵はそこにかかっている。
東京が猛暑でも、こちらは28度くらいの快適な気候で、夜は20度かそこらの、まことにひんやりとした空気になる。
冷房をかけずに楽々と眠れるのは、ほんとうに快適で、こういう環境にあっては、脳みその働きも百倍というものである。
現在は、もっぱら『謹訳平家物語』の書き上げに専念中で、これをなんとか夏の終わりまでに仕上げてしまいたいと思うのだが、いざやってみると、仏教語、儒教語彙、和歌・漢詩文など、さまざまな引きごとなどに妨げられて、そうスイスイとも書き進め得ない。
しかしながら、着実に一歩ずつ進めていくならば、やがて終わりも見えてくるであろう。源氏物語のような解釈上の困難さは、平家物語には存在しない。ただ、原典が持っている語り芸としての生き生きとした語り口を、どうやって現代語に活かすか、すなわち、いかに語り物らしい文体(私は仮にこれを「講釈体」と名づけている)で訳すか、鍵はそこにかかっている。
2015年5月22日金曜日
戦前・戦後、歌の教室
いつのまにか月日はたち、あれよあれよという間に一年はもう半分近くまで来てしまいました。
さるところ、5月20日に、金沢アートホールを会場として、同地のドクター北山吉明先生(テノール)と私(バリトン)と二人コンサートをやって来ました。チケット2000円の代金はチャリティとして寄付させていただきます。
これは去年の二人コンサートが好評で、またやってほしいというお声にお応えしての第二回でありましたが、伴奏も前回と同じく、中田佳珠(かず)さんと五味こずえさん。
ちょうど今年は戦後七十年の記念年になるということで、戦前戦中戦後の歌の世界を見渡しての、社会の変遷と歌の歴史を概観してみようという企画を立てました。
歌の学校と称して、途中さまざまな「歌講釈」を挟んでの演奏会で、プログラムは下記のとおりの全二十三曲、これを北山吉明先生と私と、二人で熱唱してきました。お客さまには概ね喜んでいただけたようで、ホッとしています(客席には、私の愛してやまない、東京早稲田『八幡鮨』の皆さんが、お店を臨時休業にしてはるばると金沢まで、五人揃って応援にきてくれました。昔の歌が多かったこともあって、楽しんでいただけたようです)。
*マークは、テノール(北山)とバリトン(林)の二重唱
名前を記したものはそれぞれの独唱。
第一時限 童謡の戦前戦後
朧月夜 (大正13年 高野辰之作詩 岡野貞一作曲 上田真樹編曲)*
汽車ポッポ(昭和2年、本居長世作詩作曲)
花かげ (昭和6年 大村主計作詩 豊田義一作曲)
お猿のかごや (昭和13年 山上武夫作詩 海沼實作曲)
船頭さん(昭和16年 武内俊子作詩(峰田明彦改作) 河村光陽作曲)
里の秋 (昭和20年 斎藤信夫作詩 海沼實作曲、中田佳珠編曲)*
蛙の笛 (昭和21年 齋藤信夫作詩 海沼實作曲)*
第二時限 戦中の歌、戦後の歌
海ゆかば (昭和8年、大伴家持原歌 東儀季芳作曲 高木雅老編曲)
海ゆかば (昭和12年、大伴家持原歌 信時潔作曲)
月月火水木金金 (昭和15年 高橋俊策作詩 江口夜詩作曲)
空の神兵 (昭和17年 梅木三郎作詩 高木東六作曲)
いまひとたび (原曲昭和21年 藤浦洸作詩、高木東六作曲『古い港』、改題新詩は2015年林望作詩、初演)林
水色のワルツ (昭和21年作曲、25年発売 藤浦洸作詩 高木東六作曲)北山
憧れのハワイ航路 (昭和23年 石本美由起作詩 江口夜詩作曲)
山の吊橋 (昭和34年m横井弘作詩 吉田矢健治作曲)
第三時限 戦前から戦後への芸術歌曲
丹澤 (昭和10年 清水重道作詩 信時潔作曲)北山
お菓子と娘 (昭和3年 西条八十作詩 橋本国彦作曲)北山
落葉松 (昭和47年 野上彰作詩 小林秀雄作曲)林
くちなし (昭和46年 高野喜久雄作詩 高田三郎作曲)林
さよならはいわないで (鶴岡千代子作詩 中田喜直作曲)北山
翼 (昭和57年 武満徹作詩・作曲)林
夏は来ぬ (明治29年 佐佐木信綱作詩 小山作之助作曲 上田真樹編曲)*
アンコール
花 (明治33年 武島羽衣作詩 滝廉太郎作曲)*
さるところ、5月20日に、金沢アートホールを会場として、同地のドクター北山吉明先生(テノール)と私(バリトン)と二人コンサートをやって来ました。チケット2000円の代金はチャリティとして寄付させていただきます。
これは去年の二人コンサートが好評で、またやってほしいというお声にお応えしての第二回でありましたが、伴奏も前回と同じく、中田佳珠(かず)さんと五味こずえさん。
ちょうど今年は戦後七十年の記念年になるということで、戦前戦中戦後の歌の世界を見渡しての、社会の変遷と歌の歴史を概観してみようという企画を立てました。
歌の学校と称して、途中さまざまな「歌講釈」を挟んでの演奏会で、プログラムは下記のとおりの全二十三曲、これを北山吉明先生と私と、二人で熱唱してきました。お客さまには概ね喜んでいただけたようで、ホッとしています(客席には、私の愛してやまない、東京早稲田『八幡鮨』の皆さんが、お店を臨時休業にしてはるばると金沢まで、五人揃って応援にきてくれました。昔の歌が多かったこともあって、楽しんでいただけたようです)。
*マークは、テノール(北山)とバリトン(林)の二重唱
名前を記したものはそれぞれの独唱。
第一時限 童謡の戦前戦後
朧月夜 (大正13年 高野辰之作詩 岡野貞一作曲 上田真樹編曲)*
汽車ポッポ(昭和2年、本居長世作詩作曲)
花かげ (昭和6年 大村主計作詩 豊田義一作曲)
お猿のかごや (昭和13年 山上武夫作詩 海沼實作曲)
船頭さん(昭和16年 武内俊子作詩(峰田明彦改作) 河村光陽作曲)
里の秋 (昭和20年 斎藤信夫作詩 海沼實作曲、中田佳珠編曲)*
蛙の笛 (昭和21年 齋藤信夫作詩 海沼實作曲)*
第二時限 戦中の歌、戦後の歌
海ゆかば (昭和8年、大伴家持原歌 東儀季芳作曲 高木雅老編曲)
海ゆかば (昭和12年、大伴家持原歌 信時潔作曲)
月月火水木金金 (昭和15年 高橋俊策作詩 江口夜詩作曲)
空の神兵 (昭和17年 梅木三郎作詩 高木東六作曲)
いまひとたび (原曲昭和21年 藤浦洸作詩、高木東六作曲『古い港』、改題新詩は2015年林望作詩、初演)林
水色のワルツ (昭和21年作曲、25年発売 藤浦洸作詩 高木東六作曲)北山
憧れのハワイ航路 (昭和23年 石本美由起作詩 江口夜詩作曲)
山の吊橋 (昭和34年m横井弘作詩 吉田矢健治作曲)
第三時限 戦前から戦後への芸術歌曲
丹澤 (昭和10年 清水重道作詩 信時潔作曲)北山
お菓子と娘 (昭和3年 西条八十作詩 橋本国彦作曲)北山
落葉松 (昭和47年 野上彰作詩 小林秀雄作曲)林
くちなし (昭和46年 高野喜久雄作詩 高田三郎作曲)林
さよならはいわないで (鶴岡千代子作詩 中田喜直作曲)北山
翼 (昭和57年 武満徹作詩・作曲)林
夏は来ぬ (明治29年 佐佐木信綱作詩 小山作之助作曲 上田真樹編曲)*
アンコール
花 (明治33年 武島羽衣作詩 滝廉太郎作曲)*
2015年4月23日木曜日
謹訳平家物語、リリース
いよいよ新年度となり、だんだん初夏の佇まいとなってきました。
さるところ、昨年来書き進めておりました『謹訳平家物語』第一巻が、無事刊行となりました。全四巻の予定ですが、来年の今頃までには全巻完結という予定で現在もその先を書き進めております。
ここもと、その書影をお目にかけます。
『しのびねしふ』に引き続き、『謹訳平家』も、太田徹也先生が装訂ならびに本文等のデザインをすべて担当してくださいました。
あたかも、巻物の本文を読むような、とでもいったらいいような本文デザインも素敵ですが、この装訂デザインを御覧ください。実物は渋い金表紙で、そこにひとすじの色が入ります。これが巻のテーマカラーとでもいう感じでしょうか。帯の下方のローマ字表記は「Qinyacu Feiqe Monogatari」と、いわゆる「天草本平家物語」のポルトガル式ローマ字を用いてあります。
今回は、『源氏物語』とはまったく違う文体で書きました。源氏は淡々と物語るというスタイルですが、平家は、講釈師などの芸能者が朗々と語るような、いっしゅ芸能的文体を採用しています。原典の文体がまったく違うのに、同じような訳文であれば、それはおかしいと私は思っています。
まもなく書店の店頭に並びますので、どうぞ実際に手にとって御覧ください。今回も造本はコデックス方式ですので、フラストレーションなくページが開きます。単に読書としての楽しみだけでなく、朗読会や読み聞かせなどのテキストとして最適なものと思っております。どうぞ皆様よろしくご購読のほど、お願い申し上げます。
さるところ、昨年来書き進めておりました『謹訳平家物語』第一巻が、無事刊行となりました。全四巻の予定ですが、来年の今頃までには全巻完結という予定で現在もその先を書き進めております。
ここもと、その書影をお目にかけます。
『しのびねしふ』に引き続き、『謹訳平家』も、太田徹也先生が装訂ならびに本文等のデザインをすべて担当してくださいました。
あたかも、巻物の本文を読むような、とでもいったらいいような本文デザインも素敵ですが、この装訂デザインを御覧ください。実物は渋い金表紙で、そこにひとすじの色が入ります。これが巻のテーマカラーとでもいう感じでしょうか。帯の下方のローマ字表記は「Qinyacu Feiqe Monogatari」と、いわゆる「天草本平家物語」のポルトガル式ローマ字を用いてあります。
今回は、『源氏物語』とはまったく違う文体で書きました。源氏は淡々と物語るというスタイルですが、平家は、講釈師などの芸能者が朗々と語るような、いっしゅ芸能的文体を採用しています。原典の文体がまったく違うのに、同じような訳文であれば、それはおかしいと私は思っています。
まもなく書店の店頭に並びますので、どうぞ実際に手にとって御覧ください。今回も造本はコデックス方式ですので、フラストレーションなくページが開きます。単に読書としての楽しみだけでなく、朗読会や読み聞かせなどのテキストとして最適なものと思っております。どうぞ皆様よろしくご購読のほど、お願い申し上げます。
2015年3月31日火曜日
観世会館さよなら公演
またまたのご無沙汰で申し訳ありません。
『謹訳平家物語』の執筆や校正のためあくせくしております。
さて、この三月いっぱいで、43年間に亘って観世流能楽の本拠地として親しまれてきた、渋谷区松濤の観世会館、通称観世能楽堂が、建築の耐震基準上の問題などがあって、閉館することになった。まもなく、この想い出深い能楽堂は取り壊されて、銀座に新しく建築中の多目的ビルの地下に移転することになっている。
その最後の時を記念して、このほど、「さよなら公演」が三月二十五日から三十日にかけて、6公演行われた。
私もそのなかの一公演に解説を書かせていただいたのだが(『松風』と『土蜘蛛』)、幸いに、二十六世宗家の観世清和師のシテを勤められる能はすべて拝見することができた。
二十八日の『正尊(しょうぞん)』では、清和師は義経の刺客正尊を演じて重々しい演技を披露されたが、能楽堂のさよなら公演とあって、気鋭の若手観世流能役者がぞろりと八人、立衆として出演し、義経がたの武者と切り結ぶ大立ち回りを、にぎにぎしく演じ切ったのは面白かった。トンボ返りや、「仏倒れ」といって硬直したまま後ろ向きにドカーンと倒れるスリリングな型を存分に堪能したことであった。
二十九日は、『道成寺』。この難曲をば、清和師は悠々たる風格と余裕で演じ、その規矩準縄で揺らぎのない型の運びといい、内面的な理解の深さといい、また後の段の蛇体の女の怨念の凄まじさといい、その声の凛とした豊かさといい、現代における最高の『道成寺』を見たという、得も言われぬ昂奮を覚えた。能楽堂への最後の餞として、まことにふさわしい見事な演能であった。
さらに三十日の、ラストのラストの日は、翁付き『鶴亀』という珍しい演能で、これは翁の儀式的な能のあとそのままめでたい祝言曲の極致ともいうべき『鶴亀』を演じ、さらにそのあと『福の神』という、これまた祝言性に満ちた狂言を続ける。そこまで二時間以上ぶっ通しで演ずるもので、とくにその三曲ともに休みなく勤める囃子方にとっては、並大抵のことではない演式である。
清和師の翁は、清雅にしてまた神韻縹渺、まさに神さびた趣が横溢し、見ていて背筋がピンと伸びる思いであった。そのあとは家元の実弟観世芳伸師のシテの鶴亀と続き、囃子は亀井広忠師の大鼓、大倉源次郎師の小鼓が、なかんずく気合も十分で一座を終始ぐっと支えている感じがした。
なにもかも終わってから、能楽堂の外の庭で、鏡開きが挙行され、そこで清和師が流儀を代表して謝辞を述べられたところが、この写真である。画面やや左方、スマホを持った白い右手の上あたりでマイクを持っておられるのが宗家清和師である。
ほんとうに良い能を見せていただきました。
観世流のますますの弥栄をお祈り申し上げます。
感謝。
『謹訳平家物語』の執筆や校正のためあくせくしております。
さて、この三月いっぱいで、43年間に亘って観世流能楽の本拠地として親しまれてきた、渋谷区松濤の観世会館、通称観世能楽堂が、建築の耐震基準上の問題などがあって、閉館することになった。まもなく、この想い出深い能楽堂は取り壊されて、銀座に新しく建築中の多目的ビルの地下に移転することになっている。
その最後の時を記念して、このほど、「さよなら公演」が三月二十五日から三十日にかけて、6公演行われた。
私もそのなかの一公演に解説を書かせていただいたのだが(『松風』と『土蜘蛛』)、幸いに、二十六世宗家の観世清和師のシテを勤められる能はすべて拝見することができた。
二十八日の『正尊(しょうぞん)』では、清和師は義経の刺客正尊を演じて重々しい演技を披露されたが、能楽堂のさよなら公演とあって、気鋭の若手観世流能役者がぞろりと八人、立衆として出演し、義経がたの武者と切り結ぶ大立ち回りを、にぎにぎしく演じ切ったのは面白かった。トンボ返りや、「仏倒れ」といって硬直したまま後ろ向きにドカーンと倒れるスリリングな型を存分に堪能したことであった。
二十九日は、『道成寺』。この難曲をば、清和師は悠々たる風格と余裕で演じ、その規矩準縄で揺らぎのない型の運びといい、内面的な理解の深さといい、また後の段の蛇体の女の怨念の凄まじさといい、その声の凛とした豊かさといい、現代における最高の『道成寺』を見たという、得も言われぬ昂奮を覚えた。能楽堂への最後の餞として、まことにふさわしい見事な演能であった。
さらに三十日の、ラストのラストの日は、翁付き『鶴亀』という珍しい演能で、これは翁の儀式的な能のあとそのままめでたい祝言曲の極致ともいうべき『鶴亀』を演じ、さらにそのあと『福の神』という、これまた祝言性に満ちた狂言を続ける。そこまで二時間以上ぶっ通しで演ずるもので、とくにその三曲ともに休みなく勤める囃子方にとっては、並大抵のことではない演式である。
清和師の翁は、清雅にしてまた神韻縹渺、まさに神さびた趣が横溢し、見ていて背筋がピンと伸びる思いであった。そのあとは家元の実弟観世芳伸師のシテの鶴亀と続き、囃子は亀井広忠師の大鼓、大倉源次郎師の小鼓が、なかんずく気合も十分で一座を終始ぐっと支えている感じがした。
なにもかも終わってから、能楽堂の外の庭で、鏡開きが挙行され、そこで清和師が流儀を代表して謝辞を述べられたところが、この写真である。画面やや左方、スマホを持った白い右手の上あたりでマイクを持っておられるのが宗家清和師である。
ほんとうに良い能を見せていただきました。
観世流のますますの弥栄をお祈り申し上げます。
感謝。
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